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八狩涼奈の工房再建計画  作者: 冬雛
第一章 辺境の村
10/25

5 時代の放浪者

「ん……あれ?」


 名無しの半鬼は、宵闇の中で目を覚ました。

 何かおかしい。つい先刻までは夕日が射していたはずなのだが。


 今の時代、日が無くとも時間を確かめる手段はいくらでもある。何時いつ何時なんどきであっても時間の確認ができる、極小規格の魔力結晶を内蔵した携行可能なものだって出回っている。が、当然ながら少年はそんな代物を持ち合わせてはいない。

 だが辺りの暗さから察するに、『思わず転寝うたたねしてしまった』という程度は疾うに超えている。要するに、芝生の柔らかさと日差しの暖かさ、加えて長距離移動による疲労も手伝ってか、思いっ切り寝てしまったのだろう。


「あ……」


 背中から冷や汗が噴き出すのを、少年は確かに感じていた。

 戌の刻は疾うに回っていそうな暗さだ。これだけの田舎とあれば灯りも少なく、まともな光源は月明かりくらいか。


(まずい……)


 立ち上がった少年の足下に青白い粒子状の光が舞う。励起して可視となった霊子の輝きだ。

 来る時は二刻半を要した道のりだ。果たしてどれだけ短縮できるか。


(よしっ!)


 両の頬を叩き、気合を入れ直す。勢い付いて駆け出した少年は、すっかり失念していた脚の痛みに耐え切れず盛大に転倒する。初めの一歩にやたらと力を込めたのは大失策だった。そのまま緩い傾斜のついた丘を下の方まで転がり落ちていく。


「がっ……」


 やっとの思いで止まった時には、視界のど真ん中に満月が浮かんでいた。

 脚部のみに留まっていた疲労と痛みは、全身にまで波及する運びとなった。


「あれ? 君は昼間の……まだ帰っていなかったとはね。こんな所で何してるんだい? 日向ぼっこをしたかったのなら、ちょっと遅過ぎたかな」


 一面の夜空に星と満月しかなかった少年の視界に、見覚えのある顔が入り込んだ。昼間に出会った、初老の鬼族だ。


「すみません……助けて貰えませんか?」


 少年は、一貫して真顔だった。



        ×     ×     ×



 こんな田舎でも灯りを持たずして外を出歩けるのだから、良い時代になったものだと加賀美は思う。

 八狩の目抜き通りには、一定の間隔を置いて魔力灯篭が幾つも並んでいた。


 素肌に浴衣を纏ったのみの簡易的な装いで、彼は目抜き通りを歩いている。勿論、理由も無くこんな夜半に外を出歩く彼ではない。


(あいつ、本当にまだ戻ってないのか?)


 件の名無しの半鬼は、昼間にこちらの同行を拒否して一人で鷹取へ向かったきり戻って来ていない。

 彼の身に何かあったのか。時間が経てば経つ程嫌な想像は不安を伴って膨らんでいく。


 鷹取までは正直言ってかなりの距離がある。それでも、加賀美は初め今からでも向かおうかと考えていた。だがすぐに、それが得策でない事に気が付いた。

 行き違いとなる可能性が高過ぎるのだ。

 あの半鬼の少年が必ず加賀美の教えた通りの道を通るとは限らない。むしろこの辺の地形に明るくないあの少年ならば、この暗さの中で正しい道を通って来れる可能性の方が圧倒的に低い。行き違えた場合、そこまでだ。


 加賀美は額に手を当てて考え込む。

 律花も心配していたようだが、やはり今から鷹取へ向かうのは危険が大き過ぎる。

 鷹取に長居して日が暮れてしまい、今日は向こうで宿泊する事にしたのだと、そう思いたい。

 しかし、そこでふと思い至る。


(あいつ、一銭も持っていないんじゃ……)


 加賀美は頭を抱えて溜め息を吐く。

 取り敢えず、鷹取にいる分には安全だろう。問題なのは、あの半鬼が夜にも関わらず山を越えようとした場合だ。

 都から遠く離れたこの地であっても、山には賊が出没する。夜に山を越えようとする旅人などを狙って待ち構える手合いもいると聞く。そんなものに見つかっては、あの少年が一人で太刀打ちできる道理が無い。


 そも半鬼とは、希少性を除けば最も恵まれていない種と言っていい程の存在だ。

 魔力の生成能力が宿るのは、こと純血の人間に限られる。加えて鬼族としての能力の高さも人間の血に足を引っ張られ、本来の半分程度のものしか備わっていないはずだ。

 相手が鬼族だった場合、仮に全力で逃げる事に徹したとしても逃げ切れるかどうかは怪しいところだ。


(早く戻って来てくれ……)


 待っているしかないと分かっていても、どうにも落ち着かない。夜間の人気ひとけの失せた通りで、加賀美は行ったり来たりを繰り返している。


 加賀美自身も気が付いてはいなかったが、この時点で時刻は未明と呼ぶべきところまで来ていた。



        ×     ×     ×



 暖かみを孕んだ置行灯おきあんどんの光が、部屋の隅に陣取った闇と畳の上で小競り合いを繰り広げている。こうも明かりがゆらゆらと不安定なのは、それが魔力に依って燃える火ではなく、油に依って燃えるごく自然の火であるためだ。


