04-B
「なっ……!」
嘘でしょ? 誘い出そうとしていたとはいえ、まさかこんな人通りのある場所に現れるなんて、あまりに予想外。
でも良かった。やっぱり、まだ私のことを探し回っていたんだ。
フード付きの黒いコートを着込んだ女は、自分が刺した物を見て舌打ちする。
助かった。またしても幸運が私を守ってくれた。
女が刺したのは私の身体ではなく、私が肩から斜めに掛けていたバッグだった。
刺される寸前に動いたことで狙いが逸れたらしく、奴のナイフはバッグを中の財布ごと刺し貫いただけで、私には届いていない。
でも、もう少し振り返るのが遅かったら、危なかった。
女はナイフを引き抜き、すぐにコートの中にしまい込む。
周囲に何人か人がいたけど、誰にも見られなかったようだ。騒ぎが起きる気配は無い。
私と対峙したままの女は、無言のままでいる。
「……あなた、誰なの?」
とにかく、情報が欲しい。戦わずに済むのならそれに越したことはないんだ。
何か喋ってくれないだろうか。
「私、あなたに殺されなきゃいけないようなこと、何かしたの? あなたが以前言った通り、私には心当たりが無い。もしかしたら、人違いって可能性も……」
「それだけは絶対に無い」
「!」
喋った。
顔は、建物の影とフードの影が合わさり、よく見えない。
「あなたが私を狙う理由を教えて」
「教えて何になる。私は、お前に謝ってほしいわけじゃない。お前は私に、死をもってでしか償うことはできない」
駄目だ。やっぱり、話し合いに応じるような奴じゃないか。
……やるしかない。
「わかった。でも、ここで戦うわけにはいかない。あなたの狙いは、私1人なんでしょ?」
ここで、そんなこと気にしないなんて言われたらどうしよう。
そんなことを考えていたら、女は両手を素早く上下させた。
「!」
すると、コートの袖の中から見覚えのあるナイフが現れる。刀身が太く短い、投擲用のナイフだ。
女の口元が見えた。……笑ってる!
「避けるなよ? 避けたら、お前の後ろを通っている誰かに当たるかもしれないぞ」
「くっ……」
こいつ、……ここで私を仕留める気か。
剣を抜く暇は無い。私が少しでも動けば、女はナイフを投げるだろう。
じゃあ、大人しくナイフを食らえって? 冗談じゃない!
「今までどこに隠れていたかは知らないが、私が諦めたと思ったのか? 馬鹿め」
思ってない。その逆だ。
だけど、その結果こんなにあっさりと追い詰められてしまったのだから、馬鹿と言われても仕方ないか。
……って、そんなこと考えてる場合じゃない!
どうする? どうやってこの危機を切り抜ければ……。
「!」
そうだ。周りに人が多いってことは……!
勢いよく息を吸い込む。
「きゃああああああああっ! 殺されるーっ! 助けてーっ!」
「なっ!」
目いっぱい大声で悲鳴を上げた私は、女が一瞬動揺した隙に駆け出す。
周囲にいた人間は私たちに注目し、途端にざわつき始めた。
逃げる私、両手にナイフを持った怪しい格好の人物。ひと目でみんな理解するはずだ。
女の子が、不審者に襲われていると。
「くそっ! 待てぇっ!」
すぐさま、女が追いかけてくる。そっちが人通りを利用するなら、こっちもそうするまでだ、馬鹿め!
それにしても、私ってあんな声も出せるんだな。自分で自分に驚いちゃったよ。
別の通りへ入り、そのまま直進。
振り返れば、通行人を押し退け突き飛ばしながら追いかけてくる女の姿がはっきりと確認できた。
意外と熱しやすい性格のようだ。どこかへ逃げて立て直すってことはしないらしい。
まぁ、また不意打ちされたらたまらないので、こっちとしては好都合。
このまま人通りの少ないところまで引っ張っていって、そこでぶっとばしてやる。
話し合いなんて無意味なことはしない!
「――って、うわぁ!」
女は持っていたナイフを突然投げつけてきた。
慌てて横へ跳んだ直後、私の頭があった場所を通り抜けていくナイフ。あっぶな!
女はもう一方のナイフも投げようとしている。
周囲には、驚いて通りの左右へ避難している通行人が何人もいる。一刻も早くここを離れないと。
そして投げられたナイフは、一直線に私のもとへ。
「わわっ」
すんでのところで身体を傾けてそれを回避した私は、また駆け出す。
女は足も速い。常に全速力で走ってないと追いつかれる……!
