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6. 幻死

 "幻死まぼろし"とは、過去の人類史に存在した、個人の意志に関係なく死ぬ現象の、総称である。ガンが完治する方法が確立された20XX年からこの言葉が使われ始めた。近年、若返りの薬の開発により、寿命による死が、幻死の一種に追加された。



 数十年後……


 体格が締まった40代くらいの男は、格式高いスーツを身に纏い、6畳ばかりの小さな灰色の部屋で1人手紙を書いている。



 "寿命による死を当たり前に考えてきた最後の世代である私が、記録の意を含め"本当の遺書"をここに記す。


 若返りの薬は全世界に普及した。私が開発した成分配合のパンを初め、各社がこぞって手軽さを追求した若返り製品が世に売り出された。しかし、その願望と呼ぶべき成分には、生殖機能が落ちるという副作用を有することが後でわかった。有力な説はあるが、明確な原因は今も不明だ。子孫を残せないと、種は絶滅する。そんな危惧もあったが、考えてみれば、若返りの薬があれば、子孫を残す必要もなく、永遠に生きていける。若返りによって本能が選んだ退化なのかもしれない。かくしてこの問題は気にされなくなった。ちなみに完全に機能が失われたわけではなく、私も子どもを2人授かっている。

 また、薬の投与基準が設けられ、若返る年代を操作することが可能になった。今では、大半の人間が、子供は子供のまま、大人は大人のまま、老人は、老人のままだ。無機物の建造物だけが高く成長していく奇妙な世界になった。


 その昔、ガンが完治された頃、若者の誰かが幻と死を言葉遊びのように組み合わせて、"幻死まぼろし"と呼んだ。その言葉は世間に浸透し、その年の流行語にも選ばれるほどだった。そして流行を超え、我々の文化に住み着いた。現在、自然死は、ついに"幻死"となった。

 そんな、人の生に自然的区切りがなくなった世界で、死が需要を高めた。

 そして死はビジネスにもなった。『葬儀屋』と呼ばれる機関の主導の下、今やあちらこちらで人が望んで死んでいる。まるで、公開処刑のようだった。世間は数百年前の西部劇の時代に逆戻りだ。それだけ人が死ねば、もちろん『葬儀屋』の悪い噂も立つ……。だが、それは特に気にすることではない。死を嫌う人々が仕掛けた陰謀論に過ぎない。彼らは死は強制だと思ってるからだ。聞く必要はない。

 そして、西部劇の時代とは一つ違うものがある。

 民衆は死を祝福している。

『人生には区切りが必要だ』 有り余る寿命を手にした人類が出した一つの結論だった。

 その結論に、私も賛成だった。死に対して意見の差異はあれど、少なくとも、死はネガティブな印象を持たなくなった。むしろポジティブに捉えるようになった人もいる。私もその一人である。


 父は遺書にこう記した。『死は悪いものではない。人にとって死は必然だ』と。今なら、少しわかる気がする。体は若返っても、魂はそれにはついてこない。それは、喪失か、諦めか、歳を取るごとに、魂は老いていく。魂は一方通行だ。死へと向かうのみ。私の体は現在40代、だが、私の魂はもう140歳に到達するだろう。私の魂は今にも天国へと行きたがっている。

 父の時代と比べて良くなったところを一つ挙げるとすれば、死を選び、それを誇れるようになったことだ。人生に満足した段階で死を選ぶ。死に方も選べる。幸福な人生だったと叫べるのだ。それは腐りきった生を再び呼び戻す刹那。人生で1番輝く瞬間かもしれない。


 そして、父さん、結局、生きたまま貴方を完全に理解することはできなかったようだ。私にとって父を理解するには、死ぬしかないのだ。人には人の、死の理由がある。私は愛する者を理解したいから、死を選ぶ。もしかしたら、父さんも、母さんを理解したくて死んだのかもしれない。そうなら、私は少しでも父の背中に近づいたと思う。

 それでは、さようなら。良い人生をありがとう。そう、両親に伝えに行きます。今度こそ、互いの愛が向き合うことを望みます。"



「"儀式"は終えましたか?」

「はい。準備完了です」

「承知しました。では向かいましょう、笹沼サトルさん」

 黒いスーツで身なりを整えた槙野はサトルをフルネームで呼び、エレベーターへと誘導し、共に昇っていく。重い金属音と年の割に合わぬほどよく動く心臓の音が共鳴し、緊張と興奮が増幅する。

「本当の遺書は、家族には決して見せないようにしていただきたい」

「わかりました。おそらく、サトルさんは愛について書かれたのでしょう?」

「やっぱり、槙野さんは察しが良すぎる。父は告白したが、やはり個人の愛の矛先は知らない方がいい」


 サトルは終わりゆく人生を振り返った。生を祝福され、愛されながら成長した。そして、就職先で、自分に愛を振りまく存在は貴重だと知る。そして母が死んだ。母にしか愛を向けていなかったと自覚した父は後を追った。サトルに愛を向ける人はいなくなった。サトルは愛を欲した。その後、『葬儀屋』の手配により、愛をくれる人が現れたが、満たされなかった。愛を求めて奔走し続けたが、結局、もうここには本物はないことを知った。そして両親の愛を求め、徐々に死へと近づいていった。たとえ愛の矛先が向けられていなくても、彼は親の愛を欲した。こうして、今、サトルは死のうとしている。

