猛攻
その時、強い風が吹いて稜迦は反射的に目をギュッと瞑った。けれど耳に生々しい音と潰れた悲鳴が聞こえて、慌てて目を開ける。
そうしたら、稜迦のすぐ目の前にカガイがいた。
瞬く間に稜迦の傍まで駆けたカガイが、拳を奮って稜迦の背後で刃を振り上げていた者を殴り飛ばしていた。
殴り飛ばされた者は大仰なまでに地面へ転がり跳ねたりを繰り返して、ようやくそれが止まると、見るも無惨な姿へと変わり果てる。
「ーーカガ……っ!」
その場から立ち上がれずにいた稜迦を、勢いよくカガイの腕が抱え上げる。カガイの名を呼ぼうとした稜迦はその勢いに驚いて、グッと声を呑み込んだ。
カガイに身体を抱え上げられると、稜迦はその腕から落ちてしまわないように、力の入らない手で必死にカガイにしがみつく。
そしてカガイと額が触れ合うほど近くで、視線が交わった。
いつも険しく見えるカガイの目が、一段と鋭く見える。
そのカガイの形相に稜迦は思わず息を呑んだが、そんな二人の見つめ合いは束の間。
すぐさま、カガイは後ろから追い付いて来た戯張へ稜迦を引き渡した。
「義兄さん……!」
「稜迦! 血が!」
戯張の顔色は蒼白で、声は震えていた。
稜迦は自分の状態に気付いていなかったが、首の傷口から流れた血と、雪と混じりあった泥が至るところに汚れついて、その姿を悲惨なものに見せていたからだ。
稜迦を抱えた腕に力が籠る。戯張の目に、義妹をこのような有り様にした男の姿が映った。
カガイによって地面へと崩れ落とされる、樂幹の姿が。
「ぐっ……うあ……!」
樂幹はうずくまり腹を抱えて身悶える。その口から、ヒュッ、ヒュッ、と短い呼吸音を漏らしていた。
その瞬間こそ戯張は目にしなかったが、カガイが樂幹の腹に打撃を与えたのだろう。
樂幹と対峙していた者は、突然現れた乱入者に一瞬当惑した様子を見せたが、樂幹に止めを刺そうと刃を振り上げたところでカガイに襟首を掴まれる。
「なんっ……!」
その者が抵抗するように何か声を出そうとするが、カガイはまったく躊躇せず、片手でその者を持ち上げると、近くにあった大木へと思い切り叩き付けた。
「うっ……ぼっ!」
叩き付けられた身体からメキメキと骨が軋む不穏な音と、その者の口から血反吐が溢れ出る。大木の幹には無惨な大きい窪みができていた。
「ぐぅ……よ、よくも貴様! 我らを誰だと思って……!」
その時、一番最初に稜迦を斬りつけようとしていた者が、飛ばされてきた仲間であろう者の身体を退かしながら、フラフラと立ち上がりカガイに向かって叫んだ。
大木に叩き付けられた者はその場にドサリと倒れて、身体は細やかに痙攣して見えた。カガイはその者の首を掴み、無理矢理立たせると、叫んでいる者に向かって勢いよく投げ放つ。
「なっ……!」
投げ放たれた身体のあまりの速さに、その者は驚愕の声を出し、ソレをかわし切れずに激しく衝突すると、飛んできた者共々後ろへと吹っ飛んでいく。
そのまま二人の身体はグシャリと地面へ落ちると、ピクリとも動かなくなる。
その場が静寂になり、息を吐き出すような低い唸り声がカガイから漏れた。
稜迦たちからカガイの形相は見えないが、その後ろ姿から威圧を感じる。戯張はカガイが並々ならない怒気を放っていると思った。
「カ……ガイ様……」
稜迦が弱々しい声音でカガイの名を呼ぶ。
その声が届いたのか、カガイはゆっくりと稜迦を振り返る。そして浅く息を吐き出して、稜迦のもとへ足を踏み出した。
稜迦と戯張の目の前まで来ると、カガイは片腕を伸ばし、戯張の手から稜迦を抱え取る。
「……今だけだ、行け……」
カガイが放った言葉の意味を、戯張は正しく受け取れた。
樂幹たちを止めることができなかった。全てが遅かった。彼らにはもう後などない。
何より稜迦を、義妹をこんな目にあわせた。
樂幹と話せるのも今この時だけだろう。
戯張は稜迦に目をやる。顔色を悪くした義妹が不安のような恐れのような感情を滲ませて、こちらを見つめていた。
「すまない……」
戯張は微かに聞こえるぐらいの声音で呟くと、うずくまる樂幹へ足を向ける。
樂幹へと近づく一歩一歩が鉛のように重い。
まるで長い時間をかけて歩いたかのような感覚の中、樂幹の目の前まで来ると戯張はゆっくりと膝をつく。
カガイから受けた打撃が凄まじかったせいか、樂幹は今だ腹を抱えて荒く浅い呼吸を繰り返していた。
その額には大粒の汗が浮いて見える。
自分に影が差したのに気付いたのか、樂幹が苦し気に顔を動かして戯張を視界に入れた。
戯張の姿を見て、僅かに目を見開いた樂幹だったが、何か言葉を出すことは無かった。
戯張も声を出せなかった。
ただ、溢れてくる涙を止めることができずに、戯張は歯を食い縛ってその場で咽び泣いた。
その様子を悲痛な思いで見つめていた稜迦の顔に、大きな手が伸びてくる。
