第三話:断糸の未亡人
私の人生は、忘れたい記憶で溢れている。
また一つ、また一つと増え、もう抑えきれないほどに。
―――――――
悪夢のような葬式が終わり、深夜。
やっと見つけた時間で情報を整理する。
いくらなんでもこれだけ夫の死が続くのはおかしい。
だが、どこにも共通点が見つけられないのだ。場所も、状況も、死因さえも。
一人目の夫、お祖父様の死因は老衰。
二人目の夫は戦死。
三人目の夫は転落事故。
四人目の夫、シェイラムは――刺殺。
「……ありえない」
ぐるぐると頭の中を膨大な情報が駆け巡った。
しかし、私の商人としての勘が告げている。
「偶然という名の安っぽい商品は、そう何度も入荷しない」
落ち着こうとして独り、冷え切った書斎で古いランプに火を灯した。
まだよく働かない頭で、必死にシェイラムの予定を辿る。
何か怪しい行動はなかっただろうか。
彼は最近、大口の契約を結んだと言っていた。これでヴェルディスタ伯爵領はもっと豊かになれると、誇らしげに。
手元にあるのは、4人の夫たちが遺した断片的な記録。そして、私の祖父であり師でもあった最初の夫、老男爵から授かった一冊の古い帳簿だ。
「……見ていてください、あなたたち」
私は震える指でペンを握り、彼らの死の直前の動きを書き出していく。
共通点は、結婚式直前の取引。そして、金の流れを隠すために使われていた、複雑なダミー商会の紋章。
「怪しいわね」
私は指先で契約書の紙質をなぞった。四枚の、全く異なる場所で交わされたはずの書面。だが、その紙の厚みと手触りは、寸分の狂いもなく一致している。
――共通の『仕入れ元』がある。
私はペンを置き、かつて教わった偽造防止インクの知識を総動員した。
「酸には反応しない。水でもない。……熱か、あるいは」
私の脳裏に、お祖父様の掠れた声が蘇る。
「クロティル、金は嘘をつかない。だが、金は時に暗闇の中に隠されることもある。眩しき光の中では見えない真実を、お前だけの灯りで照らして、暴きなさい」
――まさか。
ランプの火を近づけすぎれば、大切な遺品が燃えてしまう。
震える指先を抑え、ゆっくりと紙を近づけていく。
その極度の緊張感の中、炎の揺らめきを透かした瞬間、灰色の羊皮紙の裏側で、龍の鱗が脈打つように浮かび上がった。
暗闇の中、微かな光で照らした時のみ現れる、特殊なインク。
それは、帝国北端の冷徹な支配者――アイセントール家が重要な取引だけに使用する、信頼の証。
氷を砕く、ドラゴンの印章。
「……アイセントール。セリアン・ヴィル・アイセントール」
社交界にあまり出ない私でも知っている、我が王国の二大公爵家。
『なり損ない』と蔑まれながらも、巨大な家門を冷酷に実力で統べる若き当主。
彼が私の夫たちの何かを狙い、彼らを死に追いやった黒幕なのか。
敵は思ったより強大だった。でも、構わない。
「あなた達の仇さえ、取れるのならば」
不意に、お祖父様が愛した『商売の鉄則』を思い出して、形見である胸元のペンダントを握りしめる。
「最も手強い相手を落としたいなら、相手が喉から手が出るほど欲しがっているものを、毒を塗って差し出しなさい」
恐らくセリアンが欲しているのは、家門内での孤立を覆す圧倒的な資産。
そして私は、死神とまで呼ばれるほどの悪名と、4人の夫から継承し、私が増やした莫大な富を持っている。
私はどうやら、ちょうど良い餌になりそうだ。
地を這うことしか知らなかった私に、彼らが命を削って繋いでくれたこの命。
夫たちが遺した記録は、ただの紙切れじゃない。私を人間として生かすための、最後の武器だ。
敵の喉元に食らいつくには、彼の妻になるのが最短の道か。
なるのだ。私自身が。彼を殺す毒杯に。
