帰れることと、帰ってはいけないこと
夕刻手前の南池袋公園。
ベンチには、二人の異世界人が並んで座っていた。
魔王城で次元の裂け目に飲み込まれて以来、互いに生きているのかさえ分からなかった二人。こうして落ち着いて話す時間を持つのは、再会してから初めてのことだった。
ひかり――異世界ではルシエラと呼ばれていた少女は腕を組み、傍らに座るレンを横目で見る。
「……レン、あなたは昔からそう。思い込みで物事を進めてはいけないと、何度言いましたか?」
レンは空を見上げながら、深いため息をついた。
「仕方なかろう。俺からは、三人共倒れたようにしか見えなかったのだ」
「なめてもらっては困ります。貴方が立っているのに死ぬものですか。私はミラとセヴランが倒れてから、全体回復魔法を詠唱している最中だったのです」
「………」
「魔王が消耗しているのはわかっていました。全員もう一度立てれば、総攻撃して確実に魔王にトドメをさせたはずです」
今度はひかりがため息をつく。
話を聞けば聞くほど、レンの立場がなくなっていく。
あの時のレンには、仲間たちがもう戦えないようにしか見えなかった。だからこそ自分一人で魔王の自爆を抑え、結果として次元の裂け目へ飲み込まれたのだが――どうやら、それはレンが一人でそう判断していただけらしい。
「それよりも……こちらの世界に来てからはどうしていた?」
レンは話題を変えた。
ひかりはそれに気づいたようだったが、追及することなく答える。
「私は優子さんのマンションの廊下に倒れていて、帰宅した優子さんに発見されたのです」
「優子さん……?」
「私の保護者となる女性です」
ひかりは、この世界へ来てからのことを順に話し始めた。
「私はそのまま介抱していただき、事情を聞いた優子さんが私の身分証明などの手続きを取り、まずはこの世界に慣れるため学校に通えばと提案してくださったのです。私の名前『ルシエラ』が向こうの古い言葉で『聖なる光』だとお話したところ、優子さんが『天野ひかり』という名前を考えてくださいました」
レンは感心しながら耳を傾ける。
「この様な身の上でしたが、優子さんが法律関係のお仕事に就かれていたため、スムーズに手続きを運んでいただくことができました。私は幸運でした」
「なるほどな。しかし……お前が学生とは驚いたな……とうに成人して――うっ」
言い終えるより先に、ひかりの肘がレンの脇腹へ突き刺さった。
「……こちらでは十七歳で通っているのですから、まりなに言ったら容赦しませんよ」
「わ、わかった」
本来のルシエラは十九歳だ。しかし小柄で幼く見えることもあり、この世界では十七歳の高校二年生、天野ひかりとして生活しているらしい。
「お前はしっかりこちらに馴染んでいるようだな」
「あなたが浮いているだけです」
即答だった。
ひかりは今度こそレンへ向き直る。
「それよりレン、あなたこそどうしていたのです」
「………」
レンは黙った。
勇者姿で池袋を歩き回り、SNSで話題になる。
浪人生のソウシのところへ転がり込み、闇バイトで荷物を運び、特殊詐欺未遂に巻き込まれ、強盗事件未遂に巻き込まれ、杏奈の護衛となり、その果てに今回の拉致未遂事件。
正直に説明すれば、叱られる未来しか見えない。
その沈黙から何かを察したらしい。
「……少し前にSNSでバズっていた『池袋の勇者』。あれはあなたですね?」
「……あれは……まだこの世界に来てから間もない頃のことだ。勝手がわからず……」
「だからといって往来で抜剣する人が何処に居ますか?」
やはり叱られた。
「あの時、止めてくださっていたのもソウシさんですね」
ひかりの視線が、少し離れた場所へ向く。そこではソウシがまりなと話していた。
「そうだ。あの時、右も左もわからない俺に最初に声をかけてくれたのがソウシだ」
レンは少し間を置いてから続ける。
「この世界で最初にできた仲間でもある」
「……そう」
ひかりは改めてソウシを見る。
自分たちが離れ離れになっていた間にも、レンにはこの世界で彼を助け、共に過ごしてきた人間がいた。
「……ご迷惑をかけるようなことはしていませんね?」
