№6 アルバン・ベンカー視点 2
僕には本物の貴族令嬢がどのようなものかわからないから、マリー様がそうなのか違うのかわからないし、客人の正体を探るなど仕える騎士やメイドにはご法度なので、周囲に尋ねることもできない。
それが、僕には丁度良かった。
彼女が異世界の娘だとわかったら、報告しなければいけなかったからね。
恐ろしい男達に嘘つくでもなく、まだわからないと先延ばしできるのはすごく気が楽だった。
しかし侵入者騒動があった、あの日。
僕はマリー様を独特の抑揚で呼び、慌てて駆け寄ってくる勇者様の姿を目の前で見てしまった。
その上、ヨハン陛下や勇者ユウトやオリュゾンの王太子殿下と錚々たる顔ぶれを前にしても、どれほどすごい立場にいる人達なのかもわからない様子で気軽に接するマリー様の姿に、心臓がドクドクドクと嫌な音を立てる。
そして極めつけは、初めて彼女の口から洩れたマリー様の立場。
『縁があって知り合っただけで、私はただの一般人ですよ』
そんな一般人がいるはずないことくらい、僕にもわかる。
同時に思い出したのは、勇者ユウトの逸話。
彼はエマ姫を助けたお礼に豪華な褒美と宴を開催しようとしたヨハン陛下に、ただの一般人だからと言い張って断わり、その謙虚さに感動したヨハン陛下が友になりたいと申し出たことで二人の関係は始まったという。
勇者の世界に身分制度というものはなく、大半は一般人だという話は有名で。
一般人だと言い張る彼女に感じた既視感に、この身を走った衝撃たるや。
目の前が真っ暗になるというのはこういうことかと、生れて初めて思い知った。
ああ。まさか君が。
恐ろしい野望を抱く男達が求めている『異世界の女性』だったなんて。
客殿の中で見たものすべてが夢であったならと何度も考えたけれども、あの日以降、彼女の側を離れないオリュゾンの面々がそんな僕の甘い考えを否定する。
それにあの騒ぎがあった日に勇者様が姿を見せたことで、僕を含め客殿付きだった騎士やメイド達は集められ、口留めが行なわれた。
その間客殿を守っていたのはヨハン陛下が連れて来た近衛騎士で、運が悪いことにその中には一か月前の勇者の来訪を報告した者もいたらしく。客殿の主であるマリー様が異世界の娘であることはすでに魔王の血を引く男やバルト公爵達に知れ渡っている。
……僕は、どうすればいい?
バルト公爵達に囲まれている魔王の血を引く男を見やりながら、心の中で問う。
現在、客殿にはオリュゾンの人々が絶え間なく居座りマリー様の側にいるため、誘拐は先延ばしにされている。そこで男達は三日後に開催される宴の人ごみに紛れて攫う計画を立てた。
当日マリー様に声を掛けて護衛から引きはがすのが僕に与えられた役割で、同時にそこで成果を出さないと僕や仲間達は切り捨てると言われている。
「魔王様を復活させ、この世界を手に入れるのだ!」
「我々ならばできる!」
「魔王様を倒した立役者達が住まうクレアスを拠点にするというのも乙なものだ」
「代償が異世界の娘ならば心も痛まないしな」
「「「違いない!」」」
魔王の子孫だという男を囲み、血に濡れた未来を仄暗い笑みを浮かべて語り合うバルト公爵達が、恐ろしくてたまらない。
逃げ出したいと思うけれども、知らぬ間に犯してしまった罪が、顔面蒼白となり縋るように見つめてくる仲間達が、愉悦を浮かべるバルト公爵達の中心に立つ男の暗い瞳が、この身を捕らえて放さない。
「――アルバン・ベンカー」
さして大きい声でもないのにその音は部屋の隅までしっかり届き、彼を囲んでいたバルト公爵達の間に静寂が落ちる。
見つからないよう部屋の隅っこで縮こまっていた意味はなかったようで、魔王の子孫だという男の目はまっすぐ僕へと向いていた。
「しくじるなよ」
男の声が重く響く。
どうして、僕らはこんなことになってしまったんだろう。胸を掻き毟りたくなるような後悔が、体いっぱいに広がっていた。
脳裏に浮かぶのは、騎士やメイドに囲まれて柔らかく笑うマリー様の姿。
『沢山出来たので、皆さんも食べませんか?』
『『『『『ぜひ!』』』』』
出来上がったオムレットを前に僕らを振り返ってどこか誇らしげに笑う彼女に、 目を輝かせた騎士やメイド達が一斉に答える。
甘い匂いが満ちるその空間はとても柔らかく、温かで。
あの日に戻れたらと思わずにはいられなかった。
***
仄暗い会合からの帰り道。
落葉した木々が月明かりに照らされる中、僕らは身を寄せ合うように歩きザウエル城内にある寄宿舎へと向かっていた。
「あ、アルバン」
「どうするんだ? 俺達このままじゃぁ……」
震える声で囁く仲間達が浮べている表情を見たくなくてそっと目を伏せれば、黙っていたもう一人の仲間がぽつりと零す。
「でも、異世界の娘が例の『おにぎりの娘』なんだろう?」
その言葉に僕は勿論、仲間達の足も止まり、沈黙が落ちる。
冷たい風がカサカサと枯れ葉を巻き上げる音を聞きながら思い出すのは、マリー様と過ごした日々の記憶で。
彼女があまりにも無邪気に慕ってくれるから僕は、苦しくてたまらないんだ。
『なんで、そんなによくしてくれるんだ?』
『アルバンさんはこのお城に来て初めてできた友人ですから、特別です。パルミエ、皆さんの分はないので他の人達には内緒ですよ?』
そう言って笑ったあと、恥ずかしくなったのか頬を赤く染めて逃げるように出て行ったマリー様の姿を思い出した僕は、無意識に握りしめていた拳を開いて剣ダコができた自身の掌を眺める。
あの日掴んだマリー様の肩は驚くほど小さくて、温かった。
――お菓子、好きでしょう?
