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【深木】はらぺこさんの異世界レシピ  作者: 深木【N-Star】
第二章
68/71

№10 レイス視点






 それは一瞬のことだった。



 体力回復も軽量化も不十分な衣装を身に纏い数時間奮闘したマリーのお蔭で、捕えなければならない標的はあと数人となった頃。

 体力の限界が来たのか休憩したいと口にしたマリーのために探した比較的空いているギャラリーを指差し、席まで先導しようと手を伸ばした。

 しかし時同じくして女性の集団が俺達の間を割り開くように通り、詰めようとしていた彼女との距離が思いがけず開く。



 ――しまった。



 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、数多の色のドレスが視界を遮り、マリーの姿を隠す。

 勇者と同郷というだけでその命を狙われているマリーを守るべく、片時も離れず護衛するつもりだったのに、ここにきて手を伸ばしても届かないほど距離を開けてしまうとはなんたることか。

 舌打ちを零し、綺麗に結い上げられたブルネットを見失わないよう見つめながら、俺は遠ざかる彼女の元に向かうべく慌てて踏み出した。



 あんな思いはもうしたくない――。



 脳裏を過るのは、勇者に手を引かれて女神のベールの中に消えていったマリーの姿。

 止まらぬ己が涙の理由に気が付いた時にはもう遅く、手を伸ばすことなどできないほど遠のき、空に溶けるように消えて行く七色の光を目に焼き付けるくらいしかできなかったあの日の記憶は昨日のことのように思い出せる。

 そして、あの日抱いた激情も。




なぜ、もっと早くにマリーへの想いに気が付かなったのか。




 マリーが勇者ユウトと共に地球という異世界に帰ってから一年以上経ったというのに、俺はあの時のことを思い出してはそう後悔していた。

 オリュゾンの街中で彼女が残したものに触れる度に、

 フェザーご夫妻がそのままにしている彼女の部屋を訪れる度に、

 ベルクやアイザや殿下やジャンの口から彼女の名が出る度に、

 マルクの元で彼女の料理を口にする度に、

 彼女と過ごした時間を夢に見る度に、

 胸が締め付けられ、募る切なさを感じながら彼女を想った。

 そして行き場のない彼女への想いを抱えた俺は考える。

 勇者に手を引かれる姿を見て抱いた衝動のままマリーの手を奪っていればなにかが変わっていたのではないか、と。

 



 故に願った。

 もう一度マリーに会いたいと。

 そして同時に誓った。

 再び会うことができたなら迷わずその手を掴むと。



 

 生き生きと輝くマリーの瞳を覗き込みながら募る想いを伝えて、離れたくないと、側に居てほしいのだと告げて、元の世界には帰らないでくれと言って引き留める。

 なす術なく消えゆく女神のベールを見送ったあの日から幾度も夢想し、その時が訪れてくれることを強く望み、祈った。

 冬を越えても。

 彼女と出会った春を迎えても。

 共に過ごした夏と秋を一人で過ごしても。

 そうしていつの間にか一年もの時が巡り、再び彼女のいない冬を迎えようとしていたあの日。

 他国に渡るので保険として騎士以外の、国の柵とは無関係に動ける人員もほしいという殿下からの依頼を受けてマリーとの思い出が詰まったオリュゾンを離れ、大国クレアスの首都ザウエルクにある城に来ていた俺の鼻先を掠めたのは、懐かしい匂い。

 



 ただ、もう一度マリーに会いたくて。




 可能性が一滴でもあるならばその時はなりふり構わず進むと決めていた俺は、あとのことなど一度も考えることなく殿下達の制止を無視し、迫りくる騎士達を避けて、ただ本能が囁くままに豪華な建物の中へ侵入して、綺麗に整えられていた廊下を駆け抜けた。


