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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
二章 一陽来復
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ひろがり

 ひどく疼く痛みで目を覚ます。

 真夜中だからか周りは暗闇だった。けれど、どこか遠いところでざわざわと人が動いている気配がする。

 横たわる身体は思うように動かせず、意識はぼんやりと霞んでいた。長引く熱のせいだろうか。

 それでも、脳裏にあの一連の出来事が甦ってきて、眦から涙が流れた。悲しくて胸の奥が軋んで痛い。次から次へとそれは溢れ出る。

 震える手で何度も目を拭う。

 そうしていると、暗闇からヌッと手が伸びてきた。

 その大きな手は、はじめ額を覆うように触れてきて、そのまましばらくするとゆっくりと動き、涙に濡れた頬を指で撫でる。その動きはどこか不器用でぎこちなかった。

 けれど、頬を撫でる指はとても優しい。

 晴れない意識の中、自分に触れているその無骨で温かい手にすがりつくように、己の手を重ねる。

 そして浅い息を漏らして目を瞑り、稜迦(りょうか)は深い眠りに落ちていった。



  ◇



 その日は、ここ最近続いた悪天候からガラリと変わって、雲ひとつない晴天になった。

 まだまだ冷える空気は続くが、少しずつ冬が過ぎ行こうとしている。


 その天の下、降り積もった雪の間を忙しなく行き来する、人の動きも活発だった。

 もともとの人員に加え、中央からの兵、加えて來郷(らいごう)の者たちが、そこかしこで動いている。

 青丹(せいたん)が開拓の統括を任じられるこの関所は、慌ただしさで満ちていた。




 トウシナは漂ってくるいい匂いに鼻を動かしながら、ヒョイッと厨房に顔を出す。飯炊きのため、ここでもあれらこれらと人が忙しく働いていた。


「おっ今日も美味そうだな!」

 トウシナはそう言って満面の笑みを浮かべて、器に温かい飯をよそっていく。

 厨房を任されていた女たちも、最初のうちこそ急に現れては飯を大量にかっさらっていく、包帯だらけの大男にギョッとしていたが、どうやら中央から来たらしい素性と、特に害は無さそうな人柄が分かってから、トウシナにも慣れたものだった。


