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その三 高校一年・夏休み 立村上総の本条先輩を振り回す日々(3)

「まずは飲み物だな、ってことで」

「はい、何がいいですか?」

「決まってるだろが、こういう日はまずコーラだっての。ほら、これで買ってこい。三人分な」

 狩野先生がひきとめる間もなく、上総は本条先輩から預かった百円玉を三枚握り締め、校門脇の自動販売機まで走った。さっきは狩野先生が首を振ったので何も用意しなかったけれど、本条先輩がそれで満足できるわけがない。言われたら即行動、これが本条先輩の命令に対する当然の振る舞いだ。

 校門でまずは息を整える。まずはコーラのボタンを押す、てかてか光るのは「当たりが出ればもう一本」の合図。残念、外れた。次に狩野先生にウーロン茶の缶を。同じく外れた。最後に自分の、缶紅茶のボタンを押した。丸い電子版がけたたましく光った後、いきなりファンファーレが鳴り響いた。どうやら当たったらしい。運の消費らしい。

 ──当然ここは、駒方先生にお茶かな。

 狩野先生と同様にウーロン茶ボタンで落とし、合計四本を抱えて走って戻った。外が暑いとはいえ、四本も冷え切った缶を抱えているとかえって寒さを感じる。

「お、ご苦労、あれどうした? 四本か?」

「はい、さっき一本当たりました」

 きわめてあっさり答え、上総はまず狩野先生に、次に本条先輩に、その後空席となっている本条先輩の真向かい席に一本、最後に自分の紅茶を置いた。

「お前さ、相変わらずこういうお上品なの飲んでるのか」

「好みですからしょうがないことです」

「おいおいおい、まあいっか、先生、どうもこのたびはお招きありがとうございます!」 上総のいない間にどういう風なやり取りがあったかは不明だが、すでに狩野先生も微笑みを浮かべて本条先輩に接している。本条先輩は当然、堂々たる態度でもって声高らかにご挨拶ときた。やはり本条先輩は変わっていない。卒業してからほんの少しも。

「駒方先生はまだなんですかね」

「はい、今日はお昼まで用事がおありとのことと伺ってます。学校を離れてからは、高齢者向けの施設で絵画の指導を行ってらっしゃるそうです。その他地元の公民館などでいろいろとイベントも行ってらっしゃるようですし」

「駒方先生、お忙しいんですか?」

 思わず尋ねてしまう。駒方先生は美術の教師で本条先輩のクラスが卒業するのを最後に定年退職と聞いている。ただその後は講師として勤務を続け、例の「E組」も含めて面倒を見ているはずだ。

「そうですね、駒方先生は青潟の美術界では重鎮とも呼ばれている方ですから。幅広く美術の楽しさを学んでいただきたいということで、積極的にボランティア活動をなさってらっしゃるそうです」

「へえ、やっぱそうか。先生はもともと俺が中学生の頃からそういうことに熱上げてましたもんねえ」

 腕組みして頷く本条先輩。問いかけてみたくて顔を覗くと、

「ああお前知らねえかもな。駒方先生は俺がいた頃からしょっちゅういろんなイベントに呼ばれて手伝い参加していたんだ。無理やり引っ張り出されて手伝わされたりしてたなあ。結城先輩のおとっつぁんがイベント関係の大手を引き受けていたしその関係でいろいろあったみたいだぞ。もっともお前が入学した頃は評議委員会でめちゃくちゃ忙しくなったんで、委員会はずれの一部の連中が活動してたらしいけどな」

「そういうのがあったんですか? そんなの知らなかったな」

 初耳だった。イベントイコール委員会の感覚で今まできていたから。

「俺が入学した頃は委員会活動もまあ、それほど活発ってほどでもなかったからな。そうですよねえ、狩野先生?」

 本条先輩が語りかけると狩野先生も頷いた。

「そうです。むしろ最初は教師主導の生徒参加行事が中心でした。本条くんの言う通り、変わってきたのは結城くんが評議委員長に就任してからですね」

 結城先輩が「部活動参加禁止令」を親に言い渡されていて、その網目をくぐる形で思い立ったのが「委員会部活動化」とは聞いていた。しかしその前の状況についてはほとんど知らないと言ってよい。

