№2 友好のオムレット 3
ゆっくりしていると折角泡立てた生地が潰れてきてしまうので、私はボールと油を持って足早にコンロの方へ移動する。
弱火で温めたフライパンに油を敷いたら生地をお玉ですくい、直径十センチほどの大きさになるまで流し入れたら蓋をして待つこと三分ほど。
蓋を開けて、表面が軽く乾いてブツブツと細かい穴が開いているのを確認したら、ヘラで生地の周りを軽く触り焼けていることを確かめて裏返し、三十秒から一分ほど数え、焦げ目がつかないうちに黄色い方を上にしてお皿に乗せる。
一枚目が焼き上がったら二枚目、三枚目、とボールの中の生地がなくなるまで焼いたらスポンジ生地は完成である。
――ふわふわしてるってだけで、どうしてこうも気分が上がるのかしら。
ふわっふわに焼き上がった生地に緩む頬を自覚しながら冷蔵庫の取っ手を握れば室内に漂う甘い香りにどこかそわそわしていた騎士やメイドさん達の視線が私を追うように動くのを感じ、小さく笑う。彼らの目は大変正直で、今日も皆に分けてくれるのかしらと期待に輝いていた。
――心配しなくても、ここにいる人たちの分はあるから大丈夫ですよ、っと。
注がれる熱し戦に心の中でそう返しながら冷蔵庫の中から蔕を切り落としておいた小粒の苺を取り出した私は、最初に焼いたスポンジ生地を手に取る。
触れた感じ粗熱はすでに取れているようなので、茶色い面を上にして薄くバタークリームを乗せていく。仕上げにバタークリームの上に真っ赤なワイルベリーを多めに散りばめて、黄色くふわふわな生地で挟むように整形すれば、オムレットの完成だ。
半円状となったスポンジはお月様のように黄色く、隙間から覗く赤とクリーム色のコントラストが目に鮮やかに写り、食べる瞬間への期待値を上げていく。
――ゴクリ。
お皿に盛られた美しいオムレットに喉を鳴らしたのは、果たして誰だったのか。
もちろん私のお腹もグーと期待溢れる上げているので、手早く残りのスポンジにバタークリームとワイルドストロベリーを挟み、次々とお皿にオムレットを並べていけば、大皿はあっという間にオムレットでいっぱいになった。
――出来た。
達成感を胸に顔を上げれば、大皿の上で綺麗に整列するオムレットに熱い視線を送るアルバンさんや騎士やメイドさん達の姿が目に映り、顔が綻ぶ。この期待には応えなきゃね。
「沢山出来たので、皆さんも食べませんか?」
オムレットが載った大皿を軽く持ち上げてそう尋ねれば、ハッと息を呑む音が聞こえ一瞬の静寂が訪れる。そして、
「「「「「ぜひ!」」」」」
次の瞬間聞えてきたのは、そんな元気な返事だった。
最初の内は遠慮していた騎士やメイドさん達もすっかり私に慣れたというか、遠慮がなくって来たものである。
――まぁ、私もこの方が過ごしやすいしね。
いそいそと集まってくる騎士やメイドさん達にそんなことを考えながら、客殿に来た当初のことのことを振り返る。
そして同時に、私はこうなるきっかけを与えてくれた騎士アルバンさんとの出会いを思い出したのだった。
***
――ヨハン陛下に用意してもらった客殿で過ごすこと、五日目。
夜もすっかり更け、御用聞きのため控えていたメイドさん達も控室に下がり、見張りの騎士達の数も最低限となった深夜。
私は厨房にて一人の騎士に見守られながら、作り過ぎてしまった料理を前に困り果てていた。
「……作り過ぎちゃったけど、どうしよう」
目の前にあるのは、角煮と生姜の炊き込みご飯で握ったおにぎりの山。
オリュゾンから輸入したという豚肉にテンションが上がり、つい大鍋で作ってしまった角煮を無駄にしないよう別の料理にリメイクして食べること数回。ようやく残り僅かとなった角煮を使って最後に炊き込みご飯を作ってみたんだけど、とんでもない量のおにぎりができてしまった。
……炊き込みご飯なんて、白米でかさ増しするようなものじゃない。
なぜ作る前に気が付かなったのか。
角煮の量に合わせて生姜とお米を用意すれば、こうなって当然である。
オリュゾンでは作ったものが余るということがないので、すっかり油断してた。
来たばかりなので、ザウエルクに知り合いと呼べるほど親しい人はまだいない。
騎士やメイドさんの中には顔見知りになった人が何人かいるけど、「作り過ぎっちゃったんで食べませんか?」と気楽に声をかけられるような関係ではないし……。
勇人君が来てくれれば誰かに持って行ってもらうという選択肢があるけど、昨日顔を見たばかりなので今日は恐らく来ないだろう。
作業台の上に積み上げられたおにぎりの山を眺めながら、一人ウンウンと唸る。
夕飯として四個、今しがた夜食として二個の計六個のおにぎりを食べたことで、私のお腹はすでにいっぱい。あと一つくらいなら頑張れそうだけど、所詮焼け石に水。
まだ目の前の大皿に十数個ほど乗っているし、冷蔵庫の中には山のようにおにぎりが残っている。
……本当にどうしよう。
冷凍室に入れるという方法もあるけど、電子レンジがないこの世界でどうやっておにぎりを解凍するのか、という話になる。電子レンジ代わりに魔法が得意な人を貸してくださいなんて、オリュゾンならまだしもここの人達に言える?
そんなことを考えながら、そっと扉の前に立つ騎士達にそっと目をやる。
……いやいや、無理でしょ。
あんな見るからに鍛えてますって体つきのエリートっぽい人達に、しかも会って五日しか経ってない、気心どころか名前も覚束ないこの状況で『ちょっと冷凍保存してるおにぎりを解凍してくださいません?』なんてお願いできる度胸はさすがにない。
メイドさん達に頼んで、時間が止まるマジックバックでも借りる方がまだ敷居が低いだろう。
でも、あれってレイスが持っていたサイズでも結構いいお値段するし、こんな豪華な客殿をポンッと用意しちゃう人達に頼んで大丈夫だろうか。もしかしたら、とんでもなく高価なマジックバックを持ってくる可能性ある。
というか、きっとそうなるに違いない。一般人が使う手頃な値段の物とか、ここには置いてなさそうだし。そんな高価なものに入れるのはおにぎりって、さすがに駄目でしょ。
――ああ、今ここにレイスがいたら、これくらい簡単に食べてくれるのに!
きっと無表情ながらも雰囲気だけはお花を飛ばしながら頬張って、あっと言う間にこの大皿を空にしておかわりを強請ってくれたことだろう。なんでも美味しいと言って沢山食べてくれるレイスは、本当に作り手冥利に尽きる相手だった。
彼の食べっぷりを思い出しつつ、これまでにないほどレイスを求めた、その時だった。




