第30話:対消滅の光。復讐の終わりと帰るべき場所
「これが、俺からお前への……最後の手向けだ」
崩壊した玉座の中心。俺の全身から噴き上がる黄金の魔力は、夜空の二つの月を覆い隠すほどの巨大な光の竜巻となって、王都の夜を真昼のように照らし出していた。
その圧倒的で神々しいまでの魔力の波動は、もはや人間の魔法使いが到達できる領域を遥かに凌駕し、文字通り「神の御業」に等しいプレッシャーを放っている。
『ギ、ギギギ……ッ!!』
【真・魔王】と化した勇者アレンが、本能的な死の恐怖から一歩後ずさった。
理性を失い、破壊衝動と魔王の瘴気に完全に支配されていたはずの彼の細胞が、目の前の男から放たれる光を前にして「これ以上敵対すれば存在そのものが消し飛ぶ」と警鐘を鳴らしていたのだ。
だが、アレンの魂の根底にへばりついている『俺が一番でなければならない』という醜く歪んだ矮小なプライドが、彼に逃走を許さなかった。
『オレハァァァァッ!! ユーシャ……エイユウダァァァァァッ!! オマエ、ナンカニィィィィッ!!』
アレンは全身の筋肉を限界まで膨張させ、自身の肉体から血が噴き出すのも構わずに、空間を歪ませるほどのドス黒い瘴気を漆黒の大剣へと収束させていく。
城の残骸が浮かび上がり、大気が悲鳴を上げる。彼が放とうとしているのは、自らの命すらも燃やし尽くして放つ、文字通り捨て身の『超極大・暗黒魔刃』だった。
もしこの一撃が放たれれば、俺の防御魔法を破れるかはともかく、その余波だけで王都の大地は深くえぐられ、数万の民衆が犠牲になるだろう。
だからこそ、俺は彼に剣を振り下ろす暇すら与えない。
「アレン。お前は最後まで、自分の身の丈というものを理解できなかったな」
俺は両手を胸の前に翳し、右の掌に『純白の光の球』を、左の掌に『漆黒の闇の球』を錬成した。
「現代物理学において、最もエネルギー変換効率が高い究極の破壊現象を知っていますか。……核融合や核分裂すら足元にも及ばない、質量が100パーセントの純粋なエネルギーへと変換される絶対的な消滅現象」
俺の言葉が、魔力に乗ってアレンの脳髄に直接響く。
「物質と、それと全く逆の性質を持つ『反物質』が衝突した時に起こる現象。……『対消滅』です」
俺は右手の光と左手の闇を、ゆっくりと近づけていく。
自然界において反物質を生成・維持することは不可能に近いが、大賢者の極限の魔力制御と法則書き換えの力をもってすれば、魔法的に「アレンの肉体と魔力の構造式と完全に『真逆』の性質を持つ反物質エネルギー」を作り出すことが可能となる。
「お前が求めた力。お前が喰らった魔王の瘴気。その全てを、お前自身の存在とぶつけて、宇宙の彼方へ還元してやろう」
『グ、ルォォォォォォォォォォォッ!!!!!』
恐怖と絶望に背中を押されるように、アレンが漆黒の大剣を俺に向けて振り下ろした。
空間が裂け、全てを飲み込む闇の刃が迫る。
だが、遅い。
俺の手の中で、光と闇が完全に融合した。
「【絶対対消滅・極光崩壊】」
俺が両手をアレンに向けて解放した瞬間。
世界から、一切の『音』が消え去った。
爆発音も、剣が空気を裂く音も、アレンの咆哮すらも。
俺の両手から放たれた、目に見えない透明な『無の波動』がアレンの放った漆黒の剣閃に触れた瞬間、剣閃は文字通り「無かったこと」のように空間から削り取られ、消滅した。
そして、波動はそのままアレンの巨大な肉体へと到達した。
『――――ッ!?』
声にならない絶叫。
アレンの肉体を構成する物質と、俺の魔法が生成した反物質が衝突し、光の粒子となって凄まじい勢いで分解されていく。
肉体が、鎧が、魔王の心臓が、足元からボロボロと光の砂のように崩れ去っていく。
そこに熱はない。痛みすらないのかもしれない。ただ自らの存在が、この宇宙から完全に削除されていくという『絶対的な無』への過程だけが進行する。
光に包まれながら崩壊していく中、アレンの狂気に濁っていた赤い双眸が、一瞬だけ、かつての人間の、澄んだ色を取り戻したように見えた。
『……あ……あぁ……』
アレンの口の動きが、スローモーションのように俺の目に映る。
彼が死の瞬間に見たものは何だったのだろうか。
魔王を倒し、世界中から賞賛された輝かしい凱旋の光景か。
それとも、名もなき村を出発し、俺たちと一緒に焚き火を囲んで夢を語り合った、冒険の始まりの夜の記憶か。
もし彼が、その矮小なプライドと嫉妬を捨てて、俺と素直に背中を預け合う「真の仲間」であり続けてくれたなら。こんな残酷な結末を迎えることなく、共に英雄として笑い合える未来もあったのかもしれない。
だが、彼自身がその選択を放棄し、俺の背中に剣を突き立てたのだ。
こぼれた水は、二度と元には戻らない。
『……すま、なかっ……』
最後に彼がそう呟いたような気がしたが、その言葉が俺の耳に届く前に、アレンの頭部までが光の粒子に包まれた。
パァァァァァァァァァァァァァンッ…………!!!
