第12話 ヨルンへの反抗
「ヴァロのバカ!ナハトさんに何してんのよ!」
次の日、恐る恐る訪ねてきたエルゼルに、ヴァロは詰め寄られていた。
喧嘩すると宣言していたからか、それとも机を破壊した音のせいか、エルゼルは昨日からハラハラしっぱなしだったようだ。朝早々に訪ねてくるなり、ヴァロの傷を見て心配し、ナハトの傷を見て怒り狂った。
それもそのはず、ヴァロの傷はヨルンによるものだと分かるが、ナハトの傷は、どう考えても喧嘩相手のヴァロがつけたものだからだ。体の大きさも体格も全然違うナハトを傷つけたとあって、エルゼルの怒りは相当なものだった。
「まぁまぁエルゼルさん、その辺で。このくらいの傷、大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないです!ああもう、こんなに適当に包帯を巻いて!貸してください、私がやります」
これは巻くまで諦めてくれそうにないと、言われた通りに包帯を渡して椅子に座る。
「こんな深い傷…ヴァロにやられたんですか?」
「違います。ヴァロくんが壊した机の破片を避け損ねてしまっただけです。彼に直接やられたわけではありませんよ」
「…えっ?」
驚いた顔をされ、これにはナハトが戸惑った。なぜそんな顔をされたのか見当がつかなかったからだ。
だがそんな顔も一瞬で、すぐにエルゼルの表情は元に戻った。どうしたのかと問いかけてみるが、何でもないと返されてしまう。
「これでよし。ゴドおじさんにはお休みさせてくれるように伝えておきますから、ナハトさんはきちんと安静にして治してくださいね」
「は、はい…」
「ヴァロも!いつもより怪我がひどいんだから安静にしてなさいよ!」
エルゼルはそう言うと、もう一度ヴァロを叱って帰っていった。
本当になんだったのだろう。
「それで、ナハト。体の使い方って、まず何をしたらいいの?」
「えっ?ああ、そうだな…」
興味津々の顔で問いかけられて、ナハトは思案を巡らせた。使い方が悪いとは言ったが、どうしたら効率よくできるようになるかは、実はナハトも知らない。体の使い方など、自分でさえ自己流なのだ。人に教えられるわけもない。
ちらりと見ると、髪の隙間から純粋な目がこちらを見ている。これは知らないなどと言える雰囲気ではない。
「よし、決めた。まずは何より、その邪魔な髪を切ろう」
「ええっ!?」
「…先に断っておくが、私は何の意味もなく言っているからね。これからやることに対して邪魔だから切るんだ。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「あっ…はい」
「髪を切れそうなものはあるかい?」
渡されたそれは彼らの手のサイズで作られた鋏というものだった。もちろん大きすぎて持てないし、何より重い。これで髪を切るには両手で持つ必要があり、そんな事をしてはいつ切り終えるかはわからない。
早々に諦めて、ナハトは腰のダガーを抜いた。まさか武器の最初の使い道が髪を切る為とは思ってもみなかった。
「髪型の希望はあるかね?」
「な、ない。…髪切るの久しぶりだし…」
「わかった。ならば、私のセンスに任せてもらおう」
「ギュー」
「ドラコをよろしくね」
ドラコをヴァロに渡し、ナハトはダガーを片手に髪を持った。さらさらと流れる髪はどこまでも真っ白で美しく、光に透かして見ると透明に見えるようだ。
(「切るのが少々惜しいな」)
そう感じるが、今の彼には邪魔なものだからバッサリ行こう。
ナハトは躊躇なく髪をダガーで切っていった。短く短く、前髪を切るときは騒がれたが、それも無視して、眼が見えるように前髪も切ってやった。
「いかがかな?」
すっかり短くなった髪を鏡で見て、ヴァロは瞬いた。背中ほどまであった髪を、頭皮から10センチから15センチくらいまで切ったのだ。人相がすっかり変わったといえる。
「君、なかなか整った顔をしていたのだな。前髪で全く分からなかったから、前髪を切った時は驚いたよ」
「ギュー♪」
「ドラコも似合っていると思うかい?」
「ギギュー♪」
「あ、ありがとう…」
もうどうやっても隠せなくなった前髪を触りながら、ヴァロは少し恥ずかしそうに笑う。よく見ると、彼の瞳は金は金でも少し赤みがかった金色だった。この村でも、ゲルブ村でも見た事がない色に少しだけ驚く。
「ありがとう、ナハト」
「どういたしまして。さて次なんだが、一ついいことを思いついた。アンバスさんに稽古をつけてもらうのは…」
「む、無理無理無理!無理だよ!」
最後まで言い終える前に部屋の隅に逃げられてしまった。顔を髪で隠せなくなったので、尻尾で丸々覆っている。髪の毛が無くなった分上半身の筋肉が良く見えるので、筋肉が丸くなっているように見える。なんともみっともない。
「ナハトが助けてくれるって言ったんじゃん!ナハトが教えてよ!」
「そう言うけれど、私は素人だよ?素人の私とプロ冒険者で、尚且つ赤線の依頼を軽々こなせるアンバスさんじゃ、アンバスさんの方がいいだろう?」
「いやいやいや!無理だよ!ナハトが言ったんだから責任取ってナハトが教えてよ!」
「…なるほど。ヴァロくんにしては的確なことを言うじゃないか」
期待されているなら応えないわけにはいくまい。ナハトはヴァロを外へ連れ出した。この家の裏手は少し開けており、その先には林。村の街道からは、家が邪魔になってこちらが見えにくくなっている。秘密の特訓にはうってつけというわけだ。
「ドラコ、少し離れて見ておいでね。さてヴァロくん。君は組み手をご存じかな?」
