ようこそ魔法学校へ
吹雪がふきすさんでいた。
厚く黒い雲におおわれた空は、まるで世界の終わりのように見えた。
(……寒い……)
ほとんど前も見えない中、こやねはあてどなく歩いていた。
行先なんてない。ただ、逃げたかった。だけど、何から逃げているのか、どこに逃げているのか、もう何もわからなかった。
「あっ……!」
深い雪に足を取られ、こやねはその場に倒れ込んだ。柔らかな雪に受け止められ、痛みはほとんどなかった。
(……冷たい)
手足の感覚はほとんどなく、吐く息は白く染まって空へ消えていった。心臓の音だけが耳を突く。
(……疲れた)
まぶたが重い。もう一歩も動けない。
こやねの体に、みるみるうちに雪が積もっていく。しかし、もう起き上がる気力などなかった。ただ、ひたすらに眠い。
薄ぼんやりとしていく視界の端に、何かが動くのが見えた。
***
「……なんだ?」
雪の中に何かが動くのが見えて、音春は足を止めた。
獣だろうか。
念の為にと刃物を構えながら、ゆっくりと近づいていく。
「……人間の、こどもか?」
驚きのあまり独り言を呟きながら、音春は少女に積もった雪を払った。唇まで真っ白になっているが、浅く息をしている。
それに、こいつから感じるこの力は……。しかし、どう見てもこいつは……。
音春はしばしの逡巡のあと、少女を抱えあげた。そうして、山の上へと向かった。
***
音春はようやく足を止めた。目的のものを見つけたのだ。
それは、木々の間にぽつんと立つ一枚の扉だった。
扉の周囲には金色の光が漂い、まるでそこだけ別の世界につながっているようだった。
音春は腰に付けた袋から、鍵を取りだした。男の音春の手のひらほどもある、大きな古びた鍵だった。
音春は、鍵を扉へと近づけた。すると、鍵は音春の手を離れ、ひとりでに鍵穴へと差し込まれていった。
ゆっくりと開いていく扉の向こうから、眩しい光と暖かな空気が漏れ出ていた。
***
「……おや?」
突如として開いた扉から音春が現れたのをみとめ、ジスリオは思わず自らの白い髭を撫でた。
「音春さんではないですか」
「久しいな、校長。悪いが厄介事だ」
音春は、そう言って腕の中のこやねを少し持ち上げて見せた。
「この子は……」
「"零れた子"だ」
「なんと……しかし、この子は既に10を超えているように見えます」
「ああ。俺も初めて見た。まさか生き延びているとは」
ジスリオは手元にあった鐘を鳴らした。すると、何も無かった空間から小さな女性が現れた。
「お呼びですか、ジスリオ様」
「この子を頼む。熱が高い。看病してやってください」
「はい」
小さな女性が頷いて、何かを呟いた。ふわりとこやねの体が浮いて、音春の手から離れていく。
次の瞬間、小さな女性とこやねは消えていた。
残されたジスリオと音春は、再び向かい合った。
「状況を」
「既に事は起きている。あちらの世界は雪に閉ざされた。そちらの処理も頼む」
「分かりました。手配しておきましょう」
「すまないな。では、俺はもう戻る」
「ええ。ありがとうございました」
そう言って、音春は扉をくぐる。
扉が閉じる瞬間、音春は振り返って言った。
「あの子を頼む」
***
「ん……」
こやねはゆっくりと目を開けた。眩しい日差しが差し込んで、思わず顔を背けた。
「ここ……どこ……?」
見慣れない天井。ふかふかのベッド。
部屋の中を見渡すと、小さなベルが置かれているのが目に入った。何の気なしに手に取ると、チリン、と小さく音が鳴った。
「はぁいはいはい!お呼びですかー!」
「ひゃっ!」
突然現れた小さな女性に、こやねは悲鳴をあげた。女性は気にした様子もなく、「あらあら目が覚めたのね!」としゃがれた声で喜びを露にした。
「もう熱は無いみたいね?気分はどう?いい?よさそうね!うん良かった!喉は乾いてない?花の蜜を溶かしたお水はいかが?」
そう言って、女性はパチンと指を鳴らした。すると、テーブルに置かれた水差しと金色のグラスがひとりでに宙を舞い、水差しからグラスへと液体が注がれた。
