第八十二話 スピカとアルバ
猫爺おすすめのタビー市場は、店の種類も品数もこの上ないほどに豊富だった。ここで探せば大抵の品は手に入るのでは、と思うくらいには、定番の品からニッチな需要を満たす物まで取り揃えられている。
昼時なのもあってか、祭りでも開催されているかのような賑わいだ。人ごみの九割以上を猫妖精が占めているが、ちらほら商人らしき人間の姿も見て取れる。
「お兄さん、ちょっと寄っていってくださいよ。可愛い彼女や気になるあの子に、鈴型ジュエリー、いかがです?」
品の良いワンピースを身に纏った、白黒柄の猫妖精の女性が話しかけてくる。
人型をとっているにも関わらず、白黒柄だとひと目でわかったのは、頭や尻尾だけではなく、顔や手にも白黒の毛が生えていたからだ。
獣人型と呼ばれることもある猫妖精や犬妖精の人型について、シディアはそこまで知識を有していなかった。
昔、ダンやエイミーに「鈍器」だとからかわれたほどの分厚い妖精図鑑ですら、変身例としてさらりと触れているだけだったからだ。そこに特化し詳しく解説している書物には出会ったことがない。
リベルカトゥスに来てみて再認識したことだが、ネオンの人型はかなり人間に近い。シリウスとキオの犬妖精兄弟も同じくだ。
猫妖精や犬妖精に限らず、変身魔法には具体的なイメージが重要だと聞く。ネオンたちにとって人間は非常に身近な存在でイメージしやすく、変身の際にそれが影響しているのかもしれない。───あくまでシディアの推測だが。
それに比べてリベルカトゥスの住人たちは、人間に近い人型をとる者もいれば、獣感が強い人型までさまざまである。なんとも個性的だ。
先ほど船に乗せてくれた猫爺の場合、人型というよりも、大きめの猫が服を着て二足歩行している感じだった。あれはあれで愛らし……興味深い。
やはりあとで歴史書の類を一冊くらい調達させてもらえないだろうか、とヒューゴとミコトに歎願しようとして、シディアはあることに気づいた。
回復薬を選んでいる彼らの背後に、不自然な距離で立つ猫妖精の少年がいたのだ。ネオンのように人間に近い人型だが、茶トラ柄の猫耳と尻尾がぴこぴこと動いている。ひとりで市場にいるのが不自然なほど、まだ幼い。人間でいうと六、七歳くらいだろうか。
その茶トラの少年の手が、ヒューゴの足下に置かれた荷物に伸びるのを、シディアは見逃さなかった。
「おい、それは触っちゃダメだぞ!」
咄嗟に声を掛けると、少年の肩がびくりと跳ねた。
瞬時に状況を理解したミコトが捕まえようと手を伸ばすが、少年は諦めなかった。子猫の姿に変身し、腕の間を器用にすり抜ける。
あまりの素早さに呆気に取られているうちに、子猫は姿を消したのであった。
「ヒューゴ、何も盗られてないか?」
「ああ、大丈夫そうだ。買い物に夢中になって油断してたぜ、助かった」
「スリ……あんな小さい子が……」
子猫の去っていった方向を見ながら、ミコトが小さく呟いた。
豊かで賑やかな場所にこそ、そういう暗部は存在するものだ。
魔王復活以降、家族を奪われ住む場所を追われ、流れ流れて辿り着いたのが他国の貧困地区だったという話も珍しくはない。
きっとこの国にも他国同様、貧困に苦しむ人々がいるのだろう。
三人が幼い少年の明日を憂いていた、その時だった。背後から苛ついた女性の声を叩きつけられたのは。
「そこの、紫の頭をした人間。てめーだ、てめー」
振り返ると、猫妖精の女性がひとり立っていた。
人型ではあるものの、顔を含め全身が毛で覆われており、三毛猫であることを存分に主張している。
彼女が着ている紺色の服は、先ほど市場の出入口で見かけたのと同じものだ。リベルカトゥスの警官の制服である。
警棒を肩に乗せ、口には煙草を咥え、頭ひとつ分背の高いシディアを下から睨みつける婦人警官に、シディアは思わず一歩後ずさった。言葉遣いといい、ガラが悪すぎる。
「お、俺がなにか……?」
「さっき茶トラの坊主、逃がしただろ。余計なことしやがって」
「逃がした……?いや、犯罪を未然に防いだだけですよ」
