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地獄の門を守る三匹の生き物

「ムラサキカガミって知ってる?」

 

 そんな唐突な言葉から奴は始まる。

 

「20歳まで覚えてると死ぬってやつか?」

 

「そうそう、ちょっと君覚えててみてよ」

 

「それは遠巻きに俺に死ねってか?」

 

 あの八尺様の事件があってから俺は妖怪と呼ばれるものと遭遇する確率が上がり、この間みたいに危険なものではないがずっと置いておくわけにもいかず、安倍の所に通っている内に特に何かに憑かれていなくとも、学校終わりはここに行くのが日課となってしまった。

 

 客足はあまりよくないが、ここのコーヒーはブラックでも酸味は少なく、フルーティーで飲みやすい。普段なら多少砂糖を入れる俺でも飲めるほどで俺はここのコーヒーが結構気に入っているっていうのもある。それに帰ったところで家には誰もいないし、こう言っちゃなんだがいい暇つぶしになっている。

 

 とはやることは本当にないので本を通学カバンに入れるのを忘れてはならないけれど。

 

「なぁ」

 

「なーに?」

 

「ここから少ししたところに神社があるの知ってるか?」

 

「神社なんて地図で見たらそこら中にあるものだよ」

 

「あー、森への入り口みたいな先にある神社」

 

「あぁ、神上神社だね」

 

「神上神社?」

 

「あそこの巫女には近付かない方がいいよ。正確には怒らせない方がいい」


 俺は神上神社と言う名前も初めて聞いたんだが……毎朝通学路で通るときにたまたま目に入って気付いたら挨拶をしていた。

 

 驚いたような顔をした後に挨拶を返されたなぁ。今度お参りにでも行ってみようか、いや、たまたま会っただけの俺の事なんか覚えてるわけがないか。てか、仮に覚えていたとしてだからなんだって話だ。

 

「ねぇ、僕の話聞いてた? あそこの巫女は辞めときなって」

 

「は? なんで。てか別に狙ってねーよ」

 

「世の中にはね、神に愛されてる人間がいるの。彼女もその類いだよ。なんなら神の花嫁といっても過言ではないし、彼女に憑いている神様。アレは狐だよ」

 

「狐?」

 

「狐の神様。有名でしょ? でも狐って悪さもするし、そのくせに八百万の神でもあり、仏教にも縁がある。それに狐の神様っていうのは人間に近すぎるんだよ。【五穀豊穣】【商売繁盛】【家内安全】【縁結び】【安産祈願】【学業成就】場所によっては他にももっとあるんじゃなかったかな。それくらい人間との関係は近いし色んなものに精通している。君が下手なことを彼女にしてみろ。君に災いが行くよ」

 

 前の俺ならそんな話をされたところで話半分で聞いていただろう。でも俺は最近襲われ死にかけた身としては神の花嫁だとか、神が人に憑くだとか、そんなウソのような話を納得するしかない。

 

 普通に生活をしていたら神に愛されている人や、神の花嫁なんて気にも留めなかっただろうし、多分聞くこともなかっただろうな。

 

「神様か……」

 

「あ、君は気にしなくても神様の加護はないよ」


「だろうな」

 

 あったらこんな目に遭っているわけがないだろ。そんな悲しくなるようなことを改めて言わなくても別にいいんじゃないのか?

 

 この間も助けてくれたし、俺が憑かれたときは祓ってくれるし、いいやつなんだろうけれど、人としてどうなんだろうって発言もあるんだよな。

 

「気にしなくても生きていけるさ」

 

 前言撤回をするべきだろうか。珍しいこともあったもんだ。どうやら俺のことを慰めてくれているらしい。

 

 机に顔面をこすりつけていたのを少し安倍の方に顔を向けて見ると立体パズルのようなものをしているのが目に入る。

 

 俺が来た時からやっているけれど、いまだに完成していない。

 

「お前って結構不器用なのな」

 

「失礼だね。こういうのは得意不得意があるんだよ、普通のパズルは結構得意だから立体もいけると思ったんだけれどね」

 

