2-3
アモルがリリーを連れていったのは、舞台関係者用の裏口だった。
踊り子や楽器奏者たちの出番が終わった今、ひとの出入りが少なく閑散としている。
日差しを防いでくれる即席のテントの下で、二人は背中合わせにへたり込んだ。
「はぁっ、はぁっ……──ったく。あんな場所で声張り上げる奴があるか!」
「アモル様だって声張り上げてたじゃん! ……はぁっ……は……大体、そんな目立つ格好してるのが悪いんです。なんなんですか、その衣装。アモル様も踊るんですか? 踊り子のバイトで小遣い稼ぎですか?」
「バカ言え。僕が踊りなんかできるもんか。他の魔法使いたちと一緒に魔法で雨雲呼ぶんだよ。日照りを解消する儀式みたいなもん」
「……へ?」
リリーはアモルをまじまじと見た。
相変わらず淡々とした仏頂面で、横顔だけ見ても何を考えているかよくわからない。
けれど、惚れ惚れとするほどの衣装映えだった。
美しく透明な満月の光を溶かしてひとの形にして固めたら、こんな感じかもしれないと思うほど。
「……なんだよ。ひとの顔ジロジロ見て」
「えっと、もしかして、この後のメインイベントってアモル様が出たり……とか?」
「僕だけじゃないぞ。一族の魔法使い総出だ。この辺りで一番大きな祭りだから、他の家の魔法使いたちも出るし」
「じゃあ、本物の魔法見れる!?」
「……見れるけど……」
勢いに気圧されたアモルはたじたじと後ずさった。
こほん、と思わせぶりな咳払いをひとつ。
「日照りが続いて今ある作物は全滅したからな。魔法でムリヤリにでも雨雲を呼んでおかないと、冬になったら大勢、餓死しかねない。だから、この辺りの魔法使いはみんな招集されて……って聞いてるか、おい?」
リリーはさっきまでの喧嘩腰はどこへやら、もはや尊敬の眼差しをアモルに注いでいる。
「……──ったく。調子狂うったら……」
アモルは早々に講釈を諦めた。
この目をしているときに何を言っても無駄だ。
「……元気そうだけど、身体の具合はどうだ。頭が痛かったり吐き気がしたりは」
「えっと……あぁ、はい。そうですね」
アモルの言葉で、リリーは一気に現実に引き戻された。
体調を崩したのは、元はといえば、アモルの部屋に無断で入って魔法を暴発させてしまったからなのだった。
そのせいでここ数日ずっと悶々悩んでいたのだが。
(なんだか考えすぎて損したっていうか。アモル様と言い合ってるうちにどうでもよくなっちゃった感じ……)
──とはさすがに言えず、リリーは下を向いてぼそぼそ返事した。
「……もう、大丈夫、です」
「本当か? おまえ、嘘つきだからな」
「なっ……!? おらがいつ嘘つきました?」
「大丈夫じゃないのに、大丈夫って言ったり……」
「……。本当に大丈夫ですよ。たくさん休ませてもらったし。その……ありがとう、ございました」
「……」
リリーの答えに、アモルは居心地悪そうに頬を掻いた。
というか、まるっきり納得していなように見える。
まだ何かあるのか……と内心思っていたら、続きの言葉がぼそりと落ちてきた。
「家族のことも、おまえを見捨てたなんて言って。何も知らないのに……言い過ぎた」
「……」
不器用な言葉の端々から、けっこう本気で心配してくれてるのが伝わってきた。
同じぐらい、精一杯、謝ろうとしてくれているのも。
リリーの胸がじんわり熱くなった。
「……アモル様が謝る必要ないです。あのときは、おらも頭に血が上ってました」
「……」
しばらくそっぽを向いていたアモルが、不意にぽつりと、ぶっきらぼうに訊いた。
「……で。どんな家族なんだ、おまえんとこ」
「え? おらんとこですか? 別に普通ですけど……」
そこで、はたと気付いた。
アモルなりに、リリーの家族のことを知ろうとしてくれているのだった。