そうしてこやねの目の前に、なみなみと液体の入ったグラスが飛んできた。思わず受け取ると、女性は満足そうに頷いた。
「あ……ありがとう、ございます」
そう言って、こやねは目の前のそれを見つめた。そこで、ようやく喉が渇いていることに気づいた。恐る恐る飲み込むと、優しい甘さが口の中に広がった。
「おいしい……」
「そうでしょう!三日月花の蜜は体を癒してくれるの。きっとすぐ元気になるわあ。あ、そうそう。ジスリオ様が心配していたからあなたが起きたってこと伝えなきゃね。きっとお喜びになるわ」
「あの」
「なあに?」
こやねは、もじもじと指を擦り合わせて、目の前の女性の尖った耳と、とても大きな瞳を交互に見た。
そして、意を決して口を開いた。
「ここは……どこなんですか?私はいったい……」
***
こやねは、暖炉の前で落ち着かなさげに座っていた。彼女の右隣では、ひっきりなしにペンがひとりでに動いている。左隣には何に使うのか分からない、青いガラスの球体が一定の速度で回り続けている。
(詳しいことはジスリオ様から聞いて、って言われたけど)
ジスリオ様って、誰だろう。
ギイ、とドアの軋む音が鳴る。
(!)
こやねが音の鳴った方に顔を向けると、そこには一人の男が立っていた。
白い髭に、深い金色の瞳。歳を重ねていそうな見た目とは裏腹に腰はしゃんと真っ直ぐで、足取りもしっかりと軽い。
「あっ……は、はじめまして!」
思わずこやねは立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。
「おや、礼儀正しい子ですね」
深みのある、低い声だった。
「座ってください。まだ病み上がりなのですから、無理はせずに」
「は、はい」
促されるまま、こやねは再び椅子に座った。
どこからか飛んできた椅子に老人が腰掛け、膝の上で両手を組んだ。
「君の名前は?」
「私……私は、こやね。天野こやね、です」
「こやねくんですか。素敵な名前ですね。私の名はジスリオ。このペルスミス魔法学校の校長です」
「ぺる……魔法……?」
「君ももう、目にしたでしょう?この世界に溢れる魔法たちを」
こやねの脳裏に、ひとりでに動いた水差しや、尖った耳の婦人の顔が思い浮かんだ。……そして、冷たい雪の感触も。
「あ……!」
なにかに気づいたように声を上げたこやねに、ジスリオは頷いた。
「聡い子だ。そう、君にもあるのですよ、魔法の力が。今はまだ制御しきれていないけれど、しっかりとその身に宿っている」
こやねは、思わず心臓を押さえた。なんだか自分が急に見知らぬ人間になったような気がして、怖かったのだ。
こやねの心境を悟ったのか、ジスリオはそっと視線をずらした。そうして、少し経ってから、口を開いた。
「こやねくん。君には、この学校に入学して欲しいのです」
「え……?」
「魔法の力を持つ君は、この学校に入る資格がある。ここで学んで、力を制御する方法を学んで欲しい。
不安定な力は、いつかその身を滅ぼしかねない。ここで学ぶことは、きっと、君のためにもなると思います」
こやねは、驚きのあまり言葉を失った。そうして、自分の手を見つめた。
ついさっきまで、吹雪の中に一人だった。
いや、それより前から、独りだった。
……元の世界には、帰れない。帰りたく、ない。
あの世界に居場所がないことは、自分が何より知っていた。
けど、今は。
この世界で、学べば。私は、また……
「……私、入学したいです」
胸の奥から湧き上がるのは、期待だった。
「この世界で、この学校で、魔法を……!」
ジスリオが頷くと同時に、窓が音を立てて開いた。カーテンが宙を舞い、眩しい光が部屋に差し込む。
それは、まるでこやねを祝福しているかのようだった。
ジスリオが、満足そうに頷いた。
「ようこそ、ペルスミス魔法学校へ。
こやねくん、君を心から歓迎します」
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