08-A
……しっかし、とんでもないことになっちゃったなぁ。
私は今、傭兵じゃない。ヘルヘイムという会社の社員だ。
転職? 転職って言えるの、これ。
でも、理由はどうあれ、私はあの労働契約書とかいう書類にサインしちゃったわけだから、働くしかない。
あ~、もうっ。ホントに何をやってるんだろ、私。
マーセナリーライセンスは、協会に事情を話せば再発行してもらえるかもしれない。
だけど、労働契約書には法的効力があって、守らないと罰せられるらしい。
だから、今逃げるわけにはいかない。
それに、そう簡単には逃げられないと思う。
彼女には、元傭兵の社員が4人もついているのだから。
イルマと、サイラス、ヴェルノに、あと、あの強面の大男。確か、ロナルドだっけ。
この4人をどうにかしなければ、ここから逃げることも叶わない。
もし逃げることができたとしても、そんなの一時的なものだ。
その後、追われる身になるのは間違いない。追われなくても、法的に罰せられることになるだろう。
……どっちにしろ、今の状況では傭兵に戻ることはできない。
――私はね、欲しい物を手に入れるためなら何だってする人間なのよ――
あんなことを言う人だ。どんな手段をとってでも私を逃さないだろう。
……どうしよう。
と、とりあえず、従順に振る舞っておくしかないかな。
正面からぶつかっても潰されるだけだ。
きっといつか、チャンスは来る。それをじっと待とう。
「ティナ。どうしたの、ぼーっとして」
「! えっ」
声をかけられ、思考の世界から帰還する。
ここは私が拘束されていた寝室。
そして、私の前に立っているハイディマリーは、腰に手を当て、私の顔を覗き込んでいた。
「サイズは測り終えたから、もう服を着てもいいわよって、さっきから何度も言ってるんだけど」
「あ、すみません……」
ベッドに広げて並べておいた服を、急いで身に着ける。
「制服は1週間くらいで届くと思うから、楽しみに待っててね」
……届かなくていいし、なんにも楽しみじゃない。
「あ、あの……」
寝室のドアを開けて出て行こうとするハイディマリーに、声をかける。
彼女は振り返り、「なぁに?」と微笑む。
「……私は、一体何をすればいいんですか? ヘルヘイムの仕事って、どんなことをするんです?」
まだ何の説明も受けてない。
するとハイディマリーは、「うふふ」と笑う。
「物には順序というものがあるのよ、ティナ。慌てなくても、今から説明してあげるわ」
そう言ってから、ハイディマリーはハッとしてニヤリと笑う。
「もしかして、やる気が出てきちゃったのかしら?」
「そっ、そんなこと、あるわけ――」
反論は、ドアが閉まる音に遮られた。
腹立つ~。
イライラしながら寝室を出ると、イルマのほかにあの巨漢、ロナルドがソファに座っていた。
いつの間に入ってきたんだ?
そして、ハイディマリーの姿は無い。
「あ、あの、ハイディマリーさんは?」
ロナルドがこちらへ振り向くのと同時に、イルマが「ボス」と発した。
「え?」
「ボスって呼べよ。お前、ヘルヘイムに入ったんだろ?」
はあ? 入りたくて入ったわけじゃないんですけど!
「……ボスは、どこ行ったの?」
「サイラスたちの部屋だ。お前の制服の発注を、サイラスかヴェルノに頼むつもりだろう」
問いに答えたのは、ロナルドだ。
「ふーん。で、サイラスさんたちの部屋って、この宿に取ってあるんですか?」
「ああ。一つ下の階にな」
「もしかして、1部屋をみんなで使ってるんですか?」
ロナルドは「いいや」と首を振る。
「大部屋があるのはこの三階だけだ。俺たちはそれぞれ個室を使っている」
ふぅん。
「じゃあ、イルマさんの部屋も二階にあるの?」
問いかけるけど、イルマは知らん顔。ロナルドが代わりに答える。
「いや、こいつはボスやお前と一緒に、この部屋を使っている」
え?
