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3-41:静かな誓い

 アルテットは、ようやく中央ラボ目前まで辿り着いた。

 何度か、生き残りのζ型に追われたが、彼女は一度も振り返らなかった。

 振り払う。撒く。避ける。

 戦うことすら“選ばない”と決めて、ただ進み続けた。


「……もうすぐだ」


 腕の中のエレメイは、何も応えない。

 分かっている。

 それでも、声をかけずにはいられなかった。

 重厚な扉は、奇跡的に無傷だった。

 中にはレミナとテルルがいるはず――

 そう思った瞬間、別の可能性が脳裏をよぎる。


(……ジェンの救援)


 あの二人が、ここに残るだろうか。

 逡巡は、一瞬。

 暗証番号を打ち込む。

 認証。開錠。

 扉が開く音が、やけに大きく響いた。

 ――静かすぎる。

 戦闘の気配はない。

 仲間の気配も、薄い。


(……やっぱり、出ていったか)


 だが問題ではない。

 今の優先は、ただ一つ。

 エレメイを――運ぶこと。

 廊下を進む。

 足音が、空間に吸い込まれていく。

 医療区画。

 手をかざす。

 認証。わずかな遅延。

 開く。

 内部は、最低限の機能だけが生きていた。

 白い寝台へと歩み寄る。

 そっと――横たえる。

 ――軽い。

 抱えていた時よりも、さらに軽く感じた。

 壊れてしまいそうで。

 手を、離せない。 


「……ほら、着いたぞ」


 返事はない。

 それでも。

 ゆっくりと、手を離す。

 エレメイは静かに横たわったまま。

 胸部の、わずかな上下。

 それだけが、“生”を証明している。

 彼女は、その隣に立ったまま動かなかった。

 時間の感覚が、曖昧になる。

 数秒か、数分か。


「……なあ」


 ぽつり、と零れる。 


「お前さ」


 喉が詰まる。

 それでも、止めない。


「ほんとに……忘れちまってるのかな」


 静寂。

 当然、返事はない。

 胸の奥が、ゆっくりと痛む。

 アルテットは、そっと手を伸ばす。

 頬に触れる。

 冷たくはない。

 でも――どこか遠い。


「……いいよ」


 小さく息を吐く。


「いいって言っただろ」


 視線を落とす。

 穏やかな寝顔。

 何も知らない顔。


「またやり直せばいい」


 指先が、かすかに震える。


「何回でも」


 目を閉じる。


「何回でも……好きにさせてやるよ」


 そして――

 静かに、彼の顔へ近づく。

 唇が触れる。

 優しく。

 壊さないように。

 少しだけ、長く。

 離れる。

 呼吸が、わずかに乱れていた。


「……愛してるよ」


 誰に聞かせるでもない。

 ただ、そこに置くように。


「お前が覚えてなくても、関係ない」


 もう一度。

 今度は、軽く。


「私が全部、覚えてるから」


 その瞬間――


「……あの、今戻りました」


 静かな声。

 アルテットの動きが止まる。

 振り返る。

 そこに立っていたのは、ミコトとフウマ。

 ミコトはほぼ無傷。

 だがフウマは、明らかに損傷が深い。

 肩を支えられながら、ふらつく足取りでベッドへ近づき、腰を下ろした。

 二人とも、言葉を選び損ねた顔をしている。

 

「……」


 アルテットは何も言わない。

 言い訳もしない。

 ただ、火照った顔で、まっすぐに二人を見返す。

 フウマが気まずそうに視線を逸らした。


「ごめんなさい…タイミング、ちょっと……」


「構わない」 


 短く切る。

 ミコトはエレメイへ視線を落とす。


「……生きていますね」


「ああ。繋いだ」


「代償は?」


「記憶と、感情の一部」


 沈黙。

 フウマが静かに頷く。


「……主様、ですか」


「そうだ。助けてもらったんだ」


 その言葉に滲むものに、二人の胸がわずかに締め付けられる。

 アルテットの瞳に、メルキュリアの涙が光っていた。 


「生きてるなら、それでいい」


 ミコトもフウマも、何も返さない。

 ただ、小さく息を吐いた。

 ミコトが一歩、近づく。

 エレメイを見下ろす。

 その瞳は冷静で――

 ほんのわずかに、柔らかかった。


「……きっと、大丈夫です」


 ぽつりと。


「慰めか?」


「いいえ」


 ミコトは首を振る。 


「リディナシエ様が顕現したのであれば、それは偶然ではありません」


 静かな声。


「強い想いが、導いた結果です」


 フウマも続ける。


「主様は“惹かれる”のです。強い感情に。昔からずっと」


 アルテットは何も言わない。

 ただ、エレメイを見る。

 その顔は変わらない。

 穏やかなまま。 


「……起きたらさ」


 ぽつりと。


「自己紹介からしようと思うんだ」


 フウマが少し笑う。


「いいですね。それ」


 ミコトも、わずかに頷いた。

 アルテットは、そっとエレメイの髪を撫でる。

 やがて手を離し、ゆっくりと立ち上がった。

 ミコトとフウマを見比べ――

 フッと、含み笑いを浮かべる。  


「お前たち、全部知ってたんだな。私も自分が何者なのか思い出したよ」


 アルテットが、棚からメルキュリアの小瓶を取り出す。

 注射器に液剤を吸い上げる。

 迷いなく、エレメイの腹部へ針を差し込んだ。

 損傷は深い。

 機能停止している箇所も多い。

 これは、あくまで応急処置に過ぎない。

 本格的な治療には――レミナが必要だ。


「プロテギア――三神ジェナリウス様の信徒だったんだな。ジェンがまさか、ジェナリウス様だったとは。恐れ入った」


 彼女のその言葉に、二人は目を見開く。

 リディナシエとの邂逅で思い出していても不思議ではなかったが、完全に思い出しているのは予想外であった。

 空気が張り詰める。

 アルテットはそんな雰囲気を吹き飛ばすように、にやりと笑った。


「大丈夫。ジェンにそのことを言う気はないよ」


 肩の力を僅かに抜く二人。


「メイズは多分もう気づいてる。その他は……まだだろうな。安心しろ」


「……そうですか」


 ミコトは、少しだけ目を伏せた。


「ごめんなさい。大事なことを隠していました」


「いや、そりゃ言えないだろ。そんなこと」


 アルテットは歯を見せて、静かに笑う。


「お前たちは、リディン様の誇りだよ」


 処置を終え、今度はフウマへ向き直る。

 腹部へ針を刺す。

 フウマが、わずかに息を詰める。


「記憶はな」


 アルテットが淡々と言う。


「誰かに教えられて思い出すもんじゃない」


 ゆっくりと押し込む。


「自分で掴み取るもんなんだよ」


 処置を終え、視線を戻す。

 エレメイへ。

 静かに眠る、その顔へ。

 アルテットは、何も言わない。

 ただ――そこにいる。

 それだけでいいというように。

 ラボの中は、静かだった。

 戦いの音も、怒号も届かない。

 ただ、かすかな駆動音と、三人の呼吸だけが残っている。

 そして――

 帰ってくるはずの足音を。

 誰もが、何も言わずに待っていた。

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