最後に、王都の夜空を白夜のように照らし出す、美しくも恐ろしい極光が炸裂した。
そして光が収束した後。
崩壊した玉座の間には、勇者アレンの姿も、魔王の瘴気も、何一つ残っていなかった。
チリ一つ、血の一滴すら残さず、彼はこの世界から完全に『消滅』したのだ。
「…………終わったな」
俺はゆっくりと両手を下ろし、長く、深い息を吐き出した。
静寂が戻った王城。頭上には、赤と青の二つの月が、何事もなかったかのように静かに輝いている。
錬金術師ザンク。暗殺者ゲイル。白魔術師セリアと神官ロイド。
そして、竜騎士、拳闘士、黒魔術師、剣聖、精霊使い……最後に、真の実行犯であった勇者アレン。
あの日、俺の命を奪い、俺から全てを奪い取ろうとした裏切り者たちは、これをもって一人残らず社会的に抹殺され、あるいは物理的に消滅した。
「……転生したばかりの頃は、ただ殺された怒りと屈辱だけで、連中を八つ裂きにしてやると息巻いていたものだがな」
俺は夜空を見上げ、苦笑交じりに独り言をこぼした。
現代日本で58歳の末期ガン患者として目覚めたあの瞬間、俺の胸を満たしていたのは激しい憎悪だった。
だが、現代日本という全く別の世界で新たな人生をスタートさせ、美味しいものを食べ、ビジネスでの駆け引きを楽しみ、そして何より、結衣というかけがえのない存在に出会ったことで……俺の心は、すっかり毒気を抜かれていたらしい。
異世界での復讐は、いつしか俺の人生の『目的』から、新しい人生を晴れやかに歩むための『過去の清算(大掃除)』へと変わっていたのだ。
彼らを追い詰める時も、憎しみに我を忘れることはなく、どこか「不祥事を起こした会社を監査する」ような、どこか冷めた目線を持っていた自分がいた。
「……それでも。少しだけ、苦いものは残るな」
俺はアレンが消え去った空間を見つめ、目を伏せた。
かつて共に笑い、背中を預け合い、命を懸けて魔王を倒した仲間たち。
彼らが権力や驕りに目を眩ませることなく、真っ直ぐな心を持ち続けていれば、俺が彼らをこの手で裁く必要などなかったのだ。
一つの長い物語を自らの手で終わらせたことに対する、ほんのわずかな哀愁と、虚しさ。
だが、その後味が俺の心に長く居座ることはなかった。
コトッ。
俺の胸ポケットにあるスマートフォンが、小さく鳴った。
結衣との魔力のパスが繋がっている証。彼女が、現代日本で俺の帰りを今か今かと待ちわびているのだ。
「……帰ろう。俺の、本当の居場所へ」
感傷はここまでだ。
俺は踵を返し、玉座の間を後にしようとした。
だが、その前に一つだけやっておかなければならない事後処理があった。
俺はアイテムボックスから数枚の羊皮紙を取り出し、魔法のペンを走らせる。
書いたのは、かつての仲間たちが裏で行っていた悪事の全ての証拠の隠し場所と、王国の腐敗の全容。そして、第二王子が黒幕であったという事実だ。
さらに、王国軍を無力化させたのは大賢者の「幻影」であり、大賢者はすでにこの世界から完全に去ったという『嘘』を記しておく。
「これを、あのアレンの暴走にも最後まで立ち向かおうとしていた、あの正義感の強い騎士団長のデスクに転送しておけばいいだろう」
あとは、生き残ったまともな貴族と騎士団が、この王国を正しい方向へ立て直してくれるはずだ。俺が神のように君臨して統治する気など毛頭ない。この世界の未来は、この世界の住人たちが自分たちの手で切り拓くべきなのだから。
羊皮紙を【物質転送】で送り届けた後、俺は再び夜空の二つの月を見上げた。
「さらばだ、グランツヴァル。俺の故郷であり、俺の墓場となった世界よ。……もう、俺がお前に縛られることはない」
俺は右手を前に突き出し、空間の座標を――俺の最愛の人が待つ、東京のタワーマンションの寝室へと指定した。
「【次元跳躍】」
空間がガラスのようにひび割れ、眩い光の扉が出現する。
その扉の向こうからは、フローラルな柔軟剤の香りと、温かなエアコンの風が漏れ出してきた。
俺は一歩、光の中へと足を踏み出す。
過去の因縁を全て精算し、重い荷物を下ろした大賢者の魂は、一切の迷いなく、愛する結衣の待つ現代日本へと帰還を果たしたのだった。




