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木造の校舎に一歩足を踏み入れると、そこに古びた看板がある。
文字は長年の歳月に風化して掠れているが、学院の者なら誰もが諳んじるぐらいに叩き込まれる。
『エルバンス魔法学院へようこそ! ここは古今東西の叡智を結集した奇跡の学び舎。卒業すれば魔法使いに。優秀な者は魔法使い協会の上議員に。少年たちよ、驕るなかれ。我ら、偉大なる力の使徒。民のために我が身を捧げん』
──学院の精神は、今も昔も変わらない。
☆☆
エルバンス魔法学院は小高い丘の上にある。
古めかしくも重厚な木造の校舎棟からは、なだらかな草原を見晴るかせ、この季節になると小さな黄色い花が一斉に咲き誇る。
草原の先には瀟洒な町並みが広がっており、都市計画に従って移植された植木や花壇が彩りを添えている。
春──真新しい制服に身を包んだ少年少女たちがうきうきと、時には緊張気味に校門を潜ってくる。
その様子を、一部の上級生たちが教室の窓際で鈴なりになってのほほんと見守っている。
校舎の三階にある教室で、十五歳のアモル・ワーグナーは見るともなしに窓の外を眺めていた。
首元で少し長めに切り揃えた黒髪に、知性を秘めた理知的な面差し。ゆったりとしたローブ型の制服に身を包んでいるが、均整のとれた細身の身体には妙に合っている。
巻き毛のダイス・グストフが騒々しく教室に飛び込んできた。
「なぁなぁ、みんな。ビッグニュース! うちの学年にも編入生が来るんだって。しかも女子! 釣鐘眼鏡に聞いたから間違いねーよ」
釣鐘眼鏡とは、エルバンス魔法学院の教頭のあだ名である。
白髪を一寸の隙もなく結い上げた厳格な教師で、彼女に校則違反を見つかったが最後、過酷な居残り授業が待ち受けているという。
アモルはまだ受けたことがないが、彼女に捕まった生徒たちが死屍累々と教室に倒れていたのを目撃してから、関わり合いになるまいと心に誓った。
あれからもう三年になるのか。
「第五学年からの編入なんて珍しいね。編入試験の成績、よっぽどよかったんだ。年は?」
「それが聞いて驚けよ。まだ十五だって!」
「へー。アモルと同い年ねぇ」
マクウェル・ショーンズがおっとりと言う。
ちなみに、死屍累々事件のときに、瀕死の生徒たちを介抱したのがマクウェルで、介抱されたのがダイスだ。
アモルはたまたま見かけただけだったが、それ以来、何かと話すようになった。
「秀才アモル・ワーグナー様にライバル出現かもよ?」
「秀才なんかじゃ……」
「ちげーよ、マクウェル。世紀の大天才アモル・ワーグナー様だからな」
「ダイスもマクウェルも……あんま言うと怒るぞ」
友人二人は顔を見合わせてにっかり笑う。
アモルはため息をついた。
エルバンス魔法学院は試験で一定の成績を修めると進級できる制度になっている。
十二歳で入学を許可されれば、第五学年になるのは順当にいけば十七歳。
成績がよければアモルのように飛び級もできるが、逆に留年も珍しくなく、二十歳以上の者も多かった。
同じ学年のダイスとマクウェルはともに十七歳。
十五歳のアモルはともかく、彼ら二人も進級の難しい魔法学院の中では成績優秀な方だった。
それに、とアモルは口元に笑みを刻んだ。
「編入生が誰かはもう知ってるから」
「えっ、嘘。誰?」
「あー……それってもしかしてあの子のこと? ほら、前に話してた、アモルが地元で勉強教えてたっていう……」
「えー! 女の子に手取り足取り勉強教えてたのかよ。何その生活、ずりー。アモル、てめー!」
「バカ、何想像してんだよ……こら、ダイス。放せ。首! 首締まってるから……!」
アモルが地元であるベイリーズを離れて、このエルバンス魔法学院に編入したのは三年前。
それまでリリーに魔法の基礎を教え、リリーを屋敷に残してアモルは学院の寮に入った。
それからも独学で必死に勉強したのだろう。
難しい編入試験に合格したリリーは、第五学年への編入が決まって、知らせを受けたアモルの度肝を抜いた。
三年ぶりの再会になる。
それを思うとどうしても頬が緩んでしまう。
明るく無邪気だったリリーのことを思い出すと無性に懐かしくて、今すぐ迎えに行きたい気持ちに駆られた。
「なぁ、その子美人? 性格いい? 胸おっきい?」
「……ダイス。欲望がだだ漏れてるよ……」
「さあ。何しろ三年会ってないから。でも、きっとすぐ打ち解けるよ」
焦ることはない。もうすぐ逢える。
口元に笑みを浮かべながら、アモルは教室の外を眺めた。
抜けるような蒼穹に白い花びらが飛んでいった。
始業の鐘が鳴る。
生徒たちが慌ただしく着席し、教室の扉が開いた。
緋色の髪をなびかせて、少女が一人、足を踏み入れた。教室の空気が変わった。
白皙の美少女が、そこにいた。
アモルと出会ったばかりの頃はガリガリに痩せ細っていた手足は健康的な曲線を描き、真新しい学院の制服からすらりと伸びている。
そばかすだらけだった顔は一点の染みもなく、くっきりとした二重と引き結んだ桜色の唇が理知的な印象を際立たせている。
声もなくリリーの変貌をぽかんと見つめていたアモルは、隣の席にいたダイスの囁きで我に返った。
「すっげー美人じゃん!」
「……えっと、うん。びっくりした」
あれで一山いくらのゴボウだったんですとはとても言えない。
担当教師に紹介されたリリーは、壇上でにこりともしないで爆弾発言をした。
「アモル・ワーグナー様のお世話をしにまいりました、リリーと言います。よろしくお願いします」
途端、教室中がざわりと騒いだ。
「お世話をしにきたって何?」「アモル・ワーグナーとどういう関係?」といった囁きが交わされる。
アモルは頭を抱えた。
「……アモル、なんかすげーことになってない?」
「……言うな」
だが、リリーの爆弾発言には続きがあった。
相変わらず鉄面皮のような無表情でこう言い放ったのだ。
「……と言いたいところですが、みなさまと馴れ合うつもりはありません。必要以上の干渉は謹んでください。以上です」
ざわめいていた生徒たちが一斉に静まった。
絶対零度の沈黙。
それを気にすることもなく、リリーは表情ひとつ変えずにアモルの席に歩み寄ってくる。
髪と同じ緋色の瞳がひたとアモルに据えられた。
「よろしくお願いします──アモル様」
リリーの瞳に、呆気にとられた自分の姿が映っていた。




