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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第一章
13/189

第13話 誘拐と魔術

 ヨルンはここ暫く腹が立っていた。ここ一ヶ月ほどだったか、あのクソ泣き虫野郎に攻撃が当たらなくなったからだ。

 ヴァロはヨルンにとってとても都合の良いサンドバッグだった。

 殴っても、蹴っても、投げても、暴言を吐いても、爪で皮膚を裂いても、あのヴァロの野郎は何の抵抗もしないから面白かった。怯えた目で丸くなって、やめて許してとか、か細くいっているのを黙らせるのが楽しかった。

 なにより頑丈なところが良かった。ヴァロ以外の奴をサンドバッグにしたこともあったが、すぐに壊れて面白くなかった。さすがに殺すと問題になるが、ヴァロはどれだけぼろぼろにしても、数日経つと怪我が元通り治る。ヨルンが全力で殴っても壊れないのだ。奴の頑丈さは優等種の中でも折り紙付きだった。

 だと言うのに、このところそのサンドバッグがヨルンの攻撃を避けるようになった。全てではないが、思うように当たらなくて腹が立つ。それどころか最近では怯える素振りも減り、何か探るような眼でヨルンのことを見ることが増えた。ガダン達と3人がかりでタコ殴りにすればそういう眼をされることもないが、それではヨルンの気が収まらない。1対1で相手を蹂躙するから楽しいのだ。

 それが出来なくなった今、ストレスが解消できずに逆にイライラが募る。


「あの野郎、何で急に…」


 そう考えて、ふと、ヨルンは気がついた。ヴァロが変わる前、ヴァロの家に居座っている奴と会った事を。

 子供みたいに小さく、細く、簡単に殺せそうな奴だった。優男どころか棒切れみたいな奴だ。あんな奴にヨルンが負けることなどあり得ないが、変なしゃべり方と妙な迫力があって、ガダン達が騒ぐからつい釣られて逃げてしまった。いや、逃げたわけではない。様子を見ただけだ。

 とはいえ、その後見かけた時も、隙だらけなのに自信ありげで、そこが逆に薄気味悪かった。それにあいつはヴァロを好きにしていいと―――。


「…あの野郎が何かしやがったのか…?」


 そう考えれば納得がいく。だから好きにしていいと言ったに違いない。

 現にあの後からヴァロに攻撃が当たらなくなったように思える。腹の立つ眼をするようになったのも、そのぐらいからだったと思う。

 あのチビが何かしたから、ヴァロが言う事を聞かなくなったのだ。


「…クソっ」


 唾を吐いて、軒先きの水樽を蹴り飛ばした。

 どうにかしてやり返せないかという思いが、ヨルンの心を埋め尽くす。ヴァロに対する怒りは、すっかりナハトへと置き換わっていた。


「あ゛ー!イラつく!」


 頭をかいて、この際適当なやつを捕まえて発散させようかと思ったヨルンは、顔を上げて辺りを見回した。

 その先には、見覚えのあるトカゲを連れた、ヴァロの幼馴染がいた。




「…もう私がヴァロくんと組手をするのは難しいかなぁ…」


 大量の汗をかきながら、ナハトは裏庭に座り込んだ。まだ朝だというのに、もうヘトヘトだった。

 組み手を始めて2週間と少し。まだそれだけの日数しかたっていなかったが、ヴァロの成長は目まぐるしかった。最初こそ、ナハトの速度について来れずに翻弄されていたが、あっという間にナハトが全力で避けなければならないほど、見切れるようになっていた。

