11-A
翌朝、私はもやもやした気持ちを抱えたまま、出勤することになった。
もやもやの原因は、昨夜宿に戻った後に、ハイディマリーから聞いた話にある。
馬車を降り、支社へ向かう。
「……ん?」
支社の門をくぐった私は、向かう先にある光景に足を止める。
ヒルダと見知らぬ女の子の姿があり、ヒルダがその子に何かを言って聞かせているようだった。
「あ、ティナ。おはよう」
「おはようございます、ヒルダさん」
歩み寄ってくるヒルダに挨拶を返し、彼女についてくる女の子へ視線を移動させる。
「この子が、昨日話した新人さんよ。ほら、挨拶しなさい」
ヒルダに背中を押されて前に出たのは、わずかに茶色が混ざった黒髪を後ろで二つに結っている、小さな女の子。
「ティナお姉ちゃん。おはよう」
「あ、はい。おはよう……」
子供らしい可愛い声。
この子は、一体誰?
問いかけようとヒルダを見る。
「名前も言わなきゃ駄目でしょ」
「あ、そっか。……はじめまして。私の名前は、リサ・クローデンです」
「! え……」
クローデンって、ヒルダと同じ……。
「もしかして、ヒルダさんの娘さんですか?」
ヒルダはにっこり微笑んで、「そうよ」と答える。
……娘か。うん、確かに似てるかも。
「今日は学校が休みだから、連れてきたの。家には、ほかに誰もいないし」
「そうなんですか」
父親は、仕事かな?
ヒルダはその場にしゃがみ、リサと視線の高さを合わせて話し始める。
「じゃあ、私はティナと仕事に行ってくるから。帰ってくるまで、会社の中にいなさいね」
「うん、わかった!」
元気よく返事をするリサの頭を撫でて立ち上がったヒルダは、私を見て「じゃあ、行きましょうか」と歩き出す。
彼女に続いて歩き始めた私の背に、「行ってらっしゃ~い」という声が触れた。
ヒルダと私は振り返り、リサに「行ってきます」と手を振った。
娼館街への道中、馬車に揺られながら、私はリサのことを話題に出す。
「リサちゃんって、いくつですか?」
「今年で10歳になるわ」
10歳か……。
「じゃあ、今4年生ですか」
「ええ。ついこの間、始業式があったわ」
ついこの間……。
「――あっ!」
そこでようやく、私はあることを思い出した。
「ど、どうしたの、急に大声出して」
「え、あ……」
こんなこと、ヒルダに言っても仕方ない。
「すみません。なんでもないです」
「なんでもないような感じじゃなかったけど?」
私は必死に笑顔を作る。
「ホントに、なんでもないんです。気にしないで下さい」
ヒルダは訝しげに首を傾げながらも、それ以上詮索してくることはなかった。
……それにしても、どうしてあんな大事なことを忘れてたんだろう。
そうだよ。もう月が変わってるんじゃないか。
弟たちは6年生になってる。
いや、それも大事だけど、それよりもっと重要なことが……。
「ちょっとティナ! 大丈夫?」
「――! え? あ、えっと……」
心配そうに顔を覗き込んでくるヒルダ。
「……大丈夫です。でも、ちょっと寝不足気味、かな。えへへ」
嘘ですけど。
「もぉ。入社2日目でそんなんじゃ困るわよ? しっかりしなさい」
「はい。ホントすみません」
はぁ。また考えることが増えちゃったなぁ……。
でも今は、仕事に集中しなくちゃ。
とにかく、余計なことを考えないように気合いを入れて、今日も警備の仕事に取り組んだ。
まだ2日目だけど、娼館街は平和そのもの。
まぁ、それは明るい時間だからかもしれないけど、退屈なほど何も起こらない。
この時間に、警備員なんて要るんだろうかと思ってしまうほどだ。
ただ、まだ働き始めて2日目だというのに、もう私のことを覚えてくれた人がいるのは嬉しかった。
今まで、こんなことあまり無かったからなぁ。
なんだか居心地がいいなと思う自分と、傭兵に戻らなきゃ駄目だという自分が、心の中で睨み合いを始めようとしている。
まだほんのわずかだけど、悩みが生まれてる証拠だ。
このままじゃ、マズいかも……。
交代時間になり、支社に戻る。
ヒルダは私を1階に残し、3階の警備部へ。少しして、リサを連れて戻ってきた。
そして、昼食をとりに、一階奥の社員食堂へ向かう。ランチは無料らしい。
「あの、ヒルダさん」
昼食を食べ終わる頃、私はふとあることが気になって、彼女に声をかけていた。
ヒルダはコップの水をぐいっと飲み干してから、「なに?」と私に顔を向ける。
「ヒルダさんって随分若く見えますけど、いくつの時にリサちゃんを産んだんですか?」
確か、リサは今年で10歳になるって言ってたよね。それにしては、母親のヒルダが若すぎるんじゃないか?
