09-B
そんなわけで、私の警備員としての仕事が始まったわけだけど、それから2時間ほど経った今、私はとある娼館の中にいる。
「ごめんね、リディさん。ごちそうになっちゃって」
「遠慮するこたないよ。余っても捨てるだけだしさ。ほら、食べな食べな」
ここは、娼館街の真ん中辺りにある「サンフラワー」という名前の娼館。
その中にあるカウンター席の一つに座る私の前には、平らな白い皿に並べて乗せられたサンドイッチ。
野菜や肉など、具は様々だ。とても美味しそう。
「……いただきます」
サンドイッチを一つ取り、食べる。
「美味しいです!」
「そりゃ良かった」
カウンターの向こうに立つ女性は、ニカッと笑った。
胡桃色の髪をシニヨンにしたその女性の名は、リディアーヌ・トリシェ。
たまご型の顔の美人で、娼館サンフラワーのママである。
交代の時間になり、支社へ戻ろうとしていた私たちは彼女に声をかけられた。
用件はと言えば、お昼のサンドイッチを作りすぎちゃったから食べていかないかというもの。
ヒルダはその誘いに乗り、私の手を引っ張って娼館の中へ。
当然こんな場所へ入ったことなんて無い私は、物凄く戸惑った。
入ってすぐのところに広がるのは、お客がお酒を飲むスペースだ。普通の酒場と大差無い。
カウンター席のほかにテーブル席がいくつかあり、そこでお客は娼婦と話をしたりお酒を飲んだりするんだろう。
カウンター席の棚には、お酒が入った瓶がずら~っと並んでいる。
ちょっと綺麗だな、なんて思ったり。
一階の奥には、二階へ続く階段がある。
二階まで吹き抜けになっていて、二階の通路にはいくつかドアが並んでいるのが見える。
あれは、何の部屋なんだろう。娼婦の部屋かな。
「上が気になる?」
「えっ」
よっぽど私はぼーっと見ていたんだろう。
そう声をかけてきたリディアーヌは、ちょっと苦笑気味だった。
「上にある部屋は全部、宿泊用の個室よ」
「宿泊? 娼館って泊まれるんですか?」
知らなかった。そっか、お酒を飲んでそのまま寝ちゃう人とかがいるのかも。
「あ、ああ、まぁ、そうだね。でも、普通の宿とは違うよ?」
「?」
どういうこと?
リディアーヌは、私の隣でサンドイッチにかぶりついているヒルダに何やら小声で話しかけている。
私の方をチラチラ見ながら。
「ティナ」
ヒルダは口の中の物をゴクリと飲み干してから、話し始める。
「あなたもしかして、娼婦がどんな仕事なのかわかってないの?」
「え? し、知ってますよ、それくらい」
「だったら、ここが娼館で、お客が泊まるってことは、どういう部屋なのかわかるでしょ」
「……! あ……」
ボッと音が出たかと思うくらい勢いよく、顔が熱くなった。
「え、えっと、……え?」
二階の部屋を指差す私に、ヒルダとリディアーヌは揃って「うん」と頷く。
……そっか。そりゃそうだよね。ここは娼館だもんね、うん。
リディアーヌの方へ向き直った私は、湧き出す疑問を投げかける。
「あ、あの、それでその、今は誰かいるんですか?」
「お客さん? いいや、今はいないよ。さっきまで何人かいたけど、迎えが来て帰ったからね」
「そうですか」
……そういえば、馬車の行き来が結構あったっけ。
館内を見渡す。
仄かに残る、お酒の匂い。それと、香水のような甘い香りや、ほかにも様々なニオイが混ざり、きらびやかに装飾されたこの空間に残っているのを感じる。
通りに面した窓は全て開けてあるけど、それらのニオイはすでに館内に染み付いてしまっているんだろう。
傭兵として今までいた世界とは、全く異なる世界。
その中にいることを、改めて実感する。
「食べないなら、貰っちゃうけどいい?」
「! え、あ……」
また、ぼーっとしていたようだ。
「駄目ですよ。お腹空いてるんですから」
伸ばされたヒルダの手から皿を遠ざけ、サンドイッチを口へ運ぶ。
「そうだ。ねぇヒルダ、最近ハイディに会った?」
「ボス? ええ、3ヶ月くらい前に本社へ行った時に会いましたよ。相変わらず、元気でした」
リディアーヌとハイディマリーは、知り合いなんだろうか。
「ふふ、そう。やっぱり、見た目とかも変わってないんだろうね」
「ええ、ホントに全く。私より若いって言っても全然違和感無いです」
確かに、若い。
でも、実年齢は何歳なんだろう。
「あの、リディアーヌさんって、ボスとお友達なんですか?」
問いかけてみると、彼女は「あたしはそう思ってるけど」と返答。
「リディさんね、ボスと同い年なんだよ」
「えっ?」
ヒルダの言葉に、思わず大きな声が出た。
いや、決してリディアーヌが老けて見えるってわけじゃないけど、とても同じ年齢には見えない。
どう見たって、リディアーヌの方が年上だ。
「今年で、38だっけ?」
「!」
「まぁね」
えええっ? 38歳?
