第13話:手料理のハンバーグと、異世界からの極上のお土産
「いただきます」
ダイニングテーブルに向かい合い、俺は目の前に置かれたハンバーグに箸を入れた。
箸先から伝わるふっくらとした感触。割れた断面から、キラキラと輝く肉汁がデミグラスソースの海へと溢れ出す。
それを一口大に切り分け、フーフーと軽く息を吹きかけてから口へと運んだ。
「…………っ」
瞬間、口の中いっぱいに広がる暴力的なまでの旨味。
合い挽き肉のジューシーな脂の甘みと、炒められた玉ねぎの香ばしさ。そして、赤ワインを隠し味に使っているであろう濃厚でコクのあるデミグラスソースが、完璧なハーモニーを奏でている。
「……美味しい。本当に、信じられないくらい美味しいです」
「ふふっ、よかった! 宗くん……ううん、冴島さん、三日も向こうの世界でちゃんとしたもの食べてないんじゃないかと思って、気合入れて作ったんだから」
エプロン姿の結衣が、向かいの席で両頬に手を当てて嬉しそうに微笑んでいる。
「ええ。向こうでは野営しながら、携帯食料の干し肉や木の実ばかりかじっていましたから。こんなに温かくて美味しい食事は、いつ以来か思い出せないほどです」
それは決して大げさな表現ではなかった。
前世である58歳の『冴島宗一』として生きていた頃、俺は天涯孤独の身だった。仕事に追われ、深夜に帰宅しては冷めたコンビニ弁当やスーパーの惣菜を無味乾燥に腹に詰め込むだけの毎日。誰かと食卓を囲むことなど、年に数回の会社の飲み会くらいしかなかったのだ。
そして異世界で『大賢者』として生きていた頃も、俺は魔法の研究に没頭するあまり、食事は魔力で空腹を紛らわせるか、手軽な携行食で済ませることが多かった。
だからこそ、今のこの時間が、俺にとっては奇跡のように思える。
深夜の温かいダイニングで、自分の帰りを待ってくれていた最愛の人が手作りしてくれた、湯気を立てるハンバーグ。
一口噛み締めるごとに、冷え切っていた魂の芯まで温かい愛情が染み渡っていくのを感じる。
「……本当に、美味しい。生きて帰ってきてよかったと、心から思えます」
「もう、大げさなんだから。……でも、嬉しいな」
俺があっという間にハンバーグを平らげ、付け合わせのブロッコリーや豚汁まで完食すると、結衣はニコニコしながら空になったお皿を片付けてくれた。
「お茶、淹れるね。あ、宗くんは食後だから『白湯』がいい?」
「俺をおじいちゃん扱いするのはやめてください。今日はコーヒーの気分です」
「ふふっ、はーい」
結衣がキッチンでコーヒーメーカーのスイッチを入れる音と、豆の香ばしい匂いが漂ってくる。
俺はソファに深く腰掛け、完全にリラックスしてその心地よい空間の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「そういえば結衣。俺が留守の間、会社の方はどうでしたか?」
「うん、バッチリだよ! 冴島さんが残してくれた指示書と、あの凄いAI(疑似人格プログラム)のおかげで、御門グループの残務処理も完璧に進んでるよ。第二営業部の武田部長も、すっかり大人しくなっちゃって」
コーヒーの入ったマグカップを二つ持って、結衣が俺の隣にちょこんと座る。
肩と肩が触れ合う距離。彼女のシャンプーの甘い香りが、コーヒーの香りに混じって鼻腔をくすぐった。
「あなたに任せて正解でした。これで、日本の表のビジネスも、俺のファンドが完全に掌握したと言っていいでしょう」
「でも、私がやってるのはただのハンコ押しと連絡係みたいなものだよ。冴島さんの事前の準備が凄すぎるんだもん」
結衣は謙遜して笑うが、俺が残した大賢者の異常な情報処理システムを使いこなし、あの若さで大企業の重役たちを相手に堂々と渡り合っているのだ。彼女のビジネスパーソンとしてのポテンシャルは計り知れない。
「それで……向こうの世界のことは、どうだった? 怪我とか、本当にない?」
「ええ。計画通り、裏切り者たちを二人、社会的に完全に抹殺してきました」
俺が淡々と告げると、結衣はホッとしたように息を吐いた。
彼女は俺が「復讐」のために異世界へ行ったことを知っている。だが、俺は結衣のその優しい心を傷つけたくないため、異世界で俺がしてきた残虐な追い詰め方や、敵の無様な命乞いの詳細までは語らないと決めていた。
「俺の力なら、傷一つ負うことなく全てを終わらせることができます。だから、心配しないでください」
「うん。信じてる」
結衣は俺の肩にコテンと頭を預けてきた。
その温もりに身を任せながら、俺はふと思い出したように声を上げた。
「そうだ。あなたに、お土産があるんです」
「お土産? 異世界の?」
結衣が顔を上げ、目を丸くする。
俺は虚空に【空間収納】の漆黒の穴を開き、そこに手を入れて「二つのもの」を取り出した。
「一つ目は、これです」
俺がテーブルの上に置いたのは、大人の拳ほどの大きさがある、淡い黄金色の光を放つ果実だった。
リンゴのような形をしているが、皮は水晶のように半透明で、中から溢れ出すような甘く芳醇な香りがリビングいっぱいに広がった。
「わぁ……綺麗。なにこれ、果物?」
