10-A
コーヒーを入れたカップを、ソファで大あくびしているハイディマリーの前に出す。
「あー、ありがとね」
ハイディマリーがカップを手に取るのを見ながら、私は彼女から見て右側のソファに腰掛ける。
コーヒーを一口飲んだハイディマリーは、「ん~」と眉を歪めた。
「やっぱり、紅茶の方がいいなぁ」
……コーヒーがいいって言ったくせに。
「紅茶、入れましょうか?」
聞くと、ハイディマリーは「いいよいいよ」とまたカップに口をつけ、「苦い……けど、美味しいよ」と引きつった笑みを見せる。無理しなくていいのに。
「ところで、初仕事はどうだった? どこに配属になった?」
カップを置き、身を乗り出して楽しげに質問してくるハイディマリーに、私はハッとあることを思い出す。
「そうだ、そのことなんですけど……」
自分に与えられた仕事について、ハイディマリーに話して聞かせた。
「そっかぁ、娼館街の警備にねぇ。傭兵経験ありって伝えたのがマズかったかなぁ」
背もたれに身体を倒し、腕を組むハイディマリー。
「ミドルスクール出たての、普通の女の子って設定にすればよかったかもね」
彼女は口を歪め、目を閉じ、「う~ん」と唸る。
……そういうことを、なぜ想定しなかったのか。
「ま、過ぎたことをどうこう言っても仕方ないわ。でも、支社の外に出されちゃうんじゃ潜入捜査はできないし、しかも、勤務時間はたったの2時間。せめて、支社の警備に回されてたら、まだ望みはあったんだけどなぁ」
そしてまた唸り、「まぁいいか」と溜め息。
「ところで、ヒルダは、制服が届くまでは一緒に娼館街へ行くって言ってたのよね?」
「はい。言ってました」
ハイディマリーは腕組みを解き、軽く握った手で下顎を触れる。
そして少し考え込んだ後、「よし」とまたこちらへ身を乗り出す。
「制服が届くまで、おそらくあと6日はある。その6日間で、ヒルダからできるだけ情報を収集しなさい」
「えっ? ヒルダさんから、ですか?」
頷くハイディマリーに、私は困惑。
そんな話術が、私にあると思ってるのか?
っていうか、何をどう聞けばいいんだ?
「それとなく、支社長のことを聞くのよ。あなたは新入社員なんだから、何も知らなくて当然。それを有効活用するの」
「支社長ってどんな人なんですか、とか聞けばいいんですか?」
「そうそう。そこから、最近の様子だとか、どこかに出かけてないかとか、話を広げていろいろ聞き出しなさい」
「ええ? そんなこと、できるかな……」
悩む私に、ハイディマリーは「できるできないの問題じゃないの」と強い口調で言う。
「絶対にやるのよ。仕事なんだから、何としてでもやり遂げなさい」
キラキラ輝く翡翠色の瞳に射抜かれたら、できないとは言えない。
「……わかりました」
「よろしい」
ハイディマリーは満足げに笑い、カップを持つ。
そして、またコーヒーを飲んで、「苦っ」と口を歪めた。
話題は、娼館街で会ったリディアーヌの話に移る。
「そういえば、もう随分会ってないわねぇ。最後に会ったのは、どのくらい前になるかしら」
喋りながら、私に持ってこさせた砂糖を、サラサラとコーヒーに入れていくハイディマリー。
「あの子が娼館のオーナーになるっていう報せを受けて、お祝いに行った時以来かな。6年くらい前だったわね、確か。……うん、美味しい」
相当甘くなっているであろうコーヒーを飲み、微笑むハイディマリー。
「……」
私はその様子を、いや、彼女自身をじっと観察している。
……髪はツヤツヤ。肌はシワも無く綺麗で張りがあり、化粧は薄め。
身体に余計な肉がついている感じも無いし、どう見たって歳相応ではない。
いや、世の中には、歳を取るごとに努力して、いろいろ維持してる人はたくさんいるんだろう。
だけど、この人はそういう人たちと同列に考えちゃいけないような気がする。
こんなこと本人には言えないけど、……正直言って、なんか不気味だ。
「どうしたの、ティナ。人の顔をじっと見て」
「えっ? いや、なんでもないですよ?」
慌てる私の顔を、ハイディマリーは訝しげに眺める。
そして、「ふふ」と笑って立ち上がり、私の横に腰を下ろした。
「な、なんですか?」
「私の髪が、気になるんでしょ? 好きなだけ見たり触ったりしていいよ」
「え……」
髪だけの問題じゃないんだけど、……まぁいいか。
「じゃあ、失礼します」
「どーぞどーぞ」
姿勢を正したハイディマリーの髪を一房、そっと手に取る。
……うーん、ホントに綺麗な髪の毛だな。
程よく柔らかくて、でも、ツヤがあってしっかりしてる。枝毛も無さそうだし、指がすーっと通る。
「どう?」
「あ、はい。とっても綺麗です。羨ましいです」
私は髪の毛短いし、櫛でとかす以外、特に手入れもしてない。だから、自分の髪を綺麗だと思ったことなんて一度も無い。
ハイディマリーは、「そーお?」と嬉しそうに笑う。
「……?」
至近距離でその綺麗な笑顔を見ていたら、なんだか鼓動が早くなってきた。
なんでドキドキしてるんだ、私は。
ハイディマリーは私の方に身体を向け、手を伸ばしてきた。
その手が、私の頭に触れる。
「うふふ。ティナは可愛いわねぇ」
「えっ」
優しく髪を撫でられ、ドキドキが増していく。
「もし私に娘がいたら、こんな感じなのかしら」
「?」
そう呟いた時、一瞬だけ、ハイディマリーは寂しそうな顔になった。
カップを洗ってリビングへ戻ると、ハイディマリーが窓辺で伸びをしていた。
「あ~。早く夜にならないかしらね」
「? 夜に、何かあるんですか?」
歩み寄りながら問いかけると、ハイディマリーはくるりと身体を回転させてこっちを向いた。
「夜になったら、外へ散歩に行くのが日課なのよ。一日中部屋の中にいたら、身体が鈍るでしょ?」
「え? 大丈夫なんですか、外に出て」
秘密裏にこの国へ来たんじゃないのか? 支社長を調査するために。
「大丈夫よぉ。この宿に泊まり始めてひと月、ほとんど毎日外出してるけど、支社の子たちには見つかってないんだから」
そりゃ、ここから支社までは随分距離があるから、あまり遠出をしなけりゃ大丈夫だろうけど。
でも、その髪の毛は絶対に目立つ。
噂になったりしてないんだろうか。
「あら。もしかして、私のこと心配してくれてるの?」
「え? ……まぁ、少しは」
私の答えを聞いたハイディマリーは、嬉しそうに笑いながら私の前までやってきた。
そして、首をちょっとだけ傾げてみせる。
「私のこと、恨んでないの? 無理矢理傭兵を辞めさせられたのに」
宝石のように澄んだ瞳に思わず見とれそうになり、慌てて目を逸らす。
「……恨んではいません。ただ、そのことについては、まだ少しだけ怒ってます」
「ふふ。そう……」
呟いて、ハイディマリーはスーツの内ポケットからある物を取り出した。
「! それ……」
彼女の手にあるのは、私のマーセナリーライセンス。もしかして、ずっとそこに?
