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[第五章]真相編 ―馬鹿を閃く朝1/2―

「ん……朝か」


 鳴海悠馬の朝は、隣ですやすやと寝ている姫矢真弥を起こさないように、ゆっくりと布団から出るところから始まる。


「ハァ、まさかあの安眠枕がノープス真命会絡みの物だったとはな」


 悠馬は物音を立てないように着替えながら、枕を見る。今は悠馬の頭の重さで凹んでいるこの枕は、昨日近場のホームセンターで購入したものだ。しかし、安物であったため、寝心地はお世辞にも良いとは言えなかった。


(こんなにも違うんなら、やっぱり捨てなきゃ良かっ……いやいや、ノープス真命会が作ったものなんか恐くて使えるか。ていうか、枕の中に脳に悪影響を及ぼすものとか入ってなかったよな……?)


 一度、病院に行って脳検査を受けるべきかと悩みながら、お気に入りのワインレッドのシャツと黒のベストに袖を通し、静かに寝室を後にした。


 包丁が野菜を刻む音、まな板を打つ音、これらの音が一定のリズムで事務所に響く。

 かたことと鍋の蓋が動き始めたのを確認し、火を止める。

 食事を盛り付け、テーブルに並べる。

 妙に静かな朝だと思ったら、テレビを点けていなかった。


『CMのあとは、アッパレ占いコーナーです!』

「おっと、もう真弥さんを起こす時間か。今日はちゃんと一緒にアッパレを見ないとな」


 真弥を起こしに行こうとドアノブに手を掛けたとき、悠馬は初めて自分の手が濡れたままだということに気が付いた。

 食卓に座る真弥は、むすっと頬を膨らませていた。その原因は、寝起きだからと機嫌が悪いからではないし、もちろん悠馬の食事が不味いからでもない。


「あんな形で依頼が終了だなんて、わたし納得出来ません」


 口を尖らせる真弥の姿に、悠馬は頭を掻いた。


「真弥さん、昨日から何度も言ってるだろ? 田辺栄人がノープス真命会と共に居る以上、民間人の俺たちは手を出せないって」

「でも、わたしたちは田辺栄人さんの行方を探して欲しいって依頼を受けたんですよ」

「ああ、そうだ。依頼内容は、田辺栄人の『捜索』であって『救出』ではない。田辺栄人の居場所を特定したことで、俺たちの仕事は終わりさ」

「そんなの詭弁です!」


真弥は両手を机に叩き付ける。その両手はわなわなと震えていた。


「田辺栄人さんが可哀想です」真弥は喋る。「あの人は、周囲に頼ることが出来ず、いつも孤独でした」真弥は喋り続ける。しかし、その視線は悠馬を向いてはいなかった。「自分に手を差し伸ばしてくれる人をずっと待っていました」真弥は息継ぎも忘れひたすらに喋る。まるで心をどこかに置き忘れたかのように無表情で、真弥は喋る。「だから、彼の本質に触れたわたしが、()が――」

「真弥さん!」


 悠馬は真弥の腕を掴み、彼女の言葉を遮る。

 悠馬の叫びで、我に返ったのだろう。真弥は疲弊した表情で悠馬の顔を見つめる。


「真弥さん、『田辺栄人』に感情移入しすぎだ。危うく『田辺栄人』に呑まれるところだったぞ」

「……あ……ごめん、なさい……」


 真弥はしゅんと俯いた。

 悠馬は驚いていた。真弥がここまで『探しモノ』にのめり込むのはいつ以来か。

 真弥は方位輝石を使用することで『探しモノ』の本質に触れることが出来る。

 しかし、この本質というのが厄介であり、今回の田辺栄人のように『探しモノ』が『人間』であった場合、方位輝石はその人物の『心』を――それも本人でさえ自覚していない奥底まで――拾ってしまうのだ。人間の本質とは心と同義であるからだ。

人間の心の奥底を覗く――それはとても危険なことだ。相手の心を知ろうと奥へ奥へと意識を向けると、自分と相手の心の境界が曖昧になり、先程のように過剰に相手に感情移入してしまい、心を『呑まれ』かねないのだ。

 そのため真弥は普段から、人間を対象に方位輝石を使用する際は、その人物の心を掘り下げないように力をセーブしている。

 しかし、今回の真弥は力を抑えることが出来なかった。原因は分かっている。あの『青色』の発光現象だろう。


(ついこの間まで制御出来ていた力が、突然暴走(・・)した。一般的に暴走の原因は、使用者のミス……これはない。外部から何らかの力が働いた……これも考えにくい。となると、内部の問題……制御出来なくなるほど、力が強くなった?)


