12話 離れたから、わかるもの
よろしくお願いします。
街へ行き、ただの娘としてルシアは料理店で働き始めた。
職場はすぐに見つかった。
客層は、比較的豊かな中・上流階級。
ルシアはウェイトレス兼、賄い担当として雇われた。
主に昼間だけの業務だったが、頼まれれば夜のウェイトレスもこなした。
王都に近いその街は、いつも多くの人々で賑わっている。
そこで、ルシアの美貌はすぐに評判になった。
さらに、かつて高級娼館で徹底的に叩き込まれたルシアの上品なマナーと教養、そして彼女自身の優しさが加わり、ルシア目当ての客が店に爆増した。
特に、店のオーナーの息子は、ルシアに完全に夢中になった。
ルシアに一目惚れした彼は、ルシアがいる時間帯を狙っては料理店に入り浸るようになった。
誰もルシアの過去を知らない街で。
平穏で温かくて、少し賑やかなルシアの新しい居場所。
しかし、ルシアもまた、毎日のように激しい寂しさに襲われていた。
本当なら、シャレルドのいる屋敷に近いこの街を、今すぐ離れるべきだと分かっていた。
もっと遠くの小さな町か、あるいは別の国にでも行って、そこで一人前の魔術師として生きていくつもりだった。
……けれど、シャレルドの住むこの街から離れがたい。
(シャレルド様のことを完全に吹っ切れるまで……少しの間だけ、ここにいさせて)
毎朝、毎晩、ルシアはベッドの中で、焼き印の消えた真っ白な手首を見つめる。
そして同時に、シャレルドと過ごした楽しい昼間の時間と、あの甘く優しい夜の温もりを、思い出していた。
出勤前、ルシアは自分で自分を鼓舞するように呟く。
「頑張ろう。シャレルド様が、私の過去を消してくれた。
忘れて前を向いて生きていけって、そう励ましてくれたんだもの。
……私はルシア。町娘の、ただのルシア」
シャレルドがくれた、綺麗になった手首をそっと撫でる。
そうしてから、ルシアは働きに出るために髪を一つにまとめるのだ。
望んでいたはずの、穏やかで平和な暮らし。
街の男たちから手首を見咎められて、娼婦と軽んじられることもない。
一人の若い女の子として、過ごす日々。
なのに、ルシアの心は少しも満たされなかった。
「ルシアさん、今度の日曜、一緒に美術館へ行かないか?チケットをもらったんだ」
常連客に声をかけられても、デートの誘いに乗る気持ちにはなれなかった。
「ルシア、街の劇場に有名劇団が公演に来るんだ。ドレスや靴、アクセサリーは全部俺が用意するから、一緒に行かないか?」
オーナーの息子も、何度もルシアを誘った。
けれど、ルシアはそれもすべて丁寧に断った。
そんな時に頭に浮かぶのは、いつだってあの銀髪の、不器用でぶっきら棒で優しい、シャレルドの顔ばかりだった。
まだ、想う人が心の真ん中にどっしりと住んでいるルシアは、誰からの誘いも頑なに断り続けた。
何をしていても、シャレルドを思い出してしまう日々。
(シャレルド様なら、この料理、この味が好きだわ……)
お店の台所に立って仕込みをしていても、気づけばシャレルドの好みの、少し薬味の効いた味つけ。固さは口当たりの柔らかい物にしようとしている自分に気づき、ルシアは手を止める。
(だめだわ、私。またシャレルド様のことばかり考えてる)
――あの不器用な、けれど嫌味にならない嫌みを言われて、それに言い返す楽しさもない。
何気ない会話で、二人で笑い合う幸せもない。
新しい魔術を学んで、一緒に喜んだあの達成感もない。
窓を開ければ心地よい風が吹き抜ける、たくさんの花でいっぱいだった、あの美しい庭もない。
(私にとって……あの温かい場所が、シャレルド様が、もう家族だったんだ)
賑やかな料理店の中で、ルシアはふとカウンターの端にある、誰も座っていない椅子を見つめてしまう。そこに、あの不機嫌そうな顔で、けれど静かにグラスを傾けているシャレルドの姿を幻視してしまい、その度ルシアは胸が引き裂かれそうになる。
(私は元娼婦。あの方に相応しくない……。
早く、早く……忘れなきゃ、忘れ……られない)
ルシアはシャレルドへの想いを胸の奥へと押し込めた。
お読み頂きありがとうございます。
離れたから、その人がどれだけ、ルシアの中に大きく存在していたかを、ルシアは知りました。