「駒方先生の考えとしてはひとりの天才を育てるのではなく、幅広い層にうっすらでもいいから絵画の楽しみを感じてほしいという方針だったから、まあ正直嫌がった奴もいたんだろうな。誰にでも公平に教えてくれる一方、極端にうまい奴については適当な扱いしかしなかったみたいだしな」

「ああ、うちのクラスにいた金沢みたいなタイプですか」

 思い出した。D組の誇り・天才少年画家金沢のことだが、駒方先生は「生徒として」はかわいがったものの本人の美術才能についてはさほどフォローしなかったらしい。かなりごかんむりだったとは、金沢と親しい羽飛の談。

「金沢くんですね。彼も相変わらずよい絵を描き続けているようですね」

「大学の特別講義には参加しているみたいです。でも」

 ここで口ごもる。噂レベルのことを口走ってよいものかどうか。

「おいどうした、途中で黙っちまうのお前の悪い癖だぞ」

「でも噂だし」

「別に悪口言うつもりじゃねえんだったら言っちまえ。どうせ違っていたって金沢が抗議にくるわけじゃねえだろ」

 狩野先生が穏やかに上総を見守る中、強引に促される形で答えた。

「学校よりも、直接有名な画家の人たちに手紙書いたり文通したりして、それで勉強続けているみたいです。一応学校側でも授業は用意してくれているみたいですけど、金沢くんは物足りないみたいなので自分から直接休みの日、美術館に行っては話を聞きにいったりしているようです。すごいなって」

「なんだよそのすごいなって、って中途半端な終わらせ方は」

「だってすごいですよ。自分で、ひとりで、勉強しようとするなんて、俺だったら考えられないし」

 いきなり頭を軽く小突かれた。ついでにため息も隣から漏れるのが聞こえる。

「あのな立村、そういう時は、『俺もこれからはそうしよう』とか前向きに考えるのがふつうだろが。なんでお前いつもそういじいじしてんの。確かにそりゃな、金沢は偉えよ。自分で直接連絡とって自己流での勉強に燃えてるんだもんな。だがそれ、お前もできることだろ? 学校がなくたって、教師いなくたって、やる気ありゃあなんとかなるだろが。学校ってのは青大附属だけじゃあねえんだから」

「本条くん、お見事です」

 また弟扱いされてしまった。しかも狩野先生の前でだ。本条先輩の永遠の弟分であることは認めるけれども、人前でガキ扱いするのはやめてほしい。ごくっと紅茶を飲んで喉を冷やしてみる。かえって寒い。

「立村くんは、英語について学校では物足りないから別のところで勉強したいとか、そう思うことはないでのすか?」

「一応、大学の講義には出てます」

「それとは別に、たとえば興味ある先生に手紙を書いて話を聞いてもらうとか」

「そんなこと、できるわけないです」

 想像もしていない。いきなり知らない奴に声かけるも同然。手紙なら無視されてもあきらめがつくからまだましと言われればそれまでだけど、露骨に顰蹙かいそうだ。

「いきなり身も知らずの人にずかずか近づかれて、嫌がられないわけがないし」

「やり方によるんじゃね?」

 上総は首を振った。

「自分だったらやはり、いきなり近づかれて困らないわけないし」

 また本条先輩が頭をぐるぐる掻きまわした。払いのけたいが狩野先生の前だしできない。なんだか完全に小学生扱いされている。弟どころの問題じゃない。

「お前自分でやってきたことを棚に上げて何言ってんの? 先生、知ってます? こいつが一年の時、気がつけばずっと俺の右隣陣取っていたくせにですよ? しかも笑っちまうのがこいつ、他の奴が俺の隣にいたとすると、ずっと執念深く相手をにらみつけてるんですよ。誰彼問わず。そいでたまたま相手が離れると即座に席を分捕ってそこから先は漬物石状態で絶対に動かない。これ、俺の代の評議連中に聞いたらみな証言します」

 声を上げて狩野先生が笑った。もう、この場から逃げ出したい。でも何も言えない。事実だから、受け入れるしかない。

「でも誰も文句言わなかったじゃないですか!」

「言えねえよ。お前の目つき見てたら誰もな。お前知らんだろ? 結城先輩が見るに見かねてお前の同期男子集めて、『頼むから一年男子同士で仲良くしてやってくれ』って頼み込んだってこと。想像できねえだろ?