 つまり、あの青色の光(・・・・)は真弥のレベルアップの証だということか。

 確かにそれならば、昨日と今日の真弥の反応に納得がいく。

 そして、それは『さがしや』の存在意義でもあるため、喜ぶべきことなのだろう。

 しかし――悠馬は被りを振った。

 これは今すぐに結論を出すことではない。もっと時間をかけて……そう、また別の機会に考えればいい。


「とにかくだ、真弥さん」悠馬は自分の思考を切り替えるために、敢えて強い口調で話を切り出した。「今回の件はこれで終わり。あとは警察に……克己の野郎に任せておけばいいんだ。それとも真弥さんは、警察が信用出来ねぇか?」

「そ、そんなことはありません! 克己さんはとても優しくて頼りになる方です!」


 別に克己のことを聞いてはいないが。


「ま、まあ、克己はともかくだ。餅は餅屋、探しモノは『さがしや』、犯罪の取り締まりは警察だ。互いに尊重しあい、領分を弁える。それがプロってもんだ。分かるな、真弥さん?」


 悠馬に優しい口調で諭された真弥は、こくりと頷いた。

 悠馬は真弥の頭に手を乗せる。


「真弥さんの言ってることは、決して間違いじゃないんだ。でも、今回ばかりはどうしようもないんだ。大人の都合を押し付けちまって、ごめんな真弥さん」

「謝るのはわたしの方です。我が儘を言って、ごめんなさい」

「なーに、我が儘は子供の特権さ。気にすることなんてねぇよ」

「……じゃあ、もう一つ、我が儘を言っていいですか?」

「ああ、もちろん」

「もっと、わたしの頭を撫でてもらってもいいですか?」

「お安い御用だ」


 悠馬は、真弥の小さい頭を優しくなでる。この位置からだと、真弥の顔を確認出来ないが、今、真弥がどんな表情をしているか、悠馬には分かる気がした。


「悠馬さん。わたし、悠馬さんが居て、克己さんが居て、家族が居て、友達や先生、ご近所の皆さんが居る、この世界が大好きです」真弥は、自分という存在を確かめるように、一つ一つの言葉をハッキリと紡ぐ。「悠馬さんは、この世界が好きですか?」


 真弥は不安の入り混じった瞳で、悠馬を見上げた。その質問の答えを、悠馬は考える必要などなかった。悠馬は腰を落とし、真弥の瞳を真っ直ぐと見返す。


「当たり前だろ。真弥さんが居るこの世界を嫌いになるわけないだろ」真弥の頭を撫でながら、彼女が求めているだろう言葉を繋ぐ。「田辺栄人もそうだ。真弥さんにはまだ少し早いけどよ、あの時期のガキってのは、大抵周囲を拒絶したがるもんなんだ。若気の至りってヤツだな。でも、それも一時的な物だ。いずれ、アイツも周囲と折り合いを付けて生きていけるようになる。これからずっと、世界を拒絶し続けるなんざ出来やしないさ」

「そう、なんですか?」

「ああ、既にその道を通った俺が言うんだから、間違いねぇ」


 自信満々に胸を叩く悠馬の姿に、真弥はぷっと噴き出した。


「悠馬さんも、田辺栄人さんと同じような時期があったんですか?」

「あった、あった。社会の歯車になってたまるかと息巻いて、授業をばっくれたり、盗んだバイクで走り出そうとしたこともあった」

「人のものを盗んだんですか?」

「いや、走り出そうとしただけで、実際には盗んでいませんから、大丈夫です、はい」


 真弥を励ますためとはいえ、自分の若気の至りの告白は、予想以上に心へのダメージが大きい。あまりの恥ずかしさに視線を落とし、悠馬は小さな声で学生時代の自分に呪詛を唱えた。


