7-3
重厚な玄関扉が、風圧でけたたましい音を立てながら閉まって、リリーは外の猛吹雪を締め出した。
髪も外套も濡れそぼり、指先はかじかんで感覚がなくなっている。
どれだけ歩いても、お腹もすかないし喉も渇かない。
……時間の感覚もバカになっていた。
どこまで行っても、人影ひとつ、生き物の影ひとつない世界を歩いてきて、ようやくたどり着いた屋敷だった。
白くにじんだ視界では、半信半疑にしか思わなかった。
だけど、ここは……。
「……はぁっ、はぁっ、はぁ……」
呼吸を落ち着かせて、改めて、たどり着いた屋敷の玄関ホールを見る。
正面には、二階へと続く瀟洒な階段。
落ち着いた色調の花瓶や肖像画。
リリーたち使用人が毎日、磨いて綺麗にしてきたそれらが、死んだような灰色の背景に沈んでいる。
間違うはずがない。
アモルに拾われ、エルバンス魔法学院に編入するまでを過ごした、ワーグナーの屋敷だった。
「誰か……誰かいませんか? 旦那様! エヴィン様! ……みんな!」
呼びかけた声が木霊して広い空間に吸い込まれていく。
住み込みで働いていた使用人たちや雇われていた村人たち……大勢が出入りしていたはずの屋敷がこんなに静まりかえっているところを、リリーは知らない。
ぶるりと身震いをしてリリーは屋敷の中を歩き出した。
客人たちをもてなした応接間やアモルたち家族がくつろいでいたリビング。
以前は立ち入り禁止になっていたアモルの部屋、リリーにあてがってもらった勉強用の小部屋。
メイドたちが出入りしていた厨房には黒猫にご飯をあげていたエサ皿が転がっていて、二段ベッドが所狭しと置かれた使用人部屋は誰かの荷物が打ち捨てられたように放置されていた。
(やっぱり、誰もいない……)
そうして屋敷の中を調べ尽くすと、再び正面玄関を開け放った。
吹雪の風圧に悲鳴をあげる扉を無理矢理宥めて、極寒の銀世界に足を踏み出した。
いつしか、祭りの屋台の骨組みがむなしく立ち並ぶ広場を、リリーは歩いていた。
かつては祭りを楽しむ人々が仲睦まじく歩いていた通りも、踊り子たちが舞っていた観劇場も、アモルたち魔法使いが魔法を披露した大舞台も沈黙して、真っ白な雪原へと変わり果てている。
折れそうに痛む膝を叱りつけて、とぼとぼ進んでいくうちに、それも吹雪の中に埋もれて通り過ぎていく。
どこまでも続く死に絶えた世界。
だんだん、自分が生きているのか死んでいるのかもわからなくなっていく。
……否、生きているはずがないことに、リリーは薄々気付き始めている。
こんな場所、生きている者の世界ではありえない。
それとも、自分が何かの魔法で眠っている間に、世界の方が滅んでしまったのだろうか……。
足が棒になるぐらい歩き続けて、リリーはルシアーズの貧民街に足を踏み入れていた。
いつもはゴミゴミとひとであふれているスラムは無人だった。
子どもたちに勉強を教えていた空き地も雪に埋もれて、最初から何もなかったかのような残酷な顔をしてリリーを出迎えた。
(……ここにも、いない……)
ワーグナーの屋敷、祭りの広場、貧民街とたどって、なんとなく、リリーもおぼろげに自分がどこを歩いてきたのかを悟った──アモルと過ごした場所。
その答え合わせをするかのように、吹雪で霞む視界の前方に、また巨大な四角い影が見えた。
──そして、エルバンス魔法学院の威容が現れた。
☆☆
少女の身体に宿ったエルシア・ワーグナーは、燃え広がる炎を背景に、足下を見下ろしていた。
擦り切れた絨毯の上では、黒髪の少年と赤毛の少女が折り重なって倒れている。
少年の方は魔物にさんざんなぶられて、傷がいたるところに増えていた。
けれど、もう悲鳴をあげることもなければ呻きもせず、ぴくりとも動かない。
少年と少女の周りに群がっていた異形の獅子や花の魔物たちがたじろいで、エルシアの通り道を開けた。
エルシアは少年と少女の元に、静かに歩み寄った。
「本当につまらない子……嫌になるぐらい愚かね。最後までそんな死体を守って逃げ遅れて」
そうして息子と使用人が倒れているのを見ても、心はちっとも満たされなかった。
むしろ期待外れだという思いの方が強い。
何かに裏切られたような感覚さえ、していた。
……エルシアはそのことに気付かなかったふりをした。
「ねぇ、満足なの? 大好きな女の子のために死ねて」
赤毛の少女を抱いて、倒れ伏したアモルは応えない。
だが、エルシアは不意に総毛立った。
何もつかめないまま死んでいくのが、まるで生前の自分のようで。
知らず知らずのうちに拳を握りながら、そんなことはない、と思い直す。
自分は一度死んで、またこの世界に復活したのだ。
アモルを惑わせて魔法使い協会の上議員長を打ちのめし、エルバンス魔法学院の教師陣を壊滅させた。
魔物を召喚する黒魔術も完成し、無尽蔵な魔力の源を手に入れた。
すべてこの手にしたも同然なのだ。
勝利も、魔力も、権力も、何もかも。
この世界に復讐するために、自分は……。
ぶるりと悪寒を振り払って、倒れたままの少年と少女に背を向けた。
「わたくしは行くわ。この魔物たちのエネルギーがあれば、新しい魔方陣なんていくらでも作れるもの」
守りたかったものが、何だったのか、もうエルシアは覚えていない。
人々の幸せを──息子たちの幸せを、ただ願っていたはずなのに……。
あの亡霊の声を受け入れて、最期に残っていたひとかけらも、消えてしまった。
「──さよなら、わたくしの子」