「あんたたちからすれば、おばさんだよね」
「そんなことないよ。ボスが異常なだけで、リディさんも充分若くて綺麗です」
「ふふ、そうかい。褒めたって、サンドイッチ以外は何も出ないけどね」
笑い合う2人。私はリディアーヌの顔を見たまま、固まっていた。
確かに、彼女も綺麗だ。
でも、ハイディマリーとこの人が同い年だなんて、信じられない。
リディアーヌが38歳だと聞いても、驚きは少ない。
でも、ハイディマリーの場合はそうはいかない。驚愕のあまり、しばらく開いた口が塞がらないだろう。
現に、私はそうなっている。
「どうしたの、ティナ。口が開きっぱなしだよ」
「そんなに、あたしの歳が衝撃的だったかい?」
いや、あなたじゃなくて、ハイディマリーの歳が。
「まぁ、これでも努力はしてるからね。今でも、誘われることがあるし」
得意気に胸を反らすリディアーヌに、ヒルダは「へぇ~」とサンドイッチの残りを口へ放り込む。
その様子に、「もうちょっと興味持ってよね」と目を細めるリディアーヌ。
……宿に帰ったら、改めてあの人を近くで見てみよう。
サンドイッチを平らげ、サンフラワーを出た私たちは、交代でやってきた警備員に一言挨拶を残し、帰路についた。
支社に戻ると、ある手続きの話になった。
「社員寮、ですか」
「ええ。この辺りの建物は、全部ヘルヘイムが所有してるの。そのほとんどが、社員のための寮になってるわ」
言われてみれば、周囲の建物はどれも集合住宅っぽかったっけ。
でも……。
「あの、私は大丈夫です。知り合いの部屋に居候させてもらうことになってるので」
ハイディマリーのことはバラさないようにしないとね。
「あ、そうなの? そういうことなら、手続きは要らないわね。でも、もし必要になったらいつでも言ってね。部屋ならいくつか空いてるから」
「はい。わかりました」
ふぅ。自然な感じで断れたな。
その後、警備や巡回に関する説明をもう一度受け、書類をいくつか受け取り、支社を後にした。
時刻はまだ昼過ぎ。
これで支社での仕事は終わりというのだから、傭兵の頃に比べれば楽すぎる。
……あれ? ちょっと待て。なんか忘れてないか?
「あ」
思い出し、立ち止まる。
……そうだよ。私は、ヘルヘイムの潜入捜査のために支社に入れられたんじゃないか。
警備の仕事をしてたら、ヘルヘイムの中のことなんてわからないぞ。勤務時間も短いし。
どうしよう。とりあえず、宿に帰ったらハイディマリーに事情を話そう。
「ん?」
再び歩き出した時、向かう先の街灯にもたれかかっている女性に気付いた。
長い黒髪で、顔が隠れている。身に着けている暗い青色のドレスのデザインは、ちょっとシンプルな感じだ。
通りには、ほかにもたくさんの人が行き来しているけど、誰も彼女を気にする素振りを見せない。
中には、じろっと見たにもかかわらず、無視して行ってしまう人も。
やっぱり、都会ってこういうものなのかな。
「大丈夫ですか?」
駆け寄り、声をかける。
黒髪の間から、痩せた青白い顔が見えた。
そこにある目だけが動き、私を見る。
「……大丈夫だよ。ありがと」
女性は髪を手で払い、私から視線を外して歩き出す。フラフラと、危なっかしい足取りで。
「あっ」
「!」
案の定、女性はわずかな段差に躓き、倒れそうになる。
彼女の声を聞いて咄嗟に動いた私は、手を伸ばしてその身体を受け止めた。
……軽い。
「やっぱり、どこか具合が悪いんじゃ……」
「大丈夫だから。放して」
身体を支えていた私の手を払いのけ、彼女は鬱陶しげにこちらへ顔を向ける。
「!」
睨みともとれるその視線より気になる物が、彼女の首にあった。
薔薇飾りのチョーカーだ。じゃあこの人、娼婦なのか。
でも、このチョーカー、色が……。
女性はドレスのシワを伸ばし、少し乱れた髪型を整える。
「助けてくれてありがと。でも、もう構わないで」
吐き捨てるように言って、女性はゆっくりと歩き去っていく。
……別に、感謝されたくて助けたわけじゃないけど、ちょっとヤな感じ。
溜め息一つ、私はすぐそこにある馬車乗り場へ向かった。
「ただいま帰りました~」
宿に着き、ハイディマリーの部屋のドアをノックする。……が、返事が無い。
「?」
仕方なく、今朝部屋を出る時に渡されていた合い鍵を取り出し、鍵を開ける。
「帰りました。ボス~?」
室内はしんと静まり返り、ハイディマリーの姿はどこにも無い。
「……出かけちゃったのかな」
あの人、ここに内緒で来たんだよね? 支社の人に見つかったらどうするつもりなんだろう、まったく。
バッグと剣をソファに置いて、キッチンへ。コップを取り出し、銀のポットから水を注ぐ。
それを一気飲みしてから、もしかしたらと思い、寝室へ。
「……」
ドアを開けると、大きなベッドの上で横になっているハイディマリーの姿が、すぐに視界に入ってきた。
「ん……。あら、ティナ」
私の気配を感じたのか、ハイディマリーは目を開けて身体を起こす。
「おかえりなさい。早かったのね」
寝ぼけ眼でにっこり微笑む彼女に、私はちょっと脱力してしまった。




