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15-B

 リリアンと一緒に宿に入ってきた貴族風の男性が彼女を呼んだおかげで、とりあえず私がヘルヘイムに入った経緯について説明することは免れた。


 私のもとから歩き去って行く時、彼女はすごく訝しげな表情をしていたな。

 明日もう一度会って、ちゃんと説明するべきだろうか。


 そんなことを考えながら、私はハイディマリーたちと一緒に夕食を済ませた。




 翌日、いつもより少し早くに目が覚めた私は、カーテンをちょっとだけ開いて見た外の景色があまりに綺麗だったので、散歩に出掛けることに決めた。


 ハイディマリーとイルマは、まだ眠っている。

 起こすと悪いので、こっそり部屋を出よう。


 制服は、……着て行かなくてもいいかな。




 一階に下りて出入口へ向かうと、ガラス製のドアの前に小さな人影が。


「リリアンさん?」

「あら、随分早起きじゃないの」

 リリアンは、私の方へ向いて腕を組む。その顔にあるのは、怪しい笑み。


 あ~、もしかしてこれは……。


「ところでさ、ちょっといろいろ、話を聞かせてほしいんだけど?」

 ですよね。


「……うん。じゃあ、外を歩きながらでいいですか?」

 もしかしてこの人、私が下りてくるのを待ってたのか?




 昨日まで2日間一緒にいた客と、あの宿で今朝別れたところだったらしい。

 リリアンが客を見送った後すぐに、私が一階へ下りていったというわけだ。


 本当なら、馬車乗り場くらいまでは一緒に行くところだったんだけど、どうやらやっぱり私のことが気になって、宿で別れることにしたようだ。



「ふぁ~あ」

 隣を歩くリリアンは、大きなあくびをして涙目になる。


「眠そうですね」

「まぁね。あんまり寝てないし」

「! ふぅん……」

 寝てないってのはつまり、だから、その、お仕事してたからってことだよね?


