第26話:究極の闇とホーキング放射。大賢者の完全論破
ゴオォォォォォォォォォォォォッ!!!!!
王都の城壁の上空に浮かぶ、光すらも逃さぬ漆黒の球体。
【虚無の深淵】と呼ばれるその禁忌の魔法は、凄まじい引力で周囲の石畳、瓦礫、そして大気そのものを際限なく呑み込んでいた。
「ふはははは! 見ろ、賢者! 全てが闇に還っていく! この絶対の引力から逃れる術など、この世のどこにも存在しないのだ!!」
自らの左腕から流れる大量の血と寿命を代償にしながら、黒魔術師モルガンは狂気の高笑いを上げていた。
だが、その視線の先。
吹き荒れる暴風と、空間そのものが削り取られていく地獄の中心で、俺は【絶対重力固定】の魔法によって一ミリも動くことなく、退屈そうに漆黒の球体を見上げていた。
「絶対の引力、絶対の暗黒……か。魔力に溺れた人間が考えそうな、実にありきたりな妄想ですね」
俺は暴風の中でもブレることのない、氷のように冷たい声で言い放った。
「教えてあげましょう、モルガン。お前が『光すら逃れられない究極の闇』だと信じて疑わないその現象は……現代宇宙物理学の観点から言えば、エネルギーを放出してやがて『蒸発』する、極めて不安定な存在に過ぎないということを」
「……なに?」
モルガンの狂笑がピタリと止まり、訝しげに眉をひそめた。
「蒸発だと……? 馬鹿なことを言うな! この虚無の深淵は、周囲の物質を喰らって無限に成長し続ける絶対の闇だ! エネルギーを放出するなど、あり得るはずがない!!」
「それが、真理の探求を放棄し、目先の破壊力に逃げたお前の『底の浅さ』だと言っているんです」
俺は右手を真っ直ぐに上空のブラックホールへと向けた。
「事象の地平面の境界では、極小の空間で常に『対生成』と『対消滅』が繰り返されている。片方の粒子がブラックホールに吸い込まれれば、もう片方の粒子は外へ向かって放射される。……現代日本では、これを『ホーキング放射』と呼びます。……まあ、今のお前に理解できるとは思いませんがね」
モルガンは完全に理解不能といった顔で呆然としていたが、俺は構わずに大賢者の魔力を指先に極限まで収束させた。
自然界において、ブラックホールがホーキング放射によって蒸発するには、宇宙の寿命よりもはるかに長い途方もない時間が必要となる。
だが、ここは魔法が存在する異世界であり、相手は俺の計算でどうとでもなる「魔力で作られた疑似的なブラックホール」に過ぎない。
「俺がこれからするのは、その放射プロセスを魔力で『数千億倍』に加速させることです」
俺の瞳の奥で、現代宇宙物理学の数式と、規格外の魔力構造式が、冷酷なまでに緻密にリンクした。
「【事象地平・強制蒸発】ッ!!」
俺の指先から放たれた目に見えない『量子の干渉波』が、上空のブラックホールを直撃した。
「なっ……!? な、なんだこれは!? 私の、私の深淵が……光っているだと!?」
モルガンが絶叫した。
彼が絶対に光を逃さないと豪語していた漆黒の球体の表面が、突如として白く眩い光(熱放射)を放ち始めたのだ。
俺の魔法によって量子ゆらぎが強制的に増幅され、ブラックホールが飲み込む質量よりも、外へ向かって放出されるエネルギーの方が圧倒的に上回った結果である。
シュゥゥゥゥゥゥゥゥ……ッ!!
