第11話:20代エリートとして再入社。結衣の揺れる乙女心
翌日の朝。オフィスは始業前から、かつてないほどの騒然とした空気に包まれていた。
それもそのはずだ。長年フロアでふんぞり返っていた課長が突如として荷物をまとめて姿を消し、さらに豪徳寺不動産の社長辞任という特大のニュースが飛び込んできた直後なのだ。
そんなざわめきの中、定刻通りに朝礼が始まると、顔を強張らせた部長からさらに驚くべき発表が行われた。
「えー、皆も色々と聞いているとは思うが……急な話で申し訳ない。昨日付けでプロジェクトリーダーに就任した冴島宗一くんだが、持病の再発により、急遽海外の専門機関で長期療養に入ることになった」
「ええっ!? 冴島さんが!?」
「そんな、急すぎませんか……!」
フロアにどよめきが走る。特に、昨日まで俺と共に行動していた結衣は、信じられないというように両手で口元を覆い、大きな瞳を揺らしていた。
「静粛に。そこで、彼が担当していた重要プロジェクトだが……彼自身の極めて強い推薦、および役員会の特例承認により、彼の甥っ子である新任の担当者がプロジェクトごと引き継ぐことになった。入ってきてくれ」
部長の紹介を受け、俺は静かにオフィスの扉を開け、堂々とした足取りで皆の前に進み出た。
身に纏っているのは、昨晩のうちに魔法で採寸し、電子データと資産を操作して用意したイタリア製の最高級オーダースーツ。鍛え上げられた二十代の長身によく似合い、隙のないシルエットを描いている。
「皆様、初めまして。叔父の宗一から引き継ぎを受けてまいりました、冴島宗と申します。年齢は26歳です。若輩者ではありますが、叔父の意志を継ぎ、全身全霊で業務にあたらせていただきます」
俺がよく響く落ち着いた声で挨拶し、爽やかな笑顔とともに一礼すると、社内の空気が一瞬にして凍りついた後――爆発した。
「うそ、超イケメン……! モデルさん!?」
「確かに目元とかはおじさんの冴島さんに面影あるけど、背が高くてシュッとしてて……オーラが全然違う!」
「冴島さんの家系って、あんな美形の血筋だったのか……?」
女性社員たちが頬を染めてざわめき、男性社員たちもその堂々たる佇まいと洗練された空気に気圧され、驚きの声を上げている。
そんな喧騒を余所に、俺はフロアの隅にある自分のデスク――つい昨日まで「窓際族のおじさん」として座っていた席――に腰を下ろし、隣で呆然としている結衣に優しく声をかけた。
「改めてよろしくお願いしますね、結衣先輩。叔父から、あなたが非常に優秀で、信頼できるアシスタントだと聞いています。社歴では先輩になりますから、どうか敬語はなしで指導してください」
「ひゃ、はいっ! よ、よろしくお願いします、宗くん……って、ええと、宗さん……!」
結衣はドギマギと視線を泳がせ、ガチガチに緊張した様子で深く頭を下げた。昨晩駐車場で助けた時よりも、明るいオフィスの照明の下で見る俺の姿に、ひどく動揺しているらしい。
それから数日。
俺は「若きエリート・冴島宗」として、圧倒的な速度で業務をこなしていった。
大賢者の【思考加速】と【超並列思考】を駆使し、複雑な市場データや膨大な契約書を瞬時に解析。最適解を次々と導き出し、停滞していたプロジェクトを信じられないスピードで前進させていく。
結衣もまた、俺の右腕(専属アシスタント)として見事な働きを見せていた。
以前のパワハラ課長の下では萎縮していた彼女だが、本来は非常に頭の回転が速く、実務能力の高い女性だったのだ。俺が魔法的な思考速度で出す指示の意図を正確に汲み取り、先回りして資料を整えてくれる。
「宗くん、この新規ルートの資料のまとめ、終わりました! 先方の担当者にもアポ取り済みです」
「完璧です。さすが結衣先輩、俺が欲しいデータを完全に理解してくれている。本当に頼りになりますよ」
「えへへ……そんなことないですよ。宗くんの指示が的確だから、私が動きやすいだけで……」
夕日に照らされたオフィスで、結衣は嬉しそうにはにかんで微笑んだ。
しかし、ふとパソコンの画面から視線を外し、窓の外へ目を向けた彼女の横顔に、ふっと寂しそうな影が落ちるのを俺は見逃さなかった。
(……宗くん、本当にすごいな。顔も仕事の仕方も、どこか冴島さんにそっくり。一緒にいて、たまにすごくドキドキしちゃうけど……でも……)
俺の意思とは無関係に、高位の魔法使いのパッシブスキルとも言える【読心】の魔法が、彼女の漏れ出る無意識の思考を拾い上げてしまう。
(……でも、私はやっぱり、あの不器用で、窓際族で……それでも、私がピンチの時には絶対に助けてくれた、あの『おじさん』の冴島さんに会いたいな……。病気、大丈夫なのかな……)
彼女の脳裏に浮かんでいるのは、病み上がりで白髪混じりだった頃の、50代の俺の姿だった。
20代の容姿端麗なエリートである「宗」に心惹かれつつも、彼女の心の奥底には、自分を理不尽から救い出してくれた「宗一おじさん」への深く純粋な敬慕の念が、決して消えることなく根付いていたのだ。
(……律儀な子だな。俺自身としては嬉しくもあるが、なんだか自分が自分で恋のライバルになっているようで、複雑な気分だ)
彼女の健気な思考が伝わってくるたび、俺は少しばかりの罪悪感を覚えつつも、「どちらも俺なんだけどな」と内心で苦笑するしかなかった。
大賢者として魔王すら討ち果たした俺だが、どうやら現代日本の「乙女心」という不可思議な魔法は、一筋縄では解明できそうにない。