 ちらりとリリアンの横顔を見る。……うん、確かに、相当お疲れの様子だ。

 相当お疲れってことは、相当、その、……って、私は一体何を考えているんだ。


「ティナ? ぼーっとしてると危ないよ」

「! あ、うん」

 声をかけられ、我に返る。




 綺麗な石畳の大きな通りには、まだ早朝だというのに、すでに多くの人の姿があった。

 彼らはみんな、観光客なんだろうか。


 通りの左右に建ち並ぶ建物は全て、屋根は赤、壁は白っぽい色というふうに統一されていて、なんだか違う国に来てしまったような錯覚を味わえる。


 大きな建物もあまり無いし、宿の窓や坂の上から見る景色は、とても穏やかで心が落ち着く。

 昨日は日が暮れてからここへ来たから、まさかこんなに綺麗だとは思わなかったな。


 空は快晴。

 自然が多いから空気も爽やかだ。



「それで、どういうことなの?」

 朝日を全身に浴びて深呼吸していた私の耳に、リリアンの声が入り込んできた。


 私たちは今、大通りに用意されていたベンチの一つに並んで座っている。


「どういうことって?」

「だからぁ、どうしてヘルヘイムに入っちゃったのかってこと」

「ああ……」


 本当のことを話すのは、やっぱりやめておいた方がいいよね。

 余計な心配はさせたくないし。


「……ボスに、頼まれたんです。今、ある人物を追いかけてるから、それを追うのを手伝ってくれって」

「ボスって、社長のこと? じゃあ、傭兵として依頼を受けたってことなの?」


 どうする? 全部嘘だと怪しまれるかも。

 少しは、本当のことを入れておいた方がいいかな。


「いえ、そうじゃなくて、傭兵は休業中なんです。私、ボスに気に入られちゃって。少しの間でいいからウチの社員として働いてくれって言われて、それで……」

「ふーん。あたしはてっきり、無理矢理やらされてるのかと思ったよ」

「えっ?」


 心臓が、痛いくらいドキッとなった。鋭い……。


「だって、自分を殺そうとしてた奴と同じ職場なんて、普通なら考えられないでしょ?」

「え、ええ……」

 その感覚が普通なんだろうな。


 でも、私はもう、あそこに馴染んじゃってる。

 イルマは、まだ私のことが気に入らないみたいだけど、私は別に、あの子を嫌ったりはしてないもん。


「……よく耐えられるね。怖くないの? あの子」

「えっと、まぁ、最初はちょっと怖いなって思ったりしましたけど、今は別に」

「へぇ~。やっぱあんたってさ、ちょっと変わってるかもね」


 それは、自分でも感じてる。


「なんか、あんまり物事を深く考えないというか、いろんなことをすぐに受け入れちゃうというか。心が広いんだか、ただのんびりしてるだけなのか。ちょっとは気をつけた方がいいと思うよ。取り返しのつかないことになってからじゃ、遅いんだからさぁ」

「は、はあ。気をつけます……」



 余計なことばかり考えて、肝心なことには無頓着。その自覚はあるんだけど、どうしようもないんだよなぁ。

 気付いたら、受け入れちゃったり慣れちゃったりしてるし。


 直そうにも、どうしたらいいのかわかんないし……。



「ところでさ、社長さんって誰を追いかけてるの? 男?」

 急に話題が変わったな。


「あ、いえ、女性です。ていうか、男性もいます。結構大勢の人の行方を追ってるんです」

 言ってから、「しまった」と思った。適当なことを言って誤魔化すべきだった。


 後悔しても、もう遅い。


「え? どういうこと? なんか事件の香りがする。詳しく教えて?」

「ええ? えっと……」

 興味津々のキラキラした瞳に見つめられ、私は困惑した。


 どうするの、私。

 話す? 話しちゃう?



 ……結局、ぐいぐい来るリリアンの攻めに耐え切れず、事の次第をかいつまんで説明してしまった。


 ああ、怒られるかなぁ……。




 宿の部屋に戻ると、ハイディマリーもイルマもすでに起きていて、私にどこに行っていたのかを聞いてきた。


 ちょっと外に散歩しに出ていたことを説明した直後、私の後ろから、にゅっとリリアンが「お邪魔しますね」と部屋に入ってきて、鏡の前で化粧をしていたハイディマリーの横に立つ。


「あなたは昨日の……。えっと、私に何かご用かしら?」

 ささっと口紅を塗って化粧を済ませたハイディマリーは、にこやかにリリアンの視線を受け止めた。


 問われたリリアンは、腰に手を当ててぐっと胸を反らす。


「話は聞かせてもらったよ。人探しならあたしらに任せなさい」

「…………は?」

 固まっちゃうのも、無理は無い。イルマでさえ、ベッドの縁に座った状態で硬直している。


「悪い奴らに逃げられて困ってるんでしょ? しかも、ヘルヘイムの社員って話じゃない」

 それを聞いてようやく理解できたようで、ハイディマリーは目を細めて私を見据えてきた。


「ティナ。あなた話したわね?」

 うわ~。絶対怒ってる。


「は、はい。うっかり口が滑りました。ご、ごめんなさい!」

 大声で謝って目をつぶる。どんな言葉が返ってくるのか、緊張しながら待つ。


 すると、聞こえてきたのは大きな溜め息だった。

 まだ、目は開けない。


「……ま、話しちゃったものは仕方ないわね。……イルマ」

「はい」

「ひゃあぁぁっ!」

「――!」


 イルマがベッドから下りる気配を感じた直後、リリアンの悲鳴が上がった。

 驚いて目を開くと、リリアンが壁際まで追い詰められ、首にナイフを突きつけられているという光景が視界に飛び込んできて、また驚愕。


「ちょっ、ちょっと! 何してんのっ!」

 大急ぎでイルマの腕を掴む。


 そんな私の横に、いつの間にかハイディマリーが移動していた。

 彼女はニヤニヤしながら私の左腕を胸に抱き寄せ、顔を近付けてくる。


「いけない子ねぇ、あなたは。どこまで話したのか知らないけど、これでこの子も巻き込んじゃったことになるのよ?」

「……!」


 翡翠色の瞳が、ギラリと光る。

 その顔から、笑みが消えた。


「今は、敵がどこにいるかわからない状況なのよ? この子が、あなたから聞いたことをまた別の人に話して、その人がまた別の人に話して。そうやってどんどん広がっていく内に、もしも敵の誰かに聞かれたらどうなるかわかるわよね? 下手をしたら、命の危険に繋がるわ。あなたの不用意な行動で、関係無い子たちが死ぬことになるかもしれない。もしそうなった時、あなたは責任を取れるの?」