「……それが、持ち物も予備の装備もセヴランに預けてしまって、何の手持ちも無かった。かなりソウシには面倒を掛けてしまっている」
「そう……お仕事は?」
「……物を運んだり……人を縛ったりと……色々」
「……レナード」
レンの表情が、ほんの一瞬だけ固くなる。
だが、それについては何も言わなかった。
「説明すれば長くなる……せ、先日までは護衛業務をしていた」
「あの怪しい女のですか」
「………」
杏奈について余計な説明をすれば、さらに話が長くなる。
レンは沈黙を選んだ。
「そして、また根無し草のような生活に戻ったと」
「そうだな……また当分は、ソウシの部屋に世話になって仕事を探す生活だ」
ひかりの深いため息が落ちる。
しばらくして、彼女は呆れたようにレンを見た。
「……あなたは、本当に昔から変わりませんね」
「そうか?」
「ええ。何でも一人で決めて、後から自分だけで責任を取ろうとするところも」
「……?」
レンには、その言葉が何を指しているのか分からない。
そんな彼を見て、ひかりはさらに続けた。
「そうでしょう? レナード・ローレンス」
レンの目が伏せられる。
先ほど何気なく『レナード』と呼ばれた時には何も言わなかった。だが今度は、はっきりと拒絶する。
「その名を呼ぶな。捨てた名だ」
「ほら、まだそのようなことにこだわっている」
「こだわっている訳ではない。もう俺はローレンス家の者ではないと言っているのだ」
ひかりはため息をついた。
「レン。あの事件のあと、貴方がいなくなって、心配していた人間がどれだけいたと思っているのです」
レンは答えない。
「伯爵家次男の貴方を跡取りにと、嫡男であるお兄様への反逆を企てた者たちがいた……珍しい話ではありません。まして、貴方のせいなどあり得ないというのに」
「………」
「貴方のことだから、自分が居ればまたお兄様への反逆の芽を生むことになるとでも考えたのでしょう」
レンはしばらく黙っていたが、やがて低く答えた。
「……俺の名を掲げて、兄上に刃を向ける者が出た」
「それは貴方が望んだことではないでしょう」
「だが、俺がローレンス家にいる限り、『レナード・ローレンス』という名はまた旗印になり得る」
レンに兄への反逆の意思などなかった。家督への野心もない。
それでも、自分の存在と名前が再び争いの火種になる可能性を、レンは許すことができなかった。
だから家を出た。
レナード・ローレンスという名前そのものを捨てた。
だが、それ以上の本心をレンは語ろうとしない。
「……買い被るな。俺はセヴランやミラ、お前との自由な冒険者渡世が気に入っただけだ」
ひかりはしばらくレンを見つめていた。
その言葉も嘘ではない。
けれど、それだけではないことも、長く旅をしてきたひかりには分かっている。
「……そういうことにしておきましょう」
レンは何も返さなかった。
少しの沈黙のあと、ひかりが続ける。
「では、彼女のことは?」
「………」
家や兄の話では強がっていたレンの言葉が、そこで止まった。
「それは……申し訳ないと思っている。それ相応の償いをしなければならないと……」
「だから、それを彼女が望むと思っているのですか?」
「………」
「あれから三年、彼女はまだ縁談を断り続けているそうよ」
「………それは……」
レンの表情が変わった。
自分が家を出れば、彼女も自分との婚約というしがらみから解放される。
少なくともレンは、どこかでそう考えていた。
だが三年経った今も、彼女は新たな縁談を断り続けているという。
「レナード」
今度は、レンもその呼び方を遮らなかった。
「彼女に謝るべきことがあるなら、帰って自分で謝りなさい。勝手に彼女の気持ちまで決めないで」
「………」
彼女がなぜ縁談を断り続けているのかは、ここにいる二人には分からない。
今もレンを待っているのかもしれない。怒っているのかもしれない。あるいは、まったく別の理由なのかもしれない。
だからこそ、その答えまでレンが勝手に決めることはできない。
レンは深いため息とともに俯いた。
「……だが、今さら俺が戻って……」
「レン」
顔を上げる。
「帰れないことと、帰ってはいけないことは違います」
