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鴛鴦の契り  作者: 笹川 歌
二章 一陽来復
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畏怖なる男

 稜迦はその男を見た瞬間、理由は分からないが全身に鳥肌が立った。


 奇妙な雰囲気を纏ったその男は、感情の読めない眼をして稜迦たちを見下ろしていた。

 そして、その男自体が見慣れない色彩で出来ており、稜迦はつい見入ってしまう。

 黎国や朱国でも大半の人は黒髪に黒目をしている。時まれに遠い地からやって来た旅商人などが変わった色の髪や瞳をしているが、目の前の男は一層不思議な色をしていた。

 薄い茶色と灰色を混ぜたような色をした瞳に、その瞳と同じ色の髪は短く切っており、肌は驚くほど白い。

 男は右目を黒い眼帯で覆っていたが、その黒がより鮮明に見えた。

 甲冑を着込んでいるその体躯は決して弱々しいものではないのに、まるで柔らかいような、ひょろりとしている印象を受ける。


「あ~……」

 男が声を出したので、稜迦は不躾に男を見ていた事に気付いて、ハッと我にかえる。

「いやいや……すみませんねぇ……なにかぁ……あったんですか? その人?」

 妙な強弱をつけて喋る男は、こちらを指差しながら訊いてきた。

 話しかけられた稜迦は慌てて返事をしようとして、けれど、女の背から細やかな振動が伝わって来たことに気が付く。

 稜迦が女を見ると、ガタガタと身体を震わせて、いつの間にか涙が止まっている目を大きく見開きながら目の前の男を凝視していた。

 女の顔にはあきらかに恐怖が張り付いている。

 女の手がぎゅうっと強く稜迦の手を握り締めて、その力があまりに強かった為、稜迦は思わず苦し気に顔を歪めた。


「……あ、あ……ど、どうか……お、お許し、を……」

 ガタガタと震えながら、女は呂律の回らない口振りで男に言う。

 男はまるで演技がかった大きなため息を出すと、気怠さそうにゆっくりと稜迦たちへと近付いて来た。

 女は小さな悲鳴をあげて、踞っているその身を後ろに引こうとする。

 何が起きているのか分からない稜迦は、女から伝染したような恐怖を感じていたが、訳も分からず咄嗟に女の身を自分の身体を使って隠そうとした。


 男はそれを見て、眼帯で隠れていない方の眉を器用に上げる。そして、口の端を歪めてニヤリと笑った。

 稜迦はゾッとする。男が笑う意味が分からなかった。


 ニヤニヤと笑いながら近付いて来る男が稜迦たちに手を伸ばそうとした時、唸るような低い声が聞こえた。

「おい……! 触んじゃねぇよ……!」

 稜迦が声の聞こえた方を見ると、男のすぐ後ろにトウシナが立っていて、その顔には苛立ちと怒りが滲み出て見えた。

 稜迦は思わず身をすくませてしまう。トウシナのこのような表情を見たことが無かった。


 男はゆっくりとトウシナへ身体ごと振り向き、面白そうに口を開く。

「あぁ~……吃驚したぁ……トウシナじゃないかぁ……ん? なんでこんな場所にいるんだ?」

 トウシナは男の問いには答えず、ズイッと男の身体を押し退けると稜迦たちへと身を屈ませた。

「奥方さまよ、大丈夫かい? 何かされたのか?」

 トウシナが心配そうに訊いてくる。その顔を見て稜迦は安心したのか、急に力が抜けてしまい、ふるふると弱々しく頭を小さく横に振った。

「あ……わたしは、何ともありません……ただ、この方が……」

 今だガタガタと身を震わせている女は、虚空を見つめてまた大粒の涙を流し始めていた。

 トウシナがその様子を見て何か言葉を口にする前に、男がわざとらしい大声を出す。

「おいおい、トウシナよぉ! 誤解なんぞするなよ、そこの女は俺の妻だぞ。確か……あぁ、なんと言ったかなぁ……まぁいいか……」

 男はまたニヤニヤと笑いながら、トウシナに話し続ける。

「ほら、あれだ、何とかって政策だったかな……? そうだ、そうだ! 確かカガイもそうだろう? あの人も俺と同じで黎国から嫁を貰ったと聞いたぞ! おい、トウシナよ、カガイは一緒じゃないのかい? お前がいるのならば、カガイもいるだろう? どこだ?」


