№5 葛藤のパルミエ 3
しかしそんな私にマルクさんが待ったをかけた。
「あ、追加分を作るなら俺の生地も使ってください。マリーさんが作ったものと比べたいんで」
「了解です」
マルクさんが取り出したパイ生地の量に合わせて、追加分の生地を取り出す。
――そうだ。折角だから、アルバンさんと友人達にも用意してあげよう。
ふと浮かんだ顔にそう思い立って、冷凍庫から多めに取り出せば苦労して作ったパイ生地は残り僅かとなっていた。
しかし、後悔はない。
また作ればいいだけの話だからね。
なくならなくてどうしようと悩むよりも、それはずっと幸せなことで。
勇者様の来訪の口留めなどをされているであろうアルバンさん達やメイドさん達の苦労を思い、レイス達にあげちゃっておにぎりの数は随分と減っちゃったし、パルミエの他にもう一品足してあげようかなと考えつつ振り返れば、どこか残念そうな雰囲気のレイスと苦笑するマルスさんの姿。
――え、たった数十秒の間になにがあったの?
一体何事かと思い目を瞬かせれば、作業台の上で小さい山を築いていたパルミエが跡形もなく消えていた。
「もう食べ終わったの?」
衝動のまま叫ぶ。
嘘でしょ? 早すぎるっていうか、飲み物ないのによくあの量のパイ菓子を食べられたね?
驚きのあまりレイスとパイの欠片が散る作業台を見比べれば、バツが悪そうにスッとアンバーの目が逸らされた。嘘でしょ……本当に?
「……ああ」
「あっという間でした」
少し勢いを失くしたレイスの声とハハッと乾いた笑いを漏らすマルクさんに、愕然とするしかない。好きなだけ食べていいとは言ったけど、私まだ五枚しか食べてなかったのに……。
「その、……すまない」
「……いや、いいよ。大丈夫。好きなだけ食べていいって言ったもんね……」
ショックを隠し切れない私を見て申し訳なさそうに謝るレイスに、そう言って首を横に振る。
だって、悪いのはレイスでなく私だもの。
レイスならあれくらいの量なら軽く食べれちゃうし、許可があれば喜んで食べる。レイスだもの。ならこれはレイスの所為ではなく、彼が食べる量を忘れて調子の良いことを言った私が悪いのだ。
胸に巣食う悲しみに蓋をしてそう深く反省した私は、気を取り直してパイ生地と向かい合う。
「追加分、作りますね」
「焼成は俺に任せてくれていいからね。マリーさん」
「ありがとうございます」
マルクさんの優しい申し出に心の中で涙しつつ。
私はその後、話し合いを終えたルクト様達が厨房に顏を見せるまで黙々とパルミエを作り続けたのだった。
***
パルミエ作りの翌日。
一連の騒ぎのお蔭で昨日は渡しそびれてしまったおにぎりや、あのあとマルクさんと作ったパルミエなどをアルバンさんとその友人達の分を用意して朝から待っていたものの、どうやら昼間は訓練の日だったらしく。アルバンさんが姿を現したのは、すっかり夜が更け、控えて居たメイドさん達が控室へと下がった頃だった。
――コンコンコン。
厨房内に響いたノックに冷蔵庫を閉めて頭だけ振り返れば、中に居た騎士の「入れ」の言葉と共に音もなく開いたドアの向こう側から焦げ茶の髪を揺らしながらアルバンさんが入ってくる姿が目に映る。
「交代します」
「ご苦労」
これまで警護をしていた騎士の内、最年長だろう騎士がそう答えるとアルバンさんはピシッと敬礼で応えた。
――ああしていると、すごく立派な騎士に見えるわね。
話すと人の好さが前面に出ちゃうから威圧感を感じられないアルバンさんだけど、体格がいいからか敬礼とかがすごく様になる。
眠気を帯び始めた頭でそんな少し失礼なことを考えながらぼんやりその光景を眺めていると、帰る騎士達が厨房の奥に居た私へと目を向けたので慌てて全身で振り返れば、彼らの顔に穏やか笑みが浮かんだ。
「それではマリー様、我々はこれで失礼致します」
「失礼致します。どうぞ、ごゆっくりお休みください」
「お疲れ様でした。皆さんもゆっくり休んでくださいね!」
上司や同僚が声を掛けたことでようやく私の存在の気が付いたのか、グリーンの瞳を丸くしているアルバンさんに小さく笑いながら役目を終えた騎士達を見送る。
そうして、先ほどまで厨房を守っていた騎士達が出入口の向こう側に姿を消してから待つこと数秒後、パタンと小さな音を立てて扉が閉まり室内に静寂が訪れた。
アリメントムにやってきておおよそ一か月。
フェザーさんの鳥小屋で過ごしていた時ほどではないけど、異世界での規則正しい生活に慣れ始めた体が眠気を訴え、ファとあくびが零れる。アルバンさんも来てくれたことだし、用事を済ませて早く寝ないと。きっとレイスが朝ご飯を強請りに来るだろうしね。
「――アルバンさん」
急に声を掛けられて驚いたのか、アルバンさんの肩が僅かに跳ねる。
「な、なんだい?」
「保存棚のいつもの場所に昨日渡し損ねたおにぎりと、あの騒ぎのあとに作ったパルミエっていうお菓子を友人さん達の分も包んであるので帰る時に持って帰ってくださいね」
「え?」
「私はもう寝るので、お仕事頑張ってください」
入口付近に佇んだままだったアルバンさんに歩み寄りながら伝えるべきことを口にした私は、寝室で睡眠をとるためさらに足を進める。
そして閉まっている扉の取っ手を握りながら、就寝の挨拶を告げるべくアルバンさんを仰ぎ見たその時だった。
「おやすみなさい。アルバンさん」
「ちょっ、ちょっと待って!」
慌てた様子で声を上げたアルバンさんが、私の肩を掴む。
急にどうしたのか。なにか変なこと言ったかなと考えつつ、扉から手を放してアルバンさんと向かい合えば、酷く困惑した様子のグリーンの瞳と目が合った。
「? どうしたんですか」
「それだけを伝えるために、こんな時間まで待ってたのかい?」
「ええ。おにぎりもそうですけど、パルミエってお菓子は意外と手間がかかるし、石窯を使える人がいないと作れないお菓子なので、アルバンさんや友人さん達に食べてほしくて」
お菓子、好きでしょう? と尋ねれば、甘いもの好きがばれていて恥ずかしかったのか、ハクハクと唇を動かしたアルバンさんがどこか震えた声で私に問う。
「なんで、そんなに良くしてくれるんだ?」
「アルバンさんはこのお城に来て初めてできた友人ですから、特別です。パルミエ、皆さんの分はないので他の人達には内緒ですよ?」
この歳で面と向かって友達宣言するというのは、なかなか恥ずかしいもので。
私はそう告げるやいなや扉を開けて、アルバンさんの返事を待たずに厨房を飛び出す。
……言い逃げしちゃったけど、アルバさんとはどうせ二、三日後には会うだろうしね。
そんなことを考えながら僅かに上がった体温を冷ますように手で仰ぎつつ寝室に向っていた私は、知らなかったのだ。
私が厨房を出て行ったあと。
「――くそっ!」
一人になったアルバンさんが顔を歪めながら悪態を吐き、焦げ茶の髪をグシャッと掻き掴んで俯いていたことをーー。