 すると、そんな俺の思いが通じたのか奇跡が起こる。


 間近迫った人の気配に対応すべく一旦足を止めて顔を上げれば、立派な騎士達の背に守るように隠された一人の女性を見つけた。

 サラリと零れるストレートのブルネットと精彩を放つ同色の瞳。

 夢にまでに見た姿にたまらず彼女の名を叫べば、聞きたくてたまらなかった声が俺の名を紡ぐ。


「マリー!」

「れ、レイス?」


 マリーの瞳が俺の姿を映して、瞬く。

 ただそれだけのことが泣きたくなるほど嬉しくて、この上なく幸せだと思った。

 だというのに、再会した彼女は良くも悪くも変わっておらず。

 その頭の中は相変わらず美味しい食べ物のことでいっぱいのようで、マルクがいるなら地球の調味料が作れると心から喜ぶ姿が愛おしくも、少し憎らしかった。




 ――俺はこんなにも恋焦がれていたのに。




 これから作れるようになるかもしれない料理よりも、今はその意識を俺に向けてほしい。

 料理に想い馳せるばかりで駆けつけた勇者に目もくれないマリーを見て地球へ帰った二人の関係が変わっていないことに安堵しつつ、俺は少しでも彼女に意識してもらうべく一歩を踏み出す。

 そしてこの胸の内を告げようとしたけれども上手く言葉にして伝えることができず、そうこうしているうちに殿下やヨハン陛下が合流し、結局うやむやになってしまった。


 その後も何度か切り出そうとしたものの、マリーの側には大国の騎士やメイド、殿下達や勇者がいることが多く、誰も側に居ないかと思えば彼女が料理に集中していたりと想いを伝える機会がないまま、あっと言う間に日々が過ぎ。

 燻ぶる想いを持て余したまま、俺は今日も今日とて彼女の側に居る。

 想いを伝えきれなかった俺の視線の先にあるのは木べらをせっせと動かし、具材を炒めるのマリーの姿。今日はボロネーゼとミートソースという料理を作るらしい。

 俺も本格的に料理を習べきか……

 彼女の側に立ち意見を交わし合っているマルクが羨ましくてそんなことを考えるが、それではマリーが作ったご飯を食べる機会が減るから駄目だと思い直す。

 面白くはないがこればかりは仕方ないと思いつつ、先ほどもらったプリンを口に運ぶ。最後の一口となったそれは、ほろ苦くも甘い味と冷たくツルン喉を通る感触がとても心地よく、鳥小屋で振る舞ってくれた時と変わらぬ味に思わず吐息が零れた。



 ――美味しい。



 これほど豪華な厨房と食材を与えられても、マリーが作り出す味は記憶の中と同じで優しく、食べる度にじわじわと温かな感情が湧き上がってくる。

 彼女は変わらない。

 ドレスは柄じゃないから断ったという彼女が選んだ服は、動きやすさを重視したのかオリュゾンに居た時とあまり変わらず、新品で布が少し上質になった分色が鮮やかになったくらいだ。

 それに勇者の庇護を受け、ヨハン陛下の客人として多くの騎士やメイドに傅かれているはずなのに掃除や洗濯以外の身の回りのことは大抵自分で済ませるものだから、手のかからない客人だと好評。その上、居合わせた騎士やメイドに食事や菓子を振る舞っているため、マリーの周りから人が絶えることがない。

 お蔭で、想いを告げる隙がなく。

 やるせなく思うも、味わう瞬間を思い描いているのか瞳を輝かせながら料理するマリーの姿や、騎士やメイドに見せるささやかな気遣い、美味しいと告げる人々を見て綻ぶ顔など、出会った時から変わることなく明るく優しい彼女の行動を見る度に心くすぐられ、温かな感情が一つ、また一つと胸の内に降り積もっていく。



――早く伝えてしまいたい。




 この気持ちを伝えたらマリーはどんな表情を見せてくれるだろうか。

 願わくは、その顔が笑み綻んでくれると嬉しい。

 募るばかりの想いを噛みしめそんなことを考えていると、料理が一段落したのかマリーが振り向き、その目に俺を映す。同時に俺の手の中にある器が空になっていることに気が付いたのか、目を瞬かせた。


「プリン、もう食べ終わったの?」

「ああ。美味しかった」


 呆れたように紡がれた問いかけにそう答えてすっかり綺麗なった器の数々を見せれば、マリーのどこか嬉しそうな声が俺の耳に届く。


「それならよかったわ」


 そう告げるマリーの顔に浮かぶ笑みは、柔らかくも温かで。

 トクリと鳴った鼓動と共にまた一つ、彼女への想いが増すのだった。

 




