その三 高校一年・夏休み 立村上総の本条先輩を振り回す日々(4)
「狩野先生わかりました? これが俺なりのこいつの操縦方法って奴です」
無理やり席に着かされて、憤りのぶつけどころもなく仏頂面で俯くしかなかった上総を無視して、ふたりは楽しげに会話を続けている。
「なるほど、よくわかりました」
──何がわかったっていうんだよ。
「俺なりに考えていたのは、こいつの場合だととにかく言葉が必要だってことですよ。他の奴だったらなんかおごって、パシリに使って、その後で一緒に遊んだりとそういうことだけですむんですが、こいつはね。とにかくしゃべらせるためにはこっちが一方的にアクションを起こして、話をし続けないとだめなんです」
反り返るようにして本条先輩はコーラをあおった。横目でちらっと上総の方を見てまたとうとうと語り続ける始末。
「ただまあ、同じ学年じゃあねえし、俺もこいつをじっと見張っているわけいかねえしってことで、なかなかうまくいかないとこは正直ありました。特に俺が卒業してからは全く様子が伺えねえから、周りの奴らから情報もらったりなんなりしてはいたんですが、肝心のこいつが寄ってこないと。そうなるとやはり、行き違いってのは出てきますわな。
──何が行き違いだよ。
上総なりに推理したところ、ジュースを買いに飛び出した隙にこのふたり、「取り扱い方」についての意見交換を行っていたらしい。いったいどのように本条先輩は立村上総を操縦してきたのか、どうやって一方的になつかせてきたのか、といった教育方針のようなものをだ。こちらからしたら単純に尊敬しているからなんとなくというだけだが、本条先輩からするとさらに深いものがあるらしい。ただしそれをされる側としては、非常に不愉快だ。何が「操縦方法」だ。動物じゃないんだからそんな軽々しく言ってほしくない。
「俺からすると、捕まえて話をすればたいていは片がつきます。ま、高校の連中に対してはなかなかそうもいかねえなってとこはありますが、少なくとも立村に対してそれは有効です」
「何が有効ですか、さんざん人をばかにして面白いんですか」
食って掛かるのもみっともないので小声でつぶやく。もちろん本条先輩にだけ聞こえるようにだ。
「ほらほらそう怒るなよ。ったくなあ、お前どうしてそうなんでも本気に取るんだよ。腹空いてると機嫌悪くなるってまるで赤んぼじゃねえの。悪いが今日は食い物持ってきてねえよ。もう少し待て。駒方先生来るまで」
何事もないという風に本条先輩は上総に話しかけてくる。どうしようもない。こういうことをされても、どうしても本条先輩の側から離れられない自分が情けない。
「そういえば、本条くん、来年はとうとう三年生ですが、大学受験の準備は進んでいますか? 公立高校も最近は夏休みほとんどが補習と聞いていますが」
「ま、一応は出てますよ。出ないと内申点稼げませんからね」
狩野先生がうまく話を逸らしてくれたのが救いだった。上総は本条先輩の語る横顔を食い入るように見つめた。
「具体的な志望校はこれから絞込みという感じでしょうか?」
「まあ、そうですね、理系クラスなんで。こいつと同じ方面には進む気ないですね」
ちらと睨みながら、それでも本条先輩は話を続ける。
「最近、いわゆるマイコンって奴を手に入れまして。いろいろ遊んでいるうちにそっち方面も面白いかなあと思う今日この頃ですね。おい、お前マイコンって知ってるか? 自分のコンブレックスってなんすかそれ、じゃねえぞ」
「名前くらい聞いたことありますよ。たしかコンピューターでしょう」
あいまいなことをつぶやくのみ。本条先輩は鼻で笑った。
「まあなあ、マイクロコンピューターの略と言っちゃあなんだが、間違っちゃいねえわな。あ、そうです狩野先生、やはりそっちにはご興味は?」
「全くないわけではありませんが、手元においてというほどではないですね」
「今のところはBACIC勉強してそいつでゲームのプログラム組んで、雑誌に投稿したりしてたまーに載っちゃったりなんかしてって感じです。ただまあなんていうんですか、キーボードには今だ慣れませんね。指で一文字ずつ打つってのはなかなかしんどいです。それに、プログラムってのは一文字でも間違えたら最後、思いっきり暴走しちまって電源落ちてしまう始末だから神経もめちゃくちゃ使いますな」
