3-36話:微笑む案内人④
崩れた建材の隙間を縫うように、三人は慎重に進んでいた。
瓦礫を踏みしめるたび、乾いた音が微かに響く。
先頭を歩くエルドの足取りは、異様なほど軽やかだった。
ここが明らかに戦場の残骸であるにもかかわらず、その歩みはまるで静かな庭園を散策しているかのようで、危機感というものが感じられない。
周囲を警戒していないわけではない。
ただ――そこに、緊張が存在しないのだ。
「……ねえ」
沈黙に耐えきれず、レミナが口を開いた。
「あなたは……ガデンツァっていう組織の人、なんでしょう……?」
「ええ。私はガデンツァに所属しております」
淡々とした声音。
疑う余地のない事実を、そのまま差し出すような口調だった。
「……さっき会ったマルニって人も、ガデンツァだって言ってたよね。じゃあ……内部分裂してる、ってこと?」
胸の奥に引っかかっていた違和感を、レミナはそのまま言葉にした。
「内部分裂……」
エルドは小さく繰り返し、わずかに首を傾げる。
「結果だけを見れば、そう言えなくもありません。ただ――本質的には、少し違います」
一拍置いてから、穏やかに続けた。
「私だけが一方的にあなた方を知っているのは、フェアではありませんね。……少し、私の話をさせていただきましょう」
その口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
自嘲を含んだ、痛みを孕む微笑みだった。
「私は、九人いた初期メンバーの一人です。
ガデンツァは元々――私のご主人様が作った組織でした」
歩みを止め、エルドは遠くを見つめる。
焦点の合わない視線の先に、過去の光景を重ねているようだった。
「創設当初のガデンツァは、武装組織ではありませんでした。ドールズを守るための保護団体。そして、望まぬ研究を強要された我々ドールズの生みの親――ハイネ博士の無念を、風化させないための場所でもあったのです」
静かな語り口。
だが、その一言一言は瓦礫の隙間へと重く沈んでいく。
「博士は、ドールズを“兵器”としてではなく、人間と共に歩む存在として生み出しました。良き隣人として。良きパートナーとして。……それを、この世界が歪めたのです」
エルドの緑色の瞳が、わずかに細められる。
「博士は、家族や部下を人質に取られました。逃げ場のない絶望の中で、我々を――殺戮人形へと作り変えさせられた」
短い沈黙。
「結果として、我々は人を殺す用途に使われることになった」
やがてエルドは振り返り、レミナとテルルを真っ直ぐに見据えた。
「ガデンツァは、人を殺すために生まれてしまったドールズが、それでも平和を祈った末にできた団体でした。しかし――あの男が加入してから、すべてが狂いました」
その声音から、先ほどまでの飄々とした軽さが消える。
「ご主人様は囚われの身となり、ご主人様を慕っていた初期メンバーは……私と、もう一人を除いて、“粛清”という名の破壊を受けました」
わずかに息を置き、言葉を選ぶように続ける。
「平和を祈ったはずのガデンツァは、真逆の方向へと歩みを進めたのです」
真っ直ぐな眼差し。
そこに宿るのは、怒りか、悲しみか――あるいは揺るぎない信念か。
「私は、本来のガデンツァを取り戻したい。
そして、ご主人様を解放したい」
静かだが、迷いのない断言だった。
「そのために、ここへ来ました。……ご主人様からも、ノクティリカ島の皆様をお守りするよう、命令がございましたから」
言葉は、瓦礫の隙間へと溶けていく。
レミナは、すぐには何も言えなかった。
頭では理解しようとしているのに、感情が追いつかない。
――守るための組織。
――理想を掲げて生まれた場所。
――そして、裏切られ、歪められた歴史。
「……ご主人様、って」
テルルが、遠慮がちに口を開く。
「そんなに……大切な人なの?」
エルドは一瞬だけ目を伏せ、それから、どこか懐かしむように微笑んだ。
「ええ。私にとっては、存在理由そのものです」
迷いのない答え。
「命令だから守るのではありません。守りたいから、命令として受け取っているだけです」
その言葉に、レミナは小さく息を呑む。
それは忠誠心というより――信仰に近かった。
「……じゃあ」
意を決し、レミナが問う。
「もし、そのご主人様が“私たちを見捨てろ”って言ったら……?」
ほんの試しの言葉。
だが、エルドの反応は即座だった。
「あり得ません」
即断。
思考の余地すら与えない否定。
「ご主人様は、そのような命令を出される方ではありません。優しくて、甘くて、人を疑うことを知らない――無垢な方なのです」
ご主人様を思い浮かべているのだろう。
エルドの目は、柔らかく細められていた。
「戦争で疲弊したこの世界にこそ、あの方の脆くて、危ういほどの優しさが必要なのです。私は、そう信じています」
盲信。
それでも、恐ろしいほどの確信。
「……すごいね」
テルルが、小さく呟く。
「そこまで信じられる相手がいるんだ」
エルドは、少し困ったように笑った。
「羨ましいですか?」
「……うん。ちょっとだけ」
そのやり取りの最中――エルドの足が、ふと止まる。
「……静かに」
低く、鋭い声。
次の瞬間、空気が変わった。
遠方から、かすかな振動。
規則的な金属音が、瓦礫越しに伝わってくる。
「来ます。複数」
エルドは長銃を構え、レミナとテルルを庇う位置に立った。
「ガデンツァ……?」
「ええ。ただし、私の“仲間”ではありません」
その言葉と同時に、影が現れる。
瓦礫の向こうから、三体のドールズ。
「……処分部隊ですね」
冷えた声。
「私の命令違反を感知されたようです」
エルドの緑色の瞳が、わずかに光を帯びる。
「下がっていてください。――少々、手荒になりますので」
その背中は、やはり味方か敵か分からない。
それでも。
今この瞬間だけは、間違いなく――
守る者の背中であった。