凄まじい勢いでエネルギーを空中に放射しながら、ブラックホールはまるで熱した鉄板に落ちた水滴のように、見る見るうちに縮小していく。
「や、やめろ……! 私の命を削って生み出した究極の魔法が……! 嘘だ、嘘だァァァッ!!」
モルガンが自身の左腕の傷口をさらに抉り、無理やり血と魔力を注ぎ込もうとする。
だが、大賢者の強制蒸発のプロセスを止めることなど、彼程度の魔力では不可能だった。
ポンッ。
数秒後。
最後はシャボン玉が割れるような間の抜けた音を立てて、モルガンが生涯を懸けて生み出した究極の闇は、空中に微かな熱の陽炎だけを残して、完全に消滅してしまった。
「あ……あぁ……。私、の……闇が……」
上空には、再び平穏な青空が広がっていた。
暴風は止み、吸い込まれていた瓦礫がバラバラと地面に落ちてくる。
モルガンは手にしていた髑髏の杖を取り落とし、膝から崩れ落ちた。
彼の髪は、命を削った代償で真っ白に染まり、顔には深いシワが刻まれ、一瞬にして老人のように干からびていた。
「……理解できましたか、モルガン」
俺は【絶対重力固定】を解除し、ゆっくりと空中に浮かび上がって、城壁の上のモルガンの目の前へと降り立った。
「お前が絶対の闇だと信じていたものは、少し物理法則をいじるだけで容易く消え去る、ただの不完全な質量の塊に過ぎなかった。……お前の魔法理論は、根本から間違っていたんですよ」
「ち、違う……! 私の魔法は、世界最強の……! お前なんかよりも、ずっと……!!」
モルガンは枯れ木のような手で頭を抱え、うわ言のように繰り返した。
かつては、俺と夜通しで純粋な魔法理論を語り合ったこともある、本物の天才だった男。
だが、大賢者という規格外の存在に劣等感を抱き、真理の追究から逃げ出し、「威力と恐怖」だけの闇魔法に縋った彼の末路がこれだ。
「最強? 笑わせるな」
俺は冷酷な声で、モルガンの魔法使いとしてのプライドを完膚なきまでにへし折る「最後の真実」を突きつけた。
「モルガン。お前がなぜ、魔王討伐の旅で自爆せずに『黒魔術師』として生き残れたか、教えてやろう」
「ヒィッ……!」
「お前が好んで使う闇魔法は、ただ威力を追求するあまり術式が常に不安定で、いつ術者自身を飲み込んでもおかしくない欠陥品ばかりだった。だから俺が、お前が魔法を放つたびに、背後から【魔力制御】と【事象の安定化】の補助魔法を常時かけ続けていたんだよ」
俺の言葉に、モルガンの干からびた顔が恐怖と絶望に歪む。
「な、なぜ……お前が、それを……」
「今回、お前が放った禁忌の魔法も同じだ。もし俺が消滅させなければ、あのブラックホールは数秒後にはお前の制御を離れ、お前自身を真っ先に飲み込んで消し去っていた。……お前の魔法の才能など、俺のサポートがなければ自爆を待つだけの三流の欠陥品だ」
「あ、アァァァ……ッ!!」
自分が「世界最高の魔法使い」だと信じていた驕り。大賢者を見下し、自分こそが真の魔法の探求者だと信じていたプライド。
それが全て、俺という絶対的な強者の手のひらの上で、ただ生かされていたに過ぎなかったという屈辱。
そして、生涯を懸けた究極の魔法が、「物理法則」という理解不能な理屈であっさりと否定された絶望。
「あ、あああ……嫌だ……。私は、私は最強の魔術師だ……! 誰よりも、賢者よりも……!!」
モルガンは自身の白い髪を掻きむしり、発狂したように叫びながら、俺から逃げるように後ずさりをした。
だが、俺は右手の人差し指を彼の方へ向け、静かに下に振り下ろした。
「【重力支配】」
「ガハァッ!?」
モルガンの干からびた体が、見えない巨大な力で城壁の石の床に激しく叩きつけられた。
すでに命の大半を削り取られている彼には、その重圧に抗うだけの力は残っていない。
「俺の帰る場所を脅かした罪。……命を削った程度で許されると思うなよ、モルガン」
俺は這いつくばるモルガンを見下ろし、冷徹に言い放った。
これで、俺に敵対した武闘派の英雄たちは完全に無力化された。
竜騎士バルトは空の彼方へ消え、拳闘士ガルドは腕を粉砕されて気絶し、剣聖ライオネルは剣を折られて心を砕かれ、そして黒魔術師モルガンは究極の魔法を否定されて床に突っ伏している。
俺は周囲を見渡した。
城壁の上には、あまりの恐怖に腰を抜かし、ガタガタと震えながら座り込んでいる【精霊使い】エリスの姿があるだけだった。
だが、俺の最大の標的である男の姿は、すでにそこにはなかった。
「……自分だけが助かるために、仲間を見捨てて一人で逃げ出しましたか」
俺は城壁の上から王城の内部へと続く、巨大な扉の方へと目を向けた。
かつて光の剣を掲げ、民衆から魔王を討ち果たした「世界でただ一人の真の英雄」として崇められている男。
そして、5年前のあの日。俺の背中に剣を突き立てた、『真の実行犯』である勇者アレン。
彼を追わなければならない。
黒魔術師モルガンが地に這いつくばり、完全に無力化された城壁の上。
俺は一人無様に逃げ出した勇者アレンを追うため、王城の内部へと続く扉に向かって背を向けた。
だが、その背中に向けて、甲高い絶叫が響き渡った。