 もちろん攻撃は寸止めで行っているが、それでも攻撃時の殺気は感じる。というか、当たればタダでは済まない為に、ものすごい集中力がいるのだ。


「ナハト、大丈夫?」

「…あまり大丈夫ではないかな…。ありがとう、ドラコ」


 差し出された手を借りて立ち上がると、ドラコがタオルを咥えて登って来た。それをありがたく受け取り汗を拭くと、もう一度ドラコを地面に下ろす。


「もうそろそろ時間だね。ただ、その前に。攻撃をしたくないというヴァロくんに、一つ技を伝授しよう」

「…わざ?」

「そう。と言っても、私もこれしか出来ないのだがね。覚えておいて損はないと思うよ」


 ヴァロから少し離れると、ナハトは構えず、棒立ちで向き直った。両手を開いて指先を地面に向け、真っ直ぐにヴァロを見る。


「いつもの組み手のように殴るふりを。狙いは私の右頬でお願いするよ」

「わ、わかった」


 ヴァロが構える。

 次の瞬間、飛び出して来た彼に合わせて、ナハトは低く一歩踏み込んだ。そのまま両手を地面につくと、踏み込んだヴァロの足を、勢いよく足で払った。


「うわったっ!ぐえっ…!」


 体重がかかった不安定な足を払われて、ヴァロはそのまま地面とお友達になった。よほど混乱したのだろう、うまく受け身も取れなかったようだ。


「…おっと、着地に失敗だね。大丈夫かい?」

「い、今の…何?俺、今何されたの?」


 土のついた顔を払いながら、ヴァロが興味津々と言った顔で問いかけてくる。

 本当にこれしか出来ないのだが、そんな顔をされては悪い気はしない。ナハトはヴァロを立たせると、もう一度構えるように言った。


「今のは相手の勢いを使った技だよ。もう一度、今度は空を殴るつもりで」


 ヴァロが拳を前に突き出す。


「この時、どこに1番体重がかかっているか分かるかい?」

「…右足。右足の…つま先?」

「そうだ。だけれど、実際殴ろうとすると、この爪先はどうなる?」


 ナハトの問いかけに、ヴァロは今度は思い切り空を殴る。


「…踵が上がる」

「そうだね。そうすると、とてもバランスが悪くなる。試しにその状態で止まれるか、やってみてごらん」


 ナハトのいう通り早速試したヴァロは、堪えきれずに前に転ぶ。

 そう、殴ろうとした時のつま先は、とてもバランスが悪いのだ。だから、少し払うだけで、相手は簡単に転ぶ。これはそういう技だ。


「体の大きい君には難しいかもしれないが、覚えておいて損はないと思うよ?もしかしたら、アンバスさんに殴られそうになる時が来るかもしれないしね」

「そんな時は来ないよ!…でも…これ、凄いね。こんなの知らなかったよ」

「喜んでもらえたようで良かった。ただ、そろそろ時間がまずい。急がないと遅れてしまう」

「うわっ!ホントだやばい!」


 慌ててシャワー浴びて着替えると、急いでそれぞれの職場へ向かった。




 夕方、そろそろ仕事の時間が終わろうかという時に、ナハトはゴドに買い物を頼まれた。調理に使う木炭が足りなくなって来たから、買って来て欲しいとのことだった。木材なら重くて無理だっただろうが、木炭ならば、軽いからある程度の量を買っても運べるだろうと。その通りだが何だか少し悲しい。


