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出会い

 シルファの森に一度入ると生きては帰れない。

 そんな風に言われるようになったのはつい三百年前のこと。

 それ以前はこの森に植物採取のため人間が出入りし、動物の狩猟も頻繁に行われていた。

 良くも悪くも賑やかだったが、それを良しとしない種族がいた。エルフだ。

 大きな耳の先端が尖っていること以外、人間と対して変わらない見た目なのに驕慢で、ちょっと寿命が長いだけで己が神だと言わんばかりの振る舞いをする。人間との共存を望む声は少なかった。土足で棲家を踏み荒らす人間を根絶すべく、彼らは風で人間を森に誘い込みそのまま森ごと燃やした。

 被害は大きく、共存を望んだ同種さえ焼かれた。

 いくらエルフが自然を再生させる力を持っていたとしても、そんな粗暴な振る舞いを正当化するのはいかがなものかと思う。しかし、そのおかげで今は森に絶えず鳥の囀りが聞こえ、川のせせらぎが眠りを誘うかのようにのどかな時間が流れているのもまた事実。


 ——エルフの数も減っちゃったけど。


 年寄りの考えには賛同できないと森を出る若者が多く、ここ二百年で少子化が進み、今では若いエルフをほとんど見かけなくなった。

 また、寿命が長いとはいえエルフも不老不死ではない。いずれ長い眠りにつく。

 緩やかに衰退の一途を辿るのを受け入れるように、ごろごろと木の上で寝転びながら川魚が跳ねるのを見下ろしていると、突然地響きのような音が耳に届いた。木に止まる鳥たちが慌てて飛び立つ中に(かす)かだが叫び声も聞こえる。

 この森では聞いたことのない声。気になって木から飛び降りると、枝にかけてあった弓と矢筒を肩にかけて駆け出した。


「……けて、誰か助けて!」


 木々を分け入って進むと、声がはっきりと聞こえるようになった。

 この先は池のせいで少し開けた場所になっている。

 木の影から息を潜めて様子を窺うと、巨大な猪と対峙している少年の姿があった。

 耳は尖っておらず、それらしい武器は持ち合わせていない。

 

「く、くるな……!」


 少年は足元に落ちていた枝を拾うと、猪に突きつけた。そんな棒切れで凌げるわけないのに、人間というのはいやに諦めが悪い。

 弱肉強食の世界とはいえ、ここで見殺しにしてしまうと寝覚が悪い。

 矢筒から抜いた矢を弓にかけて猪を狙う。今日の夕飯は豪華になりそうだ。

 手を離した瞬間勢いよく放たれた矢は猪の目に突き刺さった。

 うめき声を上げ、刺さった矢を抜こうと頭を振る獲物に、もう一矢。

 悲鳴をあげた猪はぴたりと動きを止め、そのまま側の池に落ちていった。

 

「大丈夫?」


 放心状態で尻餅をついた少年に歩み寄って手を差し出した。

 少年は躊躇(ためら)いつつも手を握り返してきた。


「一人でこの森に入ってきたの?」


「森に入る前に逸れたんだ、母さんと」

 

 眉を困らせたまま、小さな声で答えられた。

 嫌な予感が脳裏に浮かんだが、的中しないように少年に背を向けた。

 

「出口まで案内するよ。ついておいで」


「あの、」

 

 服を引っ張った手を見るといくつかのアザが見えた。猪に追われた際にできた傷にしては古かった。


「君、もしかして……」

 

 考えてみればこの森にある言い伝えを親世代が知らないわけがない。

 時折こうして森に迷い込む子どもがいたが、やってきた理由の大半は同じだった。

 別に先代のように人間を嫌うことはないが、理解に及ばなかった。

 大きなため息を吐いて、脳内に簡易な地図を浮かべた。少し距離はあるが、隣村まで連れて行けば、誰かが雇ってくれるだろう。男の子なら将来良い働き手になる。

 そんなふうに考えて、一歩踏み出すと後ろから声がした。


「結婚してほしい」


「は」


 耳はいい方だ。少なくとも側にいる人の言葉を聞き間違えたことは、今まで一度もない。


「あの、なんて」


 それなのに突拍子もない求婚を受け入れられなくて思わず振り返る。


「俺と結婚してほしい」


「母親ではなくて?」


 齢十にも満たないような少年が真剣な表情で頷いた。

 ただ、その泣き腫らした目のギャップがおかしくて上がりそうな口角を必死に抑えた。

 母親ならまだしも、交際をすっ飛ばして結婚を申し込んでくるのも輪をかけて滑稽で、この少年の考えていることが一ミリもわからなかった。


「……私ね、人じゃないし、こう見えて三百歳超えてるんだよ」


「それでもいい」


 なかなか引き下がらない少年に気圧されて、眉間にシワを寄せた。


「私は嫌かな。君みたいな子どもじゃなくて、もっと強い人がいいし」


 生まれてこの方結婚のけの字も考えたことがない。年齢的には伴侶がいてもおかしくないが、森には同世代のエルフはいない。浮ついた話が回ってくることは一度もなかった。

 そんな私の何に惹かれたのか気になったが、聞いたところで人間の子どもが恋愛対象になることはまずない。

 呆れるように鼻を鳴らすと、さらに力強い声が返ってきた。

 

「じゃあ俺強くなる。誰にも負けないくらい。魔王だってこの手で討つから」


 魔王——この世を脅かす存在。これまでにいくつもの村を襲ってきた。かつてこの森も目をつけられていたらしいが、野蛮な先代のおかげで事なきを得た、と母親から聞いた。今やその母親も、あのとき人間たちと一緒に……。


「……いいね。それ、私も付き合うよ」

 

 ただの暇つぶし。母親がいなくなった子どもをなんとなく放って置けなかっただけ。気まぐれにすぎない。

 ちょうどのどかで暇でしかないこの森にも飽きていた。魔王討伐はともかく、この少年といれば、少なくとも退屈はしなさそうだった。

 それにも飽きたら、またこの森に戻ってこよう。

 

「君、名前は?」


「アルバ」


「そう。私はアストラーレ。よろしく」


「アストラーレ……」


 誰かに名前を呼んでもらったのなんていつぶりだろう。

 我ながら綺麗な名前だと思うのは、母親がくれた最初で最後のギフトだからだろうか。


「それじゃあ行こうか」

 

 そっと握ったアルバの手は小さくて柔らかくて温かかった。

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