「ふーん」

 

「やってみる? 弟から貰ったんだけれど、僕じゃ無理みたいだし」

 

 俺は顔をあげると安倍からソレを受け取った。

 

「お前って弟居たんだな」

 

「いるよー。ちなみに君の同級生」

 

 渡されたパズルに夢中になっていると「この子だよ」と写真を見せてきたので目線を写真に写すと同じクラスの【安倍晴樹】の姿があった。

 

 確かに同じ苗字だが、俺が驚いたのは別にそこではない。いや、俺が【安倍晴樹】のことをあまり詳しく知らなければそっちの方で驚けたのかもしれない。それでも驚かなかったのはそんなのが吹き飛んでしまうほどの衝撃があったからだ。

 

「……ふざけてんのか?」

 

「至って真面目だけど?」

 

「いや……そいつ“妹”だろ? お前確か弟って――」

 

「うんうん、これが弟だよ。すごく可愛いよね」

 

 俺の同級生で、同じクラスの安倍清治の弟、安倍春樹は女の制服を着た、正真正銘の女である。……女であるはずだった。

 

 クラスの誰もがそいつは女だと思っている。なんならガチ恋している男もいるほど。俺も何回か授業をサボっているときに話したことがあるが、少し声が低い女だなくらいにしか思わず、何なら違和感なんてものも感じなかった。

 

 休み時間は席で本を読んでいるし、放課後はすぐにいなくなるため、話す機会もそうそうない。友達と呼べる存在もいなさそうで、密かに俺と同類だと思っていたのに……。

 

 ここで言い訳をしておくと、別に俺はそいつのことが気になっていたとかではなく、制服の上に着物のようなものを上から羽織っているので嫌でも目立っているし、安倍が言っていたみたいに結構可愛いのでそれはそれは目立つ。それだけで他意はない。

 

「晴樹って自分の店を持っていて、そこで雑貨を売ってるんだよね。そのパズルも本当は晴樹の商品だったんだけれど……まぁ、完成しそうになったら僕に教えてよ」

 

「わかった」

 

 店の中で軽くパズルを遊んでから、良い時間にもなってきたので俺は家に帰った。

 

 今日は八尺様も、あの安倍にピッタリくっついているチビの姿もなかったから静かだったな。

 

 あの一見以来八尺様は安倍にこきを使われているらしいが、料理がうまく客からも評判なようであの店の料理人的立場になっている。あんなにデカいと客の前にも出れないだろうし適任だと思う。ただ飯はうまくても客が来ないのはどういうことなんだろうかという謎は残るところではある。

 

 家についた俺は帰る途中に買ったコンビニ弁当を温めてから、テレビを見ながらそれを食べた。

 

 家はそこそこに広いものの、だからこそ静かなのが目立ってしまいなんとも物悲しい雰囲気を出してしまっている。特に俺からすると、最近は安倍の所に通っていてあそこが賑やかなのもあって余計にそう思ってしまうのかもしれない。

 

 食べ終わり、風呂に入った俺はタオルを肩にかけ、流しているテレビの前のソファーに座ってパズルに手を付ける。

 

 どうやらルービックキューブのように回すタイプだと思っていたが、一緒に渡された説明書を見る限りでは【おにぎりを握るように撫でまわす事で、その立体の一か所が飛び出してきます。それを押したり引いたりする事で、全体の形が徐々に変形していき、色々な形になります】と書いてある。

 

 書いてある通りに撫でてみると尻尾のように一部が飛び出てきた。

 

 それを引っ張ってみると他の部分も出てきたり、出てきた部分を触ると今度は逆に引っ込んだりする部分も出てくる。これが【熊】【鷹】【魚】の順番の形になるらしく名前は【リンフォン】と説明書には書かれていた。

 

 リンフォンの意味は分からないが、よくあるどこかの国の意味がある単語だったりするのだろうか。

 

 ゲームでよくある、押したところの上下左右が変更するタイプに似ているこれは、俺を夢中にさせるのは簡単だった。

 

