プロローグ
二つの世界を繋ぐ暗闇の中を、女神様に手を引かれながら走ること数分。
間近に迫った光のベールに思わず目を閉じれば、投げ出すように女神様の手が放され、シルクのような感触が私の顔や腕やスリッパを履いただけの素足を撫でていった。
そして、世界が明るい光で染まる。
「――ユウト、なのか?」
急に放り出されたことで踏鞴を踏みつつも、なんとか転ぶことなくその場に留まった私の耳に届いたのは、戸惑いにほんの少しの安堵を滲ませた低い声だった。
使い古したスリッパを履いただけの足に感じるひんやりした空気に恐る恐る目を開ければ、ぼんやりと私の影が映るほどピッカピカに磨かれた石畳を踏みしめているのが見える。
肌に感じる人々の気配に膝から崩れ落ちてしまいたいところだけどグッと堪えて、ゆっくりと顔を上げていけば、見るからに一般兵ではないフルプレートの鎧に身を包んだ騎士達と彼らの主人だろう暖かそうなファー付きのマントを羽織った雄々しい御仁の姿。どうしてこんなことに。
チラっと背後に視線を飛ばせば、女神様を模した石像が祀られた祭壇らしきものと空気に溶けるように消えて行く七色の光の粒子。
消えゆく光のベールの痕跡を眺めながら「嘘だろ……」と零す勇人君の愕然とした表情を見るかぎり、女神様は私達を放置してお帰りになられたらしい。なんてことなの。
ひょんなことから紛れ込んでしまった異世界アリメントムから地球へ戻り、早一年。
人に恵まれ、なんだかんだ充実していた異世界での暮らしへの未練も薄れ始め、ようやくオリュゾンで過ごした日々が思い出になりつつあったところだったのに、再びこの世界に足を踏み入れることになるなんて思いもしなかった。
しかも今回は女神様の勘違いがあったというか、勇者召喚に巻き込まれたというか、互いの認識に多大なる誤解があったために起こってしまった再訪である。
ただ勇人君と美味しいご飯を食べていただけなのに、なぜ。
そんなに私の日頃の行いが悪かったのだろうか?
思いもよらなかった事態にどうしてよいかわからず、困惑のまま祭壇を見つめる。
私に、一体なにをしろと言うの女神様……。
心の中で呟いた問いかけに答えが返って来ることはなく。
惑い荒れる私の胸中とは裏腹に、見上げた女神像は穏やかに微笑んでいた。




