[第七章]真相編 ―鳴海悠馬と田辺栄人/一度きりの邂逅-
八建睡眠科学研究所に入って、まず悠馬が驚いたのは、その内装だった。
残党とはいえ、ノープス真命会ほどのカルト教団が拠点としている場所なのだから、さぞかし狂気に塗れたおどろおどろしい光景が待ち受けているだろうと覚悟していた。しかし実際には、汚れ一つない白い壁に、ワックスにより光沢を引き出された床と、想像とは真逆の清潔感溢れる光景に、悠馬は思わず肩を落とした。
故に、あずさの元へ案内されたときは、その部屋――実験室――の異質さに少しばかり胸が高鳴った。照明は、目を凝らさなければ部屋全体を見渡すことが出来ない程度の光量しかなく、室温は鳥肌が立ちそうなほど下げられている。
その理由はすぐに分かった。部屋の中央に置かれている、楕円形の巨大な機械だ。更に目を凝らすと、その機械から伸びる無数のコードが部屋全体に広がっているのが分かる。その光景に、悠馬は生理的嫌悪感と同時に、確信めいた予感を抱いた。
「こんな所でお話するのも何ですし、移動しましょうか」
あずさが提案する。
「ああ、そうだな。ここは寒くて仕方ねぇ」
悠馬は大げさに自分の身体を抱いた。
悠馬は、実験室を出た向かいにあるスタッフの休憩室に案内された。
「コーヒーで宜しいですか?」
あずさは、社交辞令の言葉をかけながら、席を立つ。
「ああ、お構いなく」(ノープス真命会から出される飲み物に、口なんか付けられるわけないだろ)
それを悠馬は片手を上げて静止する。これは、社交辞令ではなく本心からの言葉であった。
あずさとしても、嫌悪する人間と必要以上に言葉を交わしたくなかったのだろう。悠馬に聞こえないほど小さく鼻を鳴らし、静かに腰を下ろした。
「それでは早速ですが本題に入りましょうか。鳴海さんは、我が研究所が新しく開発した製品のモニターに――」
「それにしても、さっきの部屋は凄かったな。もしかして新製品ってのは、あの部屋にあった卵みたいな形をしたデカブツのことなのか?」
「え、ええ、そうですよ」
「しかし、あのサイズを売り出すとなると骨が折れるんじゃないか? というか、そもそもあれは何をする機械なんだ?」
あずさは、良く笑顔を取り繕うことが出来たものだと、自分に感心した。それほどまでに、悠馬の図々しさに腸が煮えくり返っていたのだ。
この男は、愛しい我が子をよりにもよって「卵みたいなデカブツ」だと蔑んだ。自分の醜悪さを棚に上げて、だ。ああ、許せない。許せるものか。だが、何より許せないのは、そんな男に良いように言われるまで落ちぶれてしまった自分たちだ。
一〇年前、教祖様が異端者に囚われたことでノープス真命会は『光』を失った。異端者は己よりも秀でた才を持つ者を憎む。故に、誰よりも聡明で偉大な教祖様を憎んだ異端者共は、目先の正義――それも、国によって歪められた正義――を掲げ、自己満足のためだけに我らの居場所を破壊した。そんなことが許されて良いはずがない。だから自分たちは、いつかこの腐りきった世界を修正するために、一〇年間耐え忍んできたのだ。
そして、遂に完成したのが、夢情報収集装置『愛しの我が子』だ。
我が子の力で、自力で教祖様の唱える真理に辿り着いた田辺栄人の思考過程をトレースし、その情報を一〇年前と同じように信者たちの脳に植え付ける。そうすれば、一〇年前よりも更に高い領域に……教祖様と同じ領域に辿り着くことが出来るはずだ。信者全員が悟りを拓くことが出来れば、ノープス真命会の未来は、光に満ちたものになるに違いない。そう、我が子こそがノープス真命会を光へと導く『希望』なのだ。
だというのに、この男は我が子を侮辱した。
あずさの中で、何かが弾けた。
(……この男を、許すわけにはいかない)
そうだ、何故この男に笑顔を作らなければならないのだろう。田辺栄人と同じ点数を出した人間だから、それがどうした。確かにデータの採取量は減るが、元々、この男からデータを採る予定などなかったのだ。本来の予定に戻るだけだ。いや、むしろ、このような穢れた男のデータを我が子に反映させてしまっては、悪影響が出るに違いない。
あずさは、白衣のポケットに入れてあった鋏に触れた。人を殺すには少々心許ないが、不意を突ければ何とかなるか。
あとは、どうやって隙を作るか。あずさが、悠馬を始末する段取りを企てていると、突然、不安を煽るような甲高い音が部屋中に響いた。これは、警報だ。