 押しては引いて、引いては押してを繰り返し、熊らしい部分が出てきたかと思いきや他の部分を変えると熊らしい部分は消えたりと四苦八苦したが、気付いた時にはバラエティ番組が流れていたはずのテレビはクラシックに天気予報が流れている番組へと変わっていた。

 

 次の日も学校があるのに熱中しすぎたな。


 今日はこのくらいにしてテーブルの上にリンフォンを置いて自室へと向かい、リンフォンのことは気になりつつも俺は眠りにつく。

 

 朝目が覚めるとさすがに寝る時間が短かったのか少し体にダルさはあったものの、顔を洗い歯を磨きパンをトーストで焼いている間に気が付けば俺はまたリンフォンに手を伸ばしやっていたことにトーストの焼き上がりの音で気付き、意外とハマるもんだなと朝食食べる。

 

 通行中も、何気なく触っていた。危険だから気を付けた方がいいのはわかっているもののなんだか気になって仕方がない。

 

「あら、あなた……体調は大丈夫かしら?」

 

「え……あ、おはようございます」

 

 いつも会う巫女さん。

 

 この人の着ている巫女服はなんだか他の人と違って黒く、この間テレビで流れていたゴスロリに近かった。

 

 そういえば安倍がこの人は神様の花嫁とか言っていたか……? ならあんまり親しくしない方がいいのか……機嫌を損ねるな的なことも言っていたしな。

 

「体調は大丈夫です。では」

 

「あまり夢中にならない方がいいわよ」

 

「——え?」

 

 じっと見られているのが逆に気まずくてそそくさと立ち去ろうとした時、巫女さんに言われて振り返ると俺が持っていたリンフォンを指差して「それ、危ないから」と言われた。


 歩きながらやっていたからだろう。通学用鞄にそれをしまって謝った。

 

 巫女さんに危ないと言われたからてっきり何か危ない物なのかと思ったが、普通に考えたら確かに歩きながらこんなことしてたら危ないよな。

 

 学校に辿り着いて、授業を受けているときもずっとどういう仕掛けなのかを考え続けていた。

 

 どこをどうしたらどの部分が動くのか、どうやったら熊になるのか。そんな形の熊なのか。どんな形の熊なのかわかれば形を作るときの参考になると思ったから。熊の木堀みたいな形になるのか、または違う形なのか。

 

 ノートの隅になんとなく色んな形の熊を描き続けた。

 

 結局答えは出なかった。どれもあり得そうで、どれもありえなさそうだったからだ。

 

 休み時間は机の上にそれを置いて睨めっこもした。

 

「何、それ?」

 

「あぁ、伊集院さん。昨日知り合いから貰ったんだけど、どうもわからなくて」

 

「パズル?」

 

「そう、伊集院さんもやってみる?」

 

「……遠慮しておくわ。なんだかそれ、呪われてそうだし」

 

 俺の前の席に座っている伊集院さんは眼鏡に三つ編みで【The、委員長】みたいな彼女は本当にこのクラスの委員長で、たまに授業を抜け出してサボっている俺を叱ってくる。

 

 かと言って別に仲がいいわけでもないが、そういった経緯もあり、休み時間とかにたまにこうして話したりもするのだが、伊集院さんはなんというか、お世辞にも愛想がいいとは言いにくいため俺は苦手なのだが、愛想に関しては俺も人のことを言えた立場ではないので心の中で勝手に類友認定をしていた。

 

 友達のいない俺にとっては唯一話せる相手でもあるし、なんだか真面目キャラ故に俺のことを心配してくれているのか話してくれているのが結構嬉しかったりもする。

 

 それにしても、呪われてそうとはどういう意味なのだろうか。なんともモヤッとすることを言われた気もするが、なんだかこれを完成させなければいけない気持ちが大きく、気にしないことにして俺は完成を急いだ。


 また気が付けば俺は授業が終わっていた。と言うか放課後になっていた。

 