  ***





 ――また失うなど考えたくもない。

 それに、俺はまだ彼女になにも伝えていない。


 失意のどん底がどういうものか知ったあの日の記憶を振り返りながら、女神の光を思い起こさせる多彩な令嬢達のドレスを躊躇うことなく掻き分ける。乱暴に移動させられた令嬢から小さな悲鳴が上がり、次いで冷たい眼差しを向けられるが構うことなく進んだ。

 今優先すべきは、離れてしまったマリーだ。

 残された敵は少なく、目の届く距離にいるとはいえ、人で賑わうこの場所で狙われている彼女の側から離れるのは危険極まりない。



 ――早く、側に戻らなければ。



 逸る心に従い、少し離れたところで令嬢達の勢いに苦笑しているマリーの元に向かうべく、足早に動き出したその時だった。

 綺麗に結い上げられたブルネットの後ろから伸びてきた手が彼女の口を塞ぎ、 マリーの目が驚きに見開かれる。そしてその直後、背後にいた豪華な衣装を纏った男によって、鮮やかなロイヤルブルーのドレスに身を包んでいた彼女の体は攫うように抱上げられた。


「――っマリー!」


 上げた声はダンスホールで上がった歓声と最高潮に達した音楽に呑み込まれ、必死に伸ばした手は行き交う人々に阻まれ届くことなく。

 急いで立ちはだかる人の壁を掻き分けて抜け出るも一歩及ばず、マリーの姿は貴族然とした男と共に人波に紛れて消えてしまっていた。




 ――連れ去られた。

 そう理解すると同時に込み上げる激情のまま悪態を漏らすも、はしゃぐ人々の耳には届かない。それが余計に俺の苛立ちを煽る。

 貴族然とした男が身を翻す寸前に見えたマリーは、気を失っているのか四肢を力なく伸ばしており、精彩を放っていた瞳は閉ざされていた。


「っくそ!」


 目の前でみすみすマリーを奪われるなど、一体俺はなにをやっているのか。

 助けを求めることもできない状態で連れていかれた彼女の姿を思い出し、ふつふつと沸き立つ憤りにギリッと拳を握り手の平に爪を立てる。プツリと皮膚が破れ、痛みと共に血が流れるのを感じるが、こうでもしないと苛立ちのまま暴れてしまいそうだった。


「――レイス!」


 繋ぎ止めた理性のお蔭か、盛り上がるパーティー会場の喧騒の中から辛うじて聞き分けられたベルクの声に顔を上げれば、投げ渡されるなにか。反射的に受け取ったそれは指輪で、淡い水色の石がはめ込まれている。

