№2 友好のオムレット 4
――グー! ギュルギュルッ!
いまだかつて聞いたことがないほど盛大に鳴いた腹の虫によって、頭の中を埋め尽くしていた悩みがすべて吹き飛ぶ。
――なに、今の? えっ、違うよね? 私じゃないよね!?
思わず自分のお腹に手を当てて確認しつつキョロキョロと辺りを見渡せば、二メートルほど離れたところに陣取り私を見守っていた今夜の厨房担当だろう騎士が険しい顔で私を睨むように見ていた。
鍛えあげられた筋肉を纏った大柄な騎士の顔は厳つく、普段ならば竦み上がってしまうほど恐ろしい。だがしかし、首や耳まで赤く染めてお腹を押さえているので、色々と台無しである。
羞恥からか固まっている騎士の姿に数日前、勇人君の前で盛大にお腹を鳴らしてしまった自分の姿が重なる。
わかるわ。
お腹の虫を人に聞かれるの滅茶苦茶恥ずかしいよね……。
そんなことを考えながら、睨まれてるんじゃないかと思うほど厳めしい表情を浮べる騎士と見つめ合うこと数十秒。
「…………お、お疲れ様です。差し支えなければ召し上がられませんか?」
「はぁ?」
数日前の恥ずかしい記憶に心の中で身悶えつつ、今まさにあの時の私と同じ心境だろう騎士話し掛ければ、なに言ってんだこいつと言わんばかりの声が返ってきた。
結構勇気を出して話しかけたのにひどい。
しかしこういった態度を取ってしまう理由にも、私はすごく身に覚えがあった。こういう時に受ける気遣いって、善意だってわかってても素直に受け取れないんだよね……。
私はあの時の自分の心境を思い出して頷きつつ、余っていたおにぎりが載っているお皿を騎士に差し出す。
「オリュゾンから取り寄せた豚肉とお米で作ったんですが、少し分量を間違えてしまって。食べきれなくてどうしようか悩んでいたんです。ですから、よろしければ召し上がってくださいませんか?」
言葉を選びつつ、困ってるから食べるのを手伝ってもらえると助かるんだけどなぁ、という想いを込めて騎士を見詰めることしばし。
つい先ほどまで、おにぎりを口に押し込み唸っていた私の姿を見ていたこともあってか、騎士が迷いつつも近づいて来てくれたので、ガッツポーズしたい気持ちをグッと抑え込んでジッと待つ。
すると、大皿の側で足を止めておにぎりを眺めた騎士が私へと目を向けてゆっくりと口を開いた。
「……オリュゾンが見つけた新食材の話は聞いたことがあるが、これが豚肉と米なのか?」
「この粒粒してるのがお米で細く黄色いのは生姜、この茶色い欠片が豚肉です」
「米は白いんじゃないのか?」
「よくご存じで。勇者の醤油で味付けた豚肉と一緒に調理したので色が付いてますが、本来のお米はあの雲よりも真っ白なんですよ」
大国の騎士の口からオリュゾンや豚肉やお米という単語が出てきたことが嬉しくて、機嫌よくそう答えれば、男はそんな私をジッと見つめていた。それから少しすると心境の変化があったのか、騎士は警戒しつつも植木から出てきて大皿からおにぎりを一つ手に取る。
そして匂いを嗅いだり、目を細めて観察したりして検分することしばし。
騎士は本当に小さな声で「職務中だけど、少しくらいなら大丈夫かな……?」なんてちょっと可愛らしい物言いで零すと、少しだけおにぎりを齧った。
初めは恐る恐る噛んでいたようだけど、口に合ったのだろう。
次の瞬間、騎士は大きく目を見開くと大きな体に見合う大きな口を開け一口、二口、三口と食べ進めて、あっと言う間におにぎり一個を食べきってしまった。
……吸い込まれるように消えていくってこういうことを言うのね。
あまりにあっと言う間の出来事だったため目を瞬かせていると、怒涛の勢いでおにぎりを食べきった騎士がグリーンの瞳をフニャッと緩めて幸せそうに笑う。
「美味いなぁ、これ!」
弾んだ声でそう言った男はその後、無我夢中という言葉が似合う様子で大皿に残っていたおにぎりを一つ残さず胃袋の中に収めた。
そして空になった皿に満足気な溜め息を吐いた一拍後、ハッとした表情を浮べて慌てて私を見つめると、再び顔を赤らめて気まずそうに視線を彷徨わせて照れたように頬を掻いたのだった。
***
それが大国の騎士、アルバン・ベンカーさんと私の出会いである。
彼と交わしたあのやり取りによって騎士やメイドさん達に作った料理を勧めてみようと思えた私は翌日から実践し、冷蔵庫の中に残っていたおにぎりの山も消費するすることに成功。
また、あれ以後、作ったものの行き場ないという悲しい事態にも遭遇しなくなったし、こうして見張りの騎士や控えているメイドさんから気軽に声を掛けてもらえる関係になれたってわけである。
お蔭で私も心置きなく料理したりお菓子を作ったりできるようなったし、騎士やメイドさんとも仲良くなれたので、彼には感謝してもしきれない。
本人にそう言ったら、職務中だから我慢していただけで皆、私の作る料理やお菓子に興味深々だったから、きっと時間の問題だった。気にするなって言われちゃったんだけどね。
あとから仲良くなったメイドさん達に聞いた話によると、もともと規則的には客人からお礼や物を貰ってはいけないという決まりはなく、場の空気を読んで客人の機嫌を損ねないよう臨機応変にというのが暗黙の了解なんだって。
ただし、客人からの提案にかぎるらしく、メイドさんや騎士達から強請るのはご法度なんだそうだ。そのため私が作った料理を食べきるのに苦心している姿を見ていて、『声を掛けてくれれば喜んで食べるの手伝うんだけどなー』と思っていたらしい。
結局、私の遠慮は無駄な葛藤だったというわけで。
それは、私自身が豪華な客殿とエリートっぽい皆様の雰囲気に呑まれていたというか、前回とは違い女神様に害をなす人々を見つけて捕まえるという目的あっての異世界トリップに、思っていた以上に緊張していたのだと気が付けた瞬間でもあった。
私にできることなんて、ほとんどないのにね……。
女神様の状況を知った今、気持ち的には勇人君のお手伝いをしたく思う。
しかし残念なことに、私に情報収集や悪人と戦う技術などなく、私にできるのは皆様に地球のご飯やお菓子を作ってあげるのと、下手に動いて奔走している勇人君の心配事を増やさないよう、指定された場所で大人しくしているくらいである。
いくらモヤモヤしようとも、出来ないものは出来ないのだから仕方ない。
そう自分自身に言い聞かせて顔を上げればパチリと目が合ったアルバンさんがグリーンの瞳を緩め、メイドさんが私を明るい声で呼ぶ。
「マリー様。お茶の仕度ができました」
「ありがとうございます」
食べるのが楽しみなのかそわそわしているメイドさんや騎士達姿に坩堝に嵌りそうな思考を振りきった私は、皆さんとオムレットに舌鼓を打つべくお茶が用意されている一角へと足を勧めたのだった。