「どこにでもいる普通の家族ですよ。誰かが魔法使えるーとかもないし……あ、いや。冗談です。うーん、でも、本当に言うほどのことは特に何も……。お父ちゃんとお母ちゃんがいて、兄弟はおらも入れて七人で……」
「──七人!?」
アモルが素っ頓狂な声を出して、リリーはきょとんとした。
「……別に、普通ですよ? 野良仕事で働き手がいるから、兄弟が七人いるのなんて普通普通。九人も十人もいる家だってあるんですから」
「そんなにいるのか? ってか、そんなにいたら、よその奴が紛れ込んでもわかんないんじゃないか?」
「えっ? いや、そんなことない、ない。さすがにわかりますって、それは」
たまによそのうちの子どもがちゃっかり食卓に紛れ込んでいることはあるけど、とリリーは笑ったが、アモルは大真面目に訊いてくる。
「子どもも働くのか? 僕らより小さいのも?」
「そりゃそうですよ。畑仕事の他にも、家事をしたり子守りをしたり。物心ついたら働かなくちゃ。すぐに『ご飯抜き!』って怒られちゃいますよ。おらだって年下の子たちがサボってたら……そりゃまぁ、叱りますし」
しかめつらしく言ったリリーに、今度はアモルが笑った。
「おまえも言うのか、『ご飯抜き!』って?」
「言いますけど……サボってたらですよ? いつも怒ってるわけじゃないですからね?」
「どうだか。おまえ、嘘つきだからな」
「だーかーらー、嘘つきじゃないですって」
「そんなに兄弟がいたら毎日楽しそうだなぁ」
「ほんとに。賑やかすぎてうるさいぐらいですよ」
「見てみたかったな。うちは兄さんにもあんまり遊んでもらった覚えないしな……」
しみじみ羨ましがっている口調でアモルが言った。
リリーにもやっとわかってきた。
お互いの「普通」が違うということ。
住む世界が違うということ──それはリリーにとっての常識が、アモルにとっての非常識になるかもしれないことなのだった。
屋敷の外の世界を知らないアモルに、リリーは注意深く言葉を選んでいった。
「……どこの家も子どもはたくさんいます。育たなくて死んじゃったりもするから、お母ちゃんたちは何人も産むの。でも、お天気が悪かったり収穫前の穂を虫に食われたりして、食べ物がない年もあります……今年みたいに。そういうときは、近所のお年寄りとか子どもが急にどこかにいなくなっちゃったりする。病気とかで死んじゃうときもあるけど、でも多分、帰ってこれないような遠いところに捨てたり殺したり……そういうことなんだと思います」
──そうじゃないと生き延びられないから、どうしようもないから、みんなやってる。
そう続けたリリーの言葉をアモルは静かに聞いていた。
「この前の冬は本当に……本当にひどかったんです。卵を産んでくれる鶏も殺して、種籾もみんな食べちゃって、それでも食べるものがなくて。もうこのまま家族みんなで死ぬしかないってとこまでいっちゃって。でも……お父ちゃんとお母ちゃんは。おらが売られて家を出てくとき、おらに泣きながら謝ってくれたんです……」
『さあ、いいね。もう帰ってくるんじゃないよ。じゃないと、あんたを殺さなくちゃならなくなる……』
力仕事には向かない一番年上の娘が生き延びられるように、遠くの魔法使いの家に売った。
断腸の思いで娘を手放した。
たとえ遠く離れても……──
──どこかで生きていてほしいと願ったからだった。
「……っ」
ぽろりと零れたリリーの涙をアモルが拭った。
そうすると、すっと胸が軽くなる気がした。
泣いても受け入れてくれるひとがいるということ……。
「お父ちゃん……お母ちゃん……会いたいよぅ」
堪えきれなくなって顔を埋めると、少年の真っ白な衣装をリリーの涙が濡らしていった。
ぎこちない両手がリリーの背中に回ってそっと包み込んだ。
慣れない手つきで。
幼い子どもをあやすかのように。
