7-1
どこからか呼ばれている。
逝くな、逝くなと……。
乱暴に揺さぶる手。ずっと触れたかったのに。
手を伸ばしたくても、もう、身体が動かない……。
(……? ……身体って?)
気が付けば、廃墟然としたホールに立っていた。
少し離れたところで、黒髪の少年が赤い髪の少女を抱きしめて泣いている。
(なんで、そっちを見てるの。私はここにいるのに)
声をかけようとしたが、届かない。
まるで透明な分厚い膜の中にいるみたい。
ただ、泣き叫んでいる少年が憐れだった。
(……泣かないで……)
私は、大丈夫だから。
いつでも貴方のことを見守っているから……。
☆☆
「……ちゃ……ん。……ね……ちゃん……。……リリーねーちゃん!」
リリーは、ぱちっと眼を開けた。
空気が澄んでいる。穏やかな風が吹いている。
ずっと昔に慣れ親しんだ、土と草と、堆肥の臭い。
暮れなずむ純朴な空が視界いっぱいに広がっている。
「なにしてんの。こんなとこでねてたら、かぜひくよ」
「……え……?」
視界にひょっこり現れた子どもに、リリーは瞠目した。
粗末な掘っ立て小屋のような家の前だった。
首を巡らせると、植え付けを終えたばかりの畑が広がっている。
満足に餌を食べておらず痩せこけた牛の傍で、小さな子どもたちがはしゃぎ回っている。
──ラトミ村に置いてきたはずの、兄弟たち。
リリーは動転して口をぱくつかせた。
「……な、なんでいるの?」
「はぁ? なに言ってんだ、ねーちゃん。自分んちにいるの、あたりまえじゃん。ねぼけてんの?」
「……じゃなくて、私なんでこんなとこに……!」
そのとき、他の兄弟たちが歓声をあげた。
「おとうちゃん! おかあちゃん! おかえりー!」
「……!?」
野良仕事を終えて、大人や年上の兄弟たちが帰ってくる。
土まみれで微笑んで帰ってきた夫婦は、子どもたちを見て破顔した。
リリーの中に渦巻いていた疑問が、いっぺんに吹き飛んだ。
「おやおや。みんな、いい子にしてたかい」
「きいてよ、かあちゃん。リリーねーちゃんったら家のまん前でねてたんだぜ。どうせねるなら入ってこいっての」
「ははは。リリーはまったく。抜けてんだからなぁ」
「……お母ちゃん? お父ちゃん!」
「うぉ!?」
リリーは感極まって父に抱きついた。
一日働いた汗と泥と、陽向の匂いがした。
「なんだ、今日のリリーはえらく甘えん坊だな。さては怖い夢でも見たのか?」
──ゆめ……夢?
リリーは眼を瞬かせる。
……どうりで、おかしいと思った。
魔法使いの家に売られたり、魔法学院に通ったり。
死んだひとがクラスメイトの身体に乗り移ったり、魔法使い協会の幹部の攻撃に打たれたり……。
父の温かい体温を感じて、リリーはやっと安堵に包まれた。
泣き顔を見られないように、野良仕事に長けた分厚い胸に顔を埋める。
「すごく、怖い夢だった、かも……」
リリーが怖がっていることを察して、母が赤毛を撫でてくれる。
農作業で荒れて、でも、優しい手の温もり。
「さぁさぁ、ご飯作るから待っててね」
「……うん」
手伝っているのだか遊んでいるのだかわからない兄弟たちと過ごしているうちに、豆とくず野菜を煮込んだスープの温かな匂いが漂ってくる。
お腹をすかせた兄弟たちが我先にと囲炉裏に集まった。
そういえば……とリリーは思い出す。
ここでは、こんな粗末なご飯がご馳走だった。
子どもでは歯形もつけられない硬さの黒パンをスープに浸し、ふやかしながら食べる──みんなが大好きな食事のひととき。
「……それでな、エッジの奴にこう言ってやったんだ」
「ほらほら、ご飯を口に入れながら喋らないの」
「なんだよ、リリーねーちゃん。しっかりしたこと言っちゃってさぁ。どっかの先生みたい」
「おあいにくさま。おらは元からしっかりしてますよーだ」
リリーが言い返して、みんながどっと笑う。
兄弟たちと他愛ない話を過ごす穏やかな日常。
……やっぱり、さっきのはおかしな夢だったんだという思いがよぎる。
もし魔法なんて奇跡の力があるんだったら、毎日みんなでお腹いっぱい食べられてる。
毎朝、水汲みに遠い川まで歩かなくていいし、栄養失調で母親たちが赤ちゃんにお乳をあげられなくて悲しむこともない。
そんな奇跡の力があるのなら……。
「リリーねーちゃん、ずっとここにいるんでしょ?」
何気なく言われた一言に、リリーは我に返った。
「うん。でも、夜になったら、お夜食を作りに行かないといけないの。放っとくと、食べるの忘れて研究に没頭してるんだから」
「…………『だれ』に?」
「……え……?」
リリーが緋色の瞳を瞬かせた、その瞬間──
ブツンッ、と何かが切れる音がした。
視界が暗転して、すべての温度が消え去った。
☆☆
次にリリーが眼を開けたとき、室内は真っ暗だった。
食卓を囲んでいた家族の姿がどこにもなかった。
囲炉裏は何年も放置されたように火の気がなく、埃を被って錆びついた鍋がむなしく吊されている。
「お父ちゃん? お母ちゃん? ……みんな、どこ?」
家の中を見渡しても誰もいない。
リリーは慌てて家の外に飛び出した。
自分の他に、誰かいるかもしれないと思って。
そして、身を切るような冷気に呆然とした。
「……何、これ……」
春先だったはずののどかな景色は一転、白銀の雪原に塗り変わっていた。
耳を聾する吹雪。
どこを見渡しても人の気配すらなく、草を食んでいた牛も、家の裏手にいた鶏もいなかった。
それどころか、木々や草むらを飛び回る鳥や虫の気配すらもない。
──まるで始めから何もいなかったかのように。
「あ……あぁ……っ。うぁ…………」
リリーは雪の中にぺたりと座り込んだ。
滅亡した世界にリリー一人、取り残されたような光景だった。
「なんで……こんな……嫌だ。こんなの……」
身体の芯から震えがきた。
寒さのせいばかりでは、ない。
「お父ちゃん! お母ちゃん! 助けて……みんなぁ」
みんな、どこに行ったんだろう。
自分一人を置いて、どこに……。
また見捨てられた、という絶望が胸に広がっていった。
──もうたくさんだ。
誰かを信じて、裏切られるのは。
家族が生きていくために魔法使いの家に売られるのも。
アモルが魔法学院に入って、ワーグナーの屋敷に置いて行かれるのも。
アモルがガブリエラと肩を寄せ合っているところを、見せつけられるのも……。
静かに眼を閉じて、運命に身を委ねようとした──そのとき。
──……逝くな。僕を置いて逝くな……っ!
「……っ!?」
頭の中に響いてきた声に、緋色の瞳を見開いた。
聞いたこともないほど、悲痛な声。
リリーと同じように、置いて逝かれる恐怖に泣き叫んでいる、一人の少年。
「…………アモル様……?」
リリーはふらりと立ち上がった。
肩に降り積もっていた雪が落ちた。
どこまでも続く曇天の空。
吹雪で遮られる視界。
でも、まだ立ち上がれる。
まだ歩ける。
だから……。
「……探さなくちゃ。アモル様を……」
──どこかで、たった一人で泣いてる、少年を。