 この状況下でベルクが渡してきたのならば、なにかしら役立つアイテムなのだろう。


 普段は師と呼ぶのが憚れるような女好きで貢いでばかりのどうしようもない奴だが、いざという時は頼りになる男だからな。

 ベルクの力を借りなければ連れ去られたマリーを追うこともできない己の無力さを、悔しく思う。俺はまだまだ未熟で、あまりにも弱い。

 しかし、今はそんなくだらないことを言っている場合ではない。

 早く彼女を探さなければ。

 そう思い、指輪の使い方を教えてもらうべくベルクを仰ぎ見れば、他者から見えないよう体で隠しながら森で使うハンドサインが送られてくる。


『簡易なやつだがマリーのドレスに追跡魔法を仕込んである。それを指に嵌めて魔力を込めろ。近づけば近づくほど石の色味が増して居場所を教えてくれる』


 指示されたとおり指に嵌めて魔力を込めるが、特に反応はない。

 ということは、マリーはこの近くにはいないのだろう。

 俺のその考えを肯定するかのように、ベルクが再び手を動かす。


『反応するまで神殿への道をくまなく走って探せ。俺はルクト殿下に伝えて、残りの奴らを片づけてから行く』


 ベルクの言葉に頷き俺は、マリーを連れた男が消えた方向へ足早に進む。

 そしてどうにか思い思いの場所を目指し移動する人ごみを掻き分け、パーティー会場を出た俺は全力で駆けだした。

 一先ず目指すのは、勇者ユウトと魔王の血を引く男がいる神殿。

 神殿を血で穢すのが目的ならば直接連れられていった可能性が高い。

 ――そんなことはさせない。

 魔王の復活だなんてそんなくだらないことで彼女が傷つくなど、ましてや失われるなど、とてもじゃないが俺は許せない。それは恐らくあの殿下も同じなのだろう。


 思い出すのは、想いを告げようとした俺の言葉を躊躇いなく遮ったブルーの瞳。 なんとなくそんな気はしていたが、あの時感じた射貫くような視線で確信した。

 殿下は俺と同じくマリーに惹かれ、共に歩く未来を望んでいる。

 だから殿下は彼女を利用しておきながらみすみす危険な目に遭わせたヨハン陛下と勇者ユウトに対して憤っているし、隙あらば彼らを遠ざけようとしている。

 マリーを連れ去られたことを知れば、殿下の中の俺への評価もまた変わるのだろう。

 目の前で易々と彼女を奪われた俺が悪いのだから、殿下からの評価が下がろうともかまわない。ただ、不甲斐ない俺には任せらないと言って、この手が届かないところに連れていかれてしまうのは困る。




……殿下は、それができる。



 富や身分や権力。

 殿下は俺にはないものを沢山持っていて、その気になればいとも容易くマリーを誰の手も届かない場所に隠してしまえるから厄介で、恐ろしい。

 そしてそれは、勇者ユウトにも言える。

 マリーを巻き込んだことに引け目に感じ今はどこか身を引いる勇者だが、遠ざけても彼女が危険な目に遭ったとなれば考えを改めるだろう。 

 ――彼もまた、マリーに惹かれているから。

 脳裏に過るのは、マリーのパーティーへの参加が決まったあの日に交わされた会話。




『――マリーさんにほだされて寝返ってくれたから良いものを、気が付かずこれほど近くに敵方の人間を置くなんて。貴方方は今まで一体何をしていたんだ』


 マルクと夜食を作ってくると言って退室した彼女の気配が遠ざかるなり殿下が纏う雰囲気は一変し、そう言ってヨハン陛下や勇者ユウトを責め立てた。

 マリーは勇者ユウト達を信じてこの客殿に囲われていたというのに、敵方との接触を易々と許していたなんてどういった了見なのか。敵方が情報を改竄していることも見抜けず、彼女の側にまんまと敵方の人間を配置するような者達にマリーを任せることはできない、と。


『当日の彼女の身柄は我々に任せていただきます。よろしいですよね? ヨハン陛下』

『……ああ。正直、私もアルバンの話を聞いて少々驚いているからな……致し方あるまい』


 殿下の宣言に、ヨハン陛下は悔し気だがしっかりと頷いていた。

 マリーが連れて来たアルバンという名の騎士が敵方として挙げた面々の中には、これまで疑っていなかった者達が紛れていたらしく。使える駒が減ったヨハン陛下としては殿下の言葉に異論はないらしい。

 しかし、勇者ユウトは違った。


『っそれは……』


 殿下と陛下の会話に、勇者ユウトは異を唱えるように声を漏らす。

 彼の瞳に浮かぶのは焦燥と不安、そして苛立ち。

 俺達にマリーの身を委ねるのは不服だとはっきりと語るその目に、勇者ユウトの内にある彼女への想いを知った。

 それは殿下も同様だったらしく、勇者ユウトを見定めるように青い瞳が細められる。

 しかし譲る気はないようで、他者から麗しいと称されるその顔に冷たい笑みが浮かぶ。


『ヨハン陛下には大国の利を優先する義務があり、勇者であるユウト殿はこの世界を背負っておられる。その様な状況では、いざという時にマリーさんを選ぶことはできないでしょう。口でいくら彼女を選ぶと言ってもかならず迷いが生じるし、その一瞬で手遅れになる可能性は十分ある』


 殿下の言葉に勇者ユウトの顔が歪んだ。


『……それは貴方だって同じはずだ、ルクト王太子殿下。それとも貴方はオリュゾンと真理さんを天秤に載せた時、一切の迷いなく彼女を選ぶと断言できるのですか?』

『ああ。残念ながら私もそれはできないよ。しかしレイスは違う』


 唸るように問う勇者に殿下は力なく笑いながら首を横に振ると、そう言って俺へ視線を向けた。


『私達と違って、彼にはマリーさん以上に大切なものなどないからね。国という柵もないレイスならば大多数よりも彼女を選んだとしても許されるし、片時も離れずに側に居られる』