するとヒルダは、ちょっと嬉しそうな顔になって口を開く。
「この子を産んだのは、15の時よ」
「えっ、15歳? じゃあ、私と同じくらいの歳の時に、お母さんになったんですか」
「そういうことになるわね」
そう言って、ヒルダは隣でスープを飲んでいるリサに視線を移す。
「そんな歳で子供を作っちゃった私が悪いんだけどさ、結構苦労したよ。何しろ、女手一つで育てなくちゃいけなかったからね」
「え?」
父親は? まさか……。
「お父さんは、私が生まれる前に死んじゃったんだって」
聞くべきじゃないんだろうなと思っていたことに対し、リサが答えをくれた。
「そうだよね、お母さん」
リサは、寂しそうな顔をすることもなく、むしろ明るい口調でヒルダの顔を見る。
それに対しヒルダも、「ええ、そうよ」と優しい表情でリサの頭を撫でた。
「写真の1枚でも残してあげられたらよかったんだけど、あの頃の私たちは貧しくて、そんな余裕が無かったの」
「そうなんですか……」
片親がいない寂しさは、よくわかる。
だけど、幼い頃に母親を失った私と、生まれた時にはすでに父親がいなかったリサとでは、やっぱりそのことに対する意識というのは違ってくるのだろうか。
……少なくとも私は、母親がいないことを、リサのように明るく喋ることはできない。
母が、どれだけ病に苦しんで死んでいったのかを、この目で見ているから。
「私、お父さんがいなくても平気だよ。だって、会社の人がみんな優しくしてくれるし。だから、全然寂しくないんだ」
リサは、明るい笑顔でそう言った。
でも、気のせいかもしれないけど、無理矢理そう自分に言い聞かせているようにも見えて、彼女の言葉を素直に受け止めることができなかった。
昼食後、3階の警備部へ行き、勤務日誌をつける。
昨日から私もつけるようになったんだけど、ほかの警備員の日誌を見てみると、やっぱり夜勤の人たちは、それなりにいろいろと面倒事に遭遇していることがわかる。
酔っぱらいの迷惑行為やら、客同士の喧嘩やらがその大半を占めているけど、その中に“娼婦同士の諍い”というものが含まれているのが気になった。
「ヒルダさん。これってどういうことですか? 娼婦同士で、喧嘩になったりするんですか?」
ヒルダのデスクまで日誌を持って行き、見せる。
すると彼女は、「ああ、それね」と苦笑した。
「そういうのは大抵、野良娼婦が原因ね。勝手に娼館街に入ってきて客を取られたら、高級娼婦からしたらいい気はしないでしょ。それで、言い合いの喧嘩になるの。酷い時は、つかみ合いになったりするんだから」
野良娼婦に、高級娼婦か……。
昨夜ハイディマリーから聞いた名前を再び聞き、私は眉を寄せる。
「ところで、日誌は書けたのかしら?」
ヒルダは私から日誌を奪い取り、パラパラとページをめくっていく。
「……まぁ、仕方ないわね。何も無ければ書くことも無いし」
わずか数行の私の日誌を見て、ヒルダはまた苦笑い。
その表情が急に締まり、煌めく双眸が私を射抜く。
「でも、気を抜いちゃ駄目よ? 何も起こらなくても、しっかりやる。警備員っていうのは、そういう仕事なんだからね」
「はい。わかってます」
私の返事に、ヒルダの表情が緩む。
「じゃ、今日はこれで終わり。帰っていいわよ。ご苦労様~」
「はい。ありがとうございました。失礼します」
バッグを肩に掛け、部屋を出る。
「!」
その時、通路の奥、突き当たりにある部屋のドアが開いた。
あそこは、……支社長室だ!
思わず立ち止まり、出てくる人物を待つ。
「?」
ところが、出てきたのは体格の良い、背の高い男性。もしかして、ヘルミーネの側近の人かな。
「見ない顔だな。制服を着ていないところを見ると、君が昨日入ったという新人か?」
赤みを帯びた茶髪を綺麗に分けて撫で付けているその男性は、父より少し年上かなという感じ。体格や背の高さは、同じくらいかな。
髪と同じ色の瞳には、優しげな光が宿っている。
たぶん、若い頃はモテたんだろうなっていう外見だ。
今も、かもしれないけど。
「あ、はい。はじめまして。私、昨日ここの警備部に配属になった、ティナ・ロンベルクといいます」
自己紹介すると、男性は「こちらこそ、はじめまして」と言って右手を差し出す。
差し出された手を握ると、彼も自己紹介を始める。
「私はアール・ラドフォード。この街の警備隊の隊長だ。よろしくな、ティナ」
アール……。やっぱり、この人がヘルミーネの側近だ。
じゃあ今、支社長室にはヘルミーネがいるんだ。
昨日は会えなかったからな、ひと目でいいから会ってみたい。どんな人なのか知りたい。
「……あ、あの、支社長にも挨拶をしたいんですけど、大丈夫でしょうか」
思い切って聞いてみると、アールは「もちろんだ」と白い歯を見せる。
そして身を翻し、「ついてきなさい」と私の背中をぽんと押して歩き出す。
私は返事をして、彼の後を追った。
「失礼します」
ドアをノックするとすぐに返事があり、アールがドアを開けて先に入った。
「どうしたの、アール。何か忘れ物?」
やや低めの、女性の声。
「いえ、そうではなくてですね」
そう言って、アールは私の方を向いて入室を促す。
「……し、失礼します」
さぁ、初めての対面だ。なんか緊張してきた。
「あら、その子は?」
「昨日入ったばかりの新人警備員です。挨拶がしたいというので、連れてきました」
さらに一歩踏み出した私は、窓際の立派なデスクからこちらを見ている女性と顔を合わせる。
榛色の髪は短く、銀縁メガネの下には切れ長の目。鼻が高く、顔は細い。
見た感じ、それなりの歳だということはわかるけど、それでもかなりの美人だ。
外見からは、人身売買を指示している悪人って感じはしないな……。