 朝と一緒だ。記憶が飛んでいる。それだけ熱中していたってことだろうか? 授業中は触らないようにしていたはずだが、帰る支度をしようと鞄にノートとかを入れようとした時、一冊のノートが落ちて、その衝撃でページが開かれた。

 

 開かれたページには自分で書いたのであろう、熊の形やどこを動かしたらどの部分が動くのかと言ったことがびっしりと書かれていて、ノートの横線も見えないほど、熊のイラストもわからなくなるほど。

 

 拾おうとしていた俺の手はそのノートを拒絶した。

 

 記憶がない、こんなに書き殴ったようなノートに見覚えはないからこそ感じた不気味さ。

 

 ノートを捨ててしまおうかと考えたが、捨ててしまってもよいものかわからず、拾い上げて鞄に突っ込んだ。

 

 俺は攻略する時はこういう風にノートにまとめたりするし、今日も寝不足だったため寝ぼけていただけかもしれない。リンフォンも一緒に鞄に突っ込んでいつも通り安倍の店へと足を運んだ。

 

「やぁ、あれからどうだい? いい感じかな」

 

「いや、これと言って完成はしていない」

 

「どれどれ……いやぁ、それでもたいしたもんだよ。僕はここまで出来なかったからね。やっぱりこういうのは【特異】な人間にやらせるべきだね」

 

 いつも通りの席にいつも通りコーヒーを飲む。引っ張って押して……引っ張って押して……。

 

「なんだ貴様、今日もいるのか」

 

「おーチビじゃん」

 

「誰がチビだ!——ん? 貴様何を……ゲッ、お前そんなのやってるのかよ」

 

「チビもやるか?」

 

「やるかよ!」

 

 本気で嫌そうな顔をしながら奥に引っ込んでしまった。

 

 みんな嫌がるな、これ。まぁ、普通のパズルならまだしも立体ってなると難しそうで嫌だよな。

 

 目線を手元に戻してまた作業に戻る。

 

 同じ作業の繰り返しだが、なんとなく形が出来上がっているような気がして、諦めようと思っても諦めきれない。俺がいまやっているこの時も、もうすぐ熊の半身が出来そうで、ずっと素行錯誤をしてしまう。

 

 あと少し……あと少し……。

 

「——出来た!」

 

「ちょっと君! さっきから聞いてるの?」

 

「な、なんだよ……」

 

 上半身が完成し、声を出すと安倍の顔が真横にあった。

 

 安倍によるとずっと声をかけていたらしいのだが、パズルに夢中だった俺は全然気が付かなかったらしく、眉間にしわを寄せてふてくされている。

 

「僕よりそれがいいっていうのかい」

 

 腕を組み顔をそっぽ向ける。乙女かよというツッコミはしないで心の中に留めておくことにする。

 

 ツッコミだけ言うなれば、実際の所は乙女かよだけではおさめたくはないレベルではあるんだが……。

 

 なんで乙女なんだよとか、お前は俺の彼女かとか、気持ち悪いなとか、本来ならば言いたいことはたくさんある。

 

 でも。

 

 それでも俺が言わなかったのは続きがやりたかったから。

 

 あとは下半身。

 

 下半身が完成すれば第一段階の熊が完成する。その次は鷹だ。

 

 三段階まで行けば何かがあるのだろうか、仕掛けがある箱みたいに魚を完成させると中身が出てくるとか。

 

 箱を振ってみた。

 

 音はない。中には何も入ってはいないようだ。

 

 ならばこれは知恵の輪みたいなものなのだろうか。これが完成すれば謎は解けるのか。

 

「熱中しているようだね」

 

「まぁ、そうだな。昨日は遅くまでやっていたからか、今日は寝ぼけていたが、寝てはいないようだ」

 

 パズルの下半身に手を付けようとした時、安倍から声をかけられる。

 

 まだ俺が無視したことを根に持っているのだろうか、向かいの席に座り頬杖を突きながら俺を見てくる。


 熱中しているのかと聞かれると熱中しているかもしれない。記憶が飛ぶほどに、記憶がなくなるほどに、それくらいには熱中をしているのだろう。

 