 羨ましいことにね、と声に出さず呟いた殿下に息を呑む。

 海よりも濃いブルーの瞳に滲むのは、羨望と拭い切れなかった悔しさで。

 歯を食いしばり俺を見据える勇者の目に浮かんでいたのは、後悔と抑えきれない苛立ちだった。



 ……射殺さんばかりの目だったな。

 殿下の言葉に勇者ユウトが浮べた眼差しは、それほどまでに強く。

 同時に、どこか苦しげであった。

 富も身分も権力もどれ一つ持たず、地を這い生きてきた俺には彼らが抱えるものなどわからない。

 いや、わからなくていい。


 俺にはないものを沢山持ち、いとも容易く俺の手の届かぬ場所へマリーを連れ去ってしまえる彼らを羨ましく思い、恐れていた。

 その気持ちは今も変わらない。

 しかし彼らのように富や身分や権力を手にしたことでなにかに縛られ、こうして彼女の危機に真っ先に駆けることができなくなるのならば、俺には必要のないものだ。

 だって彼女は。

 マリーは、そんなものがなくたって笑いかけてくれるのだから。




――それはわかったけど……頬に付いてるからね?




 呆れたように笑いながらそっと頬を拭った彼女を思い出し、グッと足に力を込めて地を蹴る。

 煌びやかな客殿で質のいい服に身を包んでいてもマリーは変わることなく、温かな料理を差し出し、笑みを浮かべて美味しいかと俺に問う。

 オリュゾンにいた頃はそれだけで十分だった。

 けれども今は、もっとほしい。




もっとその目に俺の姿を映してほしい。


もっとその声で俺の名を読んでほしい。


もっとその笑みを俺へ向けてほしい。


もっとその手で俺に触れてほしい。


そして許されるのなら、この想いを伝えて君に触れてみたいんだ。




 ――そのためにも、一刻も早くマリーを取り戻さなくては。


 異世界に帰ってしまった彼女と再び出会えた奇跡に心から感謝しているし、またとない機会であり、これ以上ない幸運なのだと知っている。だから、同じ後悔はもうしない。必ず彼女を取り戻して、この心の内を聞いてもらわなければ。

 決意を胸に、木や壁を使い塀や兵士を飛び越えて最短距離を進む。


 後方に流れ行く景色と比例するようにじわじわと青く染まる石を眺めながら考えるのは、マリーの安否のみ。遠くから風に乗って聞こえてくる剣戟のような音も、鼻先を掠める血も香りも気にせず、俺はただ彼女を求めて走った。

 そうしてマリーを探すことしばし。

 もう少し走れば勇者もいる神殿に付くだろうというところで指輪の石を確認すれば、先ほど見た時よりも若干色が薄れている。

 ということは、マリーはこちらにはいない。

 ならば彼女どこだ。

 足を止めて石の色を観察すれば、じわじわと青い色味が減っている。


 ――勇者達のいる神殿から離れていってる?

 これは一体どういうことなのか。



 わからない。



 血で穢すべく攫われたはずのマリーが、神殿から離れていく意味はなんだ。

 耳を澄ませれば神殿のある方角から爆発音がするので、勇者ユウトと魔王の血を引く男が戦い始めたのだろう。

 しかしベルクが渡してきた魔道具は、マリーが現場から遠ざかっていることを示している。

 思い出すは、貴族然とした男の腕の中で力なく眠っていたマリーの姿。

 どの程度の薬かはわからないが彼女がまだ眠っている可能性は高く、そうでもなくても薬の影響で満足に動けないだろう。となると誰かが運んでいるはずだ。

 しかしベルクの知らせを受けて動き出した殿下やジャンが駆けつけたにしては早すぎるので、助けられたとは考え難い。ならば今彼女の側に居るのは誰なのか。




 味方ならいいが、もし敵ならば――。


「容赦はしない」



白く染まる息と共にそう吐き出した俺はマリーを見つけるべく、来た道を引き返したのだった。

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