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その四 高校一年夏休み十日目・立村上総の杉本梨南を振り回しあう日々(7)

 牧草地を眺め、売店でクッキーをそれぞれ購入した。結局まだパンには手をつけていない。たまたまソフトクリームを見つけて、半ば強引に上総が杉本へ手渡したからだ。

「食事前なのに、健康にあまりよろしくないのでは」

「いいよ、とにかく何か口にしないと立ってられない」

 ベンチに腰掛け、ひたすらなめた。甘すぎず、それでいて歯ごたえがあり、ただただおいしい。味よりも冷たさがなによりものご馳走だった。杉本も文句を言わずに静かになめている。脇に麦藁帽子を置いて、長い髪を背中に追いやるようなしぐさをした。

「髪の毛を解いたのは失敗でした。もうこんなことはしません」

「なんで」

「邪魔です。夏はやはりひとつにまとめた方がよいのです。冬場ならともかく」

 杉本はそれでも最後までソフトクリームをなめ終えた後、脈を取る部分で時間を確認した。

「うまくすれば一本早く青潟行きの汽車に乗ることができます。急ぎましょう」

「え、これから公園も回るんじゃなかったのか?」

「いいえ、これから青潟へ向かう用事がございます。先輩には無理やりお付き合いさせてしまったようで申し訳ございませんでした。これからまっすぐ参ります。それでは」

 黙っているとそのまま杉本一人で坂道を転がっていきそうだ。上総も立ち上がった。

「だからなんでそう唐突に予定変更するんだよ。せっかくゆっくり散歩するんだったら、駅前の喫茶店にちょっと寄ってもいいかなとか思ってたんだ」

「その必要はございません」

 杉本はきっぱり答えた。

「今、ここでソフトクリームをいただきました。ごちそうさまでした。これだけでは正式な食事にこそならないものの、駅に着けば少しは待ち時間もあることでしょう。そこでいただくもよし、席が取れればそこでゆっくりといただくもよし、そういうものではないでしょうか」

 自分の腕時計を見やり、時刻を計算する。空も少し雲が増えてきたようだし、雨が降る可能性も考えれば早く青潟に向かった方がいいのは確かだ。杉本の言う通り次の電車には間に合うだろう。ただ、規則正しい行動を好む杉本の性格とは思えない気まぐれな言動に、疲れてきているのも正直ある。いつも振り回す相手なら覚悟はしている。杉本だから、わからない。

「杉本、あまり言いたくないけどさ。連れがいる時はそれなりに配慮ってもの、普通するよな?」

「先輩がついてきたいとおっしゃるからです。私は最初、お帰りになることをお勧めいたしました。汽車の中でお話も一通り終わりましたから、もうひとりでお戻りいただいてかまわないのです」

「そういう問題じゃないだろ? 杉本、俺は確かに話があると言ったし最初の一点目は確かに終わらせたよ。でも、まだあるってこと、少しは想像してもらわないとさ」

「それは、帰りの汽車内でも難しいことなのでしょうか」

「難しくはないけど、ただできれば相席の場でできるものじゃないよ」

 上総はかんで含めるよう言い聞かせた。

「行きは運良く、先頭の席を押さえられたからいろいろ話もできたけど、今もほら、こんなに観光客がたくさんいるだろ? そう考えたら無理だよ」

「無理とは思えないのですが、立村先輩がそこまで仰るのならばそういたしましょうか」

 言い終わるやいなや、杉本は帽子をかぶり直し、ポシェットを揺らしながら急ぎ早に売店を出た。追いかける上総のことなど気にせず、やはり転がるように駆け出した。風が出てきている。やはり雨が一振りきそうだ。

「杉本、早すぎる、ちょっと待てよ」

「急がなくてはなりません」

 駆け出しながら杉本は上総と並んだ。歩調を緩めた。

「立村先輩のご希望が、ふたりでじっくりお話をということであれば、するべきことはひとつです。一刻も早く子辺駅に向かい、その上で相席にならない席を押さえることです。本気で走れば先輩は私よりも早く着くはずです。お忘れですか、先輩は去年、クラス対抗リレーの選手だったではありませんか。人並み以上の脚力はあるはずです」

「いや、それは、ただ」

 どもる上総をきっとにらみつけ、杉本はまた坂道を駆け出そうとし、躓きかけた。転びはしないが、バランスを崩して二、三歩ふらついた。

「大丈夫か。そんな靴履いてるのに走るからだよ」

「先輩のご希望通りにさせていただこうとしておりますが」

「いいよ、そんな急がなくても。遅れたらまた一時間待とうよ。どうせパンもあるし、お菓子もあるしさ。時間はつぶせるよ。それに、杉本に見せようと思ったんで本も持ってきたんだ」