 そのせいで昨日は寝るのが遅くなってしまった。授業中に眠ると言うことはなかったとは思うところではあるが、実際はどうなんだろうか、寝ぼけくらいはしたかもしれないが先生に怒られていないことを思い返すと、やはり寝てはいなかったのだと思う。

 

 特に、最後に受けていた授業の先生に関しては居眠りにうるさい。そんな先生が何も言ってこなかったんだからあのノートも俺が寝ぼけていた。

 

「寝てないって寝ぼけてる時点で寝てるんじゃないの? 寝てるから寝ぼけるんでしょ?」

 

 何を当たり前のことを言っているんだと言わんばかりの顔で言ってくる。

 

「……そうなのか?」

 

「えー、僕に聞かれても困るよ。でも、普通はそうなんじゃないの? 辞書でも引いてみたら?」

 

 安倍に言われて考えてみると、確かに寝てないのに寝ぼけてるなんて聞いたことはないような気がしてきたな。

 

「まぁ、実際のところ伝わればどっちでもいいんじゃない?」

 

「じゃあ言うなよ」

 

「気になって夜しか眠れないってやつ?」

 

 ニッコリ笑顔で言ってきた。

 

 ニッコリ笑顔と言っても、こいつは元から嘘くさい笑顔が常時だし、表情に変化がないともいえる。そんな奴の顔を見て溜息を吐いてコーヒーを一口含んでまた手元へと目線を移す。

 

「人に向かってため息って失礼だよ? 常識ないの?」

 

「常識云々はお前にだけは言われたくない」


「僕は常識人だと言うのに……」

 

 やれやれと首を横に振っている。それは俺の方だと言うのに。

 

 まだやいやい騒いでいる安倍はほっといて、これじゃあまともにリンフォンを組み立てるのは無理だなと考えた俺は店にかけられている時計に目をやった。時計がさしている時刻は17時30分。

 

 いつもの帰る時間にしては少し早いような気はするが、いつもコーヒー一杯で居座るのも迷惑な気がして今日くらいは帰ろうか? とはいえなんだか今更な気もする。それに迷惑とも別に言われてはいない、言わなさそうな奴ならまだしも、コイツの場合笑顔で「迷惑だからそろそろ帰ってくれない?」とかいいそうだ。

 

 何も言われたいないってことは別に迷惑ってわけではないんだろうし、気にする必要なんてないか。

 

 ……でもなんだか体もだるい気がするし、今日はとりあえず帰ることにした。

 

「今日はもう帰るのかい? いつもより早いね」

 

「寝不足なんだよ。帰って寝る」

 

「そう? じゃあ気を付けて帰るんだよ。それと――あまり熱中しないようにね」

 

 帰る途中にいつものようにコンビニで弁当を買う。

 

 正直食べる気力がないと言うよりも腹が減ってはいるが食べるより先にキリのいいところまでやりたい――と思っていたはずが気が付けば深夜二時になってしまった。

 

 熊の下半身はあと少しで出来そうではあるが、さすがに寝ないとやばいか……でもあと少しと手を伸ばそうとした時、俺の意識がなくなった。

 

「ん……?」

 

 鳴り響くアラームの音を止めようと手を伸ばし時間を確認すると、時間は六時半。朝ごはんの準備をしようとまだボーっとする頭のまま階段を下りて台所に向かうと昨日コンビニで買った弁当を見つけ、昨日何も食べていないことを思い出し、椅子に座って昨日買った弁当を、テレビをつけニュースを見ながら食べる。

 

 芸能人のニュースとか、誰かが違法薬物で捕まった話、殺人犯が捕まった話、誰かが殺された話、かと思えば突然ニュースの話になり今度は今日の天気。

 

 目まぐるしく変わるニュースを読んでいるアナウンサーの情緒はどうなっているんだろうと疑問に思う。

 

