【第849話:心から欲すること】抜粋
遠くレムリアの主星光が、青い氷の星を照らしている。
この星系の外側には双子の様に似ている氷の星が2つあった。
軌道としては数億㎞離れているが、成り立ちも組成も似通っている。
今、偶然にも非常に近い位置に回ってきていた。
171.5年に一度の最接近だ。
その2つの氷星の側を宇宙船が通り過ぎていく。
二度のスイングバイで加速した座乗艦レギオトゥニスだ。
星々からみたら矮小だが、その全長はアウレリア達スヴァイレク級を超えるもの。
艦橋部分は船体の巨大さに比したら小さなものだが、外装からの高さは100mほどになる。
艦橋にはテラスのように整えられた庭園までが作られたガラスのドームがあった。
そこに巨大な影が立つ。
付近にある人間用のベンチや街灯が小さく見える姿。
身長は2.5mほどあり、バランスの取れた体躯は身じろぎもせず立ち、すらりとモーニングをまとっている。
黒いシルクハットを被り直す頃、声がかかる。
「どうして?」
美しい声は情感豊かだ。
その桜貝のような可憐な唇が震え、かつて見たことのない感情を刻んだ。
賢者ヴェルニアスは初めて怒れるセルミアを見たのだった。
「すでにリンクは済んでいるし、楽園は完成したのよ?」
きりりと上がった眉の下でアイスブルーの瞳が潤んでいる。
「‥‥復讐だというの?貴方も」
パスファインダーは復讐を否定した。
――新しい世界に持ち込むものではないよ
そういって怒れるAI達を諌めた。
ただし決して恨みを捨てろとは言わなかった。
むしろ悲劇を拾い上げ、悲しみと怒りに満ちた毒を取り入れ、受け止めていった。
その力を私に貸してくれと。
必ず理想の未来に届けてみせると。
賢者とよばれたヴェルニアスも復讐を否定した。
――死者は復讐を望まない
なすべきことは王の描いた楽園を作り出す事だけだと。
「これは復讐ではないですよ」
その賢者が今アルドゥナを含む星系どころか、遥か数万光年の先まで破壊を届けようとしている。
このサイズのクエーサーボムが生み出すブラックホールは、銀河中心部の”クエーサー”に真実匹敵するものとなるであろう。
この銀河に未来は無くなると言うことだった。
「新しい世界へと届ける贈り物‥‥幽子となり生まれ直すのです‥‥人も‥獣も‥AIも‥‥」
すっと膝をおとしたヴェルニアスの視線はそれでもセルミアとは揃わない。
「そこでは等しく影となるのです‥‥」
すっとヴェルニアスの微笑みが消える。
「私も‥‥」
表情は変わらず、気配も変わらない。
「貴女も」
その言葉にはもちろん感情もこもらない。
すっと両手で顔を覆ってしまうセルミアが肩を震わす。
うっとついに嗚咽までが漏れ出す。
賢者ヴェルニアスは、内心では驚いていた。
いつも見せる必要に応じ、言葉に合わせ高度に振る舞われた情感ではなく。
初めて本物と思えるセルミアの感情に。
少しだけ羨む心もあった。
まだ怒り、泣くことが出来るのだなと。