 男はトウシナやカガイと知り合いなのだろうか。

 稜迦はそう思って、男とトウシナを交互に見る。

 楽しそうに話しかけている男とは違い、トウシナは顔をしかめて不機嫌そうに男の方を睨み付けていた。


「てめぇの事情なんぞ、知ったことか! ああ? 郷怛よ! てめぇこそ何でここにいやがる? てめぇの隊にやられた事、忘れた訳じゃねぇぞ!」

 地に響くような声を出して、トウシナは立ち上がり男の方へと詰め寄る。

 郷怛と呼ばれた男は一瞬ぽかんとした顔をして、そして、ああ~と思い出したかのように声を出した。

「そうだ、そうだ、そうだ……副将から報告は耳に入れているよ、こちらの部隊兵が随分とヘマをしたようだ……ああ! 本っ当に! 怙狼軍には申し訳無い事になったと思っている!」

 郷怛はまるで演劇をしているかのように大袈裟な素振りで、悔やんで見せた。

 トウシナはその行動にさらに腹を立て、勢いよく郷怛に掴みかかる。

「ふざけてんじゃねぇ! 危うくこっちは死にかけたんだ! 伝令もまともにできねぇような兵を使いやがって! 分かってんだよ! ええ!? わざとなんだろうが! この糞野郎が!」

 トウシナの大声で周りの人々がざわざわと注目し始めるが、トウシナはそれに気付く様子も無く、唾を飛ばしながら大声で怒鳴り続けた。

「お陰で敵にこっちの位置が筒抜けだったぜ! ああ!? どう落とし前つけるつもりだ! 今回ばかりは洒落じゃ通じねぇぞ!」

 激昂するトウシナを郷怛は冷えた目で見る。そしてつまらなそうに小さなため息を吐いてみせた。

「……おいおい……そりゃ、言い掛かりだろぉよ……まさか、そんな、誰が味方を陥れる真似をするんだよ? ええ? ひでぇ話じゃねぇか、なぁ!?」

 自分に掴みかかっているトウシナの手首を握り締めて、郷怛は何が可笑しいのか、笑いながらトウシナへ詰め寄った。

「そんなひでぇ事言うもんじゃないぜ? トウシナよ? 誰にでも失敗はあるだろ? けれど、そうだな、分かってるよ……失敗しちゃいけない事も在るってな……だからきっちりと罰を与えたさ! 失敗した兵にな……! 当たり前だろ? 安心してくれよ、俺は厳しいからさ……怙狼軍を窮地に追いやってしまった愚かな部下は、もう二度と軍に戻っては来れないようにしてやったよ!」

 トウシナの固く握り締めている拳はぶるぶると震えて、血管が浮き出ていた。

「てめぇは……それでも一軍の将かよ!」

 トウシナは顔を歪めて郷怛を睨み付ける。その顔は迫力がありすぎて大抵の男は腰を抜かすほどだったが、郷怛はまるで面白い物を見付けたように笑っていた。

「いやぁ~しかし怙狼軍は凄いなぁ~! あれだけの襲撃を受けて誰も死ななかったんだって? お前のその怪我もその時のか? もう治りかけじゃないか! 立派なもんだ~……で? トウシナよ、カガイはどこだ? 一緒なんだろ? いるんだろ? どこいるんだ?」

 トウシナはもう我慢ができなくなり、郷怛に向けて拳を振り上げる。稜迦は小さく息を詰めてギュッと目を瞑った。

 けれど、稜迦の耳に人を殴る音が聞こえて来ない。

 稜迦が恐る恐る目を開けて見てみると、そこにはいつの間にかカガイが立っていて、トウシナの振り上げた腕を止めていた。


「……やめろ」

「ああ!? 何でだよ! 兄ぃ! こいつは……!!」

 トウシナはカガイに止められた事が納得できない様子で、その手を振り払おうとする。そんな二人が目に入っていないのか、カガイが現れた瞬間、郷怛は無邪気にはしゃぎ出した。

「あっは! おいおいカガイ! 久しぶりじゃないかぁ! 会いたかったぜ、その傷は遠征の時のか? 大丈夫かよ!? トウシナより酷そうじゃないかぁ、よく生きてたなぁ! でも、もう治りかけか?」