 誰かが死んだニュースでは悲しそうに話しているのに、スポーツに変わったとたんにニコニコ笑顔になるアナウンサー。一度でいいからどういう心境の変化をしているのか教えてほしい。

 

 食べ終わった弁当の箱を捨てて、洗面台で顔を洗ったり、体は作業しているけれど、頭はボーっとしているような、そんなふとしたときに思う。なんでかは知らん。

 

 制服に着替えて学校に向かう。

 

 学校へ向かう途中にすれ違う友人たちと挨拶を交わしながら学校につき、普通に授業を受け昼休みになった時、見ず知らずの奴からメールが届いた。

 

『蝨ー迯??髢?縺碁幕縺上∪縺ァ縺ゅ→荳?縺、』

 

 ため息を付いていたずらメールか何かだと思い返信はせずにそのまま制服のポケットにしまった。

 

 チャイムはまだ鳴っていない。なのに——音が消えた。

 

 椅子のきしむ音も、さっきまで笑っていた連中の姿も、声も、綺麗に抜け落ちている。

 

 教室には妙な静けさが流れていた。まるで音そのものが息をひそめているような圧迫感。辺りを見渡すとさっきまで友達と話していたであろうクラスメイトがいない。

 いつの間にか教室には俺一人だけがいた。

 

 背後に気配がして振り帰ったが誰もそこにはいない。ただ、誰かが“いた”ような、線香に似た残り香が、教室の空気に残っていた。

 

 不意に手に熱を帯び、手を見るとその手には——リンフォン。立体パズルが手に乗っていた。熊の形をして。

 

 驚きでパズルを投げ捨てる。

 

 指先が痛い。手に痛みがあり掌を見ると三本の爪痕——それも獣が引っ掻いたような、そんな痕からぽた、ぽた、と落ちる赤い雫。

 

 その落ちた雫から出来た赤い水たまりが、床の木目にゆっくりと滲む。次第に足元にまでそれが日うろがるのと、頭が痛くなったのはほぼ同時だった。

 

 ……昔から時々こういうことがある。誰もいないはずの場所で気配を感じ、知らない名前を夢で聞く。街角で、見たこともない怪異と目が合う。

 

 けれど、今日のこれは——今までとは違う。

 

 投げ捨てたリンフォンが“何か”に反応している。俺はそれを拾おうとして躊躇した。

 

 さっき急に出来た爪痕。さっきまで血だまりを作るほど滴っていた痕が、幻だったかのように血が止まっている。傷跡だけを残して。

 

 それに、いつの間にか完成された“熊の形”になったパズル。俺が完成させたのは上半身だけ。完成させた覚えはない。

 

 本能が触るのを拒否している。触ってはいけないと。


 ——深く息を吸う。そこに、声が下りてきた。

 

「――目覚める時だよ、陽向くん」

 

 振り返るとそこには誰もいなかったが、その声には聞き覚えがあった。

 

 安倍の声。どうしてこんなところに安倍がいるかはわからないけれど、導かれるように近付いた席の上には紙が乗せられている。

 

 その一枚の和紙には筆文字でこう記されていた。

 

【夜の帳が下りる時、君の本質が立ち上がる。——ぬらりの血よ、目覚めよ】

 

 ぞくり、と背筋を冷たいものが這った。

 

 誰にも話したことのないはずの、安倍にも言っていない家に代々伝わる“忌まわしい言い伝え”を思い出す。

 

 ぬらりひょんの末裔——それは今までの俺にとってはただの言い伝えで、伝承でしかなった。家族も親戚も、らしいよ、くらいの軽いものだったし、何代も後の俺には妖怪の血なんてあってないようなものだろうと思っていたけれど、今は違う。

 

 リンフォンと言い、安倍の言動と言い、そしてこの手紙。すべてが俺の中に眠る何かに向けて仕組まれたものであることを悟った。

 

 俺の中に眠るこいつは今まで俺を守って来て、そして、俺がいろんなやつらに狙われて襲われる元凶でもある。

 

「お前は何を見せたいんだ、安倍……」

 