「そんなこと聞いてない」

 頭の中は空白でいっぱい。そんなの評議連中誰も言っていなかった。

「だから、お前らの代は異常に団結力強かったんだってこと。もう時効だから言っちまうがな。俺が三年の時の評議夏合宿の時、お前抜かした二年男子が真剣な顔して部屋で話し合いしてるんだ。何かと思って聞き耳立ててたら『あれはまずい、絶対まずい、なんとかしなくちゃ』とかせっぱつまった顔して相談し合ってるんだわ。俺が背後に近づいてきたことすら気づかずにな。うわっと驚かせてやって何頭つき合わせてたんだって問いつめたところ、天羽の奴正座して、真剣な顔して言うんだよ。『たいしたことではありません。今俺たちが話していたことは単なる猥談に過ぎません』とかな。笑っちまうだろ?」

 ──それと、団結力の強さとどうつながるんだ?

 わけわからぬなりに話の筋を追ってみる。全く意味不明。

「猥談となったらそりゃ俺が聞かないわけにはいかねえってことで、さらに膝詰めして問い詰めたところ、今度は更科があのわんこ面したままで『つまり、立村は巨乳タイプが好みなんだろうなってことです』とかさらっと言っちまうんだよ。巨乳?なんだそりゃって思うよな」

 狩野先生の顔を見ることができない。もう俯くしかない。だいたいの展開が見えてきた。耳が熱い、喉が詰まる。目を閉じたままモグラになって地下にもぐりたい。

「さらに説明を行ったのがいわゆるホームズ・難波ってわけだ。『最近噂で立村が特定の女子に興味を持っているとかいろいろなこと言われてますが、結局のところ清坂さんと付き合っているわけですし、その噂の根本はあいつの嗜好がいわゆるそのあれだということと結論づけられました』とな。なぜそういう話題になったのか、よくわかるよな」

「何言いたいんですか先輩」

 無理やりあごを指で上げられた。顔も自然と本条先輩を見上げてしまう。涙目になりかけている自分のみっともない面を覗き込まれている。狩野先生の姿は存在しないことにしておいている。

「種明かしするとだ。詳しいことは自分の胸に聞いてもらうとして、あいつらは同期のお前が道踏み外すんでないかと心配でならなくてこっそり相談してたってわけだ。けど俺が首を突っ込んできたもんで、『立村は巨乳好みであって特定のだれそれに惚れているわけではない。あくまでも好みの問題であって色恋沙汰ではない』とまあ、そう結論付けたかったっつうわけだ。なんてことだこの友情。お前知らなかったのはしょうがねえし、そのあとのことを考えるとあいつらの思いやりも無駄っちゃあ無駄に終わっちまったかもしれねえけど、そういう気持ちがあったってことだけは忘れるなよ。おいおい、どうした、またお前べそかいてんのかよ。安心しろ、ここにいるの二人だけだ、誰にもばれねえよ」

「いい加減にしてもらえますか本条先輩!」

 思わず立ち上がってしまう。絶対に狩野先生の顔を見る気なんてない。何が二人だ、何が誰にもばれないだ、十分ばればれじゃないか。

「帰ります。失礼しました」

「おい待てよ立村、お前まだ来たばかりだろ? まだ駒方先生も来てねえし礼儀ってもの考えろ、おい」

 単に今暑すぎて日射病になりかけているだけだ、それだけだ、意識が少しもやっとしているのはただそういうことってだけだ。本条先輩の腕を振り払おうとしたとたん、

「立村くん、かばんはここにありますよ」

 狩野先生が、いつのまにか上総の黒いセカンドバックを自分の手元に引き寄せていた。

 本条先輩と目を合わせて、かすかに頷き合っていた。

「悪いがお前のジャケットもこっちに押さえてるからな。帰れるなら帰ってみろ。さ、座れよ。仕切りなおしだ」

 たいしたことないといった面で、本条先輩は椅子を叩き促した。


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