 郷怛の声には答えず、カガイは無言でトウシナの腕を掴み続けていた。


「やめろ、トウシナ」

 落ち着いた、威厳のある声がその場に響く。

 稜迦がその声の方を見ると、青丹が此方へと歩いて来ているところだった。トウシナも青丹の姿を目に入れると、渋々振り上げた腕を降ろし郷怛から手を離す。しかし割り切れない思いもあるのか、肩で息をして悔しそうに郷怛を睨んでいるままだった。


「何故このような騒ぎになっている? 何があった、郷怛?」

 青丹に事情を訊かれて郷怛は礼をとりながら答える。

「……は……、私めの妻に何かあった様子で、そちらの女人に介抱されておりましたところ、事情を訊こうと近寄りましたらトウシナに……絡まれましてねぇ……ほとほと困っていたところです」

「あぁ!? なんだと!」

 トウシナは再び激昂して郷怛へと掴みかかろうとするが、カガイが身体全体を使ってそれを押し止める。


「やめんか、トウシナ! ……お前からは後ほど詳しく事情を訊く。今は奥方を休める場所に連れて行ってやれ」

 郷怛は青丹の言葉を受けると、いつの間にか後ろに控えていた兵たちに目配せをする。

 その兵たちは郷怛の合図で、今も踞り涙を流し続けている女を支えながら立たせて、どこかへと連れて行く。

 連れて行かれるその間際、女は物言いたげな視線を稜迦へと投げたが何かを言葉に出すことは無かった。

 稜迦は女が連れて行かれるその光景を、漠然とした不安の中で見つめることしかできなかった。


 茫然としていた稜迦の身体を、大きな腕が抱えて立ち上がらせる。ハッとしてその腕の主を見上げると、カガイと目が合った。

「す、すみません……」

 稜迦が慌てて謝ると、カガイの手が急に稜迦の手首を掴んだ。稜迦は驚いてしまって身体が跳ねたが、カガイはそれに構わない様子で稜迦の手の中にある布を見ていた。

「……お前の血か?」

 稜迦は「え?」と疑問を口にして、自分が手に持っている布を見る。その布には血が滲んでいるが、それは女の傷を拭った時に付いたもので、稜迦のものではなかった。

「あ……ち、違います、先程の女性の方のもので……」

「……そうか」

 カガイはそう言ってすぐに稜迦の手首から手を離した。稜迦は何と返したらいいのか分からずに、戸惑いながらカガイが掴んでいた手首を小さく擦る。

 そこに郷怛が間延びした声で話しかけて来た。

「おいおい、カガイよ? 久方ぶりだと言うのに冷たいじゃあないか。色々と話ししたい事があるんだ。此方を向いておくれよ」

 声を出しながらゆっくりと近付いて来る郷怛に、稜迦がびくりと身体を震わすと、カガイがその背で郷怛から稜迦の身体を隠した。

「ん? ……ふっ……くっくっく……なんだよ? 分かりやすいな~、そうかそうか、そこの女がもしやお前の妻か? そうだな? おいおい、見せておくれよ、なんだなんだ? 意外と大事にしているのか?」


 郷怛は興味深そうに身を乗り出して、カガイの身体越しに稜迦を見ようとする。稜迦はそれを恐ろしく感じて、一歩後ずさった。


「郷怛将軍!」

 すると、若い声が郷怛を押し止める。甲冑を着込んだ宗偉が早足で此方へと歩いて来て、カガイと郷怛の間に割り込んで来た。

「お早く! 青丹将軍が呼んでおられます!」

 宗偉に詰め寄られて、郷怛はつまらなそうな顔をする。

「はいはい、俺のような一族の恥さらしにわざわざ若君の手を煩わせてしまうなんて……申し訳ありませんねぇ、直ぐに参りますよ」

「その呼び名はやめてくださいと何度言えば分かるのですか……!」

 宗偉は静かに声を荒らげて、郷怛を見据える。郷怛は気にした様子も無く、くるりと踵を返すと手をヒラヒラとさせてカガイへと言葉を投げた。

「じゃあな~カガイ。いつまで此処にいるか知らないが、またなぁ……」

 そう言い残して去って行く。宗偉もカガイたちに頭を下げると、郷怛の後を追いかけて行った。


 その場の騒ぎが収まって、遠巻きに成り行きを見ていた周りの人々も散り散りになる。

 稜迦は詰めていた息を小さく吐いて、自分の手のひらを見た。

 その手はガタガタと細やかに震えていて、しばらくしても、その震えは止まらなかった。

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