いつまでも、いつまでも、さすっていた。
☆☆
泣いていたリリーが落ち着くと、アモルは色々質問してきた。
兄弟たちの間で流行った遊びのことや、畑で作物を育てる方法や煮炊きの様子、食事の風景はどんな感じか、故郷にはどんな花が咲いて、冬はどんな風に家族と過ごすのか。
まるで土が水を吸い込むように、魔導書には載っていない知識を余すことなく吸収しようとする。
アモルの右手が無意識に宙をなぞった。
まるで無色透明なキャンバスに見えない絵筆を滑らせているように。
リリーは、ピンときた。
「……もしかして今、描いてみたいなって思いました?」
「い……っ!?」
顔を真っ赤にしたアモルが、金魚みたいに口をパクパクさせた。
「おまえ、なんで僕が絵描いてるってこと知って!?」
「ご、ごめんなさいっ。アモル様の部屋に入ったとき、たまたま見つけちゃって……キャンバスと絵の具と、絵がいくつか。──じゃあ、あれってやっぱりアモル様が描いたんだぁ!」
しまった、とアモルは頭を抱えた。
もっといくらでも誤魔化しようはあったのに……。
リリーは頬を染めてはしゃいでいる。
「凄い! あんなに上手なら隠さなくていいのに。なんで隠すんですか。もったいない!」
「別に、あんなの誰だって描ける。……っていうか、魔法の勉強と全然、関係ないだろ」
「いいじゃないですか、関係なくても。好きなんだから」
アモルは変な顔をした──そんなこと、今まで誰にも言われたことがない、という風に。
リリーは首を傾げた。
「好きなんですよね? 絵描くの」
「う……。それは……」
アモルは真っ赤になってたじろいだ。
(……アモル様かわいい)
リリーは微笑ましい気分でくすりと笑った。
普段は大人びて見えるアモルが、また年相応の幼さに戻っている。
そう思うと、口調も自然とからかうようになった。
「おら、お花畑の絵が一番好きです。あの絵の中の女のひと、誰ですか?」
「だ、誰だっていいだろ!」
「いいなぁ。おらもあんなに綺麗だったらなぁ」
だらだらと冷や汗をかくアモルには気付かず、リリーは妄想を膨らませていく。
絵の中の人物はリリーよりも年上で、満開の花畑の中で微笑んでいた。花に囲まれた妖精のようだった。
アモルはふて腐れたようにそっぽを向いた。
「……て、る」
「え?」
「……描いてやる。いつかおまえを」
「え……ほんとですか!? ほんとに、ほんと?」
「いつか、な! いーつーかー! ごね……ご、五十年後かもしれないぞ?」
「えー? ……あ、そうだ! じゃあ、おらが妖艶な魔性の女になったら描いてください!」
「お、覚えてたのかよ、それ?」
「約束ですよ! きっとですからね」
リリーにとって、それは「魔法」の言葉になった。
魔力も何もいらない、幼いがゆえに純粋な、二人だけの約束。
アモルがぶっきらぼうに頷いて、お互いの指を絡めた。
「──約束する」
アモルの顔がさっきとは別の意味で真っ赤になった。
誰にも知られてこなかった秘密を暴いてしまったせいだとリリーは思った。
その後も二人は他愛のない話をした。
話していくうちにどんどん話が弾んで、いくらでも話し続けられそうなのが不思議だった。
今まで雲の上の存在に思っていた少年の輪郭が、リリーの中で徐々に鮮やかな色彩で描き出されていく。
心のどこかで「自分とは違う」と思っていたアモルが、どこにでもいる普通の男の子に変わっていく。
知れば知るほど、もっとアモルのことも知りたくなった。
いつもどこに出かけていて、どんなことを考えているのか。
どうして今まで話してこなかったのか不思議なぐらいだった。
(考えてみたら、アモル様のこと何も知らないんだ……)
そう考えたら、妙にそわそわした。
その空白がなんだか淋しくて、もっと話していたかった。