 俯瞰して、愛をもらえていなかった自分を可哀想に思った。だから、残された家族に同じ思いをさせたくはなかった。家族には、"魂の不在"という正当な理由だけを通している。


「しっかし、ほんと豪華ですね、この建物は」

「上質なサービスを提供する、それが私たちの使命と、誇りでもありますから」

「やっぱ、"死にたい街ランキング1位"の名は伊達じゃないですね」


 シニカルな笑いが煌びやかに光るエレベーターの中を充満させる。


「非難する団体もありますから。ずっと世間の議論の的ではありますが、貴方のような権力を有する方がサービスを利用してくださるなら、私どもの風向きもよくなるはずです」

「自然死をしたい。自殺で人生を終えるなど間違っている。そんな話を数十年も議論するとは、人類はいつまで停滞するのか」

「『"幻死まぼろし"は、どちらがなるべきだったか』。自殺と自然死、どちらが消えるべきだったか。それを今考えても、仕方のないことなのです。若返りがあれば、老いも同等の扱いを受けなければならない。選択ある生という幸福があるのなら、選択ある死も幸福なのです。選択できるというのに、なぜ彼らは非難するのでしょう?」


 槙野は人差し指で頬を掻きながら呆れた顔を示していた。自分が人間として高いところにいると確信して、彼らに憐れみを向けているかのようだった。


「時が来たら、誰しも死を望みます。その時に、誇りを持って提供できるサービスが必要だと、私どもは考えております。きっと今なら、ハナレさんも喜んでくれるはずです」

「"時は来た"のでね。喜んでくれなきゃ困りますよ。ところで、槙野さんは死にたいとは思わないんですか?」

「あいにく、私にはまだ生きたいと願う魂を持っていますから……」

「ったく、後何年生きるつもりなんすか……まさか2世代分見送られるとはね……」

「望みを達成した後、私も死に向かうと思っていました。ですが、こんなにその後も満たされるとは思いませんでした」

「あなたは、根っからのサディストだ。人の死が好きすぎる。そして自分の職業を趣味に近いものに変えた変態だよ」

「死の間際の美しさに勝るものはありませんから。正直に打ち明けますと、サトルさんも使われる"見守り"サービスは、私が個人的に見たいがために考案したものですから」

「あぁ、貴方しかいないよ。契約のときの満面の笑みで察してましたよ」


 悪い冗談だ、とサトルもどこか呆れた顔をしていた。生を十分に全うしたサトルにとって、槙野の野望など一切どうでもよくなっていた。死にたいサトルと死を見守りたい槙野の利害が偶然一致したから取引をしただけだった。


「最後に聞きたいことがあります」

「なんでしょう?」

「あの、良くない噂は本当ですか?」

「さあ、私は何のことか知りませんが」

「『葬儀屋』は、死を薦め、応じなかったら、自ら足を運び、殺すのだと。人口調整を自ら行っている、選択なき死がある、と」

「…………」

「そして、『大きくなりすぎないよう、権力の芽をあらかじめ摘んでいる』と」


 少しの間が沈黙があった。だがすぐに槙野は答えた。


「さあ、どうでしょう? 解釈の違いではないですか?」


 いつもと変わらぬビジネスライクな笑顔をサトルに見せた。


「そうですか。そうですよね。人類はほとんど僕のような実年齢140代くらいで終えるのに、貴方はまだ長生きしそうだから少し気になっただけです」

「それを考えるのは野暮なことです。さあ、扉が開きますよ」


 エレベーターの扉が開くと、そこには、雲に覆われた空と、屋上の端まで敷かれた赤い絨毯があった。横には黒いスーツで身なりを整えた使用人たちと、サトルの妻と子ども2人が、おめでとう、ありがとうと繰り返しサトルを激励した。まるで新たな門出を祝う、ヴァージンロードのように。それを踏みしめるごとに、サトルは生を実感していった。

 端までサトルが歩くと、案内人が後ろに立った。偶然、小雨を降らせていた雲の隙間から、太陽の神々しい光が差し込めた。


「あれは、チンダル現象と言いますが、何度見ても綺麗です」

「あぁ……あれはきっと、天からの誘いだ」案内人の冷静な説明をもろともせず、サトルはこのタイミングの奇跡に感動した。


 時は、来たのだ。


 覚悟を決めたサトルは、腕を大きく広げた。


「私を、父と母の元へ向かわせてください」

「はい。では、さようなら」


 槙野に思い切り背中を押してもらい、都心の果てしない大空へと羽ばたいていった。

 羽ばたいたサトル、またもや人の死を垣間見る槙野。両者は共に、恍惚の表情を浮かべる。



 ――サトルは、奇妙な感覚を覚えた。

 ――なんと、自分の体を見ているではないか。すると、あの差し込める光から、二つの何かが舞い降りてきた。


 ――天使だ。


 ――彼らはサトルに近づいていき、寄り添ってきた。時は来た。おめでとう。そんな祝福の声がサトルの頭を飽和させる。

 ――そして、サトルは天使に支えられ、家族が待つとされる天国へと昇っていく。



「ママ!あれ見て!」

 初めに気づいたのは、子どもの姿をした人間だった。彼女が上空に指を差すと、周りにいた老若男女が上を見上げる。それが何かを認識すると、群衆は次々と歓声を上げ、祝福に溢れた。

 暖かい声援に包まれた、その地に、高層ビルから、一つの肉体が落ちてきて――――。

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