「材木店か…。ドラコは外で待っているかい?」

「ギュー!」

「そうかい?だけど、君は木炭を作る時のあの匂い、苦手だろう。無理をしなくていいのだよ?」

「ングー…」


 拗ねたようにそっぽを向いたドラコを宥める。よしよしと指で頭を撫でると、カプリとその指を噛まれてしまった。ご機嫌斜めのようだ。


「ナハトさん!もうお仕事終わりですか?」

「おや、エルゼルさん。お疲れ様です。ゴドさんに買い出しを頼まれまして、材木屋に行くところです」

「そうなんですね。一緒に行ってもいいですか?」

「もちろんです。おっと…」


 ぴょんとドラコがエルゼルの肩に飛び移った。驚いたエルゼルの頬に頭を擦り付け、甘えだす。


「えっ…ドラちゃんどうしたの?」

「ちょっとご機嫌を損ねてしまいまして…」

「ナハトさんが?」

「はい。エルゼルさんさえよろしければ、しばらく肩を貸していただけませんか?」


 ナハトがそう言ってドラコを見ると、ドラコはプイッとそっぽを向いた。どうやら相当腹を立ててしまっているようだ。

 困った様子のナハトを見て、エルゼルはくすりと笑った。


「ナハトさんでも、そんな顔するんですね」

「さて、どんな顔ですか?」

「とても寂しそうな顔です」

「そうですね。事実肩が寂しいです」


 そう言ってドラコを見るが、許してはくれないようだ。

 しょうがないと、そのままエルゼルにドラコをお願いして、ナハトとエルゼルは材木屋へ向かった。



 材木屋へ着くと、ナハトはエルゼルに外にいてくれるようお願いした。聞こえないようにドラコの耳を片手で押さえると、エルゼルの耳に口を寄せる。


「申し訳ありませんが、ここでドラコと待っていていただけますか?実はドラコは木炭を作る時の匂いが苦手なのです。…それを言ったら拗ねられてしまったのですが…」

「ふふっ、わかりました!ドラちゃんとここで待ってますね」


 キョトンとした顔のドラコに笑いかけると、ナハトはエルゼルにドラコを任せ、材木屋の扉を開いた。


「いらっしゃい。何が入り用かね」

「こんばんは。木炭を4キロ頂きたいのですが、在庫はありますでしょうか?」

「4キロか…ちょいと待っとれ。確認してくらぁな」

「よろしくお願いします」


 店内にはやはり、ドラコが苦手とする匂いが感じられた。そこまで濃い匂いではなかったが、連れて来なくて正解だったと思う。

 きょろきょろと店内を見ていると、店主が奥から山盛りの木炭が入った箱を持って来た。どうやら4キロあったようである。


「木炭4キロで大銅貨2枚と中銅貨6枚だ」

「ありがとうございます。…こちらでお願いします」


 ゴドさんから預かったお金を、袋から出してカウンターに置いた。それを店主が数えていると、俄に外が騒がしくなった。

 何かあったかとナハトと店主が外を向いたその時―――。


「ナハトさん!!!」


 扉を破壊する勢いで、エルゼルが飛び込んできた。勢い余って転んだその口の端からは血が流れていて、頬は赤く腫れ上がっている。その尋常ではない様子に慌てて助け起こすが、ふと、気が付いた。

 ドラコがいない。


「エルゼルさん、いったい何があったんですか?…ドラコはどこに?」


 エルゼルの様子を確かめながら、ナハトはドラコを探す。

 だが、彼女の肩や背中にも、外にもドラコはいない。


「ナハトさんごめんなさい…!ドラちゃんが…ヨルンに…!」


 ぼろぼろと大粒の涙を流しながらエルゼルが必死に言葉を紡ぐ。


「ヨルンが突然ドラちゃんを渡せって言ってきて…私、すぐに知らせなきゃって、お店に入ろうとしたの。だけど、引っ張られて転んじゃって…そしたら、ドラちゃんがヨルンに飛び掛かって…!そのままドラちゃん連れて行かれちゃうと思って…!返してって言ったんだけど…ごめんなさい、連れていかれちゃった…」


 店主が奥から濡れタオルを持ってきてエルゼルの頬に当てた。頬は紫色に色が変わってきており、相当の力で殴られたことがわかる。

 ナハトはエルゼルの肩を支えながら、店主に言付けを頼む。


「すみませんが、エルゼルさんの手当てをお願いします。それと、お手数ですが、その木炭はゴドさんのお店へお願いします」

「そりゃぁ構わんが…お前さんはどうするんだね?」

「私はヨルンを追います。どうせそういう事でしょうから。…エルゼルさん、彼の行き先に心当たりはありますか?」

「…村のはずれにある、洞窟で待ってるって…」

「それはどこに?」

「…村の南東です」


 言いづらそうにエルゼルが呟くが、それを詳しく聞いている時間はない。早く行かねば、ドラコの命が危ないのだ。


「私はもう行きます。…エルゼルさん、ヴァロくんにはこの事は伝えないでください」

「そんな…!ナハトさん!」

「時間がありません。いいですね、絶対にヴァロくんに言ってはいけませんよ」


 そう言い残して、ナハトは店を飛び出した。最短距離で行くために、柵を超えて、放牧されているカウムの間を走り抜ける。

 怒りで体が沸騰しそうに熱いが、頭はまだ少し冷静だった。走りながら、どうやってドラコを取り返そうか算段を立てる。ナハトが持っているのは、先日買った1対のダガーのみ。使えそうなものは他になく、土地勘もない。

 一瞬アンバスに助けを求めることも頭をよぎったが、ここしばらくは村で彼を見かけていない。今はこの村を拠点にしていると言っていたことから、もう他の場所へ行ってしまった可能性を考える。


(「私の身一つでどこまでやれるか…」)


