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八狩涼奈の工房再建計画  作者: 冬雛
第一章 辺境の村
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4 初夏の夕闇に

 脚の痛みに堪えながら、半鬼の少年は悔恨の念に駆られていた。


 彼は八狩やつがりを出てその隣村に来ていた。四方を山岳に囲まれた八狩の性質上、村を出るためには必ず山を越えなければならない。村を出る前に加賀美から無駄の無い道筋を聞いてはいたが、この辺りの地理に疎い少年は、案の定山の中で道に迷ってしまった。

 結果から言うと、正しい道を止まる事無く進んでいけば一刻と掛からないと言われていたところを、少年は二刻半を費やして村に辿り着いた。日は既に傾きつつある。帰路は霊子を用いての早駆けが必至だろう。でなければ八狩への到着は夜も更けた頃になる。


 こんな事なら加賀美の好意に素直に甘え、先導して貰うべきだったのかもしれない、とも思った。しかし加賀美の同行を断った事に関して言えば、少年は全く以て悔いていない。

 少年はただでさえ自身の存在が夫婦二人の邪魔になっていないかと不安だったのだ。加賀美を自分のために付き合わせ、結果として二人の時間を奪うなど、とてもじゃないが考えられない。

 今日は元より少年を隣村まで連れて行く予定だったため、店を開く予定は無いらしい。二人だけの時間を用意できるとあれば、少年は迷わず単身で向かう事を選んだ。


 例の深紅の髪を持つ少女に何を言われたのかと、加賀美はしつこく問うてきた。無理もない。あの場での少女の言動は突飛に過ぎた。……少年からすれば、その後に彼女から言われた事の方が数段勝って馬鹿げていたのだが。


 自分があまりにも羨望の眼差しを向けていたため、それに気が付いた彼女がわざわざ弓術の初歩的な部分を教授してくれた――少年は大体そんな内容で加賀美の問いに答えた。流石に苦しいかと思ったが、加賀美は存外にすんなりと信じた。彼も案外単純なのか。もしくは少年が虚言を繰るとは思っておらず、洞察するつもりも無かったのか。

 どのみち彼女が語った内容は、伝えるべきものではないはずだ。変に不安を煽っても困るし、何と言っても内容を村民に伝えてしまうのは、あの妄言女の口車に乗せられたようで癪に障る。


 結局、あの少女の目的はまるで分からない。

 どこから来たのかも不明だが、唐突に村を訪れて、理由は言えないがここから逃げろなどと、一体何のつもりなのか――。それを今考えていても仕方が無いだろう。


 目的を忘れてはならない。そも、わざわざ八狩を出て隣村までやって来たのは、記憶を戻す切っ掛けを探すためだ。


 少年は恐らく八狩の出ではないのだろう。四日間露店に立っていても、彼を知る素振りの者は一人として現れなかった。それは元々八狩で生活をしていたのならあり得ない話だ。


 しかし、少年が八狩を囲う山々の中で倒れていたのは紛れもない事実だ。その点を踏まえて推した場合、自ずと可能性は絞られてくる。先日露店に訪れた衣笠きぬがさという人間の女も言っていたが、八狩付近の村の出である可能性が高いのだ。

 そして第一に考えられるのは、四方を囲う山々の中でも八狩側から見て少年が目を覚ました場所。その山を越えた先にある村。それがまさしく、彼がやっとの思いで到着したこの鷹取たかとりという村だ。


 八狩以上に何も無い田舎だ。聞こえを良く言うならば自然豊かな村といったところか。

 農民が殆どを占めるようで、牧場が多く見受けられる。驚いた事に、川沿いにある家屋の側には水車が設けられていた。魔力を動力として利用するようになった現代では、まず使われる事の無い代物だ。この村で魔力機器が一切用いられていない訳ではなく、恐らくは老朽化した訳でもない水車を撤去する事はせず、未だに残っているだけの話だろう。中々に大それた設備なのもあり、確かに撤去するのは容易ではなさそうだ。

 そんな都の方では万に一つも拝めない景色を見た少年は――、


「…………」


 何一つ思い出せそうにない。仮にかつてこの地に住んでいたのなら、そこの風景を見れば何か感じる点がありそうなものなのだが……。どこを見渡しても、初めて来た場所としか思えない。

 これが後悔の原因だ。


 大きな嘆息を一つ。少年は肩を落とす。恐らく、外れだろう。

 だが、ここで諦めて帰還するのは早計に過ぎる。鷹取に来てからというもの、まだ誰とも出会っていない。仮にかつて少年がここに身を置いていたのなら、彼の事を知る者が必ずいるはずだ。

 方針を固めると、少年は村の住民を探すべく歩き始めた。


 人気ひとけの無いまばらに並ぶ民家の間を往きながら、少年は何となく自身の衣の懐に手をやる。指先に、短刀の柄が触れた。

 全長でも一尺足らずしかない懐剣のような細身の短刀。何故か目覚めた際に着ていた黒い衣の懐に、この短刀が入っていた。加賀美に新たな衣を与えられてからも、この短刀は肌身離さず持ち歩いている。

 この武器から目を覚ます以前の少年の素性が分かるような情報は得られなかったが、彼はどうしてか手放す気にはなれなかった。この短刀を何故持ち歩いていたのかは不明なところだ。


