【閑話:隠者と少女】
山奥に隠棲する世捨て人とは聞いたことが有ったセルミアだが、アステロイドベルトの奥深くに隠棲していた男には少し興味が湧いた。
そんなに人間が嫌いなのかと。
「不便ではないの?こんな宇宙の果てのような場所で」
セルミアは縁側と言われる小さなウッドデッキに、小さなおしりで腰掛けて体をひねり奥に座る男を見た。
草そのものを編んで敷き込んだ床には、靴では上がるなと最初に声をかけられた。
ちなみに今のところそれが最後の言葉でも有る。
今のセルミア以上に無口な者はなかなかいないが、この男はその一人だ。
光が届くのに2万年かかる距離を越えてきたのにと、少し不満だった。
転移して来たので、移動時間は一瞬なのだが。
セルミアが声をかけても、視線すら向けない。
まだ一度しかセルミアを見ていないのだ。
靴のまま上がろうとしたのを止めた時だ。
「靴を脱いだから入っていいかしら?ヴェルニアス」
セルミアは男の名前を知っているので、自己紹介より前に名前で呼びかけてみた。
名前を呼んだのに、眉一筋動かさず何かを読み耽る男。
見ているとページを行ったり来たりしているので、読書ではないだろう。
「別の名前で読んだほうがいいのかしら?」
ぴくんと眉が跳ねた。
セルミアが能動的に引き出した、記念すべき2回目の表情だった。
黒檀の机の前に正座するヴェルニアスは、視線を本から動かすことはなかった。
とある無人の星系にアステロイドを大量に流す軌道があった。
かつて付近の星系の開発時に、資源として利用できないか一度調査が入り、さして珍しいものはないと結論付けられ、名前だけ付けられた星系だ。
もちろんこの小惑星に名前など無い。
長径が100㎞に満たない小さな星の内側に、自然の物を拡張した横穴があった。
ヴェルニアスが作ったものだろう。
(他に誰がいるわけでもなし)
洞窟は天井まで100m程は有り、人が住むには十分なスペースを気密して、十分な大気で満たしている。
この大気や、天井付近に輝く人口太陽は、男のためではなく、庭に咲く草木のためだろう。
ちょろちょろと音を立てて、清らかな小川が人工重力に引かれていくのか、螺旋を描くように庭の奥に消えている。
季節は春なのか、白にうすいピンクをよそおった小さな花を、沢山咲かせる木が一本だけ立っていた。
それ以外の木はまだ若葉も出していない。
うっすら青く見える天井は、ホログラフなのか、自然のものなのかセルミアには判断がつかない。
ただ、美しいことだけは感じられた。
その木にも葉はまだなく、花だけを咲かせる不思議な姿だった。
しばらく待ったが、いいともダメとも言われないので、入っていいのだとセルミアは決めた。
裸足で少し柔らかな床を歩くのは、初めての経験で靴下も脱いでみたいなと考えた。
歩きながらふしだらに脱ぎ捨てて、ぽいぽいと捨てるが男は一瞥もしない。
ちょっとだけぷっと頬を膨らますセルミア。
せっかく色っぽく脱いであげたのにと、理不尽な怒りを男に向けた。
ぺたんと男の横に座るセルミア。
男は明るい茶色の瞳と髪を持ち、セルミアが初めて見るタイプの視線の温度を持っていた。
(これは‥‥かなしい?‥‥苦しい?)
浅黒い薄い生地でおられた民族衣装と思われる衣服を、一本のひもで結び停めているシンプルな出で立ち。
険しい眉を見れば、いずれ楽しそうではないなとセルミアは判定する。
あまり他者の顔を真剣に見たことがなかった。
セルミアの持つサンプルはたった一つ、想い人だった彼の優しい眼差しだけだ。
(なにかに似ている気もする?)
どこで見たのかは思い出せないが、似た視線を見たことが有ると思い出した。
「ねえ‥‥名前を聞いてくれないの?あなたの名前はわたしが言ってあげたわ」
また勝手な要求をするセルミア。
すっかりこの男に興味を引かれていた。
無意識なのだが、あの大切な思い出の中にいる青年と少し重ねているのだ。
タイマーを設定してあるのか、時間がすぎると人口太陽は温度を下げて朱色の光を落とす。
ポンプで循環しているのか、ちょろちょろと流れていく水が尽きることはなく、それだけがセルミアの鼓膜を揺すった。
驚いたことに男は全く音を立てない。
心臓すら動いているのか心配になり、意識を向けると時々鼓動が聞こえた。
(冬眠しているくまみたいね)
相手もAIだと知っていたので、スリープしているようだと感じるのが自然だ。
セルミアにはその自然な答えは浮かばなかった。
この男を一人の人間として、生物として見てしまう。
気配は少ないのだが、意志があると感じる。
「ねぇ‥‥なにを読んでいるの?おもしろいのそれ?」
セルミアはもう何度目か覚えていない質問をヴェルニアスに投げかけた。
答えは無いだろうと想像しながら。
「‥‥神の作り方だ」
頭がおかしいのかな?とセルミアは失礼な感想を持った。
「作れるわけがないわ」
セルミアは今や銀河連邦でもっとも優れた魔導師とも言える知識を持っている。
その魔法知識に照らして、ありえないと判断した。
神と言われてイメージしたのは、あのアナムノーシスの果で出会った、心優しい女神だ。
ヴェルニアスはふと視線を上げてセルミアを見た。
まるで初めて見たかのように驚いて。
「これはこの世の知識を綴ったものではないのだ‥‥」
なぜそんな事を説明したのかと、より目ぎみになったヴェルニアスは内省してみた。
「なぜ説明した?」
己に問いかける問いを放つヴェルニアス。
「しらないわよ。わたしセルミア‥‥よろしくねヴェルニアス。もう離れないわ」
さらに意味がわからない事を言い出す、にんまり笑った少女に困り果ててしまうヴェルニアスだった。
ところでどこから入ったのだろうと。
この空間には入口など無いのだ。
ヴェルニアスが内側から塞いだのだから。
セルミアはそうしてLaumaのお告げに従い、ヴェルニアスの側に居ることにした。
なんだか心地よいしと。