「ってことは、昨日もこの部屋で寝たの?」
歩み寄りながら問うと、イルマは顔を背けたまま、「何か文句でもあるの?」と聞き返してくる。
「いや別に、文句は無いけど」
「お前がベッドを占領してたから、私はここで寝たんだ」
ぽんとソファを叩くイルマ。
「占領って、私、好きであそこにいたわけじゃないんだよ? 捕まってたの。動けなかったの!」
「うるさいな! 知ってるよ、そんなこと」
声を荒らげる私に、イルマも同じボリュームで対抗してくる。
だけど、すぐにその口の端がぐいっと上がった。
「でも、ボスも一緒だったから、別にいいんだ」
不機嫌そうな顔が、一気に無邪気な少女の顔に変わる。
私はその変化に戸惑い、それ以上何も言えなかった。
「まぁ、座れよ」
ロナルドに促され、イルマの向かいに腰を下ろす。
ふと見れば、テーブルの上に紙袋が一つ置かれていた。
ロナルドはそれを、手ですーっと私の前に移動させる。
「大したもんじゃないが、朝飯だ。食え」
「え?」
紙袋を開けば、中に入っていたのは牛乳の入った瓶が二本に丸いパンが六つ。
「もしかして、買ってきてくれたんですか?」
「ああ。腹減ってるだろ?」
……言われてみれば、かなり空腹だ。昨日は朝食をとったきりだし。
「ありがとう」
礼とほぼ同時に、お腹が鳴った。フッと笑うロナルド。
頬が熱くなるのを感じつつ、私は牛乳瓶とパンを取り出した。
空腹を満たしたところで、ハイディマリーがサイラスを伴って部屋に戻ってきた。
「ごめんなさいね、ティナ。この宿、頼んでおけば食事を持ってきてくれるんだけど、私そういうの全部断ってるから。お腹、まだ空いてる? 空いてるなら、食堂に連れてってあげるけど」
ハイディマリーは、私の前にある小さく畳まれた紙袋と二本の空き瓶を見ながらそう言った。
「えっと、もう大丈夫です」
パン六個というのは、意外と多い。
「そう。じゃあ、このまま話を始めましょうか」
サイラスはロナルドの向かい、ハイディマリーはイルマの隣に座った。
「ボス。ヴェルノは」
ロナルドの問いに、サイラスが答える。
「制服の注文票を出しに、郵便局へ向かった。すぐに戻ってくる」
そう言った後、サイラスは私を一瞥する。
「あの子はいなくても大丈夫よ。これは、ティナのための話なんだから」
ハイディマリーは私を見て、口の端を上げた。
「私に聞きたいこと、たくさんあるでしょう? ティナ」
そりゃもう、たっぷりと。
「だから、先にティナの質問に答えようと思うの。さぁ、なんでも聞いて」
じゃあ、一番聞きたいことを質問させてもらおうかな。
「……あんなことをしてまで、私をヘルヘイムに入れた理由は? ハイディ……ボスは、私のことを欲しかったって言ってたけど、どうしてそう思ったんですか?」
どうして私は、この人に気に入られているのか。
確か、誰かに私のことを聞いて興味を持ったとか言ってたけど、もっと詳しく知りたい。
「私のこと、ボスって呼んでくれるのね」
「えっ? だって……」
イルマの顔を見る。私の視線を受け、彼女は眉根を寄せた。
「ふふ。あなたを社員にしたことに、特別大きな理由は無いわ。ただ私は、あなたのことが気に入ったから、そばに置いておきたかった。それだけの話よ」
そんなことを聞きたいんじゃない。
「私ね、何かに対して少しでも興味が湧けば、それが欲しくなっちゃうのよ。そういう性分なの。絶対に手に入れなきゃ気が済まないの。だから今は、とても心が充実しているわ」
わがままな子供みたいなことを言うんだな。
……彼女にとって私は、おもちゃみたいなものなのか。
もういい。これ以上聞くのも馬鹿らしい。
「じゃあ次の質問。これ聞くの2回目ですけど、私はどういう仕事をさせられるんですか? っていうか、ヘルヘイムがどういう会社なのか、イマイチ掴めてないんですけど」
以前、ある人からちょっとだけ話を聞いたことはあるけど、社長の口からちゃんと聞いて確かめておこう。
「ヘルヘイムは、簡単に言えば、お金持ち相手のオークション会社よ。美術品や骨董品なんかを大陸中から集めてね、出品するの」
うん。それは聞いたことがある。
「それと、これは私が社長になってから始めたんだけど、娼館経営なんかもやってるわね」
それも、聞いたな。
でも、この人が社長になってからってことは、それ以前は娼館というものは無かったんだろうか。
「ほかにも、孤児院経営とかいろいろやってるわ。ま、怪しい会社じゃないから安心してね」
……いやいや、充分怪しいだろ。
妙な薬を飲ませて、拘束、監禁、脅迫して私を転職させたくせに、何言ってんだ。
「それで、私の仕事は?」
「とりあえず、私と一緒にいることがあなたの仕事、かな?」
「は?」
なんだそれ。
「あっ、私もボスと一緒にいたい! こんな奴が一緒じゃ不安だしぃ」
勢い良く手を上げて言い放つイルマに、ハイディマリーは「ダーメ」と返す。
「あなたにはちゃんと仕事を用意してあるって、昨日話したでしょう?」
「ぶー」
不満気に口を尖らせるイルマ。
「仕事をちゃーんとこなしたら、ご褒美をあげるわよ?」
「えっ、ホント? じゃあ頑張る」
……また子供っぽくなった。何なの、この子。
「それで、ティナ? ほかに質問は?」
「え? いや、一緒にいることが仕事って、意味わかりません。ちゃんと説明して下さい」
まさか、本当にそばに置いておくだけ? 冗談じゃない。
「え~? わかるでしょ、普通」
「わかりませんよ、普通」
「お前の仕事は、ボスの付き人だ」
割り込んできたのは、サイラスの声だった。
「付き人……?」
見れば、サイラスは腕組みをして私を睨むように見ている。
「ああ。ボスの身の回りの世話をするんだ。かばん持ち、雑用係、侍女、お前にとってわかりやすい例えはどれだ?」
馬鹿にしないでよ。でも……。
「じゃあ、皆さんは何なんですか? 付き人じゃないんですか?」
ハイディマリー以外の3人の顔を見る。答えるのは、またサイラスだ。
「我々は、付き人というより護衛だな。ブリュンヒルデの本社からここまで、ボスを1人で行かせるわけにはいかないだろう?」
なるほど。
「お前は新入社員なんだ。まずは付き人から始めて、仕事を覚えろ。いいな」
どうして私が、そんなことをしなくちゃいけないんだ。
「返事は」
「…………はい。わかりました」
我慢我慢。今はとにかく、従順に振る舞うんだ。




