第1話:大賢者の死と、見知らぬ白い天井
「おおおおおっ! 魔王が、魔王がついに討ち取られたぞ!!」
「勇者様万歳! 大賢者様万歳!!」
王宮の広場は、鼓膜を揺るがすほどの地鳴りのような歓声に包まれていた。
長い間、世界を重く覆っていた分厚い暗雲は完全に晴れ渡り、澄み切った青空から温かな陽光が王都の白亜の街並みを美しく照らし出している。空には平和の象徴である白鳩が舞い、石畳の道には色とりどりの花びらが降り注いでいた。
俺たち十一人のパーティは、数え切れないほどの苦難と死線を乗り越え、ついに魔王を討伐し、王都へと凱旋を果たしたのだ。
勇者、剣聖、白魔術師、黒魔術師、拳闘士――皆、世界に名を轟かせる最強にして最高の仲間たちである。共に血を流し、時には背中を預け合い、数多の魔物たちを打ち倒してきた。そして、全ての魔法の深淵を覗き、極めた『大賢者』である俺の力もまた、この魔王討伐という偉業には不可欠だったと自負している。
「終わったな……。これで世界に平和が戻る」
広場の豪奢なバルコニーから、歓喜の涙を流して抱き合う民衆たちを見下ろし、俺は深く安堵の息を吐いた。長きにわたる戦乱の世は、今日、この瞬間をもって終結したのだ。俺たちの戦いは決して無駄ではなかった。
だが――その安寧の瞬間は、唐突に、そしてあまりにも理不尽に破られた。
ズブゥッ!!
「……え?」
背中に、焼け火箸を押し当てられたような、かつて経験したことのないほどの強烈な激痛が走った。
視線を落とした俺の瞳に映ったのは、自分の胸の真ん中から突き出している、赤く染まった剣の切っ先だった。見慣れた、しかし今は俺の血で濡れたその刃に、一瞬、思考が完全に停止する。
「な、ぜ……」
掠れた声が喉から漏れる。痛みに耐えかねて背後を振り返ろうとしたが、全身から急速に力が抜け落ち、糸の切れた傀儡のように膝から崩れ落ちてしまった。
大理石の床に広がる自身の血溜まりを見つめながら、薄れゆく意識の中で、俺の耳は確かに捉えていた。
背後から聞こえる、「仲間」の誰かの、冷酷で嘲るような笑い声を。
(馬鹿な……十年に及ぶ過酷な旅を共にした仲間の中に、俺を殺そうとする裏切り者がいたというのか……!?)
誰だ。一体誰が俺を刺した?
正義感に溢れていた勇者か? 剣の道を極めんとしていた剣聖か? 慈愛に満ちた白魔術師か?
それとも――。
必死に思考を巡らせるが、答えは出ない。ただ、冷たい絶望と怒りだけが胸の奥底から湧き上がってくる。
視界の端から徐々に黒く塗りつぶされていく。命の灯火が今まさに吹き消されようとしているのがわかった。
だが、俺は全ての魔法を極めた大賢者だ。こんなところで、理由もわからずただ無様に死ぬつもりは毛頭ない。
俺は残された最後の魔力を一滴残らず振り絞り、自身の魂の奥底に刻み込んでいた禁忌の魔法『転生の秘術』の術式を強制的に起動させた。
(次に目覚めた時……必ず、俺を殺した裏切り者を見つけ出し、その真意を暴いて報いを受けさせてやる……ッ!)
それが、大賢者としての俺の最後の記憶だった。
◇ ◇ ◇
「……っう……」
次に意識が浮上した時、真っ先に感じたのは、鼻をつくような強烈な薬品の匂いだった。
重い瞼をゆっくりと持ち上げると、そこには見慣れた王城の豪奢な天井画ではなく、無機質で清潔な「見知らぬ白い天井」が広がっていた。
「ここは……王宮の治療室か? いや、違うな」
周囲を見渡そうと身じろぎした瞬間、全身を鉛のような怠さと、鈍い痛みが駆け巡った。
視線を動かすと、俺の腕や胸には透明な管――チューブ――が何本も複雑に繋がれており、傍らには「ピッ、ピッ」と規則的な電子音を鳴らす、奇妙な箱型の魔導具が明滅している。
未知の文字と緑色の光の波形が映し出されるその装置からは、魔力の波動が一切感じられない。魔法ではなく、全く別の理で作られたもののようだ。
(それにしても、俺の魔力が……異常なほどに少ない。枯渇寸前ではないか。それに、なんだこの老いぼれて脆弱な肉体は……?)
自分の手元を見て、俺は驚愕に息を呑んだ。
そこにあるのは、魔力に満ち溢れ、過酷な旅に耐え抜いた大賢者の屈強な肉体ではない。深いシワが刻まれ、筋肉は削げ落ち、まるで骨と皮だけになったかのように痩せ細った腕だった。
俺が編み出した『転生の秘術』は間違いなく成功した。それは魂の繋がりが証明している。
だが、ここは俺が知る世界ではない。そして俺は一体、誰の体に転生してしまったというのだ?
激しく混乱する思考を深呼吸で強引に落ち着かせると、俺は脳内の深層に微かに残っている『元の肉体の持ち主の記憶』にアクセスし、魔法による情報解析を開始した。
「……なるほど。この世界は『地球』の『日本』という国か。そして、この肉体の持ち主は――冴島宗一。年齢は……58歳」
それは、異世界で散った大賢者が、見知らぬ現代社会で目覚めた瞬間だった。




