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中央広場をぐるりと埋め尽くす茣蓙を抜け出て、リリーは祭りの屋台を見て回った。
屋台には珍しいお菓子や木でできた玩具なんかもあって見ていて飽きない。
だが、値札に目をやったリリーは知らず知らずのうちに呻いた。
リリーのいた故郷に比べて、物価が五倍も十倍も高い。
(ただのパンとかお水がこの値段?! え、ちょっと待って。おらがいつも掃除とか洗濯に使ってる水って……)
これも日照りの影響だろうか。
生活用水は使っているのは濾過していない水だから、これほどではないにしろ、目が回るような値段だった。
故郷にいる家族がきちんと食べられているかが心配になりながら、いつも食べている雑穀のパンと水を買った。
ちょうどそのとき、屋台の物陰から顔を覗かせる幼い兄妹に目がいった。
この会場には似つかわしくないぼろぼろの服から覗く細い手足──兄の手が屋台の商品に伸び、パンをひとつかっさらって逃げた。
(……あ。マズい! 逃げて……!)
リリーの願いもむなしく、逃げ遅れた妹を店主が捕まえた。
「この薄汚いドブネズミども! 俺の店からもの盗むたぁいい度胸してるじゃねーか! 覚悟はできてんだろうなぁ?!」
戻ってきた兄もろとも、群衆の目の前にもかかわらず殴り始める。
見ていられなくなったリリーはたまらず店主と兄妹の間に割って入った。
「やめて。ぶたないで! お金なら、おらが払うから!」
「そういう問題じゃねーよ、お嬢ちゃん。俺はこいつらに社会のルールってのを教えてやってんだ。働かざる者食うべからず。この世は所詮、弱肉強食なんだよ!」
「こんな年端もいかない子どもいたぶって、何が社会のルールよ! あんたみたいな大人ばっかりになったらお先真っ暗だわ。……ほら、行っていいよ。おらのパンをあげる」
「あ、待てコラ!」
幼い兄妹たちの逃げ足は速かった。
リリーの渡したパンを引っ掴むと、人波の中を風のように走り去った。
リリーは店主に、彼らの分もパンの代金を払った。
マーガレットから預かった分のお金も使ってしまったが、後で事情を話したらわかってくれるだろうと思う。
店主はリリーから代金をもらってもまだ不服そうだった。地面に唾を吐き付けて言った。
「……おまえも随分、貧相な身なりのガキだな。あんたもそれ、盗んだものなんじゃねーか?」
「なっ……!」
「──うちの者が、何か問題でも?」
突然、かけられた声に、言い争っていた二人はぎょっとした。
いつの間にか、真っ白な衣装を身に纏った少年が背後に立っている。
胸元を色石の首飾りで彩り、豪奢な飾り帯を肩からかけた姿は壮麗ですらある。
リリーと店主は二人同時に叫んだ。
「ア、アモル様……?!」
「げっ! 魔法使い?!」
常日頃から仏頂面なことが多いアモルは、いつになく不機嫌だった。
衣装の美しさもあって、そんな物憂げに睫毛を伏せる仕草すら、今は優美に見えるから不思議だった。
「うちの者がパンを盗んだとでも?」
「えっ……いや、その……」
「どうなんだ、リリー?」
アモルはリリーに目配せする。
後ろ暗いところのなかった少女はすらすらと答えた。
「おら、盗みなんかしてないです。このひとに買ったものの代金を払ってただけです」
「……ということだけど?」
こうなると、かわいそうなのは店主だった。
魔法使いの少年に睨まれて、冷や汗のあまり縮み上がった。
一部始終を見ていた客たちからも、魔法使いの少年と連れの少女に助け船を出す声があがってきた。
「行くぞ、リリー。……あんたの店は、客に濡れ衣を着せて悪態をつくような商売をしてるって覚えとくよ」
リリーとアモルが立ち去った後、店主は一気に百年分も老けたようにへたりこんだ。
☆☆
リリーたちは喧噪の中を進んだ。
アモルの背中は凛として、人混みの中でも見失わずに済んだ。
少ししてから、アモルの歩調が緩んで、やっと声が届くぐらいの距離に縮まった。
「……助けてほしいなんて言ってない」
ぽつりと投げかけた言葉に、アモルの歩みが止まった。
お礼を言うべきなのはわかってる。
なのに、どうしても悔しさが溢れた──所詮、住む世界が違うのだと。
「さっき、『うちの者』って言いましたよね。そんなこと思ってるの、アモル様だけなんだってまだわからないの? さっきの、見たでしょ。外から見たら、立派な魔法使い様と泥棒まがいの薄汚れた子どもでしかない。住む世界が違うひとに優しくされてもみじめになるだけなんです。アモル様はほんの気まぐれでおらたちに慈悲をかけてるだけのつもりなんだろうけど……本当にいい迷惑!」
アモルに悪気がないのはわかっている。
彼は手を差し伸べようとしてくれている。
けれど、少年の手はすぐ引っ込むかもしれない。
頼った瞬間、振りほどかれるかもしれない。
そんな曖昧なものにすがりつくわけにはいかない。
リリーにだって十年間生きてきたなりの矜持はある。
「──っ! じゃあ、どうすればよかったんだよ! おまえが道端でうっかり間抜けに泥棒云々疑われてても黙って素通りして見て見ぬフリしろって?」
「一山いくらで買った大安売りの使用人なんて見過ごしてればいいじゃない。その方が簡単だし気楽でしょ?」
「おまえこそ、僕を見損なうのも大概にしろ。僕はそこまで無責任な軟弱者じゃないぞ!」
「おらだって純粋培養された魔法使い様の浮ついたふわっふわな言葉に引っかかるほど頭お花畑で純朴な田舎丸出しの小娘じゃないわ!」
二人はふんっと顔をそむけた。
「……とにかく! おまえが往来で泥棒扱いされてたら、何度だって助けるからな。あんまり世話かけるなよ」
「だから、そういうこと軽々しく言わないでって言ってるんですっ。一度で覚えられない? 頭悪いの?」
「おま……っ! もう少し言葉選べよ! 僕は仮にも史上最年少の魔法使い様だぞ?」
「いくら机の上の勉強ができたって頭のよしあしは違いますよーだ! あれぐらい、勉強したらおらにも読めるわ」
「よーし、言ったな? 今度みっちり勉強しごいてやる。覚悟しろ。夜も寝らんないと思えよ」
「おら、使用人だから読み書きは最低限でいいもん」
「ぐっ……! ああ言えばこう言う……」
「おらの台詞ですっ」
そこで絢爛装束の少年と赤毛の少女は、はたと我に返った。
周りにギャラリーが集まってきているような……。
「……来い。こっちだ」
アモルが引っ張った方向に、リリーも仕方なく駆け出した。