 少年の今の携行品はその短刀くらいしかない。……要するに、山林の中で目覚めた時から変わっていない。

 彼には基本的な知識が備わっている。その知識に照らし合わせると、自身の能力が純血の鬼族のそれに及ばない事には彼も気が付いていた。

 単身で遠出をするにしてはこの軽装は些か危険な気がしていたが、半鬼となればなおの事だ。加賀美が激しく反対していたのにも頷ける。決して多くはないが、この周辺の山々にも賊が出没するらしいのだ。

 改めて考えると自身の行動は危険に過ぎたかもしれない、と半鬼の少年は護身としてはあまりに頼りない短刀を片手で弄びながら反省する。


「兄ちゃん兄ちゃん、ここで何してんだい?」


 見渡す限り誰もおらず、自分以外の存在を認識していなかった少年はかなり驚いた。

 後方から聞こえた声に振り返ると、初老の鬼族がそこに立っていた。老者ろうさにありがちな事だが、見た目には性別の判断が付かない。だが、今し方の声から察するに、恐らくは男だろう。

 初老の鬼族は側にある民家の戸口に立っていた。外に出てみたら見慣れない少年が歩いていたから話し掛けた、といったところだろうか。


 どう返したものかと逡巡している内に、初老の鬼族は近付いて来た。


「んー……?」


 首を傾げる老者。


「兄ちゃん、純血じゃないね?」


「はい、そうみたい・・・ですね……」


 見破られた。といっても、鬼族である彼にとっては他種族の血が半分も混じっていれば見分けるくらい造作も無いのだろうが。


「みたい? 何だ兄ちゃん自分の親も知らないのかい?」


「いえ! 間違い無くそうです」


 失言に気が付き、少年は僅かに狼狽する。


「何処から来たんだい?」


「八狩です」


「ひとりで来たのかい?」


 初老の鬼族はやや驚いた調子で言った。


「えぇ、まぁ……」


「無用心だねぇ兄ちゃん。山賊なんかに出くわしたら大変だよ?」


「すみません……」


「それで? 何しにこんな田舎まで――ん?」


 老者の視線が横へとずれる。少年が釣られてそちらを見遣ると、遠くに一体の人影があった。

 黒い頭巾を目深に被り、ここからでは表情が伺えない。身体的な特徴もあまり無く、次に頭巾を取った状態で相まみえたとしても同じ者とは気が付かないだろう。


「今日は見掛けない兄ちゃんが随分多いなぁ。いや、あれは姉ちゃんかな? おーい! そこの君ー!」


 初老の鬼族が叫んで呼び掛けるも、その人影は反応を示さずに去って行く。


 ――そこで、半鬼の少年は自身の右眼に違和感を覚えた。


 黒頭巾の者が手に持っている布に包まれた棒状の物。布によって隠されているはずの中の物が、何故か右の視界にくっきりと映り込む。長さにして二尺程度の、短い杖のような物だった。


「あれ? 聞こえなかったのかな……。まぁいいや。……そういえば君、名前は?」


 少年が今起きた不可解な現象に目をしばたたかせていると、今し方不審な黒頭巾に無視をされた老者がそう問うてきた。


「え!?」


 その質問は最も予期していなかったし、最も返答に窮する問いだ。


「すみません。僕、やらないといけない事があるので」


「え? 何を――」


「失礼します」


 問いを遮るようにいとまを告げ、少年はその場を後にする。

 背後から暫く声が聞こえていたが、流石にあの老躯で追い掛けようとはしなかったようだ。

 声は程なくして聞こえなくなった。



        ×     ×     ×



「はぁ……」


 半鬼の少年は木立へ凭れるようにして座り込んだ。

 名を問われて思わず逃げ出してしまったが、冷静になって考えてみると、その場で思い付いた偽名でも名乗っておけばよかったのかもしれない。


 半鬼の少年には名が無い。正確に言うならば憶えていないのだが。

 そして、記憶を失くしているという事実をよく知らない相手に伝えるのは避けるべきだろう。そこに付け入ろうとする手合いが必ずいるからだ。故に、初対面の相手に名を憶えていないなどとは口が裂けても言えない。

 昨日衣笠が店に訪れた際、加賀美が少年の記憶が無い事を彼女に伝えた時には、少年は内心かなり焦っていた。しかし加賀美も考え無しではない。少なくとも彼の中では衣笠は信に足る人物だったのだろう。


 結局、あれだけ疲労の溜まっていた脚をまたしても酷使してしまった。正直、八狩まで持つのか不安なところだ。

 鷹取では役に立つ情報は何も得られなかったが、これ以上拘泥したところでそれは変わらないだろう。少年は元よりこの村にいた訳ではなかったのだ。

 ――いや。

 役に立つ情報――あったかもしれない。黒頭巾の人物が所持していた布に包まれた短杖。あれを見た時、少年の眼には確かに変化があった。そも、布に覆われた杖の形を視認できる訳が無いのだ。何故あの時右の視界でのみそれが可能だったのか。透視能力、のようなものなのだろうか。

 思考を巡らせたところで答えは出ず、半鬼の少年は両手を伸ばして仰向けに寝転がる。


 夕日が眩しかった。

 この村を訪れたのは初めてのはずだ。しかし、こういった田舎の風景に、何故か懐かしさを覚えてしまう。理由は分からないが、心が落ち着く。

 少年がいるのは、少しだけ周りより高い丘の上だ。逢魔が時特有の橙色の陽光が、暖かみを伴って丘の上に降り注いでいる。


 帰路に備えて脚を回復させる意図もあり、少年は暫しの間そうして休んでいた。

 夕日の暖かさと疲労の所為か、少年はすぐに眠ってしまった。

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