ハイディマリーの笑みが深まる。
「この部屋にはあなたと私の2人きり。今なら簡単に取り戻せるわよ?」
苦労してようやく手に入れた物だ。絶対に取り戻したい。
でも……。
「労働契約書がある限り、私はここから逃げられません」
そう。あの契約が無効にならなければ意味が無い。
「じゃあ、契約も取り消してあげるって言ったら、どうする?」
「は?」
からかってるのか?
「あんなことまでして私を手に入れたくせに、何言ってるんですか。ふざけてるなら、怒りますよ」
私の目をじっと見つめ、ハイディマリーは「ふふふ」と静かに笑う。
「意外だわ。ライセンスを見せたら、すぐに飛びかかってくるものとばかり思っていたのに。契約のことだって、サイラスたちがいない今、剣でも何でも使って私を脅すことは簡単なはず。あなたにとって絶好のチャンスなのに、どうして何もしないの?」
「え……?」
そういえば、どうしてハイディマリーは、私の剣をライセンスと一緒に取り上げなかったんだろうか。
「……試したんですか? 私のこと」
言葉に、若干の苛立ちを含める。
「ええ、その通りよ。そして、それは今も継続中。そのために、サイラスたちを4人共仕事に向かわせたの。随分反対されたわ、あなたと2人きりは危険だって。でも、あなたは私に何もしようとしなかった。それはどうして? まさか、その発想が無かったなんて言わないわよね?」
……いや、まさにその通りなんですが。
言われてようやく気付いた。そうだよね、どうして私は何もしなかったんだろう。
この人1人なら、簡単に制圧できる。脅して契約を破棄させれば、今すぐにでもここから逃げられるじゃないか。
どうして私は、……すんなりとヘルヘイムの新入社員をやっちゃってるんだ。
あまりの馬鹿っぷりに、驚きを通り越して呆れ果てた。
「あなたは、私からライセンスを奪い返し、剣で脅して契約を取り消させ、逃げる。で、私は、逃げたあなたをサイラスたちに追わせることはしない。そう約束すると言ったら、どうする?」
……どういうつもりでそんなことを言うんだ?
どうして、この人は私を試してるの?
気味が悪い。
そんな約束、とても信じられない。でも……。
「私は……」
ソファに立てかけてある剣を一瞥する。あれを使えば、ここから逃げられるかもしれない。
けど、どうしても私の足は動かなかった。
……なんで?
「優しいのね」
そう言って、ハイディマリーは内ポケットにライセンスを戻した。
「それなりに覚悟してたんだけどな。痛い目を見るんじゃないかって」
……確かに、私がハイディマリーが言った通りに動いていれば、彼女は多少なりとも痛みを味わうことになっていただろう。
「……!」
そっか。それが嫌なのか。
……乱暴な真似は、したくない。
「あんなことされたのに……」
思わず、声が漏れた。握った拳が、わずかに震える。
優しいんじゃない。
ただの馬鹿で、とんでもないお人好しなだけじゃないか。
「――!」
身体がわずかに揺れ、目を見開く。柔らかな何かに、身体を包まれる。
視界に、白金の煌き。鼻孔をくすぐるのは、優しく柔らかな匂い。
「ボス……?」
私は、ハイディマリーに抱き締められていた。
鼓動が早くなっていく。
「私、あなたのことが益々気に入ったわ」
そう耳元で囁かれ、ゾクッとした。
それは、彼女に対する悪感情から来るものではない。
今朝あれだけあった嫌悪感は、もうどこにも無いのだから。
どうして?
この人のせいで、私は傭兵を続けられなくなったのに……!
朝から今までのどこに、心変わりをするきっかけがあったというのか。
「抵抗、しないの?」
「……変、ですか?」
私の心は完全に、ハイディマリーを受け入れてしまっている。身体もそれに従っていた。
「……変、かもね。でも、可愛いわ」
気付けば、私の両腕はハイディマリーの身体を包んでいた。彼女の髪に顔をうずめ、目を閉じる。
自分がよくわからない。私は、自棄でも起こしているのだろうか。




