表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/52

07-A

「……ん」

 心地良い眠りから覚めた私は、すぐには状況を把握できなかった。



 ぼんやりとした意識の中、まず始めに理解したのは、ああ、自分はベッドの上にいるんだなということ。

 天蓋付きのびっくりするほどフカフカで大きなベッドに、私の身体は沈み込むように包まれていた。


 次いで、枕元にある照明の淡い光に気付き、この暗い部屋は寝室だなということと、今は夜なんだということを理解する。


 そして、思考が自分の身の違和感に至る。



 ……妙に、息苦しい。


「!」

 何かを咥えてる? いや、咥えさせられてる?


「――!」

 両手両足に金属製の枷が付けられ、そこから伸びる鎖が天蓋の4本の柱にそれぞれ繋がれている。鎖には余裕が無く、手足はほとんど動かせない。


 そのことを理解した途端、眠気が吹っ飛び、意識が完全に覚醒した。


 これは一体、どういうこと?


 咥えさせられているのは、布か? 頭の後ろで固く縛ってあるようだ。

 これでは、声が出せない!


 鼓動が、どんどん激しくなっていく。

 よくわからないけど、自分が何者かに捕まったことだけは理解できた。


「……」

 私を捕まえたのは、おそらくあの人。


 ヘルヘイム社長、ハイディマリー。

 ここは、あの人がいた部屋の寝室だろう。


「!」

 そうだ、あの時飲んだ紅茶に、もしかしたら何かしら入っていたのかも。


 あれを飲んだ後、身体に異変が起きて、……そこから記憶が無い。


 ……だけどどうして、こんなことを?



 ――君をおびき寄せるための罠かもしれない――



「!」

 プライス警部の言葉を思い出す。


 まさか、本当に? 本当に罠だったの?

 じゃあこれって、私を……殺すために?


 戦慄した。呼吸が荒くなるけど、口が塞がれているため苦しさは増していく。


 寝室には、私以外誰の姿も無い。

 そして私の視線は、寝室のドアに辿り着き、ぴたりと固定された。


 ……あのドアが開いたら、入ってくるのは私の敵だ。


 武器は何も無い。

 いや、そんな物があったとしても、こんな状態では戦うことなんて不可能。


 私は今、完全に無力。

 何をされようが、どうすることもできない。


「……」

 どうして、もっと警戒しなかったのか。


 相手は、よく知らない、よくわからない連中だったじゃないか。

 なのに、大人しくついていき、出された紅茶を何の疑いもなく口にして……。


 なんて馬鹿なんだ。

 そしてそのせいで、私は死ぬ。

 視界が、涙で滲んでいく……。


「――!」

 ドアノブがガチャリと下がり、ドアが開いた。


「あら、ようやくお目覚め?」

 入ってきたのは、ハイディマリーだった。


 寝室の外の明かりで逆光になっているその顔は、俯き加減のせいでどういう表情なのかはわからない。


「よく効くわねぇ、あの薬。即効性も持続性も、ちょっと危ないくらいだわ」

 ドアを閉めたハイディマリーは、私の方へゆっくりと歩いてくる。


 私は、見開いたままの目を彼女から離せない。

 来ないで! そう叫びたいのに、「んーんー」と唸り声が出るばかり。


 照明の明かりにぼんやりと照らされるその顔には、緩んだ笑みが貼り付いていた。


 彼女はベッドに手をついて上がり、もう片方の手をそっと私の顔に伸ばしてくる。

 思わず目をつぶった次の瞬間、ひんやりとした感触がそっと頬に触れた。


「……?」

 恐る恐る目を開くと、彼女は笑みを浮かべたまま、私をじっと見つめていた。


「泣いていたの? ごめんなさいね、こんなことをして。よしよし……」

 優しい口調でそう言いながら、私の頭を撫で始める。


 ハイディマリーはベッドに座り、私の顔を見下ろす。

 そしてまた、とても優しい手つきで私の頭を撫でていく。


 だけど、私の恐怖心はわずかも和らがない。彼女が突然豹変するかもしれないからだ。


「震えてるわね。私が怖いの?」

 ……お願いだから、殺さないで!


「うふふ。もしかして、私に殺されるかもしれない、なんて考えてる?」

 てらてらとした唇が、妖しい笑みを浮かべる。


 彼女はベッドに両手をつき、顔を近付けてくる。

 白金の綺麗な髪が、彼女の顔に影を作る。


「そんなことしないわ。せっかく、欲しかった物を手に入れたんだから」

「……?」


 欲しかった? それって私のこと? なんで?

 疑問の渦が頭の中で大きくなり、けれど口が利けない私は、目でそれを訴えるしかない。


 ハイディマリーは身体を起こして座り直し、顔にかかる髪を指で払う。


「私ね、あなたのことが以前から気になっていたの。ある子にあなたのことを聞いてね」

「……?」


 誰から聞いたんだ?

 いや、聞いたからといって、どうして私に興味を持った?


「キースからの手紙で、私たちはようやく、あの子が警察に捕まっていたことを知ったの。手紙には、あなたの名前があった。私はすぐに、9ヶ月前のビダオラでの一件について調べたわ。そうしたら、あの子が逮捕された現場にあなたもいたことがわかったの。ビダオラ警察は、あなたのことを世間には公表していなかったようだけどね」


 ……公表されても困る。

 私は、世間に讃えられるほどのことはしていないのだから。


「ビダオラ警察は、あなたがキースに深手を負わせて逮捕のきっかけを作ったことを隠してる。たぶん、警察としての体面を気にしたからだと思うけど」

 あ、そういうことか。


「まぁ、そんなことはどうでもいいの。それで私は、あのキースに深手を負わせたあなたにますます興味を持ってね、いろいろと調べさせてもらったわ」

 いろいろ……?