「BACICですか。ではそろそろ、機械語も勉強しようとしてますね」
上総には未知の世界で会話が成立している。着いていけるわけがなく、ぽかんと口を開けたままだった。狩野先生も数学担当なのだから、いわゆる理系の会話にはなじみあるだろう。本条先輩も自分で言った通り数学と理科が得意な人だった。
「ああ、あっちの方が断然スピード早くなるからマスターしたいんですよねえ。そんなこともあって今、学校では『マイコン同好会』作って地下で活動続けてます。演劇部で懲りたんで、部活動からはちょいと距離置かせてもらうことにします」
──ああそうだったよな、本条先輩、演劇部で挫折したって話、聞いたことある。
「プログラムはやはり、ゲームが中心ですか?」
「そうですねえ、今はまだ、シューティング系のもんとかそちら方面ですがね。正直、しんどいなってのは、BACICって用語はコンピューター販売しているメーカーによって細かく違いがありすぎるんですよ。大まかに捉えればいっしょなんですが、ほら、それはそれで細かいバグなんかも出てきたりしてうっかりしたら大暴走、画面真っ白、徹夜して打ち込んだプログラムが保存する前に消えちまうってのもあるわけです。またせっかくカセットテープにロードしておいても、いざ読み込もうとするとコンピューター側が無視しちまうなんてこともしょっちゅうです。なんかあれですね、カセットテープで保存ってのはわびしいですね。あのピーガーピーガーガガガって音毎日聞かされてると発狂しそうになりますわな」
「テープは伸びますからね。確かに大変です」
──外国語聞いてるほうがずっとましだよ。
ふたりの会話は完全に異次元だった。もうついていけない。ひたすら紅茶をしゃぶるだけだった。本条先輩は無我夢中で語りつくしている。上総に理解できるのはその「マイコン」がかつての演劇部時代の悪夢を覆い隠すほど情熱もやせる媒体だということだけだ。
「でも、マイコンはめちゃくちゃ進化が早いですよ。俺が買ったものはまだ英語でしか入力できませんけど、最近発売された奴だとひらがなで入力ができるんですよ。さらに、これから発売される奴だと漢字に変換して文章打ち込めます。これは便利ですよ。プリンタ買っていいソフト組めば、もう手書きノートいらなくなっちまうかもしれません。ああそうだ、立村、お前さ、英文タイピストの資格とか取る気あるか?」
「え? それ、なんですか?」
完璧な異次元語で問われた上総に本条先輩は勢いづいて続ける。
「それだったらな、お前向けにいいアルバイト将来紹介するぞ。俺が書いたプログラムをお前が何も考えずに打ち込む。一言一句絶対に間違えるなよ。マイコンぶっ飛ぶからな。それを動かしてみて問題なければ俺が全部、カセットテープに吹き込みまくる。それを通信販売で売ると、これはかなり稼げるぞ? お前にもラーメン一杯はおごってやる」
「英文タイピストの資格が必要なんですか? それって」
何ひとつわけがわからないまま問いかける。上総に理解できるのは、本条先輩が何か商売をやりたがっているらしいという問題だけだ。
「本条くん、ちなみにその同好会ですが、会員は何名ほどいるんですか?」
「今のところ五名。同好会として形になるぎりぎりの人数です。実際活動しているのは俺ともうひとりだけですがね。あ、大丈夫安心しろ立村。お前を引きずり込む気はさらさらねえよ」
──どうせ関係ないんだから知らないよ。
本条先輩は大笑いしながら最後に、
「でも、まあそうですね。そんなこともあって工学科を目指すのがいいかなってとこっす。今はまだ、マイコンも安くて二十万から三十万くらいかかりますがね。でも最近は子ども向けのひらがな入力できるタイプとか、いろいろ出てきてますよ。どんどん進化してくる世界だから先見の明ある俺としては、ここいらで一発勝負かけたいところですね」
とりあえず、本条先輩も将来の自画像をしっかり描いていることだけは理解した。