「何だい、そんなに珍しいのかい?」


 余程見入ってしまっていたのか、囲炉裏を挟んだ反対側にいる初老の鬼族が問い掛けてくる。


「……はい、今じゃあんまり見ないかと」


 言っておいて、半鬼の少年は内心で苦笑していた。たった五日間程の記憶しかない癖に、よくこんな言い回しができたものだ。それでも、珍しいと感じるのは事実であり、彼にはそれが不思議で仕方が無かった。


 件の老者が独身者ひとりものだという事を、少年は彼の家に上がるまで予想だにしていなかった。広い居宅は一人で住むには余裕があり過ぎる気もしたが、彼にとっては全て必要な空間らしい。


 鈍痛の範囲が両の脚部から一気に全身へと及んだ所為で、少年は一度冷静になる事ができた。日が一切差さない中単身で山を越えるのは、些か以上に危険を伴う。途端に日が暮れた事による焦りから失念し掛けていたが、結果として少年は踏み留まれた。

 少年は昼間に出会った初老の鬼族へ頼み込み、彼の居宅に泊めて貰おうと考えた。老者は二つ返事で快諾し、少年は痛む肢体を引きずるようにして辛うじてここまで辿り着いた。

 通された部屋は八畳程度の広さで、中央には囲炉裏が設けられている。


「そうだねぇ。今じゃこの炉も時代遅れと揶揄されるだろうね」


 確かに、暖をとったり調理のための火を用意する目的ならば、今の時代では適した魔力機器があればそれだけで事足りる。わざわざ火元を用意する手間を鑑みても、この炉はあまりに効率の面で劣っている。


「時代の流れに伴って、生活は段々と便利になっていく。これも全て人間達の研究の成果だろうね」


 老者は囲炉裏に置いた鍋から椀へと雑炊を盛り、少年へと手渡す。


「どうも……」


「いいや。……そうだ、君はどう思う? こうやって敢えて非効率的な道具を用いるのは」


「そうですね……何と言うか、趣があるような……?」


 何が嬉しかったのか、初老の鬼は微笑を湛えた。


「分かるよ、君の言いたい事」


 雑炊を盛るのに使った杓子を手元に置き、老者は改まって少年の顔を見た。


「無駄を省こうとすればする程、利便を突き詰めようとすればする程、面白味というのは失せていく。そもそも、人型種族わたしたちが興を覚える物事など、その殆どが無意味な娯楽なんだよ。なればこそ、無駄な事――非効率な行いに対し私達が面白味を見出すのは道理な話だと思わないかい」


「えぇっと……?」


「よく分からないかな」


 少年が首を傾げると、老者はその反応を楽しむように低く笑う。


「まぁ、繰り言のようにいつまでもこんな事を言う私自体が、時代遅れの存在とも取れるかもしれないけどね。だから私の言っている事が分からなくても、何ら心配は要らないよ。――ただ、君が同族だったからかな。少しでも共感してくれる仲間が欲しくてね」


 そこで、彼は不意に視線をずらした。その目が部屋の端に置かれた行灯を捉えている事は、彼の目を追った訳でもなく、少年には感覚として伝わった。


「人間達は利便性を追及してばかりなんだ。それは確かに良い事だけど、私に言わせれば些か面白味に欠ける。そこにある行灯はね、使い方次第では簡単に火が燃え移ってしまう。だから危ないんだ。魔術工房の開発した行灯は油など無くとも燃えてくれるし、危険な場合は勝手に鎮火するよう術式が組んである。――そう。そこにある行灯は危険なんだ」


 彼の黒い瞳に映り込む暖かな行灯の明かりは、僅かに揺らいでいるように見えた。


「今じゃ疾病で死ぬ者は殆どいない。今でも治せないやまいはあるけど、私が若かった頃とは比ぶべくもないさ。そうやってあらゆる危険や障害を排除するのは、確かに生物の本懐なのかもしれない。ただ、私にはそれがつまらないものに思えてならないんだ。明日すら確かじゃない暮らしってのは、何時いつだって不安と隣り合わせさ。――でも、全てのものが『確か』な暮らしってのも、存外につまらないものだと私は思う」


「……分かる、気がします」


 口を衝いて出た言葉に、少年は後から気が付いた。

 今の話に、少年は何故か賛同を禁じ得なかった。彼の記憶にあるのは八狩という片田舎の村のみで、都の方と比べればまだ技術面でも発展に欠ける部分は多くある。にも関わらず、少年には老者の切実な思いが痛い程伝わっていた。気を失う以前の経験がそう感じさせているのだとしたら、今の少年には理由など分かるはずもないのだが。


 老者は先刻までの微笑とは違う、些かの驚きを含んだ笑みを見せた。


「分かる、か。ふふ、やっぱり悪くないねぇ、同族っていうのは」


「お爺さんは、どうしてこの村にいるんですか?」


 ふと気になって、少年は問うてみた。


「私かい? 別段理由は無いけど……」


 老者は思い至ったように顔を上げ、朗らかな笑みで言った。


「そうだね、自然が豊かだから、かな」


「分かる気がします」


 この老者は少年の数倍の年月を生きてきたはずだ。彼が何を見聞きし、どんな経験を経てその考えに至ったのかは分からなかったが、少年はそれを質す事はしなかった。

 きっとそれは、もっと多くの年月を生きた上で各々が出す答えだと思われたからだ。

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