二章三
白苑は芳子に声をかけるのを一旦、諦める事にした。今は興奮していて言ったところで聞く耳を持ってくれないからだ。仕方がないと思いながら部屋を出たのだった。
庭に行くと侍女がぼんやりと花を眺めていた。どうやら、まだ若い娘らしい。後ろ姿からすると十五か十六辺りか。
「…そんな所で何をしているのですか?」
声をかけると侍女は慌てたようにこちらを振り返った。顔立ちを見て自分の見当が当たっていた事に気づく。侍女はまだあどけなさを残していて王宮に慣れていないように見えた。
「あ。申し訳ございません。つい、花が咲いていたので見とれてしまって」
「そうでしたか。けど、ここは王宮です。人目にとてもつきやすい場所です。それを忘れてしまうのはどうかと思いますよ」
「…以後は気をつけます」
「わかりました。今回は大目に見ましょう。もう、お行きなさい」
そう言うと侍女は小走りで行ってしまった。白苑はふうとため息をついた。
芳子が落ち着いたのを見計らって再び部屋を訪れた。白苑は一度、芳子を楊将軍に会わせてやろうかと考えた。今の芳子は非常に危うい。このまま、後宮に閉じ込めておくと彼女の心が壊れてしまうと予感したからだ。
「…朱凰様。いえ、まだお名前を聞いていませんでした。わたしに何とお呼びすればいいのか教えていただけませんか?」
控えめに呼びかけるとのろのろと芳子が顔を上げた。先ほどまでの刺々しさが薄れている。後、もう一押しだと思った。
「あの。朱凰様とお呼びするのはお嫌のように見受けられました。お名前の方が良いかと思ったのです」
「…私の名前。そういえば、言うのを忘れていたわ」
「ええ。何とおっしゃるのですか?」
「楊将軍には教えたのだけど。芳子よ。藤野芳子」
名前をやっと言ってもらえたので白苑は発音を真似するために口を動かした。
「ヨシコ様ですね。わかりました、今度からはそう呼ばせていただきます」
にこやかに言うと芳子はほのかに笑った。
「名前を言っただけなのに。そんなに喜ぶ様な事かな」
「いいえ。お名前がわからなければ、こちらも困りますから。そうですね、一度は名乗りましたけど。わたしは白苑と申します。以後はそのようにお呼びください」
「…ハクエンさんね。わかったわ、覚えておく。後、さっきはごめんなさい。声を荒げたりして」
芳子が顔をうっすらと赤らめながらも謝ってきたので白苑は緩やかに首を横に振った。
「いえいえ。お気になさらず。まだ、慣れておられない事はわたしもわかっております。ですから、謝らなくても大丈夫です」
安心させるように言うと芳子はほっとしたように胸を撫で下ろす動作をした。白苑は芳子に立ち上がるように促した。
その後、夕暮れ時になったので夕食を取りにもう一度部屋を出る。白苑はやっと落ち着いた主上を思い出す。芳子は根は悪い娘ではないようだ。もともと、素直な性格らしい事は分かった。
それでも、后妃として立つにはまだまだ修行が必要だろう。先は長いなと思ったのだった。