「ほら、これも蒸しあがったから持っていきなよ」

 恰幅のよい女が、饅頭が盛られた皿をトウシナに差し出してくれる。そびえ立つ山のように椀に飯を盛っていたトウシナは、元気よく礼を言うと嬉しそうにそれを受け取った。


「こっちも今できあがったよ」

「こっちも」


 トウシナはにこにこ笑って女たちが差し出してくる飯たちを盆に乗せていく。美味そうだ、美味かったと毎度礼を言う大男に気を悪くする女はいなかった。



  ◇



 稜迦はゆっくりと歩いて壁に手を付き、そして振り返るとまたゆっくりと歩いて、深く息を吐きながら、もといた寝床に腰をおろす。

 怪我はまだ痛むが、弱っていた身体も少しずつ回復している。稜迦はほっと安堵した。


 あの凄惨たる騒動から、稜迦の意識は朦朧としていた。

 ようやく意識がはっきりしてきた頃には、いつの間にか自分はこの寝床に横たわっていて、また酷い熱が出ていた。

 ようやく起き上がれるようになると、次はうまく足腰に力が入らなくなっていて、歩くのも苦労した。今は随分、良くなったように思う。


 稜迦は視線を向かいの寝床に向ける。そこにはカガイがうつ伏せで寝入っている姿があった。

 その身体はあちこち傷だらけ。背中の矢傷に加え、斬られたせいで背中全体にぐるぐると包帯が巻かれている。


 稜迦は腰を浮かすと、よたよたとカガイに歩み寄った。

 カガイからずれていた掛布を肩まで掛け直す。そのまま稜迦は膝をつくと、寝床からだらんと落ちていたカガイの腕にそっと触れた。


 そこにも傷はあって包帯が巻かれている。堪らなくなって、稜迦はカガイの頬に手を伸ばす。

 その指に感じることができた温かさに、稜迦はぐっと涙ぐんだ。


 命があって本当に良かったと、心から思う。


 戯張(ぎちょう)のために、稜迦のために、カガイは傷を負ってまで戦ってくれた。

 あのとき言ってくれた通り、カガイの名を叫んだら稜迦のもとに来てくれた。その豪然たる腕で守ってくれたのだ。

 そんなカガイの命を失うことにならなくて、本当に良かった。


 稜迦はそのままカガイの寝顔をじっと静かに見つめる。早く怪我が治るといい。稜迦の指は自然とカガイの頬を優しく撫でた。


 すると、何度か撫でたところでカガイの目がうっすらと開く。

 稜迦はそこでハッとして、自分がなんとも大胆なことをしていたと我にかえった。


「あ、も、申し訳、ありませんっ……」


 稜迦は吃りながら慌てて手を引く。顔に熱が集まっていくのが分かる。

 それをどこかぼんやりとした目で見ていたカガイは、寝床から落ちていた腕を上げると、稜迦の頬に指の背をあてた。


「どうした……」

 カガイの言葉に、稜迦は最初なんのことだと思ったが、自分が涙を流していたことに気づいた。

 カガイの指はその跡を拭ってくれる。これまで幾度も受けたことのあるその拙い動きに、稜迦は心の深いところから言い表せない温かさが広がるのを感じた。


 ずっとその温かさを味わっていたくて、稜迦は意識せずカガイの手に自分の両手を重ねた。


「カガイさま……ありがとうございます」


 カガイは稜迦の声を聞いても無言のままだったが、しばらくそのままでいると大きく息を吐いた。

 カガイが今なにを考えているのか稜迦は分からなかったが、悪いことではないような気がして、緩やかに微笑みながら、カガイの手にほんの少しだけ、頬を擦り寄せた。


「兄ぃー! 奥方さまー! 飯持ってきたぜぇ! あっ!? 奥方さまどうした! そんなとこでへたりこんで! 具合が悪いんか!?」


 勢いよく扉を開けて入ってきたトウシナは、ドタドタと両手に持っていた盆を几に置く。そして、顔を真っ赤にして両手を床につき、うずくまっている稜迦に慌てて駆け寄った。


「だ、だいじょうぶです、トウシナさま、きゅ、急に、あ、いえ、いいえ、も、申し訳ありません……大丈夫です」


「おいおい、奥方さまほんとに平気か? あ! 兄ぃも起きてんなら奥方さま支えてやらねえと! こんな近くに居んのによ、なにやってんだい、まったく」


 トウシナはやれやれと言うような顔をカガイに向けて、稜迦を起こしてやる。

 稜迦はあまりの恥ずかしさと、いたたまれない気持ちで、カガイを見れなかった。




 カガイもトウシナも山のように盛られた料理をモリモリと平らげる。

 柔らかく煮込まれた野菜が入っている汁物を口に入れながら、やはり二人の食事は圧巻の食べっぷりだと稜迦は思う。


「奥方さまもしっかり食えよ! なんか前より細くなってねえか? ほれ! この饅頭美味いぜ! 沢山食べて元気になってくれや!」


「ありがとうございます、では、あの、半分だけ……」


 正直なかなか腹には入らないが、トウシナの気遣いが嬉しいので、差し出された饅頭を稜迦は少しずつ食べた。


「トウシナさま、頭の包帯はもう取られてよろしいのですか? まだ額の怪我が……」


「ん? これかい? こんなもんすぐ治るさ、頭巻いてると窮屈でならねえや! なぁ、兄ぃ?」


 トウシナはそう言って、自分の額にこさえている痛々しい怪我をボリボリと掻くものだから、稜迦はハラハラした。確かそこから勢いよく血が吹き出ていたはずだ。


「兄ぃも俺も丈夫にできてるから心配いらねえよ! そんなことより奥方さまが心配だぜ……なぁ、兄ぃ?」


 トウシナに何か言われても、カガイは特に何も喋らない。

 代わりに、口に飯をかきこんだまま、稜迦に目を向ける。稜迦もちらりとカガイに視線をやった。

 意識がはっきりとしていなかったときは、記憶も曖昧だか、カガイはずっと傍にいてくれていたように思う。

 自分のことを心配して、近くにいてくれることが嬉しい。負った怪我だってカガイやトウシナに比べたら大したことはないはずだ。


「わたしも心配いりません。もう歩けるようにもなりましたし、あの、なので……」

 稜迦はそこで一拍おいて二人に言った。「義兄に会いに行く」と。



  ◇



「ーーして、甘剋(かんこく)の身柄は私邸のあった白琳(はくりん)に拘束しております」

 関に置かれた兵舎の一室で、つらつらと喋る戒趙(かいちょう)の報告を、青丹は蓄えた髭を撫でつつ静かに耳に入れる。

 その青丹のそば近くには、腕を組んで椅子にどっしりと座る、來郷の長である巌鉄(がんてつ)の姿もあった。


「ご苦労だった。戒趙。ーーさて、巌鉄殿」


 青丹は戒趙の報告を受け終えると、巌鉄に会話の矛先を向ける。

 巌鉄は「うむ」と応えると自分の顎をひとなでして、喋りだした。


「賊が現れてから、今回の汚職まで、よくできた筋書きだ。傍目から見ると甘剋が全ての元凶ともとれる。ーーだか」


 巌鉄はそこで言葉を切り、窓から外を見た。


「この筋書きを講じた者、もしくは命じた者は、もしやすると国そのものを覆すつもりなのかもしれん」

 巌鉄の言葉に、青丹は眉間に力を込める。とうとうその時がと、強く拳を握った。


「そしてこれは我ら來郷にも無縁のことではない。おそらくはーー」


 そのとき、巌鉄の言葉の途中、扉の向こうで声がかかった。

 戒趙が青丹に目を向けて、頷くのを確認してから「入れ」と返事をする。

 少し緊張した面持ちの兵卒は、部屋に入って一礼したあと口を開いた。


「史蔦(しちょう)と名乗る中央から派遣された師団の者が、面会をと訪ねております。如何いたしましょう?」

二章 一陽来復『忍びよる』にて劉康関と関所の距離感を修正しています。

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