 かばんに押し込んだ例の「ミスター・パーフェクト本条氏」特集マイコンプログラム雑誌である。話のネタに、というよりも本条先輩経由で青潟東の話題を用意するために小道具もそれなりに用意してきた。話の流れからして無駄になるかと思っていたのだが。

「本ですか?」

 靴を履き直し、今度は普通の速さで歩き出し、杉本は上総に小首をかしげた。

「うん、さっき話しただろ。本条先輩のマイコンプログラムが載っているっていうマイコン雑誌なんだ。昨日本条先輩からもらったんだ。先輩の特集が組まれてるんだ。本名は隠してペンネーム使っているらしいけど、いかにも先輩らしい名前作ってて笑えるよ」

「マイコンプログラムですか。本条先輩の部活動ですか」

「部活動とは違うよ。本条先輩は最初、演劇部に入っていたけど相性が合わなくて一年でやめたんだって。その後、マイコンに興味持って独学で勉強し、近所の電気屋さんに通ってプログラム打ち込んで雑誌に投稿して、その繰り返しで今では有名人になったんだ。すごいよな」

「行きの汽車でも先輩はそのようなこと、おっしゃってましたね」

 杉本が小さく頷きながら、上総のかばんをじっと見る。

「俺も本条先輩から青潟東の学校事情についてはいろいろ聞かされていて、苦労してるんだなって思ってたんだ。もともと公立とは勉強の方法も部活動も、もちろん委員会もいろいろと勝手が違うから、いくら本条先輩が天才でも大変だったと思うよ。でも、本条先輩のすごいのは、自分に合わないことに気づいた段階ですぐ、本当の路を探し出したことなんだ。俺にはやはり真似できないな」

「演劇の代わりに、マイコン、ですか」

「そう。本条先輩は評議委員会で三年間ビデオ演劇やってたし、ほとんど主役と演出両方やってたし、演劇部でもきっとスターになれると思っていたらしいんだ。でも、青潟東の高校演劇は人を感動させるための、悪くはないんだけど青大附中のカラーとは全く違ったものを作風としていたらしいんだ。台本もオリジナルではなくて、高校演劇の世界で名作とされる脚本を選ぶ必要があったらしいって。それがいいか悪いかは俺も正直わかんないけど、本条先輩にはどう考えても合わないよな」

 杉本が頷くのを確認して、少し歩くのを早めた。坂が緩やかになると同時に駅の三角屋根も見えてきたようだ。発車時刻には十分間に合いそうだ。パン一枚くらいなら腹に押し込めそうだ。本条先輩の話をしていると空腹を忘れられるので、このまましゃべり続けることにする。

「そういえば、青大附高には演劇部がないのですか。最近、一部の有志たちが中学で演劇部活動を始めているらしいと聞いたことがありますが」

「あるよ一応。ただ活動については全然わからないな。本条先輩がもし青大附属の演劇部に入っていたら、たぶんあのビデオ演劇と同じ乗りに染めてるよ。そういう人だもの」

「私はあまり一般的な演劇になじみが薄いのですが」

 ──オペラにしか興味ないもんな。

 とりあえずは促す。

「ビデオ演劇のようなテーマは、高校演劇の世界で受け入れられないのでしょうか」

「たぶん受け入れられないんだと思う。俺が本条先輩から聞いた限りだと、まず時間制限があって六十分以上超えるとその段階で減点。脚本の話もしたけれど、中には自分で創作する学校もあるし顧問の先生が書くこともあるらしい。ただ、部活としての目的は地区大会優勝だし、最終的には全国大会を目指すことになる。そうなると、どうしても受け入れられやすいテーマや、高校生の身の丈にあった脚本を選ぶ必要が出てくる。それがすなわち、感動ものと呼ばれるカラーで、青潟東は主にその感動させることを目的とする作品を好んでいたらしいんだ。つまみ食いで申し訳ないんだけど、わかるかな」

「分かりづらい説明ということをご理解いただけているのであれば結構でございます」

 また傷口をえぐるような言葉をぶつけた後、杉本は頭の中を整理するように復唱した。

「つまり、本条先輩がなじんでこられた青大附中のビデオ演劇と、青潟東の高校演劇とは、全くの別ものということですね」

「そう、その通り」

「さらに確認いたしますと、青大附中が評議委員同士の自己満足で終わっている作品だったのに対し、青潟東演劇部は観客を感動させることを求めているということなのですね」

「御幣はあるけど、そんな感じなのかな」

 杉本は相変わらず手厳しい。

「それであれば本条先輩が違和感を感じるのは当然のことでございます」

「え、それなんで」

 駅に到着した。青潟行きの電車があと十分ほどで停車するとのアナウンスが流れていた。すぐに切符を購入した。乗り込む客は十名程度、思ったより少なかった。まずは待合室に腰掛けて、くるみの食パンを一ちぎって食べた。かりこりして、やわらかくて、十分満たされる。杉本も遠慮がちに手を伸ばした。パンの耳をまずちぎり、半分だけちぎって少しずつ口に運んだ。