 洞窟はすぐに見つかった。それは村はずれの切り立った崖の麓に、ポツンと空いた大穴だった。洞窟内から灯りが漏れており、奥には3つの気配がある。

 林にほど近いそこを見回す。何か使える植物はないかと走りながら探したが、役に立ちそうなものはなかった。唯一あったのは、根に麻痺の効果を持つ草―――に、似たものだった。一応軽くつぶして触れてみるが、その効果は想定していた物よりも大分弱い。それでもないよりはマシかと、それを擦り潰してダガーに塗り込んだ。これでどれほど戦えるかわからないが、やるしかない。

 ナハトは息を整えると、冷や汗をぬぐって内部へ足を進めた。


「…よぉ、待ってたぜ。クソチビ」


 洞窟の奥は、くりぬかれたように広い空間が広がっていた。大きな岩は奥によけられており、壁際には少々の家財がある。どうやら普段からここをたまり場として使っているようだ。

 その椅子の一脚にヨルンはふんぞり返っていた。左右にいる手下その1と2は「本当に大丈夫なのか」と言っているところをみると、なるほど、これは彼の独断だったようだ。そして彼らはまだナハトのことを怖がっているらしい。


「随分な事をしてくれるじゃないか、ミスターヨルン。私に用があるなら、直接訪ねてくればいいだろう?」


 そう言いながら辺りを見回すが、おかしい。ドラコの姿がない。

 視線に気づいたのだろう、ヨルンが椅子の後ろから何かを持ち上げた。そこから現れたのは、無造作に尻尾を掴まれ、逆さになった口から血を流すドラコの姿。

 ぷつりと自分の中で何かが切れる音がした。気が付くと、ナハトはダガーを抜いて、ドラコを持つヨルンの腕めがけてそれを振り下ろしていた。

 だがそれはあっさりと避けられ、すぐさまナハトは2回3回と切りつけたが、刃は届かず全て空を切った。距離を取った先で、ヨルンと手下が驚いた顔でこちらを見る。

 その顔を見て冷静になった。やってしまった。あまりの怒りで切りかかってしまった。正攻法ではどうやったってナハトがヨルンに勝てるわけはないのだ。力はなく、スピードはヴァロとの組手で多少上がったが、それでももう既にヴァロには及ばない。その程度の実力しかないのだ。だからやるならば正攻法以外の方法で行くしかなかったはずだった。手下がナハトにビビっているのだから、それをうまく利用すればよかったのだ。

 だというのに―――。


「…お前、弱いな…」


 バレてしまった。我を忘れた攻撃があの程度だと。

 ならばもう口がどれだけうまくともどうしようもない。ナハトは武器持ったまま、ヨルンと手下を睨みつけた。


「だとしたらどうだと言うんだ。その弱い私に逃げ帰ったお三方」

「てめぇ…騙したのか!」

「これは人聞きの悪い。何も騙してなどいないでしょう?そちらが勝手に勘違いしただけではないですか」


 かっとヨルンの顔に朱が走った。恥ずかしくなったのだろう。奥歯をかみしめて吠える。


「てめぇ!ふざけんじゃねぇぞ!こいつがどうなってもいいのか!?」

「いいわけないだろう。その子を返しなさい。返すならば、サンドバッグには甘んじてなろう」


 ダガーを地面に置いて両手を上に上げると、ヨルンは満足そうに頷いた。


「そう言われて返すやつぁいねーよ。おい、これ持ってろ」

「ドラコ!」


 ヨルンは無造作にドラコを放り投げた。それに気を取られた一瞬、ナハトの腹にヨルンの拳がめり込んだ。


「…がはっ!」


 体がくの字に折れ曲がり、あばらが嫌な音を立てる。息が詰まって、内臓を吐き出したかと思うほど熱いものがこみあげて、我慢できずに吐き出した。びちゃびちゃと音を立てて、胃液と血で水たまりができる。


「がはっ、げっ…げほ…」

「おーおー、よく吐いたなぁ。まだほんの少し小突いただけだぜ。そんなんで長く持つのかよ?」

「…君が…ドラコを、返す…ならね」

「…1時間持ったら考えてやってもいい…ぜっ!」

「がぁっ!」


 四つん這いの状態から顎を蹴り上げられてのけぞった。衝撃に視界が明滅するが、倒れる前にまた拳がとんでくる。


(「いけない…このままもらい続けたら、本当に死ぬ…」)


