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「──まったく。編入早々、教本をなくすなんて呆れたね。あたしゃ、いくら編入試験の成績が優秀だからってエコヒイキなんかしないんだからね。気を付けなさいよ」
「すみません……」
リリーは購買部のおばちゃんに嫌味を言われながら新しい教本を受け取った。
実際にはビリビリに破かれたのだが、なくしたと嘘をついてごまかした。
正直に言うのはプライドが赦さなかった。たとえ嫌味を言われても。
ワーグナー家から仕送りされているお金は生活するのに最低限のものなので、予定外の出費は正直、痛い。
しかし、ワーグナー家に直接、教本代の請求がいくのはそれ以上に嫌だった。
(お昼ご飯を切り詰めればなんとか……大丈夫。ひもじいのは慣れてる)
朝晩に寮の食事があるのは救いだった。
その分、外出する時間は制限されるが、この際、仕方ない。
あとで彼らには謝っておこう……。
気分の晴れないまま女子寮に向かう。
教室でせせら笑っていた少女たちの声が頭から離れない。
『──何しに学院に来たの?』
彼女たちの言うとおりだった。
リリー自身、たった半月で見失いかけている。
アモルの隣にいられれば、それでよかった。
学院でアモルの世話をしていられれば、それでよかったのに……。
『ここじゃお互い、ただの生徒だろ』
エルバンス魔法学院に来たら、離れていた年月の間に、アモルは級友たちに囲まれて楽しそうにしていた。
そこでは、リリーは一介のクラスメイトでしかなかった。
使用人として無条件で傍にいられた三年前とは違う。
アモルにとってリリーはただの級友──否、それ以下の新参者でしかない。
お互いの距離が一気に遠のいた気がした。
アモルのことだけを考えて、追いかけて、石にかじりつくように勉強して、やっとここまで来たのに、近づけば近づくほどますます遠くなっていく。
「……おら、何しにここに来たんだろ……」
田舎言葉をぽろりと零しながら、とぼとぼと女子寮の門をくぐる。
そのまま寮の裏手にある自分の部屋に向かおうとして、リリーは今度こそ固まった。
「アモルさん、送ってもらってありがとうございました」
「気を付けて帰れよ」
「もうすぐそこですから」
女子寮の裏手で、アモルと金髪の少女が話している。
二人は何やら親しげな様子で、アモルの頬にも笑みが浮かんでいた。
かわいらしい小柄な少女はアモルに何度も手を振って寮に入っていた。
(な、何を動揺してるの、おら……!)
心臓がバクバクと異常な不協和音を奏でている。
リリーはますます焦った。
(そ、そうよね。アモル様だって男の子だもの。十歳の子どもじゃないんだから……)
必死に冷静な使用人としての思考を取り戻そうとするが、うまくいかない。
そうこうしているうちに、アモルと目が合った。
アモルは何事もなかったかのように近づいてくる。
「リリーも今帰りか?」
「ひゃ、ひゃいっ」
「……? 大丈夫か。なんか変だぞ」
「なんでもありません。噛んだだけです……」
熱でもあるのではないかと、アモルが額に手を当ててくる。
アモルにしてみれば、まるっきり子どもの頃の感覚だったが、リリーの側からすればたまったものではない。
体温が急激に上昇するのを感じながら後ずさった。
「熱はなさそうだけど……早く帰って休めよ。編入したてで疲れただろ」
「は、はい……」
気付かれなくてよかった……とリリーは胸を撫で下ろした。
アモルは帰路に着こうとする。
その背中を、リリーは呼び止めた。
「あのっ、アモル様、どこに行くんですか?」
「どこって……寮に帰るけど」
アモルは訝しげに振り返る。
リリーも呼び止めてしまってから迷った。
「お荷物お持ちします」や「お見送りします」は嫌がられる気がした。女の子に送ってもらうなんて、と断られかねない。
逡巡の末、リリーはもっと違う言葉を絞り出した。
「少しお散歩しませんか……二人で」
アモルから異論は出なかった。
☆☆
散歩のルートはアモルに任せた。
アモルは賑やかな界隈から離れ、小川のせせらぎの聞こえる土手にリリーを連れていった。
小さくて控えめな白や黄色の花々が咲き乱れ、どこかの葉陰に春の妖精たちが隠れていそうだった。
なんとなく、普段のアモルを垣間見た気がした。
きっと十五歳になった今でも、晴れた日には気晴らしに絵筆とキャンバスを持って出るのだろう……誰にも知られずに。
妖艶な女になったら描いてやる、という子どもの頃の約束を、アモルは今でも覚えているだろうか。
もし忘れていたら……と思うと少し怖くて、あれ以来、リリーは聞き出せずにいる。
「風が気持ちいいな……春だなぁ」
言われて、リリーは新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
風にさらわれる赤毛の髪をかき上げた。
故郷のラトミ村とも、ワーグナー家のあった町とも違う、貴婦人のようにつんと澄ました花々の香り。
足下の土くれには目もくれず養分を吸い取って咲き誇っているような気がして、なんとはなしに、むずむずと落ち着かない気持ちがしてしまう。
「都会の空気はまだ慣れないですね。なんとなく人工的な感じがして」
「あぁ、わかる。僕も最初、違和感だった」
「アモル様も?」
「最初はな。すぐ慣れた」
自分も慣れる日がくるのだろうか、とリリーは思った。
馴染んでしまってはいけない気もした。
自分たちも何かの犠牲の上に咲き誇っていることを、つい忘れてしまいそうで……。
「アモル様は……──」
「うん?」
「……いえ、なんでもありません」
まただ。つい、臆病になる。
本当に訊きたいことをためらってしまう。
アモルが忘れていたらどうしよう、と思う気持ちが先走って、どうしても後の言葉が続かない。
(アモル様は、──……覚えていますか?)