「あ……」

 昨日、倉庫で見た光景が脳裏をよぎる。


 また私は、馬鹿なことをしてしまった。

 なんで私はこう、考えが足りないんだ!


 ハイディマリーは、私から壁際のリリアンへ視線を移す。


「そういうわけだから、申し訳ないけど、全部片付くまで私たちと一緒にいてもらうわよ? 口止めするより、行動そのものを制限した方が手っ取り早いからね」

 するとリリアンは、ナイフに怯えて涙目になりながらも、無理矢理といった感じで口の端を上げる。


「お、お気遣いはありがたいけどさ、ホントにそれでいいの?」

「どういう意味かしら?」

 ハイディマリーは、その言葉の真意を問うように目を細める。


「ここらの平和ボケした警察よりも、あたしら娼婦の方がよっぽど役に立つって言ってんのさ。あたしらの情報網を馬鹿にしないでよ? 怪しい場所も、隠れられそうな場所も、何だって知ってる。表からじゃ見えないことは、あたしらに任せてほしいね」


 リリアンは自信満々だ。ただの虚勢には見えない。


「……一応聞きましょうか。情報はどうやって集めるのかしら」


「娼館に入ってるあたしらも、怪しい場所には充分行ってるけどさ、客が客だけに、ホントにヤバそうな場所には行けない。でも、野良の子たちなら話は別だ。あの子らは、いろんな場所で商売をしてる。それこそ、毎日が命懸け。あの子たちなら、危険な場所にだって自然に入れる。あんたが欲しい情報だって、すぐに集まるよ。断言する」


 その真っ直ぐな瞳からは、決してふざけたり、曖昧な気持ちで言った言葉ではないことが伝わってくる。


 けれど、それを聞いたハイディマリーは、眉をひそめた。

 その理由も、なんとなくわかる。


「……話にならないわね。野良娼婦たちを危険に晒すような真似、できるわけないでしょう」

 そう言って、「それに……」と続ける。


「私が野良娼婦たちにどういう仕打ちをしているか、あなたも知っているでしょう? 彼女たちがいくら困窮しても、私は一切助けなかった。娼館と、そこに属するあなたのような高級娼婦ばかりを守ってきたのよ。そんな私のために動いてくれる子なんて、いるわけないわ」


 野良娼婦の中には、ハイディマリーを恨んでいる者もいるだろう。

 彼女のために快く働いてくれる人がいるとは、私も思えないな。


「だったら、保障すればいいじゃない。私のために働いてくれたら、最低限の生活は保障するってさ!」

 リリアンの言葉に、ハイディマリーは「馬鹿言わないで!」と私の腕を放す。


「野良娼婦が、どれだけいると思っているの? いくらヘルヘイムでも、全員の生活を保障することなんてできるわけないわ。そんなの、考えなくてもわかるでしょ?」


「それを考えるのが、あんたの仕事でしょ! あんた、娼婦を守るためにヘルヘイムの社長になったんじゃないのかよ!」


 ハイディマリーは身体をビクッとさせて、口を噤んだ。


「さぁ、どうするんだよ。早くしないと、あんたが追ってる奴らはどんどん遠くへ逃げてっちゃうよ?」


 リリアンの言ってることは、傍から見れば無茶苦茶だ。

 でも、それでも、それはハイディマリーを悩ませるだけの力を持っていたようだ。




 ……そのまましばらく悩んだ後、ハイディマリーは静かに口を開いた。

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