ちっ、と大きめの舌打ちが聞こえた。三毛猫の警官は、シディアが後ずさった分を埋めるように距離を詰めてくる。
「とにかく、てめーはアタイの仕事を邪魔したんだよ。署まで来な。接触したからには調書くらい取らせろ」
三毛猫の警官がくいっと顎を動かすと、どこからか白猫が飛び出してきた。瞬く間に人型になったその白猫も、同じく警官の制服を身に着けている。
「姐さんの邪魔をした罪で、逮捕にゃーー!」
叫ぶと同時に、シディアの両手首に素早く銀色の輪を掛ける。───手錠だ。
「逮捕!?任意同行じゃなくて!?ちょっと待って、何か誤解が……」
助けを求めてヒューゴに視線を送るも、短刀を抜こうとするミコトを抑えるのに手いっぱいのようだった。
物資調達に来た国の、しかも市場の真ん中で、警官相手に荒事はまずい。
不本意ではあるが、今は警官たちに従うべきだと判断したシディアは、大人しく連行されたのであった。
「あのさー……話せることは全部話しただろ?そろそろ解放してくれないかな」
もはや丁寧な言葉を使うのも面倒になってきたくらいには、シディアは疲弊していた。
薄暗い部屋で硬い椅子に座らされ、手錠を外してもらえる気配もないまま、かれこれ一時間近く経過している。
その間、主に例の茶トラの少年について質問責めを受けているわけなのだが、初対面なうえにあの数十秒しか同じ空間にいなかったシディアから、いったいこれ以上何の情報が得られるというのか。
アルバと呼ばれている白猫の警官が質問してくるのだが、ずれた方向に話が飛んだと思ったら、同じ質問に戻ってきたりと要領を得ない。
三毛猫の警官───スピカは煙草をふかしながら耳を傾けているだけで、調書とやらも本当に取っているのか怪しいくらいだ。
狭い室内に煙が充満し、シディアは耐えきれず咳き込んだ。
「なあ、煙草って猫妖精が吸っても大丈夫なのか?」
「あん?人間用なわけないだろ、猫妖精用に調合されたキャットニップだよ。……アルバ、換気してやれ」
さすがにアルバのほうも煙にまいっていたらしく、スピカが言い終わらないうちに小窓が開け放たれた。流れ込んできた新鮮な空気を、シディアもアルバもこぞって肺に取り入れる。
気づくと、スピカが真横に立ちシディアの顔を覗き込んでいた。
「ふーん、変わった目ェ持ってんな。ま、それはそれとして」
突然、スピカが煙草の煙をシディアのローブに向かって勢いよく吹きかけた。
ローブの内ポケット───ちょうどネオンが隠れているあたりに向けて、だ。
「……っくしゅんっ!」
決して、大きな声ではなかった。しかし小さな部屋の中で、猫妖精の耳に届くには十分すぎるくしゃみであった。
白猫アルバが目の色を変える。
「姐さん、こいつ何か隠してます!おい、見せろにゃ!」
「や、やだなぁ。今のは俺のくしゃみで……」
苦しい言い逃れをしようとしたシディアの喉元に、アルバの鋭い爪が伸びる。
スピカより随分と人間に近い、華奢な若い女性の姿なのですっかり油断していたが、意外と隙が無い。やはり猫妖精は猫妖精だ。
───まずい。どうする。
剣と魔法銃は咄嗟にヒューゴたちに預けてきたし、何より両手に手錠がかけられている。
武器も魔法具も無く拘束されているシディアなど凡人どころか、猫に追い詰められたネズミ、もしくは小鳥のようなものだ。
唯一使えるとすれば瞳の力くらいだが、今使ったところで突破口にはならない。
せめてネオンだけでも逃がす方法をと、考えを巡らせ始めた時だった。
するり、ローブから抜け出た黒猫が人型に変身すると、シディアとアルバの間に割り込む。
「ネオン……!」
「この状況じゃ、さすがにもう誤魔化せないっしょ。───はじめまして、警官さんたち。ウチはネオン。見てわかるとーり、猫妖精やらせてもらってまーす★」
現れたネオンに驚くそぶりも見せず、三毛猫スピカは細く長く、ゆっくりと煙を吐き出したのであった。
シディアは後にアリスに語る。
「眼帯こそしてなかったけど、マチルダさんが猫になったらあんな感じかなって。いや、マチルダさんはあんなにヤサグレてないけどな!?雰囲気の話だぞ、雰囲気」
第八十二話 スピカとアルバ <終>