口に出したのことなんてない僕の好みを当てて得意げに笑ってくれた彼女を、この手で死地に運ぶなんていくら考えてもできる気がしない。
できるはずが、ない。
込み上げる思いを逃がさないようギュッと拳を握り直して、顔を上げる。
そして働き出してからずっと一緒だった友人達を見据えて、僕は口を開いた。
「……イザーク、ヴィリー、エドガル。いくら考えても、僕にはマリー様を傷つけるなんてできそうにない。だから、一緒に投降してくれないか」
意を決して友人達にそう告げた僕の声はみっともないくらい震えていて、心臓はバクバクと破裂しそうなほど脈っている。
今さらなにを言っているんだと、怒られるだろうか。
それとも彼らは屋敷へ戻り、バルト公爵達に僕の裏切りを告げるのだろうか。
もしくは今ここで、彼らの腰にある剣を向けられるのだろうか。
臆病な僕の頭の中では嫌な予想が次々と浮かんでは消えて行く。
しかし同時に、楽し気に笑いながら僕を呼ぶ彼女の声も響いていて。
なけなしの勇気を振り絞って友人達を見詰め返答を待てば、彼らは顔を見合わせたあと、へにゃと疲れたように笑んだ。
「いいぞ」
「やっぱり、俺達には無理だよなぁ」
「なんでこんなことになっちまったんだってずっと思ってたし。いいんじゃないか」
朗らかにそう答えた三人は、互いの返答を聞いて皆が同じ気持ちでいたことを知ると安心したように肩の力を抜いて、さらに笑い合う。
そんな友人達の反応が信じられなくて何度も目を擦るけれども、彼らは消えることなく柔らかい笑みを浮かべて僕を見ていた。
「土いじりしかやったことない俺達が犯罪者になるなんて、元から無理があったんだよ」
「俺もそう思ってた」
「そうだな。選ばれたからって嫌な役押し付けちまって悪かったな、アルバン。おにぎりの娘のことも守ってもらわないといけねぇし、お前の言うとおり皆で自首しようぜ」
ウンウンと頷き合ったあと「悪かった」、「お前が言ってくれて助かったよ」、「お疲れさん」と言いながら畑で働いていた時と同じく労うように肩を叩いてくれるイザーク達の手の温かさに、ジワリと目頭が熱くなる。
……思い切って、本心を言ってみてよかった。
屋敷に居た男達と違い、やっぱり彼らは僕の仲間だった。
「皆、ありがとう!」
心優しい友人達が変わってなかった喜びと犯罪行為を働かなければならない恐怖からの解放、それから振り絞った勇気が実った達成感が入り混じり、自ずと滲み出てくる涙をグイッと拳で拭ってお礼を言えば、イザーク達は照れ臭そうに笑ってくれる。
ああ、本当に彼らと友達でよかった。
「それでどうするんだ?」
「とりあえず城に帰ろうぜ」
「それもそうだな。自首するにしても、話を聞いてくれる相手のところに行かねぇと」
「そうだね」
意見が纏まったところで、僕らは再び身を寄せ合いながら城を目指して歩き出す。
しかし皆の顔に浮かぶ表情は先ほどまでとは違って明るいし、すっきりした胸から吐き出した息は軽く、鮮やかに白く染まった。
そんな、どことなくホクホクした面持ちで進むこと数分。
しっかり者のエドガルが「そう言えば、」と言って口を開く。
「ところでアルバン。自首するって、一体誰に言うんだ? 魔王の子孫がいるって言っても取り合ってもらえるかわからないし、奴に協力してるバルト公爵はヨハン陛下の伯父だから下手な相手だと握りつぶされて、逆に俺達が裏切ってるって彼奴らに報告されちまうぞ」
「うん。実は――」
心配そうに尋ねるエドガルに、もし打ち明けるならと考えていた相手の名を告げれば、友人達はそれなら大丈夫だなと感心した顔で頷いてくれたのだった。