「さっきの話の続きだけど」

 一枚だけなんとか流し込み、改札を潜り抜け、駅のホームに向かった。鈍行行きのホームに向かう。杉本が麦わら帽子をさりげなく直しながら歩いていくのを追いかけながら、上総は話しかけた。どうもきつすぎる。本条先輩になぜ、と聞きたい。

「私も一時期、評議委員会に関係しておりましたので感じていることなのですが」

 一番先頭の乗車ホームに並び、杉本ははるか向こうの赤茶けた修道院を眺めた。すっかり空は白くなり、奥の方には黒みがかっている雲が近づいてきている。

「本条先輩は確かに素晴らしいトップでした。それは認めます。個人的には顔と同レベルの才能をお持ちかと思われます」

 ──顔、ね。そういうことかよ。

 どうせ本条先輩や新井林や関崎のような「男らしい」顔が好みなのだろう。わかっている。

「しかし、その本条先輩がなぜ、青潟東演劇部と合わなかったのか。そう考えてみると私には見えてくるものがございます」

「それは、何」

「本条先輩は、自分の楽しみを追及されてらしただけなのです」

 思わず杉本の眼差しを探った。にらんでいない。ごくごく自然なやわらいだ瞳だった。今日の杉本にはきりつけるような激しいものが何一つ感じられない。その理由がどこにあるのか、上総なりに推理してみたのだが、結局結論は出てこない。

 指を折りながら、話し続ける杉本。追いやっていた髪の毛がいつの間にか前にたれていた。髪をほどいたままの杉本は、何か黒いマントに包まれたようにか弱く見える。

「ビデオ演劇で申しますと、きっかけは結城先輩が自分の合法的部活動代わりとして企画したものが始まりと伺っております。本条先輩も、評議委員会の仕事だからというよりも、自分がスターになりたいから、といった気持ちの方が強かったのではないでしょうか」

「それは、そうかもしれないな。本条先輩だし」

「時間制限なし、ただ面白いものを追求すること、それが間違っているとは思いません。ですが、完成度を考えるといかがでしょう。少なくとも部外者の人に見せて自慢できるものでしょうか」

「面白いとは思うけど、完成度は確かに、難しいよな」

 かすかにホームへ響くものを感じた。汽車が近づいてきたらしい。

「忠臣蔵は、杉本も知ってると思うけど水鳥中学生徒会の人たちに見せたよ。それと学校でも給食時間に流れたことあるし」

「奇岩城も、ですね」

 痛みの蘇る思い出。最低限の返事に留めた。

「作っている時は楽しかったでしょう。脚本を作ったり、大道具をこしらえたり、もちろん演劇がお好きであれば充実するのは当たり前のことです。私の見た限りですが、本条先輩は演劇部でも、自分が楽しいものを追及しすぎたのではないでしょうか」

「それ、まずいのか?」

 上総が問い返すと、杉本は大きく頷いた。

「先輩のお言葉を借りるならば、よい悪いの問題ではありません。本条先輩がおやめになるのは当然のことです。なぜなら、自分のやりたいことと、観客のほしいものとは違うからです。青潟東の演劇をごらんになる人々は、きっと感動したかったのでしょう。本条先輩は自分が楽しみたかったからでしょう。それがぴたりと合えばそれにこしたこtないのですが、そうではなかったのではないですか」

「でも自分が楽しめないと相手も感動しないんじゃないかな」

 さりげなく本条先輩をフォローしてみるが無駄に終わることは分かりきっていた。杉本には何を言ってもかなわない。

「青大附中では本条先輩が楽しめば楽しむほど、周りが感動してくれました。でも青潟東には本条先輩が楽しめば楽しむほど、さめていく人々ばかりだったのではないでしょうか。青潟東で求められていたのは、相手をとことん楽しませ、喜ばせるタイプの演技者ではなかったのでしょうか。私には、そういう気がしてなりません」

 杉本は立ち上がった。風が強くなってきたのか、帽子ごと頭を押さえた。

「たぶん、立村先輩であれば、青潟東演劇部ではうまくやっていけたのではと存じます。さあ、参りましょう」

 到着したらすぐ、入り口の戸を開き、先頭を切って乗り込んだ。すぐに先頭席の窓から顔を出し、上総を手招きした。どうやら目的の二人きり席は押さえられたようだった。


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