 そうしたらドラコを助けることは出来なくなってしまう。まともに食らうのはもう避けたいと、体を捻り、攻撃に合わせて後ろに飛び、何とかまともに食らわず受け流そうと試みる。

 だが、そんな小細工ではどうにもならないほど、ヨルンのパワーは強かった。一つの攻撃をいなそうとしても、いなしきれずにバランスを崩し、そこに拳が降ってくる。ギリギリ致命傷を避ける状態が続くが、本当にギリギリ避けている為、ダメージがバカみたいな勢いで溜まっていく。

 腹をかばって受けた右手が折れ、ナハトは何度目か膝をついた。


「はぁ…はぁ…はぁ…」

「なかなかいいサンドバッグだ。命乞いがねぇのは物足りねぇが、紙切れみてぇに飛んでくのは気持ちがいいぜ」


 岩壁には血がとび、地面のそこかしこにも、ナハトの血が落ちている。口の中に入った土を吐き出して、ナハトはまた立ち上がった。足がふらつき、流しすぎた血で眼がぼやける。受けた傷の割に進みの遅い時計の針に、心の中で悪態をつきながら、ヨルンを睨みつけた。


(「…今の私に何が出来る。例え1時間耐え続けられたとしても、彼らが約束を守る保証はない…」)


 受けきれずに岩壁に叩きつけられ、息が詰まった。咽ながらも思考は止めずに、何かないかと考える。

 ドラコはまだ生きているが、1時間後も大丈夫だという保証はない。相手の3人は無傷で、手下の1人でもナハトがかなうという保証はない。武器はあるが、その武器が相手に届かないことは最初に確認済みだ。ほかに道具もない。


(「…何故、魔力が使えなくなったんだ…」)


 こんな時に魔力が使えれば。絶望的な思考の中で、己の無力さを感じて歯を食いしばった。魔孔が細くとも魔力が使えれば対抗できたはずだ。植物を操る魔術は、敵の捕縛や拘束に向いているのだから。


(「魔力さえ使えれば、ドラコを回復することだってできるはずなのに…!」)


 魔力さえ使えれば。そう強く思った瞬間、ざわりと肌が泡立った。それは感じた事のある、己の魔力の気配。


「ナハト!!!」


 声に驚いて顔を上げると、ヨルンの拳が間近に迫っていた。


(「まずい!」)


 とっさに後ろに飛ぶことしかできず、殺しきれなかった勢いをまた腹部にもらった。壁に叩きつけられどさりと倒れこむと、もうとっくに胃液の出なくなった口から、血がぼたぼたと溢れて血だまりを作った。


「ナハト!ナハト!!!」


 反射的に出た涙で歪んだ視界の向こう、見知った白い髪の男が、真っ青な顔でこちらをのぞき込んでいた。

 エルゼルが呼んでしまったのだろう。あれほど秘密にするように言ったというのに。


「ヨルン…!何でこんなことをするんだ!」

「うるせーなぁ。今日はてめぇには用がねーんだよ。俺様は今気持ちよく遊んでんだから、邪魔すんじゃねーよ」


 ヴァロが助け起こそうと出した手を弱々しく払って、ナハトはまた立ち上がった。


「…彼の、言う…通りだ。ヴァロくんは…下がっていたまえ」

「何言ってんだよ!?こんなに血が…死んじゃうよ!」

「…ドラコがね、あそこにいるんだよ」


 震える指で刺した先。手下の手に捕らえられたままぐったりとしたドラコを見て、ヴァロが怒ったのがわかる。

 だがいけない。それでは駄目だ。

 ナハトの前に出ようとするヴァロを押しのけ、ナハトはもう一度言う。


「君が出てくる幕じゃないんだ。今は、ただ攻撃を耐えていれば済むという事態ではないんだよ」

「でも、なら…!俺が代わりに…!」

「下がれと…言っているだろう!」


 ナハトの声に、びくりとヴァロの肩が揺れた。

 今は彼の出る幕ではない。耐えていれば済むならばいいが、その保証はなく、間に合わないかもしれない。

 折れた腕を抱えながら、ナハトはヨルンに近づいた。ずきずきと全身が痛む。頭から流れた血で視界も霞むが、それでも先ほどまでよりは気分がいい。どういう事かはわからないが、ナハトは今、己の魔力を感じている。