「『星雫の林檎』です。グランツヴァルの魔の森の深奥にしか自生しない、超希少な果実でしてね。一つで金貨百枚(現代の価値で数千万円)は下らない代物です」
「す、すんぜんまんえん!?」
結衣がビクッと肩を震わせて果実から距離を取った。
「気にせず食べてみてください。現代の果物とは次元が違いますから」
「ええっと……じゃあ、一口だけ……」
俺が魔法で皮をスルスルと剥いて一口大に切り分け、フォークで刺して渡す。
結衣は恐る恐るそれを口に運び、小さく咀嚼した。
「――っ!?」
瞬間、結衣の目がこれ以上ないほどに見開かれた。
「な、なにこれ……! 甘い! すごく甘いのに、全然しつこくなくて、口の中で溶けちゃった! ジュースみたいに果汁が溢れて……美味しい!!」
「それは良かったです。……それに、ただ美味しいだけじゃありませんよ」
「え……? わっ、なんだか体が、すごくポカポカしてきた……。それに……」
結衣は驚いたように自分の頬に手を当てた。
星雫の林檎には、大気中の高純度な魔力がたっぷりと蓄えられている。それを摂取したことで、結衣の細胞が活性化し、新陳代謝が極限まで高まっているのだ。
数日前から徹夜気味で俺の帰りを待っていた彼女の目の下のクマは一瞬で消え去り、肌はまるで真珠のように透き通るようなツヤとハリを取り戻していた。
「すごい……疲れが全部吹き飛んじゃった。お肌も、高級エステに十回通った後みたいにぷるぷる……! 異世界のフルーツ、恐るべしだね……!」
「絶世の美女が、さらに美しくなってしまいましたね」
「も、もうっ! さらっとそういうこと言う!」
顔を真っ赤にして照れる結衣を見て、俺は思わず声を出して笑った。
異世界の血生臭い道具も、現代に持ち込めば極上のスイーツや美容品に早変わりする。これもデュアルライフの醍醐味だ。
「そして、もう一つ。……こちらが本命のお土産です」
俺はスーツのポケットから、黒いベルベットの小箱を取り出した。
結衣がゴクリと息を呑むのがわかる。
箱を開けると、そこには銀色の繊細なチェーンに彩られた、涙型の蒼い宝石のネックレスが収められていた。
「わぁ……すっごく、綺麗。ダイヤモンド? ううん、サファイア……?」
「地球には存在しない鉱物です。『最高純度のミスリル』の台座に、魔の森の地下深くで採掘した『蒼の精霊石』を埋め込みました。俺が昨日、少し空き時間を利用して手作りしたものです」
「えっ、冴島さんの手作り!?」
大賢者の精密な魔力操作をもってすれば、宝石の研磨や彫金など、数分で完璧に仕上げることができる。
「少し、失礼します」
俺はソファの横に移動し、結衣の背後に回って、その白く細い首筋にそっとネックレスをかけた。
留め金を外す時、俺の指先が彼女のうなじに触れ、結衣がビクッと肩を震わせる。
至近距離で感じる彼女の体温と香りに、俺(おじさんの魂)の心臓が警鐘を鳴らすほどの早鐘を打っていたが、必死に平静を装った。
「……よく似合っています。蒼い石が、あなたの白い肌に映える」
「ありがとう……。でも、こんなに凄いもの、本当にもらっていいの?」
結衣は胸元の精霊石にそっと触れながら、少し不安そうに見上げてきた。
俺は彼女の隣に戻り、真っ直ぐにその目を見つめ返した。
「ただのアクセサリーではありません。その精霊石には、大賢者である俺の魔力を極限まで圧縮した【絶対守護】と【状態異常無効】の魔法陣が何重にも刻み込まれています」
「えっ?」
「それを身につけている限り、弾丸だろうが、ダンプカーの衝突だろうが、陰陽師の呪いだろうが……あらゆる物理・魔法の脅威から、あなたは完全に守られます。毒や病気にもかかりません」
俺が異世界で復讐に没頭している間、現代日本で彼女が絶対に安全であるという確証。
マンションの防衛結界だけでなく、彼女自身を歩く要塞にするための、俺からの最高峰のプレゼントだった。
「俺がそばにいない時でも、あなたが絶対に傷つかないように。……俺の『帰る場所』が、永遠に失われないように。俺の我が儘です。受け取ってくれますか?」
少し照れくさくて、昭和の男のように回りくどい言い方になってしまったかもしれない。
だが、結衣はその言葉の裏にある俺の切実な想いを、しっかりと受け止めてくれた。
「……うん。絶対に外さない。お風呂の時も、寝る時も、ずっと身につけてる」
結衣は涙ぐんだ笑顔でそう言うと、俺の首に腕を回し、ギュッと抱きついてきた。
俺も彼女の背中に腕を回し、その柔らかく温かい体を強く抱きしめ返す。
「本当に、帰ってきてくれてよかった。冴島さんがいないと、私、やっぱりダメみたい」
「俺もです。この温もりがなければ……俺はとっくに人の心を失ったバケモノになっていたかもしれない」
胸の奥にこびりついていた異世界のドロドロとした暗い感情が、彼女の存在によって完全に洗い流され、浄化されていくのがわかる。
今夜は、血生臭い復讐のことも、かつての仲間たちのことも全て忘れよう。
俺はただ、俺を待っていてくれた最愛の女性との、この甘く幸福な時間に身を委ね、心身の全てを癒やすのだった。