「一体、何があったの!?」
あずさは、部屋に設置された電話機から、管理室に内線を繋ぐ。
『そ、それが、「ホープ」と接続している被検体からの信号が消失したようで……』
「なんですって!? 原因は……いえ、私が直接見に行った方が早いわ!」
あずさは受話器を叩き付け、部屋を飛び出した。悠馬への殺意はすっかり消え失せ、今はただ我が子のことで頭が一杯であった。
ただ事ではない雰囲気を察した悠馬も後を追った。
悠馬が再び実験室を訪れると、機械の駆動音だけが流れていた先ほどとは打って変わって、あずさを含めた研究員たちの悲鳴で騒然としていた。照明の光量も引き上げられており、目を凝らさなくとも部屋中を見渡せるようになっていた。
「おい、アンタ。一体、何がどうなってる?」
悠馬は近くにいた男を捕まえた。男は部外者である悠馬の存在に、警戒と当惑の色を見せるも、悠馬の凄みに圧倒され口を割った。
「ひ、被検体から『ホープ』へと送られる信号が急に途絶えたんだよ」
「分かるように言いやがれ!」
悠馬に胸倉を掴まれた男は小さな悲鳴をあげ、緊張した口を恐怖で無理矢理動かした。
一週間前に所長が田辺栄人という少年――曰く、善意の協力者――を連れてきたこと。
夢情報収集装置『ホープ』に田辺栄人を接続し、彼の夢を情報化してサンプリングしていること。
数日前から、田辺栄人から引き出せる情報量が低下していたこと。
そして先ほど、遂に田辺栄人から一切の情報を引き出せなくなったこと。
男の説明は、悠馬に最悪の結末を想像させた。
「このままでは、折角集めたデータが全て無駄になってしまう。さあ、説明したんだ、離してくれ!」
悠馬は男を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、寸での所で堪え、汚物を捨てるように男を突き放した。
大きく舌打ちをして去る男を、悠馬は呆然と見送った。
他の者もそうだ。誰一人として、田辺栄人の身を案じていない。
その光景に、悠馬は肝を冷やした。連中は本当に自分と同じ人間なのだろうか。実は地球人の皮を被った異星人なのではないか。
「『ホープ』の停止、確認しました! これより被検体を開放します!」
研究員が叫ぶ。すると『ホープ』が、異音を立てながらゆっくりと上下に分かれて開かれる。それは、長い眠りから目覚めようと、重たい瞼を開こうとしているようにも見えた。
悠馬は『ホープ』の周囲に群がる研究員たちを押しのけ、『ホープ』の前に出る。
「貴方、どうしてここに!?」
悠馬の姿を確認したあずさは、彼を睨み付けた。しかし、悠馬がそれに気付くことはなかった。
今、悠馬の全ての意識は『ホープ』の中で横たわる田辺栄人に注がれていた。頭から足先まで、全身にコードが繋がれている――到底、人間扱いされているとは思えない――姿に、悠馬は目の奥にツンと痛みが走った。
悠馬は、田辺栄人に繋がれたコードを力ずくで剥ぎ取る。
「おい、聞こえるか!」田辺栄人の頬を叩きながら、叫ぶ。「俺は鳴海悠馬、『さがしや』の所長だ! お前の母親からの依頼で、お前を『探して』ここまで来た!」
眠り続ける田辺栄人の姿に、悠馬は一〇年前、ノープス真命会の洗脳によって命を落としたクラスメイトたちのことを思い出していた。被害にあったクラスメイトたちとは、直接的な関わりがなかったが、クラスを代表して参列した彼らの葬儀は、今でも覚えている。部屋全体が薄暗く、嗚咽が止まない重苦しい空気。被害者の家族や親しい友人、教員など皆が悲しみに暮れる中、たまたま同じクラスだからだったという理由だけで参列した悠馬は自分自身に強烈な異物感を抱いていた。それからだ。悠馬が他人の不幸に心を痛めることが出来るようになったのは。
悠馬は田辺栄人の手を握りしめる。
田辺栄人は目を覚まさない。
悠馬は叫び続ける。
田辺栄人は目を覚まさない。
悠馬は願い続ける。
(頼む、目を開けてくれ。俺の前で、死なないでくれ……!)
田辺栄人は目を覚まさない。
だが、悠馬は感じた。自分の手に伝わった、微かな力を。
「う……あ……」
この世界に絶望し、異世界を夢見て消えた少年と、
消えた少年を追い、この世界で彼の本質を知った青年が、
いま遂に邂逅を果たした。




