2 空路を往く主従
一晩振りに見た魔術工房の全容。やはり圧巻としか言いようがない。
半鬼の少年八狩スズナは、魔術工房の正面に立っていた。
これだけ距離を詰めてしまうと、工房全体を視界に収める事すら難しい。それだけの大きさを誇っているという事だ。
先日ここを訪れた時には、既にある程度日が落ちていた。有明の工房周辺の一帯は、どこか神聖な雰囲気すら感じられる。これだけ広大な土地にありながら人気が全く無い事も、その『神聖さ』の演出に一役買っているのだろうか。
今は移動手段の『足』を取りに行った神無を、工房の前で待っているところだ。
スズナは衣の懐を意識する。
八狩で目覚めた時から所持していた謎の懐剣。神無から貰い受けた燧発式の拳銃。その弾丸が六発。そして――、
「…………」
二枚の小さな正方形の札が、スズナの掌の上にあった。
神無が仮眠に入り込んだ後、七葉は自身の仕事に戻ったため、スズナはそこで神無の目覚めを待っていた。
四半刻程度で目覚めた神無が少年に気が付き、そこで思い出したようにこの二枚の札を渡してきたのだ。
閃光符と呼ばれる、既存の道具だ。
通常は励起した魔力を流し込んで術式を起動させ、閃光を放ち目眩ましが可能な品らしい。
予め魔力を封入しておき、衝撃によって起動するように改造したものを試験的に作ったため、使ってみて欲しいとの事だった。無論、魔力を繰れないスズナでなければ無用な改造であり、まず間違い無くスズナのために作った品だろう。それをあの短銃製作の片手間で作ったと言うのだから、最早空恐ろしく思えてくる。
その時、唐突に視界が暗くなった。
てっきり日が雲にでも隠れたのかと思ったが、違う。スズナの周りのみが影となっており、それ以外は変わらず日が差していた。
影。その原因。
頭上を見上げればすぐに分かった。
烏、だろうか。巨大な鳥型の使い魔が、スズナの立っている場所のすぐ上で滞空していた。
右の視界には、使い魔の取る挙動が先んじて事細かに見えている。
流石に都の方へ行っても、これを移動手段として用いてはいないだろう。魔術工房ならではの光景かもしれない。
「行くわよ、スズナ!」
烏の方から大きな声が聞こえる。
その巨大な烏の背に乗っていたのは、案に違わず神無だった。
呼び掛けられたスズナは掌の閃光符を懐へ仕舞い、空いた手に意識を集中させる。
スズナが右腕を大きく振るうと同時、その手には青白い半透明の帯が握られていた。帯は勢いのままにその距離を伸ばし、巨大な烏の足に巻き付く。
次の瞬間には、烏が動いた訳でもなく、スズナの小さな身体が帯自体の伸縮によって引っ張られ、大きく飛んでいた。
空中で帯を手放し、余った勢いによって大烏の背に着地するスズナ。
術者が手を放した事により青白い帯は粒子状の光へ分解され、空気中に霧散していく。
初歩的な霊術の一つだった。……とは言っても、混血の持つ霊子操作、及び変換能力からすれば、決して初歩的とは呼べないのかもしれない。
今し方スズナが用いた帯は、励起した霊子を半実体化させて作り出したものだ。伸縮など、ある程度の動きを術者が操る事ができ、単純でありながら汎用性は極めて優れている。
森などの木が多くある地形で鬼族と交戦するのが得策でないとされているのは、偏にこの術による機動力の飛躍的な向上が理由だろう。
「中々やるわね、半鬼。てっきり高度を下げろと要求してくると思っていたのだけど」
「これくらいなら、何とか」
「十分。けれど、無理は禁物よ。貴方は貴重な人材なんだから」
「はは……気を付けます」
貴重な人材。確かに、工房員を新たに迎え入れるのはそう容易ではないかもしれない。
魔術工房に勧誘するという事は、自身が工房員である事を教える事に他ならない。魔術工房という存在の特性上――特にこの国に於いては――相手の事を詳しく知っていなければ、安易に工房員だと名乗る事はできない。