 にやりと笑ったナハトを、ヨルンが訝しんだように見た。


「なんだ?急に笑いやがって…頭おかしくなったのか?」

「ふふ…さて。どうだろうかね」

「ああっ!?」


 本当におかしくなったのかもしれない。けれど今は、これに賭けよう。

 口の端を流れる血をぬぐって、その手を土の上についた。洞窟の壁や地面、そこかしこから自分の魔力を感じる。反応するように、触れた血液が熱くなる。


「…言っていなかったが…私は魔術師なんだ」


 ドンっ!と地面が揺れて、飛び散った血液から蔦が伸びた。急速に成長したそれは、一瞬のうちにヨルンと手下を捕らえた。


「うわあああ!」

「やめろ!くるなぁ!」

「な、なんだこりゃあ!」


 以前、村のはずれで襲撃者を足止めしたものとは桁違いな太さのそれは、一瞬で3人をぐるぐる巻きにした。彼らは千切ろうともがいているが、蔓はビクともしない。四肢を巻き取られ、胴を絞められ、自由になる頭だけバタバタと動く。

 罠にかかったネズミの様だった。


「さぁ、ドラコを返せ」

「うわぁあああああ!」


 足を引きずりながらドラコを捕らえる手下に近づく。返せと伸ばしたナハトの手にパニックを起こした手下は、あろうことかドラコを壁に向かって投げた。

 慌てて手を伸ばすが届かない。小さな体は何の抵抗もなく壁に吸い込まれていく。


「ドラコ!!」

「大丈夫!」


 ナハトの横を駆け抜けたヴァロが、壁にぶつかる前にドラコを受け止めた。

 ドラコを受け取り、そのお腹に耳を当てる。大丈夫だ、まだ鼓動がする。今なら出来るだろうと、ナハトは頭の血を拭って地面に手をついた。血液から感じる魔力を地面に流していくと、そこから芽が生え、茎が伸び、つぼみが出来て、白い花が咲いた。


「…出来た」


 念のため先にその花の蜜を口にすると、恐ろしい速さで体が軽くなった。すべて治ったわけではないが、明らかに治癒されたという事がわかる。それをドラコに飲ませると、やっとナハトは体の力を抜いた。

 途端にいう事を聞かなくなった手足のせいで、ずるずるとその場に座り込む。


「…ナハト…もう、大丈夫なの?」

「あぁ、ドラコはもう大丈夫だ。ありがとうヴァロくん」


 ナハトがそう言うと、ヴァロは首を横に振った。

 何かと首をかしげると、ヴァロにため息をつかれてしまった。


「違う、ナハトだよ。自分の体わかってる?血だらけだよ?」

「あぁ…私は大丈夫だよ。この花の蜜は回復の効果があるんだ」


 笑うと、小汚い声が耳に届いた。なんだと思って振り向けば、そこにはぐるぐる巻きにされたヨルンと手下2人。

 身動き取れずに上半身を芋虫のように動かしながら、何やら暴言を吐き続けている。


「何しやがんだ、このクソチビ!放しやがれ!卑怯者が!」


 ぎゃんぎゃん吠える様は、いつだか村で見た犬のようだと思う。

 この3人をどうしようかと考えていると、聞き捨てならない言葉が耳に入った。


「覚えてろよ…。今度はそのトカゲ切り裂いて、内臓を頭からぶちまけてや…が!」

「…それは聞き捨てならないな…」


 腕の傷から拭った血を地面に叩きつけると、追加で伸びた蔦が、彼らの目を覆い、口を固定した。暴言を吐いた大きな口のまま、がっちりと顎を固定されている。その口の端、丁度牙のあたりに、小さな青い花が咲いている。

 立ち上がると、ヨルンにそっと近づき、その耳元に口を寄せた。


「…今から君たちにいいものを飲ませてあげよう。わかるかい?何かが口の中に流れてきているだろう?」


 その青い花から、とろりとした蜜が彼らの口に流れて入ってきた。ヨルンらは抵抗して暴れるが、蔦の方が強く、動けない。


「それは舌が痺れ、血を吐き、激しい頭痛と幻覚を見る甘い毒薬だ。まぁ死ぬことはないだろう。だが…夜明けまでは、ここでその蜜を楽しんでいてもらう」

「あぐぁっ!」

「なに、私は優しいからね。今回の事はこれで許してやろう。だがね…次にドラコに危害を加えたら…今度は内臓から溶けていく毒を飲ませる。生きながら内臓が溶けていくのを楽しむがいいよ…」