「と、とにかくだ。田辺栄人の心の問題は、時間が解決してくれる。だから、真弥さんがこれ以上アイツに気に病む必要はないんだ。……それにな。これ以上、他の男を考えられちゃ、いくら心が広い俺でも嫉妬しちまうぜ」

「まあ、悠馬さんったら……ふふ」


 真弥の顔が綻ぶ。今日、初めての笑顔だった。


 真弥を小学校へと送り出したあと、悠馬はデスクの上で頬杖を突いていた。


「俺だって『さがしや』として、自分の手で田辺栄人を連れ戻したかったさ」


 悠馬は、ここにはいない真弥に言い訳をするように独りごちた。

 保護者という立場上、真弥にはああ言ったものの、悠馬も内心は真弥と同じ気持ちであった。自分にだって、真弥と同じように『さがしや』としての誇りがある。


(けど現実問題、俺一人の力でノープス真命会から田辺栄人を連れ出すことは不可能だ。どうやって研究所内に侵入するか? よしんば侵入出来たとして、そこからどうやって田辺栄人の元に辿り着くか。どうやって田辺栄人を研究所から連れ出すか。ノープス真命会の連中に遭遇した場合、どう対処するか。もし、俺の目的がバレて田辺栄人を人質に取られたらどうするか)せめて、ノープス真命会の人間に怪しまれることなく、施設に入り込むことが出来たら、どうとでもなるのだが……そんな都合の良い話など、あるはずがない。(……結局、確実かつ安全に田辺栄人を保護するためには警察に任せるのが一番なんだよな)


 思考の袋小路に入ってしまった悠馬は、頬杖から滑り落ち額を机にぶつけた。

 いくら考えても、警察に任せる以上に良い案を思い浮かべることが出来ないし、それが正解だと悠馬の理性は結論を出していた。

 しかし。だけど。

 真弥の沈んだ表情が脳裏を走り続けている。子供の感情を、大人の理屈で屈服させた罪悪感が悠馬の良心を責め続ける。そして、『さがしや』としてのプライドが、自分の筋を通さなければ気が済まない鳴海悠馬の本質(わがまま)が、彼の中でくすぶっている。

 思いきって、正面から堂々と乗り込んでやろうかと腰を浮かせるも、すぐに理性がブレーキをかけ、再び腰を下ろす。


「あーダメだ、ダメだ。これ以上、考えても埒が明かねぇ」


 悠馬は降参の意思を示すように両手を広げ、体重を椅子の背もたれに預けた。

 気持ちを切り替えるために、新聞でも読もうかと部屋を見渡し、ここで今日の新聞を取り忘れたことに気が付いた。朝から、テレビを点け忘れたり、料理で濡れた手を拭くのを忘れたりと、らしくないことが続く。身に付いた習慣を忘れるほど心が乱れている、自分の選択に納得出来ていない、自分の心に嘘を付いている証拠なのだろう。

 悠馬は、被りを振り、頭を掻き、深呼吸をし、自分の感情を押し込めるために頭の中で正論を展開しながら、ポストから新聞を取り出した。

 一枚のチラシが、悠馬の足元に落ちたのは、その時だ。

 ため息を吐きながらチラシを拾おうと膝を折り、そこで悠馬の動きが止まった。


『鳴海悠馬様へ。八建睡眠科学研究所より新製品の(・・・・)モニターの募集(・・・・・・・)のご案内』


 ――せめて、ノープス真命会の人間に怪しまれることなく、施設に入り込むことが出来るような都合の良い話があったら、どうとでもなるのだが。

 悠馬は、自分の口角が大きく吊り上がるのを止められなかった。

 思えば、昨日の朝もそうだった。一週間前から解いていたクロスワードパズルも急に答えを閃き完成させることが出来た。どうやら自分は朝に頭が冴える人間のようだ。

 ――「悠馬。くれぐれも、馬鹿な考えだけは起こすなよ」

 ふと、克己が帰り際に放った忠告を思い出す。

 しかし。だけど。


「悪いな、克己。どうやら俺は、馬鹿を閃いちまったらしい」


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