「…ヨルンがいつもやってくるやつ」
「…それは違うものだな。いいかい、組手とはお互いの技や間合いを確認する流れのことを言うんだ。こうして…」
ナハトはヴァロの正面に構えると、ゆっくり彼に向って拳を突き出した。
「今のこの動きで、私は自分の間合いを計ったんだ。私はこの距離なら、確実に君に当てられる。ダガーを持っていたら…この距離だ」
ダガーを持って同じように動く。先ほどの拳よりもぐっと伸びた間合いに、ヴァロがこくりと頷いた。
「君もゆっくり私を殴ろうとしてみてくれ」
「ええっ!?」
「いちいち驚かない。殴れとは言っていないだろう。殴ろうとしてみてくれと言ったんだよ。ただ腕を伸ばすだけじゃなく、殴りはしないが殴るつもりで、ゆっくりだ」
こくりと唾をのんだヴァロが、ゆっくり振りかぶって拳を前に出してくる。なんとも腰の入っていない動きだが、こんな物でも当たれば相当やばいことになるだろう。
ナハトはそれを横に避けると、その腕に右手を添えた。
「これが君の拳の間合いだ。私と君の間の距離、自分の歩幅をよく見るんだ。まずはこれを繰り返して、ヴァロくんが自分の体の一つ一つをしっかり認識できるようにしよう」
「わ、わかった」
「それが出来てきたら、どんどん一連の動きを早くしていく。当てないように寸止めを意識してね。そうすると目が慣れて、相手の動きが良く見えるようになる」
「うん」
「そこまで出来るようになったら、相手の動きに合わせて左右や上下に動くだけで、攻撃を避けられるようになるはずだよ」
「な、なるほど…?」
「まぁ数か月はかかるだろうけどね」
「ええぇっ!?そんなに!?」
そんなに簡単にできるようになると思ったのだろうか。だとしたらなんてお花畑な頭だ。そんなに簡単に強くなれるのだったら苦労はしないし、ナハトももっと強くなれているはずだ。
大きくため息をつくと、ヴァロを指さした。
「嫌ならばアンバスさんに教えを請いに行こう。ヴァロくん、君が言ったんだよ?責任を取れと。私は責任を果たしている。君はどうするんだい?」
「…頑張ります」
「よろしい」
「でも、数か月もかかったら、またたくさん殴られたり…」
「するだろうねぇ」
ナハトの言葉に、そんなぁと情けない声を出して、ヴァロがまた蹲った。
幸いなことに彼は己を鍛えている。使い方を知らないだけで、筋トレの必要がない分、もしかしたら伸びしろはあるかもしれない。ヴァロの肩をたたくと、ナハトは一つ予言した。「その内、ヨルンくんが来るのが楽しみになるかもしれないよ?」と。
「そういえば、ナハトが言ってた話したいことって何だったの?」
組手を始めて5日。
ヴァロがヨルンに絡まれることもなく、過ごしていた朝、朝食の最中にそう問いかけられてナハトは固まった。
ここを出て村のどこかに移り住むか他の町に行く算段を立てていたのに、今の今まですっかり忘れてしまっていた。
「背中の怪我が治ったから、すぐには無理だけれど、ここを出て行こうと思ったんだよ。だけど家主の君に黙って出ていくのは感じが悪いだろう?だからその事で話をしようと思っていたんだ」
「えっ出てくの?」
「…その反応は予想外だった」
そんなに寂しそうな顔をされると思わなかった。
食事中のドラコの背中を撫でながら、ナハトは今後について、考えていたことを口にする。
「最初に話したことを覚えているかい?私たちは、君たちが魔獣の森と呼ぶ場所から来たんだ。そこにあったはずの村からね。君やエルゼルさん、アンバスさんやゴドさんもいろいろ教えてもらったり、聞いたりしたけれど、やはり私にはここがどこなのかわからない。地図にも景色にも見覚えがあるのに、どこなのかわからないんだ。だから私は、自分がいた村がどこに行ってしまったのか、そこにいた人達がどうなってしまったのか。それを知りたい」
魔術については伏せておく。彼には魔術師に関しての知識はないし、今魔術が使えない身としては、話題にするのははばかられる。
「とはいえ、すぐすぐの事ではないよ。頼まれた以上、途中で放り出すことなどはしないから安心したまえ。ただ、もう働けるようになったからね。生活費は受け取ってもらうよ?」
「うん…」
ちゃんとやりきると言ったが、あまり慰めにはならなかったようだ。両親は小さいころに亡くなったと言っていたから、他の人と暮らすのは久しぶりだったのだろう。一人を好む人もいるが、彼の場合は正反対のようだ。
行ってきますという背中に手を振り、ナハトもゴドの食事処へ急いだ。
夕食を作り終えてヴァロの帰宅を待っていると、いつもよりかなり遅い時間に彼は帰ってきた。
「おかえり。…おや?」
「た、ただいま…」
いつもの帰宅から2時間近くたっている為、今日はヨルンにやられてそうだと思っていたが、帰ってきた彼の顔は、なぜか少しうれしそうに見えた。
その顔に何かを掴んだらしいと頷いて、ナハトはヴァロに声をかけた。
「その血と泥…またヨルンくんに絡まれたのかい?」
「うん、そうなんだけど…。俺、ちょっとわかったかもしれない」
「何がだい?」
「体の使い方」
ヴァロの体にはたくさんの傷がついている。何度もやられたであろう泥や土の跡も。それでも、明らかにその数は減っている。存外早く得られた成果にナハトも笑う。
「やったじゃないか。なら明日からは、もう少し組手を難しくしてみよう」
「うん!」
嬉しそうに顔をほころばせる23歳をシャワー室に押し込み、ナハトは遅い夕食の用意に取り掛かった。