「ひっひぃぃいいい」


 情けない悲鳴を上げる彼らを置いて、ナハトとヴァロはその場を後にした。不安そうに彼らを振り向くヴァロに、ナハトは安心するよう言う。


「飲ませたのは毒じゃない。ただ強い幻覚を見るだけだ。とはいえ、私の言葉が頭に染みついて、毒を飲んだのと同じくらいの効果が出るかもしれないけれどね」

「そ、そう…」


 月明りと街頭に照らされた道を、眠るドラコを抱えて歩いていると、突然後ろから足が救い上げられた。

 ヴァロの腕に座るような形になり、ナハトは驚いて声をかける。


「ヴァロくん?」

「…歩くの、しんどいでしょ」

「ふふっ、気を使ってくれてるのかい?ならば、お言葉に甘えよう」


 そう軽口をたたいてドラコを撫でていると、いくらも歩かない内にヴァロが立ち止まった。今度はどうしたと顔を覗き込むと、ものすごい眉間にしわが寄っていて、また口を開けたり閉じたりしている。


「ナハトは…」

「うん?」

「ナハトは何で…エルゼルに、俺に知らせないでって言ったの?」


 何を言いたいのかと思ったがその事かと、ナハトは頭をかいた。理由はいくつかある。今回の事にヴァロは関係ないし、先ほど言ったように、知らせても意味がないという事もある。だが一番の理由は、彼が暴力は嫌だといったからだ。


「君は私に、ヨルンくん相手でも暴力をふるいたくないと言ったじゃないか」

「…えっ…」

「…あぁ、そんな顔をしない。別に攻めているわけじゃないよ」


 歩くよう促しながら、ナハトは言葉を続ける。


「君は暴力をふるいたくないと言っていただろう?だけれど、今回は暴力なしでは解決できそうになかったのだよ」


 エルゼルを殴りつけてドラコを奪う。その時点で、向こうがやりたいことは明白だった。彼らは人質を取って、ナハトを痛めつけたかったのだ。ヴァロが代わりにやられても意味はない。ヨルンはナハトを痛めつけたかったのだから。

 力を以ってしてドラコを取り返し、あちらに2度と手を出そうなどと思えないくらいにする必要があった。それが出来るかは賭けであったが、返り討ちにあった時点で、状況は積んでいた。魔力のおかげでなんとか切り抜けられたが、あれがなければ本当に危なかった。本当に本当に、死んでいたかもしれない。


「仮に私が君に伝えたとして…それで君に何が出来た?来たとしても、見ている以外出来ることはない。ならば、来ない方がいい。暴力など見ない方がいいんだよ」

「……ナハトは、怖くなかったの?」

「怖いに決まっているだろう」


 間髪入れずに答えると、ものすごく驚いた顔をされてしまった。人のことをなんだと思っているんだ。


「君ね、君が怖いと思う拳を、私が怖くないだろうとどうして思えるんだい?」

「だ、だって!あんなに殴られてるのに向かっていったから…!」

「怖いと思う物の順序が違うだけだよ」

「順序?」

「そう。私にとって一番怖いのは、ドラコが死んでしまうことだ。それに比べたら、他のものは怖くとも耐えられるだけだよ」


 よしよしとドラコを撫でると、その手をぎゅっと抱きしめられた。本当に生きていてくれてよかった。

 顔を上げると、まだヴァロは難しい顔をしていた。ナハトはため息をつくと、折れていない方の腕で、その頭をわしゃわしゃと撫でまわした。


「なっなに!?」

「さぁ帰ろう。私は早くシャワーを浴びて寝たい。もうそろそろ、座っているのもしんどくなってきたしね」

「治ったじゃなかったの!?」

「馬鹿言うんじゃない。そんなに簡単に治るわけがないだろう。多少はマシになったけれど、腕の骨もつながりきっては…げほっ」

「わぁあああああ!」


 内臓の傷までは完璧に治せなかったようだ。血を吐いたナハトを抱えて、ヴァロは帰路を急いだ。


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