「あなたって、あのクレイグ・ロンベルクの娘なのね。彼に会ったことは無いけど、いつか会いたいとは思ってたわ。だから、引退したと聞いた時はとても残念だった」

 ハイディマリーは、静謐な瞳で私を見つめながら、話し続ける。


「彼が引退してから今日までのおよそ2年半、あなた相当苦労したでしょう。あなたが傭兵になるのを決意したのは、お父さんの代わりに家計を支えるためじゃない? 違う?」

 合ってる。


「でもあなた、傭兵採用試験に落ちているわね。その後、傭兵候補生というものになって、3ヶ月遅れで傭兵になった。その傭兵候補生期間の最後に、あなたはビダオラの暗黒街でキースと出会って戦ったのね」

 本当に、私のことをいろいろと調べて知っているようだ。


「今まで大変だったわね。辛かったでしょう。お父さんが事故に遭わず傭兵を続けていれば、あなたは今も普通の女の子として生きていたはずよね? そのことに関して、あなたは不満に思ったりしていないの?」


 そりゃ最初は、不満が無かったと言えば嘘になる。

 正直、どこにでもいるような普通の女の子として生きていたかったって、何度か思ったこともある。


 でも私は、そのことについて父を責めたことは無い。

 だから、首を横に振った。


「……そう。あなたはやっぱり、私の思った通りのいい子だわ。父親思いで、家族思いで」

 私の反応に満足げに笑ったハイディマリーは、また顔を近付けてきた。


「でも、だったら尚更、傭兵なんて辞めるべきだわ」

 えっ?


「ファミリアと戦うなんて、低ランクの内はいいかもしれないけど、上に行けば行くほど強い奴と戦わなくちゃならなくなる。命の危険と常に隣り合わせの状態が続くわ。いや、今だってそうでしょう?」

 確かにその通りだ。実際、死にかけたこともある。


「それに、その内あなたは、自分の力の限界を思い知ることになる。私は今まで、実力不足で自信を失い、傭兵を辞めていく若者を何人も見てきたわ。あなたもいずれ、きっとそうなる」


 ……それは、できるだけ考えないようにしていたことだ。

 そんなことを考えていたら、こんな仕事は続けていられないから。


 でも、そんなふうに不安を心の奥底に押し込めておかなければならないというのが、そもそも私の自信の無さの表れなんだろうな……。


「だから、私が守ってあげる。別の道を用意してあげるわ」

 ……別の道?


「あなたのマーセナリーライセンスは、私が預かりました」


「――!」

 心臓がドクンと大きく脈打ったことにびっくりして、声が出た。


 ハイディマリーの笑みが深くなる。その双眸は、じっと私の目を凝視している。

 目を逸らせない……!


「ライセンスが無ければ、あなたは傭兵として働くことができない。だから、これを期に傭兵を辞めて、うちに来なさい。ヘルヘイムの社員として働くのよ」

 なっ……!


「うちの社員になれば、もうファミリアなんかと戦う必要も無くなる。それともあなたには、意地でも傭兵を続けてファミリアと戦わなくちゃいけない理由でもあるのかしら?」



 ……いや、ファミリアと戦うのはあくまでお金のため。家計を支えるためだ。

 決して、ファミリア自体が憎いわけじゃない。


 ファミリアは人類の敵で、戦うべき相手だという認識はあるけれど、それははっきり言って、私じゃなくてもできることだ。

 私なんかより強い傭兵は、数え切れないほどいるんだから。


 傭兵を目指して頑張っていた頃は、ファミリアから人々を守るんだとか、そういった使命感を抱いていたこともあったけど、今は……。



「返事が無いわね。迷っているの? ああ、給料のことなら心配無いわ。傭兵と違って、仕事が見つからないからお金が稼げないなんてことも起こらないし。あなたがひと月にいくつも仕事をこなしてようやく稼げる額と同等かそれ以上の給料を、毎月保証するわよ」



 ……心が、揺れる。

 ハイディマリーに籠絡されかかっていることを、私は強く実感していた。


 どうする? 私はどうしたらいいの?


 傭兵を続けると言ったら、彼女はライセンスを返してくれるのだろうか。

 いや、でも、傭兵という職にそれほどこだわる理由が私にあるのか?


 いや、ダメだダメだ! 何を悩んでる!


 私がどれだけ苦労してそれを手に入れたのか忘れたか?

 それだけじゃない。ここで傭兵を辞めたら、父が私にしてくれたことが無駄になる。


 それに、一緒に傭兵を目指した友人や、私のために勉強を教えてくれたり、私をサポートするために協会員を目指す決意をしてくれた親友のことも、裏切ることになるじゃないか。


 ……なのに私は、私の心は、揺らいだ。

 本当に馬鹿だな、私は。



「まぁ、今すぐ結論を出せとは言わないわ。一晩よ~く考えて答えを出して。あれだけぐっすり眠っていたんだから、目は冴えているでしょう? 夜は長いんだから、じっくり悩んで決めてね」


 そう言ってベッドを下りたハイディマリーは、「おやすみ」と言い残して寝室を出て行った。



 ……明日、はっきり言おう。私の気持ちを。

 そしたらきっと、わかってもらえる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