「おいおい、楽しそうに盛り上がっているなあ。やはり里希、相変わらずはしゃいでいるなあ」
十二時五分前、扉が開く音に振り返ると白いシャツ姿の駒方先生が、白髪を丁寧に撫で付けたかっこうで姿を現した。十二時過ぎと聞いていたが早く終わったのだろうか。
上総と本条先輩、狩野先生、三人が立ち上がり、一礼した。
「お久しぶりです、駒方先生」
「上総も、思ったより元気そうで安心したよ。ほらほら座って。おや、私の分のお茶もあるのかい? それならまず一服して、それから食堂に行こうかね」
──いい加減俺のことを名前で呼ぶのやめてもらえないかな。
基本としてこの先生は好きだ。ただどうしても許せないのが、生徒たちのことをいわゆる「ファースト・ネーム」で呼ぶ癖があるところだった。もともと上総は自分の名の響きが好きではない。女子と間違えられる部分が強いのも確かだが、それ以上に生理的な嫌悪感がある。これはもう本能から来るものでしかない。
まず四人そろったところで、本条先輩が声高らかに、
「では、まず乾杯と行きましょうか! 駒方先生、年寄りの冷や水とか言いますけど無理しないでくださいよ! まだまだ人生長いんですからね!」
缶を軽く上げて乾杯の音頭を取った。大人二人は静かに微笑みながら本条先輩の指示に従った。
「ほうそうか、里希はコンピューターの世界に興味を持っているのかい」
「はい、今も狩野先生と熱く盛り上がってしまいまして、隣にいるこいつが思いっきりいじけてます。な、お前ほら仏頂面するんじゃねえ。全く、ほんとこいつについては俺も胃が痛いったらないですよ」
狩野先生がかんたんに本条先輩の熱い夢について「異次元用語」を取り入れつつ説明していた。要は本条先輩がマイコンと呼ばれる自宅用マイクロコンピューターを使って、さまざまな遊びを楽しんでいるということ、将来は職業につなげたい、それゆえに工学科を現在検討中とか、そんなことだ。
「年寄りにはちと難しいないようだなあ。私が興味持ちそうなことが、できるのかな」
身を乗り出して聞いてくる駒方先生。美術の先生であろうが「異次元」の話題には着いてこようとしているわけだ。頭がしっかり柔らかい人とみた。
「面白いですよ! 駒方先生、コンピューターグラフィックってご存知ですか?」
「最近話題だね。アニメなどでも少しずつ利用されていると聞いたがな」
「そんな大掛かりでなくても先生なら役立ちますよ。画面を点で打ち込んでアニメキャラの絵とか名画とかを画面に映し出したり、最近は少しずつですがカラーディスプレイも増えてきてますからカラーのイラストをお絵かきしたりもできます。俺の持っている機会だと八色くらいしか使えませんけど、最近の機種だとその色が何百色も使えてドットも細かく打てるもんもありますから、きっと芸術家魂揺さぶられるんじゃないですか?」
「面白そうだなあ、里希、今度年寄りにもわかりやすい本紹介しなさい。ぜひ読んでみたいぞ。それと、雑誌にプログラムを投稿しているとも聞いたがその本は月刊誌なのかな? ぜひその本も今度持ってきなさい。うちの学校にも興味ある奴が必ずいるだろうしな。そうだ上総、梨南だったらかなり食いついてきそうだと思わないか?」
悪気なく駒方先生は上総の顔を見やりながら語りかけてきた。
──何でこういう時にこういう流れになるんだよ。
心臓が苦しい。そのくせ顔がほてってくる。
──立村は杉本が好きなわけじゃなくて単に巨乳が好きなだけなんです。
天羽、更科、難波の悪気ない言葉が急に迫ってくる。
──なんで本条先輩あんなわけわかんないこと言うんだよ!
目の前がまた曇りそうになる。こらえる。唇を噛む。
背中にふと暖かいものが触れた。ひくりと、その先を見る。
「先生悪いけど、今日だけは杉本の話題出さないでやってもらえないですかね」
本条先輩が背中に手を置いたまま穏やかに提案した。
「俺もできれば、過去ある奴なんで、色恋沙汰の話はしばらくバスしたい気分なんで」
上総の顔を覗き込み、それ以上は何も触れなかった。
「まあ俺の未来は明るく輝いてるってことで、まずはもっかい乾杯!」