そうでなければ、半鬼などを雇う道理が無いだろう。
間も無くして、巨大な烏は移動を始めた。
移動自体はそこまで速くなかったが、空を行く限り大抵の障害物は度外視できるため、陸路を行くよりも早く到着するのは間違い無い。
かと言って、この見渡す限り緑が広がる地帯から都まで行くのには、ある程度の時間が掛かるのもまた事実だ。
スズナはそこで、今朝の件について改めて礼を伝える事にした。
「その、今朝はありがとうございました」
「?」
前方を見ていた神無がこちらを見遣り、首を傾げる。
「えと、色々と頂いたので……一応と思って」
「礼なら先程聞いたわよ。それに言ったでしょう? 配下の安全を確保するのも、長たる者の務めなのよ」
満足といった表情で彼女は言う。その目元を見ると、朝に見た時よりかは疲れが取れているように映った。
と、そこで。
眼下に広がる自然を見渡して、スズナはふと思い至る。
「……あの、こうやって上から見下ろしていれば、他の魔術工房も見付けられるんじゃないですか?」
スズナの疑問に、神無はかぶりを振った。
「それが可能であれば苦労しないわ。……いえ、その場合だと結塚の工房も危険に晒される訳だから、決して喜べる話ではないのだけれど」
「?」
首を傾げるスズナに、前方を見据えたままで神無は説明を始める。
「そもそも魔術工房の周囲には結界が張られていて、外からの視認は不可能なの。加えて、結界の効果で工房の場所を知らない者が結界内に侵入する事はできない。無意識の内にその場所を避けて通ってしまうのよ。……まぁ、この辺の防備は工房によって差異があるでしょうけど。一般の民に見付かっても困るし、そういった対策は完璧という事ね」
「成る程……」
工房は外部から視認する事が叶わず、且つ場所を知らない限りは偶然に辿り着く可能性も無いという事だ。
「話は変わるのだけど、柚梨や三四二にはもう会ったのかしら?」
神無は流し目を寄越し、そう問うてきた。
柚梨。その名を聞いて、スズナは思い出す。
昨晩突然部屋に入ってきた例の人間の女だ。確かに彼女は『矢車柚梨』と名乗っていた。
「その……柚梨さんなら、恐らく昨晩会いました。部屋に入って来たので」
「部屋に……? 何故かしら。あんな奥の部屋に何の用事があったの?」
「えっと……僕に聞かれても……」
「それもそうよね」
神無は再び視線を外すと、
「三四二の方も同じく人間の女よ。男女比の所為で居心地が悪いかもしれないけど、少しの辛抱よ。今、我が工房の優秀な妖狐が、ある調査に出ていて不在なの。貴方が入ったと知れば、彼も喜ぶと思うわ。……肩身の狭い思いをさせてしまっていたかもしれないし」
声の調子を落とす神無。恐らく、本気でその妖狐の気持ちを考えていたのだろう。
これで、工房の構成員は全て判明した。
工房長である神無に、今話に上がった二人の人間の女と妖狐の男を加えた四人だ。七葉は魔術こそ扱えるが、魔術工房の構成員には含まれないと言っていた。
スズナを加えれば工房に身を置いているのは六人となるが、その妖狐の男は現在不在らしい。
五人の内男はスズナのみ。確かに肩身が狭いと言わざるを得ないかもしれないが、まだ顔も見ていない妖狐の男はそんな環境でずっと務めていたのか。……何となく、遊び人のような男を想像してしまう。
と、その時。
「……!」
少年の右の視界が反応した。
今二人を乗せている大烏は、相当な高度に位置しているはずだ。にも拘わらず――、
少年の目の前に座している神無の首を――尋常に考えればあり得ない距離から投げられた事になる――飛来した投擲物が刎ねた。
瞠目するスズナ。
無論、今右の視界で展開された出来事は、左の視界ではまだ起きていない。――そして、これから起こる事だ。
(まずい……!)