「………」
「今の私たちは、帰る方法がないだけです」
夕刻の公園で、レンは何も答えられないまま、その言葉を受け止めた。
やがて、小さく呟く。
「帰る方法……か」
「どうしたら帰れるか、考えたことはありますか? 調べたことは?」
「いや……ソウシにスマホをもらった時に、アルディア王国について調べた程度だ」
「……本当に貴方は詰めが甘いですね」
「いや……なんとか生計を立てるのに必死でだな」
ひかりは大きなため息をつく。
「私は優子さんが戸籍の手続きをしてくださる間、部屋にこもってずっとパソコンに向かい、この世界のことについて学んでいたのですよ」
「そうか……して、どうだった。帰る手立てはありそうなのか」
ひかりの表情が、少し真剣なものへ変わった。
「……結論から言えば、少なくとも今の私たちだけで帰還を再現するのは不可能ね」
「………」
「貴方も魔法を使う時に気付いたでしょう? この世界には自然界に存在する『魔力』そのものがとても薄い」
「……ああ」
レン自身、この世界へ来てから何度も魔法を使っている。
魔法そのものが使えないわけではない。だが故郷と比べれば、周囲から感じ取れる魔力はあまりにも希薄だった。
「私たちをこちらへ飛ばしたのは、魔王の魔力核の爆発によって発生した膨大な魔力と、それによって生じた次元の裂け目……。それに匹敵する魔力源が、この世界には存在しない。もちろん、私たち二人の力を合わせても遠く及ばないわ」
「……そうか……」
二人の間に、重い沈黙が流れた。
帰りたいと思えば帰れるわけではない。
今の二人には、次元の裂け目を再び作り出すだけの力がない。
しばらくして、ひかりが静かに口を開いた。
「でも……私たちが生きていたのです」
レンが顔を上げる。
「それなら、あの二人も生きている可能性があります」
「セヴランと、ミラが……」
魔王城で最後に見た二人の姿が脳裏に蘇る。
レンはしばらく考え、それから小さく息を吐いた。
「確かに、奴らが簡単に死ぬとは思えないな……」
「問題は、二人とも貴方以上に滅茶苦茶なことをしていそうな点です」
「そ、そうだな……」
「特にセヴランは全身に危険物を仕込んでいますから、職務質問でもされたらアウトでしょうね」
「……ミラも斧を持ったままなら大概だろう」
「……確かに」
真顔で頷くひかりを見て、レンはここぞとばかりに言った。
「ならば俺だけ責められる筋合いはないのではないか?」
「あなたが往来で抜剣した事実は変わりません」
「………」
結局、レンの立場は変わらなかった。
それでも、先ほどまで二人の間に漂っていた重苦しさは、少しだけ薄れていた。
帰る方法はまだない。
だが、レンとルシエラは生きていた。
ならばセヴランとミラもまた、この世界のどこかで生きている可能性がある。
いつの間にか傾いていた夕日が、二人の顔を照らしている。
その時、少し離れた場所でソウシと話していたまりなが、こちらへ向かって声を上げた。
「ひかりー! ウチ今日バイトだからぁ、もう行くね!」
「あっ、うん! ばいばーい!」
ひかりがごく自然に手を振り返す。
「………」
「……なんですか」
「それにしても、お前はよくこの世界に馴染んでいるようだと感心している」
つい先ほどまで次元の裂け目や魔王の魔力核について話していた聖属性魔術師ルシエラが、今では当たり前のように女子高生として友人へ手を振っている。
「……ですから、貴方が浮いているだけです。もっとも、元の世界にいた時から浮いた存在ではありましたけど」
「……返す言葉もない」
ひかりが、くすっと笑った。
「……本当に貴方は、戦いの場では誰にも引けを取らないのに、どうしてそうなのかしら」
レンは何も言い返せなかった。
けれど、ひかりの表情に浮かんでいるのは、もう呆れだけではない。
数カ月間、生きているのかさえ分からなかった仲間。
こうして再び隣に座ってみれば、相変わらず勝手に一人で背負い込み、肝心なところで詰めが甘く、放っておけば何をしでかすか分からない。
何も変わっていない。
そんな昔と変わらない仲間を見るひかりの笑顔には、懐かしさと親しみが滲んでいた。