頬を掴まれて動かされると、すぐ近くにカガイの顔があった。
獣のような低い唸り声を出しながら、稜迦の首の傷を見ているようだが、その表情があまりにも怖い。
「カ、カガイ様」
カガイの顔が怖すぎて、稜迦は意図せず咄嗟に両手でカガイの両目を隠す。
その拍子に、肩に痛みが走って稜迦は小さく悲鳴をあげた。
途端、カガイは唸りながら顔を振って稜迦の手から逃れる。表情が険しいままのカガイが何か言おうとして口を開いたとき、視線が横に動いた。
そのまま釣られて稜迦も視線を動かすと、木々の合間を縫い、凄まじい速さでこちらに向かって来る何者かに気付く。
「ーー義兄さん!」
戯張の耳に稜迦の叫び声が聞こえて、驚いて振り向くと、黒い影と白銀の刃が目に映る。
その刃は樂幹に向かっているのだと理解できたとき、戯張の身体は無意識に樂幹を庇うために動いた。
瞬時の出来事だったが、戯張はその時、自分の身体も迫りくる刃もやけにゆっくりと動いているように思えた。
遠いあの日、敵の刃から身を挺して自分を庇ってくれた樂幹も、こんな思いだったのだろうかーー。
「ーーぐっ!」
戯張の耳に誰かのくぐもった声が届いて、パタタッと雪の積もった白い地面に血の赤が散った。
自分の血かと思ったが、けれど身体に痛みは無い。
ハッと我にかえると、自分たちの前に大きな影が立っていた。
「邪魔をするなら斬られても文句はないな!」
誰かの苛立ったような声が聞こえる。
戯張がその声の聞こえた方を見ると、樂幹を斬ろうとしていた黒い影の男が、こちらから少し距離をとり、刃を構えていた。
その袖口からじわりと血が滲んで見える。
戯張はその男の姿を目に入れた瞬間、身体がぞわりと震えた。
口許を黒い布で覆っているため全ての表情までは分からないが、目が爛々とたぎっているように見えた。それはまるで、獲物を牙で食いちぎる獣のような。
ーー斬り合うことに快楽を求めているのだろう、そんな狂気を感じた。
「……何者だ?」
男と戯張たちの間に立つ大きな影ーー、カガイは低い声で問う。その手には変わった形の小刀が握られていた。
チッと男が鬱陶しそうに舌打ちをする。そして視線をチラリと動かし、カガイの手によって倒された者たちを見た。
「お前の後ろにいる賊をこっちに渡すか、殺せ。そうすればコイツらへの所業は不問にしてやる」
男は威圧的にカガイに言い放つ。依然と刃は構えたままだった。
そしてカガイも鋭い目付きで男を睨んだまま、微動だにしない。
「……話にならん」
カガイがそう呟いたと同時に男が動いた。
「ーーカガイ様!」
ガキンと刃同士がつぶかり合う音が響く。そして稜迦の悲鳴もその場に響いた。
「ーーっ!」
素早くカガイに斬りかかった男が、驚愕ゆえか僅かに息を呑み、互いの刃同士がギチギチと音を立てて擦れ合う光景をまざまざと見つめる。
そして男の目にはっきりと憤怒の感情が浮かび上がると、男は柄を持つ手に力を込め、刃を翻した。
「カガイ様……!」
男が繰り出す猛攻に目を逸らしたいが、カガイが斬られてしまうのではないかと怖れ、カガイと男の斬り合いから目を離せず、稜迦は弱々しく叫ぶ。
しかし、実際は猛攻を続ける男の方が焦っていた。
いつもならば相手の喉元を切り裂いて、早々に勝負は決まっているはず。なのに何度も繰り出す斬撃は目の前の大男に届かない。
やがて募る焦燥は次第に男の刃にも移っていく。
その隙をカガイは見逃さなかった。
「ーーうっ!」
男が小さく呻く。
カガイが男の喉元を掴み上げ、そのままの勢いで地面に叩きつけようとする。男は叩きつけられる前に素早く動いた。
自分の喉元を掴んでいる腕に向けて刃を振る。浅かったが一太刀届き、僅かにできた隙に身体を捻り、カガイの身体を蹴りつけて飛び退いた。
男に蹴りつけられたが、カガイはその場からふらつきもしない。その姿を見て男の焦りはさらに増し、忌々しく小さく舌打ちをする。
「……」
カガイは斬られた腕の傷をチラリと見る。そのまま表情を変えず、血が流れる腕を軽く振るうと、ズンズンと男に向かっていく。
稜迦はもう声を出すどころか息もできなかった。身体の震えが止まらず、心臓が痛いほど鳴っている。
カガイと対峙している男は何者なのか。
樂乾や稜迦を斬ろうとした男たちはどこから現れたのか。
そんな疑問がグルグルと頭の中を回っていたが、カガイが斬られて頭が真っ白になった。
抱えられていたカガイの腕から降ろされて、上手く身体に力が入らずに、ずっとその場にへたりこんでいたが、稜迦はふらふらと立ち上がる。
カガイが傷を負ってしまうことが、どうしても恐ろしかった。
けれど稜迦はこの攻防を止めることもできず、ましてカガイに加勢することもできやしない。
何もできないまま、その場に立ち尽くして、震えて見ているだけしかできなかった。