そして、前方に迫る十字路。
「――!」
その向かって左の道から、勢いよく一台の馬車が飛び出してきた。
「ティナっ! 乗って!」
「! リリアンさんっ?」
減速しながらも右の道へ入っていく馬車に向かって、私は思いきり跳んだ。
空中でじたばたしながら御者台と客車の連結部に突っ込み、がっちりしがみつく。
「乗りましたっ!」
「しっかり掴まってなよ!」
叫び、鞭を鳴らすリリアン。
「待てぇっ! ティナ・ロンベルクううううっ!」
「――なっ、嘘でしょ?」
私のすぐ後ろにまで迫っていた女は、私の名を叫びながら走る速度を上げ、馬車に向かって飛びついてきた。
そして、絶対に間に合わないと思っていた女の手が、客車の窓部分のへこみを掴んだ。
「なになに、どうしたのティナ!」
「あいつが馬車に、馬車に取り付きました!」
「うそおっ!」
大慌てで馬車の速度を上げるリリアン。あいつを振り落とすつもりか。
「どいてどいて~っ!」
向かう先へそう叫びながら、リリアンは馬車を走らせる。
前方にいた馬車や人々は、ものすごい勢いで突っ込んでくる馬車に驚いて、慌てて通りの左右へ分かれるように逃げ込んでいく。
「!」
女の顔を隠していたフードが、バサッと剥がれた。
露わになった顔は、やっぱり若い。私と同じくらいの歳の少女だ。
私への殺意に塗れたその眼光や歪んだ表情のせいで、悪魔の様な顔になってしまっている。
少女は、後ろでまとめた長い薄茶色の髪を風に揺らしながら、客車の出っ張りを伝ってこちらへ近寄ってくる。
こんな体勢じゃ戦えないけど、それは向こうも同じだ。
じゃあ、なんで近付いてくる? ……まさか!
それに気付いた時には、私は服の襟の後ろを掴まれていた。
「放してっ!」
「落ちろっ!」
ぐいっと後ろへ引っ張られて大きくバランスを崩した私は、為す術無く手足を馬車から引き剥がされ、直後、少女と共に宙を舞った。
「ティナああああぁぁぁぁっ!」
リリアンの叫びがあっという間に離れていく。
「がっ……!」
とんでもない衝撃が、私の背中を襲う。
「ぐっ!」
「がっ、がふっ、ぐっ、う……」
何度も地面に叩きつけられ、ゴロゴロと転がってようやく止まった。
「あ……ぐ……」
どうにか意識はあるけど、身体じゅうが痛い。特に、強く打ち付けた背中が痺れるように痛む。
「いつつつ……」
それでもなんとか身体を起こそうとして、妙な重みに気付く。
「――!」
私の上に、少女が馬乗りになっていた。
私を冷たい瞳で見下ろしながら、その手にはナイフが握られている。
あの雨の日、私を刺したナイフだ。
周囲にいる人々はどよめき、中には悲鳴を上げる人も。
「!」
彼女の額からは、ドロドロと血が流れている。
その血が滴り、私の頬を伝っていく。温かい。
「……私が、一体、……何をしたって言うの?」
身体の痛みに耐えながら、私は問う。
この執念は並大抵のものじゃない。この人は本当に、私を殺したいんだ。
でも、このまま訳もわからず殺されるのだけは嫌だ。
「教えて。お願い、だから……」
少女の血は止まらない。ぼたぼたと、私の顔も染めていく。
やがて、少女は表情を全く動かさずに口を小さく開いた。
「お前のせいで、私はもうあの人に会えない」
「え……?」
なんだそれ。意味わかんないよ。誰だよ、あの人って。
ナイフを大きく振りかぶる少女。
――殺される!
私の胸へナイフが振り下ろされる寸前、ピシャンと乾いた音が鳴り響いた。
「うああああっ!」
「――?」
顔を押さえて仰け反る少女。その手から落ちたナイフが、私の顔のすぐ横で跳ねた。
一体、何が?
「どけっ!」
「うっ」
私の上に乗っていた少女を蹴り飛ばしたのは、リリアンだった。その手には鞭。
まさか、それで叩いたのか?
「大丈夫? ティナ」
差し伸べられた手を掴み、立ち上がる。……とりあえず、助かった。
「うぅ……。くそっ」
顔を押さえながら立ち上がろうとする少女。私とリリアンは身構える。
「?」
その時、複数の足音が近づいてきていることに気付いた。
「目標発見! 取り押さえろっ!」
「!」
その声と共に、警官たちが近くの曲がり角から現れる。あれは……。
「コンウェイ警部補!」
聞き覚えのある声、見覚えのある細面。コンウェイ警部補が何人もの部下を引き連れて現れた。
警官たちは一斉に少女へと突撃し、押し潰すくらいの勢いで彼女をその場に押し倒し、動きを完全に封じた。
「うぐっ、くっそぉ! 放せっ! 放せぇ!」
少女は両手を後ろに回され手錠をかけられながらも、物凄い形相で私を睨み続ける。
「……!」
あれ? こんな光景を、以前どこかで……。
大勢の警官に取り押さえられ、叫び、暴れる少女。
「殺してやる……! 殺してやるぅぅっ! このクソ女ぁ! 絶対に殺してやるぞおおおおっ!」
そして私は、あることを思い出す。
「まさか……」