シェイラムの弟に財産を譲る手続きを済ませ、三通の手紙を書いてゆく。
チラリと横の鏡を見ると、消えかけの涙の跡。
もう、泣いてはいない。泣いてはいけない。
これからは。私の全てをかけて、一世一代の大芝居を打つのだから。
赤く泣き腫らした目の下のクマは、黒いアイシャドウで塗りつぶす。
まとうは漆黒のドレス。喪服よりも、さらに暗く。
深い深い深淵を連想させるような、レースのベールをかぶって。
口紅をひく。血を思わせるほどの真紅を、見せつけるように。
この屋敷の人間は誰も信用できない。あの夫の殺され方からして、きっと内通者がいる。
手紙を直接渡すしかないことが、こんなにも嬉しいとは。
いつの間にか、乾いた笑い声が漏れていた。
拝んでやろうではないか。私の大切な人を奪った憎き仇の顔でも。
お望みであろう、毒婦の仮面でも被って。
―――――――
翌日。私は結婚後に使うはずだった、豪華な馬車に勢いよく乗り込む。
目指すは北部。仇が待つ氷の城まで。
ガラガラと馬車が走る中、刺すような視線を浴びせられた。
あるものには嘲笑され、あるものには下卑た目つきで見られる。
「ああ、あれが4人も夫を食い殺した悪女か」
「相応しい体つきだな。顔は少し平凡だが、いけるぞ」
「お前でも大丈夫なんじゃねぇか?爵位と金さえありゃあな」
馬車の小さな窓に丸めた新聞紙が次々と投げられ、跳ね返っていく。
いつの間にかその中に石が混じり始め、コツンコツンと強い雨のような音が四方八方から鳴り響いた。
べちゃ。
濡れてぐちゃぐちゃになったパンが、窓に張り付いている。
瞬間、しばらく思い出すことすらなかった、はるか昔の記憶が蘇る。
キラキラと宝石のような果物が輝く、温かいパン。
ふわりと笑う、幼い少年の影。
あの少年の名前は、なんだったか。
思考に沈むその一瞬の間。
鳥のフンに覆われたように、気づけば外の景色すら見えなくなった。
誰かが扉を叩いて笑っている。
ゴン、べちゃっ、コツン、ゴン。ガタンガタン。
ははははは。あははははは。はははははは。
群衆をかき分けるように少しずつ進む馬車の中。
震える指で必死にドアを押さえて、開かない事を願った。
私じゃない。
そんなことはしていない。
私はただ、幸せに暮らしたかっただけだ。
大切な人たちと、平凡に。ただ生きたかっただけなのに。
狭い車内で、かじりついた扉にもたれ、肩から伝わる振動をただやり過ごすのに精一杯だった。
なぜこうなってしまったかすら分からなくて、怒りの矛先を向けることさえできない。
暗い心を押し沈めようと、必死に懐に入っている手紙を撫でて、落ち着かせる。
「じゃあ、あんたたちが教えてよ、夫を殺したのが誰なのか」
「何でもやるから。私は、何だってやる気なんだ」
外聞すらかなぐり捨て、いっそのことそう叫んで、言い返してやりたい。
けれどそれすらできない今の状況が、もはや笑えてくる。
それでも。
私はもう、あの日の無力な少女ではない。
おぞましくも美しいこの王都に、私は再び帰ってくる。
雪が薄く積もる道で、私はやっと馬を降りた。
王都から遠く北部、壁に囲まれたアイセントール公爵領にて。
「もう良いわよ、助かったわ」
長い旅路を共にした馬のたてがみを撫でて労う。
朝日が照らす中、抱いた決意を新たに、私は公爵家のドアを叩いた。
霜が降り、白に覆われたそのドアを。
「皆様方、初めまして。クロティルです。公爵様に、結婚を申し込みに来ました」
愛の告白などではない。これは、最後通牒だ。
『断糸の未亡人』がアイセントール公爵に送る、5度目の結婚の申し込み。
「さあ、飲み干していただきましょうか。私の差し出す、この毒杯を」