 バサバサバサ、と羽ばたく音。教室の中、窓は閉まっているのにも関わらず鮮明に聞こえてくる音。

 

 窓を見ると赤く不気味な夕暮れだったのが昼休みだったはずの、賑やかな教室になっていた。

 

 俺は不気味で触りたくないと思っていたリンフォンを拾い、鞄を持たずに教室の扉を開け飛び出す。

 

「おい濡羅吏! どうしたんだよ!?」

 

 後ろから声をかけてくる友人を無視して、急いで学校を後にした。


 

 あの時に来た神社の入り口にたどり着く。


 神社横には大きめの屋敷、安倍の家だ。


 勝手に入って、止めに来た使用人らしき人を押しのけてその木造の廊下を踏みしめながら、重たい足取りで進んだ。奥の座敷からは香ばしい茶の香りが漂い、相変わらずのんきな空気が広がっている。

 

「サボりかい? 良くないよ」


 障子の奥、天井から引っ張られているようにピンと張られた背筋に、座布団に正座をした安倍清治だった。


 俺を止められず謝っている使用人に、安倍は目くばせをすると、そそくさと去っていく。


 安倍は茶を一口含み、にこりと笑ってみせる。

 

 「良い表情だね。何かに取り憑かれたみたいだ」

 

「……あんた、最初から全部知ってたな」

 

「全部なんて、そんな。僕はただ、君がどう動くのか見たかっただけだよ」

 

 安倍は、悪びれる様子もなく言った。

 

「試したんだろ」

 

 短く笑って、俺の手からリンフォンを取り机の上に置く。

 

「……“リンフォン”、これは弟の春樹から預かったものだよ。これが本物か確かめてほしいって頼まれてね」

 

「……最初から“本物”だって分かってたくせに」

 

「うん。触った瞬間に分かったよ。でも春樹は分からなかった。あの子はカンがいいのに。それが不思議でね、だから少し預かって、君に渡したんだよ」

 

 湯呑を置き、真剣な面持ちで言ってくる。いつもの嘘くさい笑顔はそこにはなかった。

 

「君には見えるものがある。そして、君にしか“動かせない”ものがある。僕はそれを確認したかった」

「確認? 俺を試したのか」

 

 

「試すって言葉はあまり好きじゃないな。ただ……君が“本物”かどうかも、気になってたからね」

 

 俺が言葉を失っている間に、安倍は携帯電話を取り出した。数秒のコールのあと、通話が繋がる。

 

「ああ、春樹? うん、本物だったよ。間違いなくね……うん、陽向が教えてくれた。……え? 渡した? ああ、それ僕が——」

 

 突然、受話器から怒鳴り声が響く。内容は聞こえないが、感情だけは伝わってきた。

 

「うるさいなあ。今、目の前に本人いるからさ。……うん、結果的に見極めにもなったでしょ?」

 

 そう言い放ち、安倍は通話を一方的に切った。

 

「……なんなんだよ、あんた……」

 

 俺がかすれた声で言うと、さっきまでの真剣な顔はなく、いつもの調子に戻って、安倍は茶をもう一口啜りながらおどけた口調で話し始めた。

 

「ところで――リンフォンって、スペルにすると“RINFONE”なのだけれど」

 

「……は?」

 

「あぁ、アナグラムって知っているかな? 言葉を並び替えると、違う言葉になるってやつ」

 

 安倍の口調は軽い。だが、いつの間にやら開かれたその目は妙に澄んでいた。

 

「……あれ? そういえば“RINFONE”を並び替えると、“INFERNO”ってなるね?」

 

 俺の眉がぴくりと動く。

 

「“INFERNO”巨大な火災、あるいは――地獄を意味する言葉だっけ?」

 

 一瞬の沈黙。

 

 安倍は首を傾げ、にっこりと微笑んだ。

 

「偶然かな?」

 

 どこまでも無邪気に、どこまでも悪意なく、けれど背筋に氷を這わせるような“確信”を滲ませて。

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